33 / 36
友達がいない夫婦
しおりを挟む
「旦那様、聞いてください……」
この日も、リオノーラはアレスの部屋にいた。
テーブルに着き、顔の前で手を組んだ彼女は、思い詰めた様子でこう言った。
「何だ?」
「……この歳になると、友達がいなくないですか?」
リオノーラは、三十代半ばのどこにでもいる平凡な兼業主婦(だと本人は思っている)。日々何かと忙しくしている彼女は感じていた。
自分、友達がいなくない? と。
「……友達って必要か?」
アレスはこぽぽぽと音を立て、カップに琥珀色の湯を注ぐ。あたりには煮だったような渋い匂いが広がった。
「別に話し相手なら、王城にも母子寮にもいるだろう」
「王城にいるのは仕事の関係者、母子寮にいるのはお母さん仲間です。こう……、立場とか関係なく子どもの頃のように純粋に楽しく付き合える友達がいないな! とふいに思いまして」
時間がある時にさらっと訊ねていき、家の前で「あーそーぼー」と声をかけるだけで遊べる。
そんな友達が久しくいないと思い、リオノーラは切なさを覚えていた。
「……娘達を見て思うのです。気軽に遊べる友達がいっぱいいるあの子達が羨ましいなって」
「……まぁ、分からんでもない。俺も子どもの頃は暗殺の修行ばかりしていたから、友達の存在が羨ましかったな」
友達がいない夫婦の間に、しばし沈黙が流れる。
「……まぁ、紅茶が冷めないうちに食べてくれ」
「……ありがとうございます」
リオノーラの目の前には、どこか濁った色をした紅茶と、四角く切られた美味しそうなパウンドケーキがあった。
紅茶には、たっぷりミルクを注ぐ。そうしないと、とても飲めたものではないだろうから。
アレスは紅茶を淹れるのが苦手なのだ。
パウンドケーキにフォークを入れる。しっとり柔らかなそれは、口にしなくても美味しいと分かる。
フォークにのった黄金色のスポンジを、口に運ぶ。
口の中いっぱいに卵とミルク、そして砂糖の優しい甘さが広がった。
「美味し……」
「良かった。材料を工夫して糖質と脂質を減らしてみたんだが、上手くいったようだな」
これはアレスの手作りケーキだった。市販のケーキはどうしても美味しさ重視でカロリー過多だということで、アレスが家族のために低カロリーのケーキや菓子をたびたび作っているのだ。
「めちゃくちゃ美味しいです。いくらでも食べられそう!」
「ケーキは一人一個だぞ」
甘くなった口にミルクティーを流し込む。
一瞬にして、幸せな甘さがかき消えた。
(なんで旦那様はこんなに美味しいケーキが作れるのに、お茶を淹れるのは駄目なのかしら……)
別にアレスは茶葉の量を間違えてはいないし、蒸らしの時間も適切なのだ。だが、カップに注いだ瞬間、それは激渋い紅茶に変化する。不思議でしょうがない。
「まずいのか……」
「ケーキが甘いですから、ちょうどいいです」
リオノーラは何度も紅茶の淹れ方をアレスに教えたのだが、まったく改善はされない。
仕方がないので、これはこういうものだと割り切って飲んでいる。
「……話が逸れましたね。そう、私には友達がいないのですよ」
「そもそも君は立場があるから、相手が恐縮してしまうんじゃないか?」
「そうなんですよ……。そもそも対等な立場で接してくれる人がいないというか」
子どもの頃は良かった。相手が自分の地位をあまり理解しておらず、心から楽しく遊べた。
「……しょうがない。俺が友達付き合いをしてやろう」
「えっ?」
「俺は君の過去も現在もよく知っているから、良い友達になれると思うが?」
理解ある夫であるアレスは、困ったように笑いながらそう提案してくれた。
「……で? 友達としたいことがあるんだろう?」
「したいこと?」
「具体的にしたいことがあるから、友達がほしいのだろう。……違うのか?」
友達がほしいとは思っていたが、友達と何がしたいかまでは考えていなかった。
少し考えたリオノーラは、ぽんと手のひらを打つ。
「私……缶蹴りがしたいです!」
子ども数人で集まってやった缶蹴り。夢中になって何時間も興じていたことを思い出した。
「……缶蹴りか。二人きりじゃ難しいから、今から適当に何人か呼ぶか」
「今からするんですか?」
「思いついた時が、実行すべき時だ」
二人は王城に戻ると、適当に目についた人間に声をかける。缶蹴りをしようと誘うと、意外にも好感触で、中庭にはあっという間に人が集まった。
「……皆缶蹴りがしたかったのですね」
「たまには童心に戻りたいのだろう」
しばらくすると子ども達も学校から帰ってきて、一緒に缶蹴りをした。
リオノーラは心から笑い、楽しい時間を過ごしたのだが……。
翌日。
「ふぐぅ……っ!」
そこには寝台の上で悶えるリオノーラがいた。
