契約妻と無言の朝食

野地マルテ

文字の大きさ
上 下
7 / 34

昨日までと、まるで別人

しおりを挟む



 それから、私は隣の簡易シャワー室で身を清めてから別邸にある自室へと戻った。地方領主のトップである伯爵は多忙だ。伯爵家の執務室というのはそこで生活が可能なぐらい、なんでもあるものらしい。エリオンも締日の前は、よく執務室に泊まりこんで仕事をしているそうだ。
 ウチの実家も貴族家だったが、父はもっとのんびり仕事をしていたような気がする。だからうちは貧乏だったのかもしれないが。


 自分の部屋に戻るまで、胸元を隠すようにとエリオンから大判のストールのようなものを渡され、頭の奥がしびれるほど恥ずかしかった。彼は何故ああも淡々としていられるのだろうか。
 あんなことをしたばかりだというのに。
 私はエリオンの目をみることが出来なかった。

 部屋に戻ってからはドレスから夜着に着替えた。昼食と夕食はいつも私一人で食べている。給仕係の年嵩の侍女に、体調がいまいちだから昼食はいらないと断りを入れ、私はしばし眠ることにした。

 ひとり、ベッドに潜り込む。
 一人で使うにはあきらかに広すぎる、まだ新しい四柱式の天蓋付きの寝台。結婚初日の夜は、鼓動の音がはっきり聞こえそうなぐらい、ものすごく緊張したことを今でもはっきり覚えている。
 でも二日たち三日たち、一週間経ってもエリオンは夫婦の寝室には現れず、いつしか私はぐっすり眠れるようになってしまった。

 どうして旦那様エリオンは今まで私に手出しをしなかったのだろうか。枕に顔をうずめ、考えても答えはでない。私のことが好きだったら、とっくに抱いていてもおかしくないはず。なぜ、今朝のタイミングでエリオンは私を抱いたのか。
 彼のお兄さんがエヴニールに戻ってくると言っていた。そのことがきっかけで、私と添い遂げることに決めたのだろうか。
 枕の端を握りしめ、ぐぬぬと唸る。いくら一人で考えても答えが出るはずもない。

 エリオンの考えはよく分からないが、少なくとも私のことは生理的には嫌ではないのだろう。私のあんなところを舐めることが出来たのだから。

 するすると自然と手は脚の間へとおりていく。身体を洗う時にしか触れないあの場所を舐められると、あそこまで気持ちよくなれるとは今まで知らなかった。

 結婚生活を続ければ、また同じことをしてもらえるのだろうか。そんな不埒なことを考えながら、布地ごしに股の間に触れるが、やはり自分の手だと気持ちよくなれない。

 同意の上とはいえ、半端無理やり犯されたようなものなのに。エリオンにされたことを思い出しながら私は意識を手放していった。



 ◆



 夢を見た。
 エリオンに夜着を脱がされて、無理やり犯される夢だ。最初、隘路を剛直で貫かれた時は痛くて苦しくて辛かったのに、股の間が粗相をしたようにぐっしょり濡れるともどかしい快感に襲われて、私は泣きわめいた。
 夢だとわかっていても、私は覚えたての快楽の熱に浮かされてしまう。

 目覚めたいのに、目覚めたくない──そんな淫夢から私を引きずり下ろそうとする手が、私の肩をぐっと掴んだ。

「……アレクシア! 大丈夫か?」

 しっかり掴まれた肩、はっきり呼ばれた名前に私はぱっと目を見開く。そこにいたのは、今朝方私に快楽を叩きこんだ張本人、エリオンだった。

 叫び出しそうになったが、手で口を押さえ必死に堪えた。

 ──何で旦那様エリオンがこんなところに⁉︎

 この半年間、今までエリオンは一度も夫婦の寝室に現れたことはない。なのに何故。今日は本当にどうしたのだろうか。
 見た夢の影響で私は息を乱していた。呼吸を整えながらエリオンを見上げる。
 私を見下ろす、彼の眉尻は下がっていた。

