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猫親子のその後
しおりを挟む「ぁおっ、あぉぉんっ……」
悲しげな鳴き声が石畳の空間に響く。
石畳の上には、堅牢なその場に似つかわしくない毛の塊があった。
毛の塊はそのふさふさの身体をぺったり伏せ、ファーのような太いしっぽを左右に振っている。その動きに力はない。
「リオに何かあったのですか?」
リオノーラは、自分と同じ愛称の猫を指差す。猫のリオは見るからに元気を無くしていた。
隣に立っていたアレスは身を屈めると、リオノーラと目線を合わせる。
「旦那が騎士団の厩舎へ戻った」
「えっ」
「もう子猫達が乳離れしたからな。子育てから終わったから、マイルズは自分の仕事に戻った」
子猫が産まれてから、すでに三ヶ月が経過していた。子猫達はすっかり離乳していて、人間が用意した柔らかい餌を食べるようになっている。
「子猫が離乳すると、猫はまた妊娠可能になる。マイルズを引き離す必要があった」
「そうだったんですか……」
「連続で子猫が出来ると困るだろう? マイルズが過労で倒れてしまう」
リオの夫、黒猫のマイルズは子煩悩な雄だった。四匹産まれた子猫たちを常に見張り、毛繕いから排泄の世話、遊び相手を一手に担っていた。その一方でリオは子猫の世話をすることは殆ど無く、乳をやる時以外はキャットタワーの頂上でウトウトしているか、自由に廊下を散歩していた。
その様子を目にしていたリオノーラは、アレスの言葉に何と返したらいいのか分からず、「そうですね」と言い、苦笑いを浮かべた。
(ウチも連続で子どもが出来たわね……)
昔のことを思い出す。なかなか長女を授かれなかったので、次の子もさぞや時間がかかるだろうと思っていたら、夜の生活を再開させた途端妊娠してしまった。
二人目を孕んだ後、夫婦で話し合い、三人連続で産むことに決めた。まとめて産めば、夫の育児休業も集中して取ることが出来る。それに長女が産まれた時点で、二人は二十代後半に差し掛かろうとしていた。子どもを複数人持つなら、なるべく若い内に産んだほうがいいと思ったのだ。
そして三人目が産まれ、アレスは育児づけの五年間を送ることとなった。戦争が起こり召集があった時以外は、アレスはずっと三人の娘達の側にいた。
アレスは「洗い物や食事の準備は使用人がしてくれるから、一般の主婦に比べれば楽なものだ」と言っていたが、年子の娘三人がまとめて寝てくれることは殆ど無かったらしく、彼はいつも疲れ果てていた。
一方リオノーラは、アレスが家を継がなかった分の仕事をこなしていた。長女が生まれた時はちょうど事業を拡大していた頃で、家の仕事は今とは比較にならないほど多かった。
リオノーラは今までも、あの頃子育てにあまり参加出来なかったことを悔やんでいる。子育ての恨みは一生続くとの手記を読んでは震え上がっていた。
乳児を育てていた頃のアレスは、他人が赤子に触れると殺気を発していた。夫がガルガルするから、あまり赤子に触れないほうがいいだろうと判断してしまった、その当時の自身を悔いていた。
「あの頃は本当に申し訳ありませんでした……」
「何で謝るんだ? リオも連続で産むと身体に負担がかかるだろうしな」
リオは厩舎へ続く門の前で、ずっと座り込んでいた。たまに扉が開くと、すくっと立ち上がり、短い足をてちてち動かして門をくぐろうとする。しかし、リオは長毛種の猫で栗毛色をしている。こんなにも目立つ猫を門番が見逃すはずはなく、彼女はすぐに抱き抱えられてしまう。
その光景を見たリオノーラは、痛ましそうに目を細める。
「可哀想ですね……」
「仕方がない。子猫の貰い手の問題もあるしな」
「あの四匹はどうなるのですか?」
両親に似た子猫はそれぞれ二匹ずついた。リオに似た猫は珍しさからすぐに引き取り手が見つかるだろうが、黒猫はどうなるのだろうか。
「……もうしばらくすれば、性別がはっきりする。雄は騎士団の厩舎で引き取る予定だ。馬は猫が好きでな。多少猫が増えたぐらいで問題はない」
「雌猫は?」
「雌猫はティンエルジュ侯が引き取るとはりきっていたぞ」
「お父様が?」
思いがけないところから実家の父の名が出、リオノーラは驚く。
「この間、円卓会議があっただろう? ティンエルジュ侯と顔を合わせた時に猫の話をしたんだ」
「旦那様、お父様と世間話をされるんですね……」
「まあこちらから話題を振らないと、『いつお前達は別れるんだ?』っていつもの離縁催促が来るからな」
リオノーラの父は跡継ぎとなる孫さえ手に入れば、父親は不要とばかりにアレスに娘と別れるよう催促していた。
アレスはもう慣れたもので、愛妻と別れろと義父から言われても表情一つ変えなかった。逆に、リオノーラは動揺を隠せない。
「……旦那様はお父様に『いつお前達は別れるんだ?』って言われたら、何と返しているのですか?」
子どもがまだ小さいのに離縁だなんて考えられない。子ども達には父親が必要なのだ。そして、自分にも。
「今は子どもが小さいので考えられませんが、そのうち考えますと答えている」
「ひっ、そんなこと考えないでくださいよぉ」
青ざめたリオノーラは、アレスの肩を後ろからぱしんと叩く。
「……実際子ども達が大きくなれば、俺はティンエルジュ家に要らなくなるだろう。将来的には義母が一人で住んでいるデリング家も何とかしないといけないだろうし、騎士団のトップに立てば宰相職が回ってくるかもしれない。その時はティンエルジュ家と決別する必要があるな」
「ぁおぉぉ……」
リオノーラは悲しげな鳴き声を出す。そんな日は一生来てほしくない。
◆
更に三ヶ月後。
リオノーラの父親、ルシウスがやってきた。
「おおお……可愛いなぁ。雌猫は二匹とも栗毛のもふもふなのか」
円卓会議の後、猫部屋にやってきたルシウスは、もふもふになりかけている栗毛の子猫を抱き上げた。
ケージはルシウスが用意していた。母猫のリオが愛用している毛布を中に敷くと、子猫二匹をそっと入れた。
「お父様、子猫達をよろしくお願いします」
「ああ、孫が全員いなくなって、屋敷が静かになっていたからなぁ。賑やかになっていい」
ルシウスはリオノーラに、戻って来いとは言わなかった。
リオノーラの隣りに立つアレスの姿を一瞥すると、ルシウスは控えていた私設兵達にケージを抱えさせ、黙って去っていった。
ルシウスの姿が見えなくなってから、リオノーラは口を開いた。
「お父様、何も言いませんでしたね」
「余計なことを言って、猫を譲って貰えなくなったら困ると思ったのだろう」
「そんなに猫好きだったかしら? お父様……」
子猫がいなくなったら、母猫のリオがまた寂しがるのではないかと思っていたが、彼女は意外なほど平然としていた。目を細め、キャットタワーの上で自分の手のひらを舐めていた。
◆
二人は騎士団の厩舎へ向かった。マイルズとその子猫達がどうしているか見るためだ。
「わぁ、黒猫達がいますね!」
ちょうど休憩時間だったのか、黒猫が三匹、タイルの床の上で腹ばいになっている。一際大きな黒猫はむくりと身体を起こすと、自分と同じ闇色をした子猫に近寄り、その顔を舐め出した。
「先週から一緒に暮らし始めたんだ」
「それでもう、こんなに仲良しなんですか?」
「マイルズは忘れていなかったのだろう。自分が取り上げた子猫達を」
母猫のリオが産気づいた時、マイルズは片時も離れようとはしなかった。苦しむリオの顔を舐め、産まれてきた我が子の身体を舐めた。最初に産まれた黒猫はなかなか産声を上げなかったが、マイルズがへその緒を切り、胎子を舐め取ると、堰を切ったように泣き出したという。
「マイルズは偉いですね」
「マイルズの献身っぷりは素晴らしいと思うが、そのせいでリオの母猫としての本能が希薄になってしまった」
「そうなのですか?」
「ああ……後から調べて分かったことだが、母猫の出産に他者が関わってはいけないものらしい。リオが子猫に関心があまり無かったのは、俺の判断ミスのせいだ」
アレスは肩をすくめる。リオに悪いことをしたと思っているらしい。
(旦那様はテレジアを取り上げているから……)
リオノーラが長女を出産した場所は地下書庫だった。出産予定日まで三週間ほどあり、まだまだ平気だろうと思い、アレスを伴って書庫へ行ったら、そこでいきなり破水してしまったのだ。気がついた時には頭が出かけており、リオノーラはその場から動けなくなった。
アレスは前々から、最悪の事態を想定して子どもの取り上げ方を産婆から聞き、使えそうな仕事道具を煮沸消毒していた。
アレスの処置は的確で、テレジアは何の問題も無く産まれてきた。
「リオが子猫に関心がないのは、リオのせいですよ。それにマイルズは良いお父さんなのだから充分です」
兄弟が父猫に毛繕いをして貰っているのを見て羨ましく思ったのだろう。もう一匹も「ずるい! ぼくも舐めて!」と言わんばかりに父猫に擦り寄っていく。
微笑ましい黒猫の親子を、二人はずっと見つめていた。
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