契約妻と無言の朝食

野地マルテ

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聞き込み調査

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 ──ダメだった……。

 本宅の屋上にて、私は膝をかかえてため息をついていた。
 今日は連日の閨の行為で疲れた身体にムチ打って、家令と私設兵団の現団長に聞き込み調査をしたのだ。

 まずは家令にエリオンの兄マクシミリアンの現状について確認した。
 私はエリオンが嘘を言ってるんじゃないかと疑っているのだ。

 ──普通、元当主おにいさまになにかあったら、もっと物々しい雰囲気になるはず。

 二年間の予定で不在にしている正当な領主が駐在先しょくみんちで何かあったら、もっとこう、屋敷内の雰囲気に変化があってもおかしくないはずだ。
 兄夫婦とは一月弱しか一緒に暮らしていないが、マクシミリアンはエリオンよりもずっとずっとこの屋敷の人達に愛されていた。
 慕われていた元当主が駐在先である植民地で武力蜂起に遭ったのだ。まだ半年の付き合いしかない私ですら、義兄の一家が今どうしているのか心配で仕方ないのに、なぜここの人たちはのほほんとしていられるのだろう。もちろん武力蜂起があったことを大多数の使用人たちはまだ知らない可能性はあるし、知っていたとしても顔や話題に出さない努力をしているのかもしれないが。


 この家のすべての事情を知っているであろう家令のお爺さんフレデリクは、私の問いかけに悉く『申し訳ございません』と首を横に振った。

『フレデリクさん……』
『アレクシア様、申し訳ございません。エリオン様からは黙っているようにと仰せつかっているのです』
『そうですか……』

 せめて王立騎士団に匿われているという義兄一家の無事だけでも家令の口から直接聞きたかったが、安否情報が漏れるだけでもまずい状況なのかもしれない。
 ここで食い下がっても家令を困らせるだけだと思い、私は話題を変えた。

『旦那様が私を契約妻から無期限──正式な妻にしたいと仰っているの。フレデリクさんはもちろんご存知ですよね?』
『ええ、エリオン様は前々からアレクシア様のことをお好きでいらっしゃいましたから、ご結婚から半年──ちょうど良い頃合だと思い、エリオン様はアレクシア様に結婚の無期限化をご提案なさったと聞いております』

 家令は事あるごとに私に『エリオンは私のことが好きだ』と伝えてきた。
 私はそれを聞くたびに、心の中で悪態をついた。あれだけ若くて外見もよくて社会的地位もある男が、好きな女性に対して半年間も無視を決め込むなんて絶対にあり得ない、と。
 エリオンが女性慣れしていない線もまず無いだろう。性的なことに不慣れな私を、わずか二日であれだけ快楽漬けにした男が、女性経験を積んでいないわけがないと思う。

『……何度も言ってますけど、旦那様は私のことを好きじゃないです。百歩譲って、都合がいいから私を正式な妻にしたいだけでしょう。私は貴族の娘ですが後ろ盾らしい後ろ盾もないし、浪費家じゃない。この家でそこそこ上手くやっていて兄夫婦との仲は良好。半年間も旦那様にだんまりを決め込まれたのに、文句ひとつ言わなかった……こんなに都合のいい人間、なかなかいないでしょうね』
『そんなことはありませんよ』

 家令は眉尻を下げて私の言葉を否定するが、私は自分が口にした言葉で悲しくなってしまい、ハンカチでそっと目尻を拭った。
 ちょっとしたことで泣いてしまう、情緒不安定な自分が恥ずかしい。

『ありがとうございます、フレデリクさん。でもね、私……実家に帰りたいって思っているんです』
『アレクシア様……』
『契約満了金とかもう、どうでもいいの。旦那様が私をどう思っているのかも。好きでも嫌いでももう、どっちでもいいんです』


