18 / 40
モフモフ天国
しおりを挟む爪切りを終えた猫のリオは、太い尻尾をふりふりしながら長い廊下を歩いていく。その足取りに迷いはない。
やがて廊下の突き当たりまで来ると右にまわり、客室のある一角から抜け出した。
「すごい! この子、道を分かってるんですか?」
「ああ、王城内を常に行き来してるからな」
ある場所に差し掛かると、猫のリオの足取りが早くなった。てててっと駆けていくのを、二人は早歩きで追っていく。
リオノーラはリオが駆けていく先に、黒い塊がいることに気がついた。
「黒猫?」
「この子の旦那だ」
リオはにゃーにゃーと鳴きながら、黒猫に近づいていく。黒猫はまんまるなリオとは違い、しなやかな体付きをしている。ビロードのような艶やかな毛を持つ美しい猫だった。
二匹は鼻を何度かくっつけ合うと、そのまま寄り添うように、ドアの下部にぽっかり開いている四角い穴の中へ入っていってしまった。
「何ですか? この四角い穴」
「ペットドアというものだ。職人に依頼して作ってもらった。穴の中の様子はこちらから覗けるぞ。見るか?」
アレスは二匹が入っていった部屋の、隣の部屋を指差す。リオノーラは何も言わず、こくりと頷いた。
「静かにな」
アレスはリオノーラへ視線を送りながら、立てた人差し指を唇に当てる。
部屋の壁には明かり取りのような長方形の穴が空いている。そこから隣の部屋にいるであろう、二匹の様子が覗けるようだ。
リオノーラはどきどきしながら、ほんの少しつま先立ちをして、穴の向こうを見る。
隣りの部屋には案の定、あの二匹がいた。
「わっ……! か、かわいいっ……」
リオノーラは声を上げると、慌てて自分の口を両手で塞いだ。アレスから静かにするようにと言われたのを思い出したのだ。
リオノーラは隣りに立っているアレスを見上げる。
アレスは妻の慌てぶりに、ふっと小さく笑った。
「可愛いだろう。三週間前に生まれたばかりなんだ」
「何匹いるんですか?」
「四匹だ」
「ちっちゃいですねえ」
隣の部屋には二匹の他に、なんと子猫がいた。リオよりもやや薄い色をした茶色の猫が二匹と、黒い猫が二匹。どの子猫も、寝そべったリオの腹にしがみついている。時々ころんと転がりながらも、がんばって乳を吸っていた。
授乳中のリオの頭上では、先ほど彼女を迎えに来た黒猫が、せっせと彼女の頭や耳を舐めていた。子猫に乳をやる妻を労っているのだろう。
猫の親子の微笑ましい光景に、リオノーラは口元を緩める。
「黒猫ちゃん、良い旦那様ですね」
「ああ……。マイルズは騎士団の厩舎で飼われていた猫で、元野良猫なんだ」
「元野良猫? 奥さんのリオは陛下の猫なんですよね?」
リオは陛下の猫ということは、贈り物の特別なペットなのかもしれない。
表現はよくないと思いつつも、雑種であろう黒猫のマイルズと、子猫を成しても問題なかったのだろうかと心配になった。
「……リオは北国原産の猫で、王家で飼われていた特別な猫だ。宗国との和平の証にと、北国の王から贈られたものだ。もちろん、血統書付きのな」
(どうしよう。な、なんと反応したらいいか分からない……!)
