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あなたの愛など
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翌朝、先に目覚めたのはアルキニナの方だった。
すかし模様が入ったカーテンの隙間から差し込む、細い日の光はかなり眩しい。チェックアウトの時間は過ぎていないだろうかと壁時計を見上げると、まだ余裕はあった。
身体は重だるいが、気分はすっきりしている。
避妊を考えずにユークスとまぐわってしまったため今後を考えると頭が痛くなるが、後悔はしていない。ユークスは結婚するつもりでいるだろうし、子どもが出来ていたら絶対に産むつもりだ。
女だてらに領主としてやってきて、変に度胸がついてしまったのかもしれない。
アルキニナは一人苦笑いをこぼす。
「アルキニナ様……?」
「あら、ユークス。お目覚めかしら」
長いまつ毛を震わせ、瞼を開けたユークスの声は掠れている。夕べの彼は嬌声をあげ続けていた。
きっと喉が乾いているだろう。
アルキニナは身を起こすと、水差しが置かれたテーブルまで行き、グラスに水を注いでユークスへ手渡した。彼は黙ってグラスの水をぐっと煽ると、ふぅとため息をつく。
「お疲れですわね?」
「いえ……。申し訳ありません、アルキニナ様。避妊に気遣うことが出来なくて」
「わざとでしょう?」
「……お見通しですね」
ユークスは自嘲気味に笑うと、形の良い口許を引き結んだ。そして、ベッドの端に座ったまま、アルキニナを見上げる。
「私はあなたとどうしても結婚したい。私と共に城下へ移り住んでもらえませんか?」
「城下?」
結婚するのは良い。だが、城下へ移り住むとはどういうことだろうか。
アルキニナは王都の外れと自領に屋敷を持っていて、領の運営のために行き来している。城下へ移り住んだら、ますます往来が大変になるではないか。
「私はまだ師団長になったばかりです。騎士を辞めることは出来ません。しかし、あなたと離れて暮らしたくない。わがままは重々承知ですが……」
「城下へ移り住んだら自領との行き来が大変になってしまいますわ。あなたが我が家の屋敷へ来るのは駄目なの? 単騎ならば城まで通えない距離ではないわ」
「近衛の師団長が長く城を離れるわけにはまいりません。すぐには爵位を継げないことは、大変申し訳なく思いますが……」
「それは仕方ありませんわ」
この四年間でユークスの考えは変わっていたようだ。当たり前だろう。今や彼は近衛のトップ、師団長だからだ。
ユークスがすぐに伯爵家を継げないであろうことはアルキニナも覚悟していたが、それでも城を長く離れられないと言われて少しだけ落胆した。
そして、更にアルキニナを落胆させる言葉がユークスの口から発せられる。
「アルキニナ様、私は……出来ればあなたに領主の座を降りて頂きたい」
「何ですって?」
「伯爵領は親戚の方へ譲り、あなたには近衛師団長の妻として尽力して欲しいのです」
(四年前と、言っていることが変わっているじゃありませんの)
ユークスは、城から屋敷へなかなか帰ろうとしないゲラシムのことを責めていたのに。
師団長の地位が彼を変えてしまったのだ。
アルキニナはキッとユークスを睨む。
「それは出来ませんわ。私だって、矜持を持って自領を治めてきたのです。父から受け継いだ土地を結婚するからと身内へ明け渡すなんて……! そんな無責任なこと出来ません。今まで支えてくれた家令たちになんと説明すれば良いの? 民だって認めませんわ」
「アルキニナ様、私はあなたを愛しています」
「ユークス……」
「どうか私との愛を選んでは貰えませんか?」
腹の底から、不愉快な感情がふつふつと湧き起こってくる。
どうして男はどいつもこいつも、愛していると言えば女が許してくれると思っているのだろうか。
耳ざわりの良い、都合の良いことばかり言って本当に腹が立つ。
まったく、人を舐めている。
「あなたの愛など、不要ですわ!」
四年前、ゲラシムへ告げた言葉を、今度はユークスに告げることになってしまった。
(もっとユークスと話をしてから、身体を許すべきでしたわ……)
後悔しても後の祭り。アルキニナはもしかしたら孕んでいるかもしれない下腹を摩った。
◆
あれから八ヶ月の月日が経った。
ユークスと何度となく話し合ったアルキニナは、王都の外れにある屋敷にいた。
端的に言えば、アルキニナの生活は変わっていない。
変わったのはユークスの方だ。
「アルキニナ、具合は大丈夫か?」
「ユークス」
二人は六ヶ月前に結婚していた。再会してから約二ヶ月半のスピード再婚だ。二人が結婚を急いだのには理由がある。
二人の視線の先にはアルキニナの下腹がある。それはゆったりしたドレス越しにも膨らんでいることがはっきり分かった。
アルキニナはたった一晩の行為で子を孕んでしまったのだ。彼女は一人で産んで育てると言ったが、ユークスはお腹の子を父無しに出来ないと言い、近衛の師団長であるのも関わらず騎士を休業した。
現在、ユークスが屋敷と伯爵領を行き来し、領の運営をアルキニナに代わって行っている。身重のアルキニナは馬車に乗ることすらままならないからだ。
ユークスはアルキニナへの言葉遣いを改め、現在は伯爵代理として日々奔走している。
「国へ提出する書類をまとめた。急ぎではないから、体調の良い時に目を通して貰えるか?」
「まぁ、ありがとうございます。頼りになりますわね」
(正直、ユークスがここまでやって下さるとは思ってもみませんでしたわ)
ユークスがまとめた書類は完璧だった。彼はたった一度説明しただけの事柄を理解し、やってのけた。この若さで近衛師団長に抜擢されたのも机仕事が出来るからかもしれない。その上、彼は騎士としての戦果も充分だ。
このまま伯爵家の当主になって欲しいとアルキニナが願うのも当然と言えるぐらい、彼は優秀だった。
「このまま、我が家を継いで欲しいぐらいです」
「……そうだな。副官たちも私が留守の間、よく近衛騎士団を支えてくれていると思う。次の師団長を任命し、私は降りよう。このまま騎士を退役し、この家を継ごう」
「良いのですか?」
「君と生まれてくる子どもの方が大切だ」
やっと掴んだであろう師団長の座よりも、自分たち家族の方が選ばれて、嬉しいはずなのにアルキニナの心境は複雑だった。
俯くアルキニナに、ユークスは更に言葉を続ける。
「私の父は、男爵家の長男で嫡子だった。だが、家督は弟である叔父へゆずり、父は騎士を続けて早死してしまった。私とまだ赤ん坊だったアンベラを残して……。私は父の人生の選択に巻き込まれてしまったと、ずっと死んだ父のことを恨んでいた。父が家督を継いでいれば、私も貴族だったし、父も死んでいなかったと思う……。私は我が子に自分と同じような思いをさせたくない」
「ユークス……」
ユークスは身を屈めると、ソファに座るアルキニナの肩を抱きしめた。
「もう八ヶ月前になるか、君に師団長夫人になれと宣ったのは。あの時の私は冷静ではなかったな。念願の近衛師団長に任命されて、浮かれていた。周りがまったく見えてなかったと思う。これでは死んだ父のことをとやかく言えないな」
「仕方がないですわ、夢を叶えたところですもの」
「今はずいぶん、頭が冷えたよ。これからは君達のために生きていきたい。愛してる、アルキニナ」
「私もよ、ユークス……。私たちを選んだこと、後悔させないぐらいこれから幸せにして差し上げますわ」
「ははっ、楽しみだ」
目尻に皺を寄せて笑ったユークスは、アルキニナに触れるだけのキスを落とした。
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