1 / 36
離ればなれになりたくない
しおりを挟む「えっ! ……これからは王城勤務になるんですか⁉︎」
「ああ、陛下の勅命らしい」
王城から戻った夫を出迎えた彼女は、夫から告げられた言葉に絶句する。
いきなり愛する夫と別居することになったからだ。
「これからは夏と冬の休暇にしかこちらへは戻れない。息子のことを頼む」
「随分と急な話ですね……」
「そうでもない。先王陛下が崩御されてもう一年になる。遅いぐらいだ」
「いつ、王城へ行かれるのですか?」
「明日の早朝にはここを立つ」
淡々と紡がれる夫の言葉に、彼女は息を呑む。そして、眉尻を下げてしゅんと俯く。
王城からの急な呼び出しに嫌な予感はしていた。
「寂しくなりますね」
「エミリオは泣くかもしれないな」
彼らは共に三十代の夫婦だった。彼女の名はリオノーラ。ティンエルジュ侯爵家の跡取り娘だ。
かつて社交界では白薔薇の妖精などと呼ばれていたこともあったが、四人の子持ちとなった今では見る影もない。少々背が低く、腰まわりが太めなどこにでもいる女性だ。
そんなリオノーラの夫の名は、アレス・デリング。彼女の歴とした伴侶で入り婿ではあるが、彼は妻の実家を継ぐことが出来ず、父方の家名を名乗っている。職業は近衛部隊所属の騎士。
アレスはつい最近まで妻の実家領であるティンエルジュ領の見回りの任に就いていたが、先王が亡くなり、国が新たな王を戴いたことで王家の護衛を担う近衛部隊の編成が大きく代わり、此度の人事異動で王城勤務となった。
妻のリオノーラは普通の域を出ない平凡な外見をしているが、夫のアレスは皆が皆、ハッと振り向くほどの美形だった。短く整えられた艶やかな黒髪に、切れ長の瞼から覗く深緑の瞳。整った小さな顔にすらりとした長身の持ち主で、細身の騎士服を颯爽と着こなしている。
「夏と冬の休暇にしかティンエルジュに戻れないだなんて……。私たちもこの屋敷を出て王都で暮らします!」
愛する夫と離れて暮らすだなんて耐えられない。
十八歳の時に結婚して、早十年以上。三十代になった今でも変わらず夫のことを愛し続けているリオノーラは、即座に幼い息子を連れて自分も王都へ行く決断をした。
すでに上の娘三人は進学の為、このティンエルジュ領を出ている。これを機に自分と息子も王都へ行けば、家族皆で集う機会が増えるのではないか。
そう考えアレスへ提案したが、彼の表情は浮かない。
「君の申し出はありがたいが、駄目だ」
「だめ……? どうしてですか?」
「末っ子のエミリオはまだ小さいし、君はここでの仕事があるだろう?」
「うう……」
リオノーラは頭を抱えた。彼女は夫が家を継げない分、実家領の運営の一部を担っている。端的に言って、むちゃくちゃ忙しい。
「いいえ! なんとかします!」
文字通り手で頭を抱えていたリオノーラは、両手の拳をぎゅっと握りしめるとそれを勢いよく振り下ろした。
しかし、アレスは無表情で首を横に振る。
「なんともならないだろう。まず、義父上の許しが出ない」
「そんなことないです。私は王都での仕事も持っていますし、お父様の説得ぐらい出来ますよ!」
「無理はするな」
アレスはそう言うと、リオノーラに背を向けて奥の部屋へ入ってしまった。
彼の少々そっけない態度に、もしかして付いて来て欲しくないのでは? とリオノーラは一瞬心配になるが、ぶんと頭を振る。
(旦那様はシャイなだけよ。本当はこれからも私やエミリオの側にいたいのに、上手く態度や言葉に出せないのよ、きっと。まったくいい歳して不器用な人なんだから!)
と、都合よく解釈して、幼い息子と二人、王都へ移り住むための算段をする。アレスは王の警護にあたるため王城敷地内に住むが、王城で働くわけではない自分は一緒には暮らせないだろう。なんとか王城の近居で暮らせればいいが。
王城近隣の借り屋敷の家賃は恐ろしく高額だ。もちろん払えなくはないが、出来れば節約したい。それに屋敷を借りるとなると人手も必要になる。息子と二人、お手頃な賃料のところに住む方法は無いだろうか。
リオノーラは顎に手を当てて天井を見上げる。
そして、彼女は一つの案を思いつく。
「……母子寮」
王城の周辺にはいくつか母子寮が建っている。
母子寮とは、王城内で働く男性の家族や、単身赴任中の夫や父親を持つ女性や子どもが暮らすための施設で、家賃は格安だ。ティンエルジュ家も近々王都に母子寮を建設予定で、施工管理者を選定している最中だった。
そうだ、母子寮で暮らそう。と、リオノーラはぽんと手を打つ。
一番下の息子のエミリオには、つねづね市井の暮らしに触れて欲しいと思っていた。母子寮暮らしは息子にとっても良い機会になるのではないか。
リオノーラの父親であるティンエルジュ侯爵は、娘と孫の王都の母子寮移住を良く思わないかもしれないが、『新しく建てる母子寮をより皆が使いやすい施設にするために、実際に母子寮で暮らして実態を調査したいのです』とかなんとか言えば、屋敷を出る許可は降りるのではないか。エミリオのことも、進学前に王都の生活に慣らすためと言えば、なんとかなりそうだ。
そうと決まれば、早速自分達も王都移住の準備をしなくては。リオノーラは自分の部屋へ向かって小走りした。
90
お気に入りに追加
674
あなたにおすすめの小説
獅子の最愛〜獣人団長の執着〜
水無月瑠璃
恋愛
獅子の獣人ライアンは領地の森で魔物に襲われそうになっている女を助ける。助けた女は気を失ってしまい、邸へと連れて帰ることに。
目を覚ました彼女…リリは人化した獣人の男を前にすると様子がおかしくなるも顔が獅子のライアンは平気なようで抱きついて来る。
女嫌いなライアンだが何故かリリには抱きつかれても平気。
素性を明かさないリリを保護することにしたライアン。
謎の多いリリと初めての感情に戸惑うライアン、2人の行く末は…
ヒーローはずっとライオンの姿で人化はしません。
義兄に甘えまくっていたらいつの間にか執着されまくっていた話
よしゆき
恋愛
乙女ゲームのヒロインに意地悪をする攻略対象者のユリウスの義妹、マリナに転生した。大好きな推しであるユリウスと自分が結ばれることはない。ならば義妹として目一杯甘えまくって楽しもうと考えたのだが、気づけばユリウスにめちゃくちゃ執着されていた話。
「義兄に嫌われようとした行動が裏目に出て逆に執着されることになった話」のifストーリーですが繋がりはなにもありません。
冷淡だった義兄に溺愛されて結婚するまでのお話
水瀬 立乃
恋愛
陽和(ひより)が16歳の時、シングルマザーの母親が玉の輿結婚をした。
相手の男性には陽和よりも6歳年上の兄・慶一(けいいち)と、3歳年下の妹・礼奈(れいな)がいた。
義理の兄妹との関係は良好だったが、事故で母親が他界すると2人に冷たく当たられるようになってしまう。
陽和は秘かに恋心を抱いていた慶一と関係を持つことになるが、彼は陽和に愛情がない様子で、彼女は叶わない初恋だと諦めていた。
しかしある日を境に素っ気なかった慶一の態度に変化が現れ始める。
泡風呂を楽しんでいただけなのに、空中から落ちてきた異世界騎士が「離れられないし目も瞑りたくない」とガン見してきた時の私の対応。
待鳥園子
恋愛
半年に一度仕事を頑張ったご褒美に一人で高級ラグジョアリーホテルの泡風呂を楽しんでたら、いきなり異世界騎士が落ちてきてあれこれ言い訳しつつ泡に隠れた体をジロジロ見てくる話。
今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を
澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。
そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。
だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。
そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。
抱かれたい騎士No.1と抱かれたく無い騎士No.1に溺愛されてます。どうすればいいでしょうか!?
ゆきりん(安室 雪)
恋愛
ヴァンクリーフ騎士団には見目麗しい抱かれたい男No.1と、絶対零度の鋭い視線を持つ抱かれたく無い男No.1いる。
そんな騎士団の寮の厨房で働くジュリアは何故かその2人のお世話係に任命されてしまう。どうして!?
貧乏男爵令嬢ですが、家の借金返済の為に、頑張って働きますっ!
若社長な旦那様は欲望に正直~新妻が可愛すぎて仕事が手につかない~
雪宮凛
恋愛
「来週からしばらく、在宅ワークをすることになった」
夕食時、突如告げられた夫の言葉に驚く静香。だけど、大好きな旦那様のために、少しでも良い仕事環境を整えようと奮闘する。
そんな健気な妻の姿を目の当たりにした夫の至は、仕事中にも関わらずムラムラしてしまい――。
全3話 ※タグにご注意ください/ムーンライトノベルズより転載
【R18】深層のご令嬢は、婚約破棄して愛しのお兄様に花弁を散らされる
奏音 美都
恋愛
バトワール財閥の令嬢であるクリスティーナは血の繋がらない兄、ウィンストンを密かに慕っていた。だが、貴族院議員であり、ノルウェールズ侯爵家の三男であるコンラッドとの婚姻話が持ち上がり、バトワール財閥、ひいては会社の経営に携わる兄のために、お見合いを受ける覚悟をする。
だが、今目の前では兄のウィンストンに迫られていた。
「ノルウェールズ侯爵の御曹司とのお見合いが決まったって聞いたんだが、本当なのか?」」
どう尋ねる兄の真意は……
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる