契約妻と無言の朝食

野地マルテ

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もうこんな生活は嫌

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「俺が伯爵でなくなってしまうのが嫌なのか? 今まで通りの生活は保証するから、ずっとここにいてくれないだろうか?」

 私が今すぐ離縁して実家へ帰りたいと言うと、エリオンは眉間に皺を寄せ、長いまつ毛を瞬かせた。

 ──今まで通りの生活?

 何が悲しくて、若いうちからこんな熟年仮面夫婦のような生活をこれからも続けなくてはいけないのか。
 下唇をぎゅっと噛み、私は叫んだ。

「嫌です! 嫌ですよ! こんな、子どもが巣立ったあとの夫婦みたいな生活をこれからも送るだなんて……!」
「子どもが巣立ったあとの夫婦? 落ち着いていて、とても良いと思うが……」
「よくありません!」

 私は友人とも手紙のやりとりをしているが、どの友人も社交界で出会ったご主人とラブラブのようだ。夜の生活は当然のように毎晩あり、ご主人が出かける時にはキスをするとか。うらやましい。最近では赤ちゃんが産まれた友人も少なくない。

 私はここにいるかぎり、自分の子どもを腕に抱くことも出来ないのだ。

 一度本音を出すと止まらなくなる。
 私は久しぶりにお腹から声を出した。

「後生ですから、私と今すぐ離縁してください!」
「……それは困る」
「なぜ? あなたは伯爵でなくなるのでしょう? 妻の存在はいらないじゃないですか」
「君がいなくなってしまうのは困る」
「どうしてですか?」

 エリオンは眉間に深く皺を刻む。
 押し問答はしばらく続くも、エリオンは頑なに私と離縁しないと言い張った。

「君の欲しいものは出来るかぎり与えるから、お願いだから出て行かないでくれ」
「出て行ってほしくない理由を教えてください。理由次第では残ってあげますよ」

 ツンと顎をあげ、胸の前で腕を組む。
 自分でも偉そうだなと思うけど、契約満了金が貰えなくなったのだ。これぐらいの悪態をつくぐらい別にいいだろう。
 私の偉そうな態度に、エリオンはまた俯いた。
 小さく唸ったのち、彼は非常に言いづらそうに、私に出て行ってもらいたくない理由を話し始めた。


「……嬉しかったから」
「嬉しかった?」
「君と毎朝、朝食を一緒にとれて嬉しかった。俺は結婚するまで朝はずっと一人だったんだ。挨拶を誰かと交わすこともなく、黙々と別邸でパンを齧っていた。それが君が来てからは、一人じゃなくなった。誰かと食べる朝食はこんなにも楽しくて美味しいのかと……。君のおかげで朝が好きになった」
「旦那様……」
「毎朝、今日の君はどんな格好ドレスで現れるのかと、考えては浮かれていた。自分の好きな髪型やドレスだと嬉しかった」

 ──私はつまらなかったけど……。

 世の中こんなにもつまらない朝食があるのかと、愕然とするぐらい私は毎日毎日退屈な朝を過ごしていた。
 せめて髪型や服装ぐらいはテンションが上がるものにしようと頑張っていたおかげで、エリオンはこっそり喜んでいてくれていたようだけど。
 ちなみに私のドレスはほとんど、彼の裕福な義姉から頂いたものだ。

 ──ていうか、口に出して褒めてくださいよ……。

 心の中で妻への褒め言葉を完結させてしまうなんて最悪すぎる。『この髪型かわいいね』とか『その色似合うね』なんて言われていたら、私はこの半年間を一億倍は楽しく過ごせていただろうに。
 この旦那様、いくらなんでも口下手すぎる。

「でも、私は子どもが欲しいので、離縁して欲しいです……」

 ここまで口下手で淡白だと、エリオンは子作りをしてくれないかもしれない。
 やっぱり離縁するしかないと思ってしまう。

「……子ども?」
「旦那様は作る気がなさそうなので、離縁して、私は他の方と再婚して子どもを作りたいです」

 あけすけすぎる。しかしここで遠慮してはダメだ。ここで私の要望を受け入れて貰えなければ、私は子なし確定だろう。
 エリオンはあきらかに焦っていた。
 彼は私の腕をむんずと掴んだ。

「だ、駄目だ!」
「なぜです? 私の友人はみんな母親になっているのですよ? 私ばかりときめきも喜びも、何もない……! もうこんな生活、嫌です!」

 ガタンと音をたて、椅子から立ち上がる。
 半年分の我慢、堪忍袋の緒は完全に千切れた。
 私はエリオンに腕を掴まれたまま、わあわあ騒いだ。私だって若い女性らしく、閨事がしたい、子どもがほしいと叫んだのだ。
 はしたないことこの上ないが、私とて人間なのだ。性的な欲求は当然ある。愛のある生活を送りたかった。

 椅子から立ち上がり、泣きわめく私の顔を、エリオンは大きな両手でぎゅむっと挟みこんだ。
 そして、いきなりこう言った。

「──君は俺のことが好きなのか?」

 ──分からない。

 きゅっと下唇を噛む。
 エリオンの顔は好きだ。すらっと背が高いスタイルも。さらさらの黒い髪も神秘的な翡翠色の瞳も。
 でも、彼本人が好きかどうかは分からない。だって、私はエリオンのことを何もしらないのだ。だって彼は私に何も話してくれないから。

「わっ、わかりません……」
「分からないのに閨事はしたいのか?」
「し、したら、好きになるかも、しれません……」
「本当か?」

 ──分からない、でも。

 何もない関係でいるよりも、好きになれるような気がする。
 私はエリオンに顔を掴まれたまま、こくりと頷いた。
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