心は子どもに戻れても、身体はそういうわけにはいかなかったのである。
<完>
この日も、リオノーラはアレスの部屋にいた。
テーブルに着き、顔の前で手を組んだ彼女は、思い詰めた様子でこう言った。
「何だ?」
「……この歳になると、友達がいなくないですか?」
リオノーラは、三十代半ばのどこにでもいる平凡な兼業主婦(だと本人は思っている)。日々何かと忙しくしている彼女は感じていた。
自分、友達がいなくない? と。
「……友達って必要か?」
アレスはこぽぽぽと音を立て、カップに琥珀色の湯を注ぐ。あたりには煮だったような渋い匂いが広がった。
「別に話し相手なら、王城にも母子寮にもいるだろう」
「王城にいるのは仕事の関係者、母子寮にいるのはお母さん仲間です。こう……、立場とか関係なく子どもの頃のように純粋に楽しく付き合える友達がいないな! とふいに思いまして」
時間がある時にさらっと訊ねていき、家の前で「あーそーぼー」と声をかけるだけで遊べる。
そんな友達が久しくいないと思い、リオノーラは切なさを覚えていた。
「……娘達を見て思うのです。気軽に遊べる友達がいっぱいいるあの子達が羨ましいなって」
「……まぁ、分からんでもない。俺も子どもの頃は暗殺の修行ばかりしていたから、友達の存在が羨ましかったな」
友達がいない夫婦の間に、しばし沈黙が流れる。
「……まぁ、紅茶が冷めないうちに食べてくれ」
「……ありがとうございます」
リオノーラの目の前には、どこか濁った色をした紅茶と、四角く切られた美味しそうなパウンドケーキがあった。
紅茶には、たっぷりミルクを注ぐ。そうしないと、とても飲めたものではないだろうから。
アレスは紅茶を淹れるのが苦手なのだ。
パウンドケーキにフォークを入れる。しっとり柔らかなそれは、口にしなくても美味しいと分かる。
フォークにのった黄金色のスポンジを、口に運ぶ。
口の中いっぱいに卵とミルク、そして砂糖の優しい甘さが広がった。
「美味し……」
「良かった。材料を工夫して糖質と脂質を減らしてみたんだが、上手くいったようだな」
これはアレスの手作りケーキだった。市販のケーキはどうしても美味しさ重視でカロリー過多だということで、アレスが家族のために低カロリーのケーキや菓子をたびたび作っているのだ。
「めちゃくちゃ美味しいです。いくらでも食べられそう!」
「ケーキは一人一個だぞ」
甘くなった口にミルクティーを流し込む。
一瞬にして、幸せな甘さがかき消えた。
(なんで旦那様はこんなに美味しいケーキが作れるのに、お茶を淹れるのは駄目なのかしら……)
別にアレスは茶葉の量を間違えてはいないし、蒸らしの時間も適切なのだ。だが、カップに注いだ瞬間、それは激渋い紅茶に変化する。不思議でしょうがない。
「まずいのか……」
「ケーキが甘いですから、ちょうどいいです」
リオノーラは何度も紅茶の淹れ方をアレスに教えたのだが、まったく改善はされない。
仕方がないので、これはこういうものだと割り切って飲んでいる。
「……話が逸れましたね。そう、私には友達がいないのですよ」
「そもそも君は立場があるから、相手が恐縮してしまうんじゃないか?」
「そうなんですよ……。そもそも対等な立場で接してくれる人がいないというか」
子どもの頃は良かった。相手が自分の地位をあまり理解しておらず、心から楽しく遊べた。
「……しょうがない。俺が友達付き合いをしてやろう」
「えっ?」
「俺は君の過去も現在もよく知っているから、良い友達になれると思うが?」
理解ある夫であるアレスは、困ったように笑いながらそう提案してくれた。
「……で? 友達としたいことがあるんだろう?」
「したいこと?」
「具体的にしたいことがあるから、友達がほしいのだろう。……違うのか?」
友達がほしいとは思っていたが、友達と何がしたいかまでは考えていなかった。
少し考えたリオノーラは、ぽんと手のひらを打つ。
「私……缶蹴りがしたいです!」
子ども数人で集まってやった缶蹴り。夢中になって何時間も興じていたことを思い出した。
「……缶蹴りか。二人きりじゃ難しいから、今から適当に何人か呼ぶか」
「今からするんですか?」
「思いついた時が、実行すべき時だ」
二人は王城に戻ると、適当に目についた人間に声をかける。缶蹴りをしようと誘うと、意外にも好感触で、中庭にはあっという間に人が集まった。
「……皆缶蹴りがしたかったのですね」
「たまには童心に戻りたいのだろう」
しばらくすると子ども達も学校から帰ってきて、一緒に缶蹴りをした。
リオノーラは心から笑い、楽しい時間を過ごしたのだが……。
翌日。
「ふぐぅ……っ!」
そこには寝台の上で悶えるリオノーラがいた。
心は子どもに戻れても、身体はそういうわけにはいかなかったのである。
<完>
173
お気に入りに追加
674
あなたにおすすめの小説
獅子の最愛〜獣人団長の執着〜
水無月瑠璃
恋愛
獅子の獣人ライアンは領地の森で魔物に襲われそうになっている女を助ける。助けた女は気を失ってしまい、邸へと連れて帰ることに。
目を覚ました彼女…リリは人化した獣人の男を前にすると様子がおかしくなるも顔が獅子のライアンは平気なようで抱きついて来る。
女嫌いなライアンだが何故かリリには抱きつかれても平気。
素性を明かさないリリを保護することにしたライアン。
謎の多いリリと初めての感情に戸惑うライアン、2人の行く末は…
ヒーローはずっとライオンの姿で人化はしません。
義兄に甘えまくっていたらいつの間にか執着されまくっていた話
よしゆき
恋愛
乙女ゲームのヒロインに意地悪をする攻略対象者のユリウスの義妹、マリナに転生した。大好きな推しであるユリウスと自分が結ばれることはない。ならば義妹として目一杯甘えまくって楽しもうと考えたのだが、気づけばユリウスにめちゃくちゃ執着されていた話。
「義兄に嫌われようとした行動が裏目に出て逆に執着されることになった話」のifストーリーですが繋がりはなにもありません。
冷淡だった義兄に溺愛されて結婚するまでのお話
水瀬 立乃
恋愛
陽和(ひより)が16歳の時、シングルマザーの母親が玉の輿結婚をした。
相手の男性には陽和よりも6歳年上の兄・慶一(けいいち)と、3歳年下の妹・礼奈(れいな)がいた。
義理の兄妹との関係は良好だったが、事故で母親が他界すると2人に冷たく当たられるようになってしまう。
陽和は秘かに恋心を抱いていた慶一と関係を持つことになるが、彼は陽和に愛情がない様子で、彼女は叶わない初恋だと諦めていた。
しかしある日を境に素っ気なかった慶一の態度に変化が現れ始める。
泡風呂を楽しんでいただけなのに、空中から落ちてきた異世界騎士が「離れられないし目も瞑りたくない」とガン見してきた時の私の対応。
待鳥園子
恋愛
半年に一度仕事を頑張ったご褒美に一人で高級ラグジョアリーホテルの泡風呂を楽しんでたら、いきなり異世界騎士が落ちてきてあれこれ言い訳しつつ泡に隠れた体をジロジロ見てくる話。
今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を
澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。
そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。
だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。
そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。
抱かれたい騎士No.1と抱かれたく無い騎士No.1に溺愛されてます。どうすればいいでしょうか!?
ゆきりん(安室 雪)
恋愛
ヴァンクリーフ騎士団には見目麗しい抱かれたい男No.1と、絶対零度の鋭い視線を持つ抱かれたく無い男No.1いる。
そんな騎士団の寮の厨房で働くジュリアは何故かその2人のお世話係に任命されてしまう。どうして!?
貧乏男爵令嬢ですが、家の借金返済の為に、頑張って働きますっ!
若社長な旦那様は欲望に正直~新妻が可愛すぎて仕事が手につかない~
雪宮凛
恋愛
「来週からしばらく、在宅ワークをすることになった」
夕食時、突如告げられた夫の言葉に驚く静香。だけど、大好きな旦那様のために、少しでも良い仕事環境を整えようと奮闘する。
そんな健気な妻の姿を目の当たりにした夫の至は、仕事中にも関わらずムラムラしてしまい――。
全3話 ※タグにご注意ください/ムーンライトノベルズより転載
【R18】深層のご令嬢は、婚約破棄して愛しのお兄様に花弁を散らされる
奏音 美都
恋愛
バトワール財閥の令嬢であるクリスティーナは血の繋がらない兄、ウィンストンを密かに慕っていた。だが、貴族院議員であり、ノルウェールズ侯爵家の三男であるコンラッドとの婚姻話が持ち上がり、バトワール財閥、ひいては会社の経営に携わる兄のために、お見合いを受ける覚悟をする。
だが、今目の前では兄のウィンストンに迫られていた。
「ノルウェールズ侯爵の御曹司とのお見合いが決まったって聞いたんだが、本当なのか?」」
どう尋ねる兄の真意は……
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる