契約妻と無言の朝食

野地マルテ

文字の大きさ
上 下
1 / 34

今朝も会話がない

しおりを挟む




 カチャカチャと、食器が鳴るわずかな音だけが聞こえるダイニングルーム。そんな静かな朝食も、百八十回以上繰り返されれば自然と慣れてしまうものである。

 私はアレクシア・フォン・エヴニール。エヴニール伯爵──エリオンの妻だ。


 ──期間限定の契約妻だけど。

 そう、私は伯爵であるエリオンの正式な妻だが、あと一年半後に離縁する予定になっている。
 だから朝食の場でも、新婚の夫から天気の話題のひとつも振って貰えないのは当然なのかもしれない。

 最初の頃はこの無言の朝食が辛くて仕方なかったが、半年経った今では慣れたものである。
 いつものように紅茶にたっぷりミルクを入れ、角砂糖を一つ落とす。夫のエリオンはこちらに一瞥もくれないので、気楽なものだ。好きに紅茶を飲み、パンも自由にアレンジして食べられる。
 クルミが入った楕円形の塩パンに、ナイフでガッガッと横から切り込みをいれ、別の皿に綺麗に盛りつけられた葉物サラダと薄切りハムをトングを使って挟む。正直に言って行儀が悪いが、エリオンも給仕の者たちも何も言わないので好きにしている。あらかじめトングが用意されている時点でお察しだ。

 即席の野菜ハムサンドパン。今日は結構綺麗に具を挟めたかもしれない。切り込みから絶妙にはみ出た肉色のハムとフリルのような緑の野菜の彩りが食欲をそそる。傑作だ。
 自分がアレンジした朝食の出来栄えに、にんまりと笑って大きな口を開けて、ぱくり。

 ──う~~ん、美味しい!

 塩パンとハムのしょっぱさと、みずみずしい葉物のマリアージュがたまらない。一噛みするたびに、ほっぺたが落ちそうになる。

 私の実家もそこそこの格式のある貴族家だ。
 そりゃもう礼儀作法にうるさかった。
 婚家でこんな朝食の摂り方をしているとバレたら、たぶん両親に呆れられるだろう。

 ──まぁ、没落しかけているけど。

 だから私はまっとうな結婚をせず、契約妻をしているのである。
 契約妻は良い。なにせ結婚時に持参金が必要ないどころか、契約満了時にお金を貰えるのだ。
 よその家だと、契約期間中に後継ぎとなる男児を産めば、さらに契約満了時のお金が倍増するらしい。
 エリオンは契約妻の私相手に子どもを作る気がまったくなさそうなので、関係ないけれど。

 ──でも、興味はあったなぁ。

 パンを咀嚼しながら、ちらりとテーブルの対岸に座るエリオンに視線を走らせる。いつ見ても腹が立つほど綺麗な顔をしている。さらっさらの黒髪に幅広二重から覗く翡翠の瞳がなんともエキゾチックだ。スッと通った鼻筋に整った口元。輪郭は完璧なカーブを描いている──これほどの美形には、王都でもなかなかお目にかかれないのではないか? おまけに彼はすらっと背も高いのだ。

 私もはじめは二年契約の妻役と聞き、嫌だなと思ったけれど、エリオンの顔を見て即座に首を縦に振った。私は大の面食いだった。期間限定でも、こんな美形とお近づきになれるならと喜んで契約妻になった。

 しかしフタを開けてみれば、絵に描いたようなお飾りの妻。なんと初夜すらなかった。恋愛小説を読み漁り、そういうことの造詣がそれなりに深かった私はちょっぴり期待したのだが、現実なんて所詮こんなものだ。
 私は社交界でも壁の花をやっていた。
 美形の夫からしてみれば、わざわざ相手をするに値しない女なのだろう。

 今だって、エリオンの視線は皿の隣にある羊皮紙に注がれたままだ。たまには私のほうを見てくれないかなとちろちろ見ているけれど、視線が合うことはない。

 虚無。
 虚無である。

 黙々と即席サンドパンを食べ終え、給仕係が淹れてくれたおかわりの紅茶に口をつける。
 ほうと息をちいさく吐く。
 ここは食事も紅茶も絶品だった。
 いつもながらに香り高い紅茶に口元が緩む。
 これでもう少し、夫のエリオンに愛想があったら最高だったのに。

 結婚した当初は、私から夫へ話かけることもあった。しかし、ろくに会話は続かなかった。私は頑張って愛想笑いを浮かべていたのに、エリオンはずっとむっつりしたまま。話しかける気力は日に日に失われ、今では「おはようございます」の挨拶ぐらいしか交わさなくなった。
 一応夫婦だというのに、これでは顔見知り以下だ。

 ──ま、そんな生活も後一年半よ。

 この半年間はあっという間に過ぎた。週に一度、実家の家族やエリオンの兄夫婦に手紙を書く事以外は特にすることもなく、私は毎日ダラダラ過ごしている。

 そう、エリオンにはお兄さんがいた。本来ならば彼の兄がエヴニール家の当主を継ぐ予定だったのだが、エリオンの兄マクシミリアンは非常にデキる人らしく、王命で植民地の総領主の座に就くことになってしまった。総領主の任期は約二年。延長の可能性も高いということで、弟のエリオンがエヴニール家を継ぐことになったのだ。

 しかしエリオンはお兄さんがエヴニールに戻り次第、領主の座から降りるつもりらしい。
 だから、妻も兄の植民地の総領主の任期に合わせて二年契約で娶ったというわけだ。

 エリオンの元の仕事は、エヴニール家の私設兵団の長だ。今でも彼は中庭で、毎朝のように重そうな槍を軽々とふるっている。こんなに綺麗な顔をしているのに、彼はものすごく強いらしい。ぜひともフロックコートの下に隠した筋肉が見たいものだが、おそらく私は目にすることなく妻の座から降りることになるだろう。
 残念だけど仕方がない。エリオンは私に興味がないのだから。


 エリオンと離縁して、契約満了金が手に入ったら何をするのかはだいたい決めてある。うちの家は歴史はあるが貧乏で、領の設備の老朽化が進んでもろくに修繕できていなかった。
 貰える予定の金額は、自領の年間予算の約二倍の額。これだけあれば納屋や吊り橋の修繕をしてもお釣りが出そうだ。

 両親は、『お金なんかいいから、エリオン様と仲良く出来そうなら添い遂げなさい』と言ってくれたが、どう考えてもこの結婚は二年で満了するだろう。
 とりあえずはあと一年半、実家のためにも波風を起こさずやりすごそう。実家は弟を士官学校へ入れるために相当無理をしたのだ。余裕はない。

 紅茶のカップを傾けながら、またエリオンの様子を窺う。やはり今朝も視線があうことは無かった。
 せっかく縁があって夫婦になったのに。今のこの状況は本音を言えばつまらないが、でも、この静かで穏やかな時間も、あと一年半で終わると思えば悪くはないかもしれない。

 契約妻が終わったら、何をしようか。
 お城の侍女をやるのも楽しそうだし、契約満了金が余ったら商売をやるのもいいかもしれない。

 次の結婚は仕事や趣味がきっかけで、自然に出会った人としたい。もう条件ありきの結婚はうんざりだ。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

聖女召喚されて『お前なんか聖女じゃない』って断罪されているけど、そんなことよりこの国が私を召喚したせいで滅びそうなのがこわい

金田のん
恋愛
自室で普通にお茶をしていたら、聖女召喚されました。 私と一緒に聖女召喚されたのは、若くてかわいい女の子。 勝手に召喚しといて「平凡顔の年増」とかいう王族の暴言はこの際、置いておこう。 なぜなら、この国・・・・私を召喚したせいで・・・・いまにも滅びそうだから・・・・・。 ※小説家になろうさんにも投稿しています。

義妹の嫌がらせで、子持ち男性と結婚する羽目になりました。義理の娘に嫌われることも覚悟していましたが、本当の家族を手に入れることができました。

石河 翠
ファンタジー
義母と義妹の嫌がらせにより、子持ち男性の元に嫁ぐことになった主人公。夫になる男性は、前妻が残した一人娘を可愛がっており、新しい子どもはいらないのだという。 実家を出ても、自分は家族を持つことなどできない。そう思っていた主人公だが、娘思いの男性と素直になれないわがままな義理の娘に好感を持ち、少しずつ距離を縮めていく。 そんなある日、死んだはずの前妻が屋敷に現れ、主人公を追い出そうとしてきた。前妻いわく、血の繋がった母親の方が、継母よりも価値があるのだという。主人公が言葉に詰まったその時……。 血の繋がらない母と娘が家族になるまでのお話。 この作品は、小説家になろうおよびエブリスタにも投稿しております。 扉絵は、管澤捻さまに描いていただきました。

【完結】お飾りの妻からの挑戦状

おのまとぺ
恋愛
公爵家から王家へと嫁いできたデイジー・シャトワーズ。待ちに待った旦那様との顔合わせ、王太子セオドア・ハミルトンが放った言葉に立ち会った使用人たちの顔は強張った。 「君はお飾りの妻だ。装飾品として慎ましく生きろ」 しかし、当のデイジーは不躾な挨拶を笑顔で受け止める。二人のドタバタ生活は心配する周囲を巻き込んで、やがて誰も予想しなかった展開へ…… ◇表紙はノーコピーライトガール様より拝借しています ◇全18話で完結予定

私に告白してきたはずの先輩が、私の友人とキスをしてました。黙って退散して食事をしていたら、ハイスペックなイケメン彼氏ができちゃったのですが。

石河 翠
恋愛
飲み会の最中に席を立った主人公。化粧室に向かった彼女は、自分に告白してきた先輩と自分の友人がキスをしている現場を目撃する。 自分への告白は、何だったのか。あまりの出来事に衝撃を受けた彼女は、そのまま行きつけの喫茶店に退散する。 そこでやけ食いをする予定が、美味しいものに満足してご機嫌に。ちょっとしてネタとして先ほどのできごとを話したところ、ずっと片想いをしていた相手に押し倒されて……。 好きなひとは高嶺の花だからと諦めつつそばにいたい主人公と、アピールし過ぎているせいで冗談だと思われている愛が重たいヒーローの恋物語。 この作品は、小説家になろう及びエブリスタでも投稿しております。 扉絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品をお借りしております。

【短編】旦那様、2年後に消えますので、その日まで恩返しをさせてください

あさぎかな@電子書籍二作目発売中
恋愛
「二年後には消えますので、ベネディック様。どうかその日まで、いつかの恩返しをさせてください」 「恩? 私と君は初対面だったはず」 「そうかもしれませんが、そうではないのかもしれません」 「意味がわからない──が、これでアルフの、弟の奇病も治るのならいいだろう」 奇病を癒すため魔法都市、最後の薬師フェリーネはベネディック・バルテルスと契約結婚を持ちかける。 彼女の目的は遺産目当てや、玉の輿ではなく──?

メイドから家庭教師にジョブチェンジ~特殊能力持ち貧乏伯爵令嬢の話~

Na20
恋愛
ローガン公爵家でメイドとして働いているイリア。今日も洗濯物を干しに行こうと歩いていると茂みからこどもの泣き声が聞こえてきた。なんだかんだでほっとけないイリアによる秘密の特訓が始まるのだった。そしてそれが公爵様にバレてメイドをクビになりそうになったが… ※恋愛要素ほぼないです。続きが書ければ恋愛要素があるはずなので恋愛ジャンルになっています。 ※設定はふんわり、ご都合主義です 小説家になろう様でも掲載しています

王宮医務室にお休みはありません。~休日出勤に疲れていたら、結婚前提のお付き合いを希望していたらしい騎士さまとデートをすることになりました。~

石河 翠
恋愛
王宮の医務室に勤める主人公。彼女は、連続する遅番と休日出勤に疲れはてていた。そんなある日、彼女はひそかに片思いをしていた騎士ウィリアムから夕食に誘われる。 食事に向かう途中、彼女は憧れていたお菓子「マリトッツォ」をウィリアムと美味しく食べるのだった。 そして休日出勤の当日。なぜか、彼女は怒り心頭の男になぐりこまれる。なんと、彼女に仕事を押しつけている先輩は、父親には自分が仕事を押しつけられていると話していたらしい。 しかし、そんな先輩にも実は誰にも相談できない事情があったのだ。ピンチに陥る彼女を救ったのは、やはりウィリアム。ふたりの距離は急速に近づいて……。 何事にも真面目で一生懸命な主人公と、誠実な騎士との恋物語。 扉絵は管澤捻さまに描いていただきました。 小説家になろう及びエブリスタにも投稿しております。

十三回目の人生でようやく自分が悪役令嬢ポジと気づいたので、もう殿下の邪魔はしませんから構わないで下さい!

翠玉 結
恋愛
公爵令嬢である私、エリーザは挙式前夜の式典で命を落とした。 「貴様とは、婚約破棄する」と残酷な事を突きつける婚約者、王太子殿下クラウド様の手によって。 そしてそれが一度ではなく、何度も繰り返していることに気が付いたのは〖十三回目〗の人生。 死んだ理由…それは、毎回悪役令嬢というポジションで立ち振る舞い、殿下の恋路を邪魔していたいたからだった。 どう頑張ろうと、殿下からの愛を受け取ることなく死ぬ。 その結末をが分かっているならもう二度と同じ過ちは繰り返さない! そして死なない!! そう思って殿下と関わらないようにしていたのに、 何故か前の記憶とは違って、まさかのご執心で溺愛ルートまっしぐらで?! 「殿下!私、死にたくありません!」 ✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼ ※他サイトより転載した作品です。

処理中です...