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今朝も会話がない
しおりを挟むカチャカチャと、食器が鳴るわずかな音だけが聞こえるダイニングルーム。そんな静かな朝食も、百八十回以上繰り返されれば自然と慣れてしまうものである。
私はアレクシア・フォン・エヴニール。エヴニール伯爵──エリオンの妻だ。
──期間限定の契約妻だけど。
そう、私は伯爵であるエリオンの正式な妻だが、あと一年半後に離縁する予定になっている。
だから朝食の場でも、新婚の夫から天気の話題のひとつも振って貰えないのは当然なのかもしれない。
最初の頃はこの無言の朝食が辛くて仕方なかったが、半年経った今では慣れたものである。
いつものように紅茶にたっぷりミルクを入れ、角砂糖を一つ落とす。夫のエリオンはこちらに一瞥もくれないので、気楽なものだ。好きに紅茶を飲み、パンも自由にアレンジして食べられる。
クルミが入った楕円形の塩パンに、ナイフでガッガッと横から切り込みをいれ、別の皿に綺麗に盛りつけられた葉物サラダと薄切りハムをトングを使って挟む。正直に言って行儀が悪いが、エリオンも給仕の者たちも何も言わないので好きにしている。あらかじめトングが用意されている時点でお察しだ。
即席の野菜ハムサンドパン。今日は結構綺麗に具を挟めたかもしれない。切り込みから絶妙にはみ出た肉色のハムとフリルのような緑の野菜の彩りが食欲をそそる。傑作だ。
自分がアレンジした朝食の出来栄えに、にんまりと笑って大きな口を開けて、ぱくり。
──う~~ん、美味しい!
塩パンとハムのしょっぱさと、みずみずしい葉物のマリアージュがたまらない。一噛みするたびに、ほっぺたが落ちそうになる。
私の実家もそこそこの格式のある貴族家だ。
そりゃもう礼儀作法にうるさかった。
婚家でこんな朝食の摂り方をしているとバレたら、たぶん両親に呆れられるだろう。
──まぁ、没落しかけているけど。
だから私はまっとうな結婚をせず、契約妻をしているのである。
契約妻は良い。なにせ結婚時に持参金が必要ないどころか、契約満了時にお金を貰えるのだ。
よその家だと、契約期間中に後継ぎとなる男児を産めば、さらに契約満了時のお金が倍増するらしい。
エリオンは契約妻の私相手に子どもを作る気がまったくなさそうなので、関係ないけれど。
──でも、興味はあったなぁ。
パンを咀嚼しながら、ちらりとテーブルの対岸に座るエリオンに視線を走らせる。いつ見ても腹が立つほど綺麗な顔をしている。さらっさらの黒髪に幅広二重から覗く翡翠の瞳がなんともエキゾチックだ。スッと通った鼻筋に整った口元。輪郭は完璧なカーブを描いている──これほどの美形には、王都でもなかなかお目にかかれないのではないか? おまけに彼はすらっと背も高いのだ。
私もはじめは二年契約の妻役と聞き、嫌だなと思ったけれど、エリオンの顔を見て即座に首を縦に振った。私は大の面食いだった。期間限定でも、こんな美形とお近づきになれるならと喜んで契約妻になった。
しかしフタを開けてみれば、絵に描いたようなお飾りの妻。なんと初夜すらなかった。恋愛小説を読み漁り、そういうことの造詣がそれなりに深かった私はちょっぴり期待したのだが、現実なんて所詮こんなものだ。
私は社交界でも壁の花をやっていた。
美形の夫からしてみれば、わざわざ相手をするに値しない女なのだろう。
今だって、エリオンの視線は皿の隣にある羊皮紙に注がれたままだ。たまには私のほうを見てくれないかなとちろちろ見ているけれど、視線が合うことはない。
虚無。
虚無である。
黙々と即席サンドパンを食べ終え、給仕係が淹れてくれたおかわりの紅茶に口をつける。
ほうと息をちいさく吐く。
ここは食事も紅茶も絶品だった。
いつもながらに香り高い紅茶に口元が緩む。
これでもう少し、夫のエリオンに愛想があったら最高だったのに。
結婚した当初は、私から夫へ話かけることもあった。しかし、ろくに会話は続かなかった。私は頑張って愛想笑いを浮かべていたのに、エリオンはずっとむっつりしたまま。話しかける気力は日に日に失われ、今では「おはようございます」の挨拶ぐらいしか交わさなくなった。
一応夫婦だというのに、これでは顔見知り以下だ。
──ま、そんな生活も後一年半よ。
この半年間はあっという間に過ぎた。週に一度、実家の家族やエリオンの兄夫婦に手紙を書く事以外は特にすることもなく、私は毎日ダラダラ過ごしている。
そう、エリオンにはお兄さんがいた。本来ならば彼の兄がエヴニール家の当主を継ぐ予定だったのだが、エリオンの兄マクシミリアンは非常にデキる人らしく、王命で植民地の総領主の座に就くことになってしまった。総領主の任期は約二年。延長の可能性も高いということで、弟のエリオンがエヴニール家を継ぐことになったのだ。
しかしエリオンはお兄さんがエヴニールに戻り次第、領主の座から降りるつもりらしい。
だから、妻も兄の植民地の総領主の任期に合わせて二年契約で娶ったというわけだ。
エリオンの元の仕事は、エヴニール家の私設兵団の長だ。今でも彼は中庭で、毎朝のように重そうな槍を軽々とふるっている。こんなに綺麗な顔をしているのに、彼はものすごく強いらしい。ぜひともフロックコートの下に隠した筋肉が見たいものだが、おそらく私は目にすることなく妻の座から降りることになるだろう。
残念だけど仕方がない。エリオンは私に興味がないのだから。
エリオンと離縁して、契約満了金が手に入ったら何をするのかはだいたい決めてある。うちの家は歴史はあるが貧乏で、領の設備の老朽化が進んでもろくに修繕できていなかった。
貰える予定の金額は、自領の年間予算の約二倍の額。これだけあれば納屋や吊り橋の修繕をしてもお釣りが出そうだ。
両親は、『お金なんかいいから、エリオン様と仲良く出来そうなら添い遂げなさい』と言ってくれたが、どう考えてもこの結婚は二年で満了するだろう。
とりあえずはあと一年半、実家のためにも波風を起こさずやりすごそう。実家は弟を士官学校へ入れるために相当無理をしたのだ。余裕はない。
紅茶のカップを傾けながら、またエリオンの様子を窺う。やはり今朝も視線があうことは無かった。
せっかく縁があって夫婦になったのに。今のこの状況は本音を言えばつまらないが、でも、この静かで穏やかな時間も、あと一年半で終わると思えば悪くはないかもしれない。
契約妻が終わったら、何をしようか。
お城の侍女をやるのも楽しそうだし、契約満了金が余ったら商売をやるのもいいかもしれない。
次の結婚は仕事や趣味がきっかけで、自然に出会った人としたい。もう条件ありきの結婚はうんざりだ。
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