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十数回目の結婚記念日が近づいた、ある日のこと

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「ねえ、旦那様。昔、私が王都にいきなり訪ねていった時、正直なところ……どう思われましたか?」

 十数回目の結婚記念日が近づいたある日。
 紅茶を飲んでいたリオノーラは、向かいにいるアレスにそう尋ねた。

 二人は結婚当初、色々あって別居していた。

 ──十数年前。まだ結婚から二年も経っていない頃。
 リオノーラは、王都からティンエルジュ領までわざわざ訪ねてきてくれるアレスの顔色が悪いことに気がついた。
 そして放ってはおけないと思い、彼が住む王都まで駆けつけたのだ。
 なんの、事前連絡もなく。

「……。忖度されたいか? それとも厳しい現実が知りたいか?」

 アレスは顎に丸めた人差し指をあて、少し悩むようなそぶりを見せた後、そう口にした。
 思いがけない二択にリオノーラはぎょっとすると、おずおずと片手を挙げた。

「ではあの、厳しい現実でお願いします……!」
「……まぁ、あれから十年以上も経ってるんだ。今更何を言ったって時効だよな」

(じ、時効……。一体何を言われるのかしら……?)

 リオノーラは早鐘を打つ胸を押さえる。
 厳しい現実ということは、おそらく良くないことを言われるのだろう。だが、きっとこれは受け止めなければならないことだ。
 ごくりと喉を鳴らし、リオノーラはアレスを見つめる。

「正直なところ……イラッとした」

 そして告げられた事実に、リオノーラは肩をびくつかせた。

「ひっっ、や、やっぱり……! 怒ってましたよね……!?」
「そりゃ怒るだろう。俺の記憶が正しければ、君が王都に来た三~四日前に俺はティンエルジュの屋敷を訪ねている。その時に何も言わずにいきなり王都に来るなんて……。こっちだって色々準備とかあるんだぞ?」
「そうですよね……」

 しょんぼりとリオノーラは肩を落とす。
 あの時は色々あり、いきなりアレスの元を訪ねる展開になってしまった。
 だが、受け入れる側のアレスからしてみれば、迷惑なことこの上なかっただろう。
 改めて申し訳ないことをしてしまったとリオノーラが反省していると、向かいから優しい声が聞こえた。
 
「……でも、嬉しかった」
「旦那様……」
「このまま一度も君と一緒に暮らさないまま、夫婦関係が終わってしまうのだと……あの頃はそう覚悟していたから」

 アレスの言葉に、ぎゅっと胸が締め付けられる。
 あのまま別居婚を続けていたら、確実に今、この場に二人でいることはなかっただろう。
 それを考えると、こうして夫婦二人で紅茶を飲んでいるのが奇跡のようだと思う。

「君がいきなり俺の住む部屋に現れた時は、幻覚だと思ったぞ?」
「……まぁ、びっくりしますよね」
「君は俺と『楽しく過ごすためにやってきた』と言っていたが、信じられなかったな」

 リオノーラは具合の悪そうなアレスの看病をしようと、ティンエルジュの屋敷を抜け出し、はるばる王都までやってきた。だが、リオノーラはアレスに『看病のためにやってきた』とは、言わなかった。

「でも、旦那様と楽しく過ごしたいと思ったのは事実ですよ?」
「『楽しく過ごすためにやってきた』という、君の言葉が嘘だとは思わなかったさ。……ただ、それだけじゃないなと思ったな」

 と、アレスは紅茶のカップを傾ける。

「……君は結婚してから一年九ヶ月もの間、俺との別居婚を平然と続けていた。その間に同居したいなどと言われたことはただの一度もなかった。それがいきなり俺の住む部屋まで押しかけてきたんだ。何かあったのだと考えるほうが自然だ」
「それは本当にごめんなさい……」
「君はティンエルジュ侯の右腕だった。おいそれと領から出られないことは分かっていたさ」
「それでも……。もっと早くあなたと一緒に暮らすべきでした」

 領の仕事にかまけて、アレスのことをずっと放置していた。忙しい時間を縫って会いに来てくれる彼の気持ちを何も考えていなかった。
 過去の自分はなんて利己的で冷たい人間だったのだろうかと、リオノーラは自己嫌悪する。

「旦那様と同居を始めた時、『一年九ヶ月の間、私はなんて無駄な時間を過ごしていたんだろう』って、すごく後悔しました……。あなたと過ごす時間が、とても楽しかったから」
「楽しかった、か。……俺はあまり君のことをかまってあげられなかったけどな」

 リオノーラはふるふると頭を振る。

「……楽しかったです」

 長い結婚生活で、夫婦二人きりで暮らしたのは本当に僅かな間だけだった。だが、今でもその頃のことを思い出すと、胸の奥が軋む。一緒に同じものを食べたり、領から持ち込んだ書類を片付けたり、家事を分担したり……。何気ない毎日が本当に愛しく、輝いてみえた。

(旦那様は意外と生活力の高い方でしたし……)

 あの同居生活で、アレスの良いところをたくさん知ることができた。アレスは綺麗好きで、毎日水まわりをぴかぴかにしてくれた。備品の補充も率先してやってくれたし、ゴミの分別も完璧だった。見えない家事を文句一つ言わずそれとなくやってくれる彼に、胸がキュンとした。

 ……看病をするためにアレスの元を訪れたはずが、逆に面倒をかける展開になってしまったことだけは、心苦しかったが。

「そうか、俺も楽しかったよ」
「あの時はご迷惑ばかりお掛けしましたね」
「そんなことないさ、一緒にいられるだけで幸せだったから」

 リオノーラはカップを傾けると、冷めかけた紅茶を口に含む。
 こうやって昔あった出来事を思い出し、夫婦で語り合えるのもまた幸せだと、リオノーラはしみじみと噛み締めた。

 <完>

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