「うなされていたから無理やり起こしてしまった。……すまない」
「いいえ、ありがとうございます……」

 部屋の中はすっかり薄暗くなっていた。
 私はずいぶん長い時間眠っていたらしい。全身びっしょり汗をかいてしまい、夜着が肌にはりついて気持ちが悪い。股の間もべとべとする。いやらしい夢をみてしまったからだろうか。

 もう喉はからからだ。
 それなりに長い時間眠ったはずなのに身体が重い。ゆっくり、上体を起こした。

「君が昼食を断ったと聞いて……。果実水とリンゴを持ってきたんだ」

 ふとベッドサイドにある小テーブルの上を見ると、橙色をした瓶とガラスのコップ、そしてまあるい陶器に盛り付けられた角切りの蜜リンゴが見えた。
 エリオンは瓶の蓋を開けると、コップに三分の二ほど中身をとぷとぷ注いで手渡してくれた。
 喉がからからに乾いていた私はそれを無言で受け取り、一気に飲み干してしまった。乾ききった喉を通る甘酸っぱい液体にごくりと喉を鳴らす。オレンジの果実水には粒はなく、ほのかに冷えていて飲みやすかった。
 はしたないなと思ったけど、エリオンは表情を変えることなく、コップに二杯目を注いでくれた。
 彼にこんな面倒見の良い一面があったとは。確かにエヴニールの私設兵団の人たちは彼の人柄を褒めていたけれど、今まではピンとくることはなかった。

「リンゴも食べるといい」

 まるい器を渡される。
 たまに朝食に出る蜜入りの赤いリンゴ。ヨーグルトと蜂蜜がかけられていて、私はここで出る朝食のなかでこれが一番好きだった。
 私の実家領だと、甘くて柔らかなリンゴはとれなかった。実家領ではぱりっとした歯触りの酸っぱい青リンゴが主流で、エヴニールで初めて赤いリンゴを口にした時はあまりの美味しさにほっぺたが落ちるかと思った。
 あまりにも私がニコニコしながら食べるので、家令のお爺さんがどうやって赤いリンゴを作るのか、説明してくれた事はよく覚えている。赤くて甘いリンゴを作るのはとても手間がかかるらしく、ウチで作るのは無理だなと思った。実家にエヴニール産の赤いリンゴを送ったら、すごく喜ばれたっけ。

 病気でもないのに、ベッドに入りながら食べるのは行儀が悪いなと思いながらも、角切りにされたリンゴに銀のフォークを突き立てて、口に入れる。安定の美味しさだった。みずみずしい歯触りと後から感じる蜜の濃厚な甘さが堪らない。思わず口元が綻んでしまう。

 私がリンゴを食べている間、エリオンは寝室の灯りをつけてくれた。
 今の彼はまるで私の家族のように甲斐甲斐しい。
 ほんとうに急にどうしたのだろう。
 昨日までと、まるで別人だ。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

セレナの居場所 ~下賜された側妃~

緑谷めい
恋愛
 後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

【掌編集】今までお世話になりました旦那様もお元気で〜妻の残していった離婚受理証明書を握りしめイケメン公爵は涙と鼻水を垂らす

まほりろ
恋愛
新婚初夜に「君を愛してないし、これからも愛するつもりはない」と言ってしまった公爵。  彼は今まで、天才、美男子、完璧な貴公子、ポーカーフェイスが似合う氷の公爵などと言われもてはやされてきた。  しかし新婚初夜に暴言を吐いた女性が、初恋の人で、命の恩人で、伝説の聖女で、妖精の愛し子であったことを知り意気消沈している。  彼の手には元妻が置いていった「離婚受理証明書」が握られていた……。  他掌編七作品収録。 ※無断転載を禁止します。 ※朗読動画の無断配信も禁止します 「Copyright(C)2023-まほりろ/若松咲良」  某小説サイトに投稿した掌編八作品をこちらに転載しました。 【収録作品】 ①「今までお世話になりました旦那様もお元気で〜ポーカーフェイスの似合う天才貴公子と称された公爵は、妻の残していった離婚受理証明書を握りしめ涙と鼻水を垂らす」 ②「何をされてもやり返せない臆病な公爵令嬢は、王太子に竜の生贄にされ壊れる。能ある鷹と天才美少女は爪を隠す」 ③「運命的な出会いからの即日プロポーズ。婚約破棄された天才錬金術師は新しい恋に生きる!」 ④「4月1日10時30分喫茶店ルナ、婚約者は遅れてやってきた〜新聞は星座占いを見る為だけにある訳ではない」 ⑤「『お姉様はズルい!』が口癖の双子の弟が現世の婚約者! 前世では弟を立てる事を親に強要され馬鹿の振りをしていましたが、現世では奴とは他人なので天才として実力を充分に発揮したいと思います!」 ⑥「婚約破棄をしたいと彼は言った。契約書とおふだにご用心」 ⑦「伯爵家に半世紀仕えた老メイドは伯爵親子の罠にハマり無一文で追放される。老メイドを助けたのはポーカーフェイスの美女でした」 ⑧「お客様の中に褒め褒めの感想を書ける方はいらっしゃいませんか? 天才美文感想書きVS普通の少女がえんぴつで書いた感想!」

骸骨と呼ばれ、生贄になった王妃のカタの付け方

ウサギテイマーTK
恋愛
骸骨娘と揶揄され、家で酷い扱いを受けていたマリーヌは、国王の正妃として嫁いだ。だが結婚後、国王に愛されることなく、ここでも幽閉に近い扱いを受ける。側妃はマリーヌの義姉で、公式行事も側妃が請け負っている。マリーヌに与えられた最後の役割は、海の神への生贄だった。 注意:地震や津波の描写があります。ご注意を。やや残酷な描写もあります。

皇太子夫妻の歪んだ結婚 

夕鈴
恋愛
皇太子妃リーンは夫の秘密に気付いてしまった。 その秘密はリーンにとって許せないものだった。結婚1日目にして離縁を決意したリーンの夫婦生活の始まりだった。 本編完結してます。 番外編を更新中です。

さよなら、私の初恋の人

キムラましゅろう
恋愛
さよなら私のかわいい王子さま。 破天荒で常識外れで魔術バカの、私の優しくて愛しい王子さま。 出会いは10歳。 世話係に任命されたのも10歳。 それから5年間、リリシャは問題行動の多い末っ子王子ハロルドの世話を焼き続けてきた。 そんなリリシャにハロルドも信頼を寄せていて。 だけどいつまでも子供のままではいられない。 ハロルドの婚約者選定の話が上がり出し、リリシャは引き際を悟る。 いつもながらの完全ご都合主義。 作中「GGL」というBL要素のある本に触れる箇所があります。 直接的な描写はありませんが、地雷の方はご自衛をお願いいたします。 ※関連作品『懐妊したポンコツ妻は夫から自立したい』 誤字脱字の宝庫です。温かい目でお読み頂けますと幸いです。 小説家になろうさんでも時差投稿します。

【完結】なぜ、お前じゃなくて義妹なんだ!と言われたので

yanako
恋愛
なぜ、お前じゃなくて義妹なんだ!と言われたので

寡黙な貴方は今も彼女を想う

MOMO-tank
恋愛
婚約者以外の女性に夢中になり、婚約者を蔑ろにしたうえ婚約破棄した。 ーーそんな過去を持つ私の旦那様は、今もなお後悔し続け、元婚約者を想っている。 シドニーは王宮で側妃付きの侍女として働く18歳の子爵令嬢。見た目が色っぽいシドニーは文官にしつこくされているところを眼光鋭い年上の騎士に助けられる。その男性とは辺境で騎士として12年、数々の武勲をあげ一代限りの男爵位を授かったクライブ・ノックスだった。二人はこの時を境に会えば挨拶を交わすようになり、いつしか婚約話が持ち上がり結婚する。 言葉少ないながらも彼の優しさに幸せを感じていたある日、クライブの元婚約者で現在は未亡人となった美しく儚げなステラ・コンウォール前伯爵夫人と夜会で再会する。 ※設定はゆるいです。 ※溺愛タグ追加しました。

処理中です...