 ──うっかりフレデリクさんには本音を言っちゃった……。

 髪を一房取り、顔の前で指に絡ませる。鼻の奥がツンと痛む。
 私は私が思うよりもずっと、愛されないお飾りの契約妻の立場を辛く思っていたようだ。
 この半年間、ある意味気楽でいいやと思っていたはずなのに。契約妻の立場を割り切って考えていたはずなのに。

 この二日間、エリオンに抱かれたことにより、はっきり分かってしまったから私は胸が痛いのかもしれない。

 抱かれる前は、『もしかしたらエリオンは女性に慣れていないだけなのでは』という希望的観測があった。しかし、抱かれてはっきりしてしまった。どうみても、エリオンは閨の行為に慣れている。
 女性はそう簡単に快楽の高みへ昇れるものではないらしい。それなのにエリオンは、まったく性的な経験のない私に何度も絶頂を迎えさせたのだ。

 私は私設兵団の団長にも、話を聞きにいった。
 エリオンの女性遍歴について改めて尋ねたのだ。

 この二日間、どんな風にエリオンに抱かれたのかをくわしく説明するのは物凄く恥ずかしかったけれど、エリオンのこなれっぷりを伝えなければ、団長は本当のことを言わないと思ったのだ。
 しかし団長は首の後ろをがりがりかきながら、困ったように眉根を寄せた。

『いや~……ほんと、俺は知らないんですよ』
『旦那様は娼館通いもしていないの?』
『……ええ。俺はエリオン様と八年もの付き合いがありますけど、あの方が女を買っているのを一度も見たことがないんです。女の影もさっぱりで……。エリオン様は昔から武芸一筋で暇さえあれば槍を振るい鍛錬をしているような御人で、女っ気は本当になかったんです』
『嘘よ……。旦那様は閨の行為を練習したと仰っていたわ』
『う~~ん、ありえるとしたら、伯爵様になられてからですかねえ……。でも、死ぬほど忙しくて女の相手なんか出来なかったと思いますよ?』
『そんなの……』

 納得がいかなかった。
 皆、エリオンの味方なのだろう。彼に有利な情報を私に伝えようとする。
 当たり前だ。今は彼がエヴニール家の当主なのだから。
 そりゃ、主人のために嘘のひとつやふたつつくだろう。かりそめの妻に何か聞かれたところで本当のことを言うわけはないのだ。


「帰りたいな……」

 聞き込みなんかするんじゃなかった。
 より一層自分はこの屋敷で一人だと自覚してしまった。皆私には優しいけれど、味方ではないのだ。

 すんすんと、自分のなさけない鼻声が夕暮れのオレンジ色に染まった空に溶けていく。
 ここは屋上。手すりの向こう側。
 私は実家から持参した綿のごわごわしたズボンを履いて、鉄の柵を乗り越えていた。
 一歩前へ踏み出せば、私の身体は地面に叩きつけられる。

 涙で濡れた目でふと下を覗く。眼下には鬱蒼と生い茂る草木が見えた。
 屋敷の裏手側にあたるその一画は、庭師の手が入っていない。人の背丈ぐらいまで伸びた雑草が濛々と生えているからか、ここは三階の屋上だというのに、高いところにいるようには思えなかった。

 ──あそこにうまく落ちれば、怪我をすることなく下に降りられるかもしれない。

 落ちた先のすぐ向かいには厩がある。単騎ならばものの半日で実家に帰ることができるはずだ。

 ごくりと喉を鳴らす。今の時刻なら厩に馬丁はいない。夜間に単騎で女一人で駆けるのは危ないかもしれないが、どのみちここにいても生きながら死んでいるようなものだ。

 普段の私なら躊躇うか、そもそも三階から飛び降りて馬を盗んで逃げようなんて馬鹿なことを思いつきもしないが、半年間夫に無視され続けたあげく、二日間性的に貪られまくるという振れ幅が大きすぎる出来事があったため、冷静さを失っていたのだ。

 ──いちかばちかに賭けよう。
 死んだらそれまでよ。

 濡れた目を袖口でぐいっと拭い、息を大きくはく。
 私は後ろ手に鉄の柵を掴み、その場から立ち上がった。
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