ここで「わぁっ! 身分違いの恋なんて素敵ですね!」と言うのは違うと思う。だからと言って、「元野良猫のマイルズとの子猫を産んでも問題なかったのですか?」と聞くのもどうかと思った。
何故なら、自分達の関係とこの二匹の関係が微妙に重なるからだ。
アレスの父親は宗国の貴族だったが、母親は南方の戦闘民族の出で、彼自身は庶子だった。一方リオノーラは、王家の傍流にあたる侯爵家の出身で、両親ともども王家の親戚というごりごりの血統書付きのお嬢様だ。
本来なら二人の結婚は天と地がひっくり返っても有り得なかったのだが、アレスが大国との戦争で前人未到の戦果を上げ、時の王に褒章にとねだったのが、リオノーラとの結婚だった。
「……俺に遠慮するな」
リオノーラが何を考えているのか察したアレスは、横目で彼女をみやると淡々と言い放った。
「ご、ごめんなさい……。よく、二匹は夫婦になることを許されましたね」
「……許すも何も、リオが誰の子を産もうが自由だ。他にリオのような北国原産の猫はいないのだから」
「騒ぎにはなりませんでしたか?」
黒猫のマイルズは騎士団の厩舎で飼われていたのなら、陛下の猫に手を出してしまったと、騎士団や厩舎の人達は慌てたに違いない。
「……まぁ多少はな。だが、俺が責任を取ると言ったら皆黙った」
「大変でしたねえ」
「そうでもない。陛下もマイルズとリオの仲を応援してくださったからな」
それからアレスはこの二匹の馴れ初めを話し出した。
「マイルズはある日突然、騎士団の厩舎に住み着くようになった黒猫でな。どこからやってきたのかは誰にも分からない。だが、厩舎で寝泊まりさせてもらう礼なのか、鼠を捕まえては馬丁に渡すようになった。厩舎は馬の餌となる飼料があるから、鼠には悩まされていたんだ。馬丁は黒猫にマイルズと名付け、厩舎で世話をするようになった。マイルズはとても優秀な猫で、鼠を今まで百匹は捕まえたそうだ」
「すごいですね」
西国戦で敵将の首を百人刈ったアレスの戦歴と被るが、リオノーラは何も言わなかった。
「マイルズが騎士団で飼われるようになった数ヶ月後、この城にリオが来た。リオは場所見知りしない猫で、王城内を自由に歩き回っていた。そんな彼女はある日、騎士団の厩舎に迷い込んだ」
「おおっ、運命の出会いですね!」
恋愛小説さながらの展開にリオノーラの空色の瞳がきらめく。
「当初、マイルズはリオの存在を迷惑に思ったのか、リオが近づいても逃げていたらしい。だが、一月経つ頃には互いに毛繕いをするような仲になっていた」
「ツンデレ可愛い……」
「そしてある日、リオの爪切りをしていた俺は気がつく」
「な、何にですか?」
「リオの腹にピンク色の突起があることに。腹に触れると、何かがうごめいている感覚もした。俺は急いでリオを獣医に見せた。……リオは孕んでいたのだ」
アレスの表情が曇る。
リオノーラはごくりと喉を鳴らした。
「俺はマイルズのことを知らなかったから、むちゃくちゃ慌てた。極秘に聞き込みをして、マイルズのことを突き止めたんだ」
「マイルズを叱ったのですか?」
「いいや。二匹が出会ってしまったのは、こちらの管理不足が原因だからな。それに二匹を会わせると、すぐに鼻を擦り付けあった。二匹が想いあっているのは一目瞭然だったからな」
アレスは宗王マルクに許可を取ると、マイルズを王城内に住まわせた。マイルズに、リオとリオが産む子の世話をさせようと考えたのだ。
「黒猫の雄は面倒見が良いらしい。マイルズもリオの毛繕いをよくしていたから、子の世話もするだろうと思ったんだ」
アレスの予想は当たり、マイルズは甲斐甲斐しく子猫の世話をした。今も、トイレの始末から遊び相手まで毎日忙しくしている。子猫が母親の乳に喰らい付いている時も、今度はリオの顔や耳を舐めてやっていた。
「マイルズ、旦那様のような猫ちゃんですね」
「……子の世話をするのも、妻を労るのも夫として当然の務めだ」
そう言うと、アレスはリオノーラの肩に腕を回し、彼女を抱き寄せた。
リオノーラはこめかみに柔らかなものが当たるのを感じると、ポッと頬を赤く染めた。
「……今夜は俺の部屋に泊まるか?」
耳元で囁かれる低音に、リオノーラは叫び出しそうになるのを懸命に堪える。
「は、はい……よろしくお願いします……」
「そうか、良かった。良い夜にしよう」
側から見れば、騎士団のエリート将校が子持ちの侍女を口説いているようにしか見えないが、二人は歴とした夫婦である。
(十八歳で結婚して、もう十七年経つけど未だに慣れないわぁ)
なんなら、幼馴染歴は三十年になる。
未だに、アレスの顔の良さに慣れない。
本当にかっこいい人は、いつまででもかっこいいのだなとリオノーラはしみじみ思った。
49
お気に入りに追加
715
あなたにおすすめの小説
勘違い妻は騎士隊長に愛される。
更紗
恋愛
政略結婚後、退屈な毎日を送っていたレオノーラの前に現れた、旦那様の元カノ。
ああ なるほど、身分違いの恋で引き裂かれたから別れてくれと。よっしゃそんなら離婚して人生軌道修正いたしましょう!とばかりに勢い込んで旦那様に離縁を勧めてみたところ――
あれ?何か怒ってる?
