契約妻と無言の朝食

野地マルテ

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古びた倉庫にて

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 古びた倉庫にて。ブリキのバケツと雑巾を仕舞い、おでこに浮いた汗を手の甲で拭う。
 使い終わった掃除道具を運ぶのも一苦労だ。

 ヘレナは私のことを結構美人だと言うが、彼女が何か荷物を持っていると必ず男性の助け手が入るが、私を助けようとする男性は見たことがない。
 私はやっぱり容姿がいまいちなのか、それとも愛想がないから男性に声をかけられないのか。
 ……両方かもしれない。
 ヘレナも若い男性には塩対応だが、彼女はすごく可愛い。でも若い男性から彼女は優しくされている。
 
 私は男性のことを見直す機会もなく、このままなのだろうかと思いながら、水栓をひねり、水を出す。
 真っ黒になった手のひらに石鹸をつけて擦るもなかなか汚れは落ちない。暖炉の掃除をしていてついた汚れは頑固なのだ。

 ブラシを使って爪の間の汚れを取っていると、倉庫の扉が開く音が微かにした。
 ヘレナだろうか? 彼女は途中まで私と歩いていたものの、侍女長に声を掛けられて別れていた。

「ヘレナー? 私はここよ?」

 ここにいることを知らせようと声を出すと、足音が近づいてきた。
 しかし、この足音がどうもおかしい。
 ヘレナは革靴を履いているはずなのに、カツンカツンという金属性の靴底特有の高い足音が聞こえるのだ。
 背中に冷たい汗が流れる。

 ヘレナは私のことがいいなと言っている近衛騎士がいたと言っていた。
 ひと気のない倉庫で私一人。近づいてくる不審な足音。足音から推測するに、おそらく相手は騎士職者だろう。
 暴行されたとしても抵抗出来ないし、叫んだところで助けは来ないかもしれない。相手がもしも近衛騎士なら訴えることすら難しい。
 近衛騎士は上流貴族の次男三男が多いのだ。
 貧乏貴族家出身の私では、泣き寝入りがせいぜいだろう。

 また、私とろくに会話をしてくれない癖に、身体だけ貪ろうとする男が現れたのだろうか。
 逃げなきゃと思うのに、膝が震えてその場から歩き出すことすらままならない。
 口元を戦慄わななかせていると、ガラガラと音を立てて引き戸が開いた。


「……アレクシア?」

 自分の名前を呼ばれたのに、もう声すら上げられない。
 現れた人物は髪型は変わっていたが、よく知っている男だった。
 彼は長い脚を引っ掛けないよう、足元をちらちら見ながらこちらへ近寄ってくる。漂ってくるグリーン系の香水の匂いに鼓動が早くなった。

「もしかしたら逢えるかもしれないと思っていたが、本当に逢えるとは……」

 柔らかな口調、長めの前髪の奥で細められる翡翠色の瞳。
 普通の女性ならば、これほどの美男子に再会を喜んでいるようなことを言われたら、歓喜すると思う。
 けど、私は。

「いっ……」

 私が悲鳴をあげようとした、その時だった。


「うおおおおおりゃああああ‼︎‼︎」

 勇ましい奇声が男の後ろから聞こえたと思ったら、何かがバキリと折れる音がした。
 男の身体が急に前屈みになり、彼は頭を手で押さえながらバッと後方を振り向いた。

 彼の背後にいたのは、柄がぱきりと折れたデッキブラシを持ち、息をぜえはあと荒げているヘレナだった。



 ◆



「ヘレナ……!」
「あなた、客員騎士様でしょう? こんな汚い倉庫に何の用? 近衛のお客様であるあなたがこんなところに入る必要は無いですよね?」

 ──客員騎士?

 捲し立てるようなヘレナの言葉に、はっと男を見上げる。確かに、彼は近衛部隊の指南役らしき黒い制服を着ていた。

「アレクシアがここに一人で入っていくのが見えたから、追ってきたんですよね? 一体なんのために?」
「ヘレナ、もういいから」

 ヘレナの剣幕に私がびびってしまった。
 彼女との付き合いは半年近くになるが、こんなに怒った彼女は見たことがない。
 ヘレナにデッキブラシの先で頭を殴られた男は、何事も無かったかのように淡々と言った。
 
「彼女と話をしようと思って……」
「はあ? 話? 嘘でしょ? アレクシアの事を見ていいなと思って、後ろから追いかけて行ったんでしょ? 襲うために‼︎」
「ヘレナ、もうやめて! 私は大丈夫だから」

 再び振り上げようとしたヘレナの腕を慌てて掴む。
 彼女はデッキブラシで彼のことを殴った。もう手遅れかもしれないが、これ以上近衛の客員である彼になにかしたら、懲罰は免れないだろう。
 私は男に頭を下げた。


「……エリオン様、申し訳ありません」

 男は半年前に別れた元夫、エリオンだった。
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