私が一体何をした…っ!?なお話。
有り難い事に書籍化の運びとなりました。これもひとえに読んで下さった方々のお蔭です。本当に有難うございます。
※本編完結後、脇役キャラの外伝を連載しています。本編自体は終わっているので、その都度完結表示になっております。ご了承下さい。

夫の隠し子を見付けたので、溺愛してみた。
辺野夏子
恋愛
セファイア王国王女アリエノールは八歳の時、王命を受けエメレット伯爵家に嫁いだ。それから十年、ずっと仮面夫婦のままだ。アリエノールは先天性の病のため、残りの寿命はあとわずか。日々を穏やかに過ごしているけれど、このままでは生きた証がないまま短い命を散らしてしまう。そんなある日、アリエノールの元に一人の子供が現れた。夫であるカシウスに生き写しな見た目の子供は「この家の子供になりにきた」と宣言する。これは夫の隠し子に間違いないと、アリエノールは継母としてその子を育てることにするのだが……堅物で不器用な夫と、余命わずかで卑屈になっていた妻がお互いの真実に気が付くまでの話。
私を幽閉した王子がこちらを気にしているのはなぜですか?
水谷繭
恋愛
婚約者である王太子リュシアンから日々疎まれながら過ごしてきたジスレーヌ。ある日のお茶会で、リュシアンが何者かに毒を盛られ倒れてしまう。
日ごろからジスレーヌをよく思っていなかった令嬢たちは、揃ってジスレーヌが毒を入れるところを見たと証言。令嬢たちの嘘を信じたリュシアンは、ジスレーヌを「裁きの家」というお屋敷に幽閉するよう指示する。
そこは二十年前に魔女と呼ばれた女が幽閉されて死んだ、いわくつきの屋敷だった。何とか幽閉期間を耐えようと怯えながら過ごすジスレーヌ。
一方、ジスレーヌを閉じ込めた張本人の王子はジスレーヌを気にしているようで……。
◇小説家になろうにも掲載中です!
◆表紙はGilry Drop様からお借りした画像を加工して使用しています

セレナの居場所 ~下賜された側妃~
緑谷めい
恋愛
後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。
【完結】目覚めたら男爵家令息の騎士に食べられていた件
三谷朱花
恋愛
レイーアが目覚めたら横にクーン男爵家の令息でもある騎士のマットが寝ていた。曰く、クーン男爵家では「初めて契った相手と結婚しなくてはいけない」らしい。
※アルファポリスのみの公開です。

獣人の世界に落ちたら最底辺の弱者で、生きるの大変だけど保護者がイケオジで最強っぽい。
真麻一花
恋愛
私は十歳の時、獣が支配する世界へと落ちてきた。
狼の群れに襲われたところに現れたのは、一頭の巨大な狼。そのとき私は、殺されるのを覚悟した。
私を拾ったのは、獣人らしくないのに町を支配する最強の獣人だった。
なんとか生きてる。
でも、この世界で、私は最低辺の弱者。
王宮医務室にお休みはありません。~休日出勤に疲れていたら、結婚前提のお付き合いを希望していたらしい騎士さまとデートをすることになりました。~
石河 翠
恋愛
王宮の医務室に勤める主人公。彼女は、連続する遅番と休日出勤に疲れはてていた。そんなある日、彼女はひそかに片思いをしていた騎士ウィリアムから夕食に誘われる。
食事に向かう途中、彼女は憧れていたお菓子「マリトッツォ」をウィリアムと美味しく食べるのだった。
そして休日出勤の当日。なぜか、彼女は怒り心頭の男になぐりこまれる。なんと、彼女に仕事を押しつけている先輩は、父親には自分が仕事を押しつけられていると話していたらしい。
しかし、そんな先輩にも実は誰にも相談できない事情があったのだ。ピンチに陥る彼女を救ったのは、やはりウィリアム。ふたりの距離は急速に近づいて……。
何事にも真面目で一生懸命な主人公と、誠実な騎士との恋物語。
扉絵は管澤捻さまに描いていただきました。
小説家になろう及びエブリスタにも投稿しております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる