11 / 14
あなたの愛など
しおりを挟む
翌朝、先に目覚めたのはアルキニナの方だった。
すかし模様が入ったカーテンの隙間から差し込む、細い日の光はかなり眩しい。チェックアウトの時間は過ぎていないだろうかと壁時計を見上げると、まだ余裕はあった。
身体は重だるいが、気分はすっきりしている。
避妊を考えずにユークスとまぐわってしまったため今後を考えると頭が痛くなるが、後悔はしていない。ユークスは結婚するつもりでいるだろうし、子どもが出来ていたら絶対に産むつもりだ。
女だてらに領主としてやってきて、変に度胸がついてしまったのかもしれない。
アルキニナは一人苦笑いをこぼす。
「アルキニナ様……?」
「あら、ユークス。お目覚めかしら」
長いまつ毛を震わせ、瞼を開けたユークスの声は掠れている。夕べの彼は嬌声をあげ続けていた。
きっと喉が乾いているだろう。
アルキニナは身を起こすと、水差しが置かれたテーブルまで行き、グラスに水を注いでユークスへ手渡した。彼は黙ってグラスの水をぐっと煽ると、ふぅとため息をつく。
「お疲れですわね?」
「いえ……。申し訳ありません、アルキニナ様。避妊に気遣うことが出来なくて」
「わざとでしょう?」
「……お見通しですね」
ユークスは自嘲気味に笑うと、形の良い口許を引き結んだ。そして、ベッドの端に座ったまま、アルキニナを見上げる。
「私はあなたとどうしても結婚したい。私と共に城下へ移り住んでもらえませんか?」
「城下?」
結婚するのは良い。だが、城下へ移り住むとはどういうことだろうか。
アルキニナは王都の外れと自領に屋敷を持っていて、領の運営のために行き来している。城下へ移り住んだら、ますます往来が大変になるではないか。
「私はまだ師団長になったばかりです。騎士を辞めることは出来ません。しかし、あなたと離れて暮らしたくない。わがままは重々承知ですが……」
「城下へ移り住んだら自領との行き来が大変になってしまいますわ。あなたが我が家の屋敷へ来るのは駄目なの? 単騎ならば城まで通えない距離ではないわ」
「近衛の師団長が長く城を離れるわけにはまいりません。すぐには爵位を継げないことは、大変申し訳なく思いますが……」
「それは仕方ありませんわ」
この四年間でユークスの考えは変わっていたようだ。当たり前だろう。今や彼は近衛のトップ、師団長だからだ。
ユークスがすぐに伯爵家を継げないであろうことはアルキニナも覚悟していたが、それでも城を長く離れられないと言われて少しだけ落胆した。
そして、更にアルキニナを落胆させる言葉がユークスの口から発せられる。
「アルキニナ様、私は……出来ればあなたに領主の座を降りて頂きたい」
「何ですって?」
「伯爵領は親戚の方へ譲り、あなたには近衛師団長の妻として尽力して欲しいのです」
(四年前と、言っていることが変わっているじゃありませんの)
ユークスは、城から屋敷へなかなか帰ろうとしないゲラシムのことを責めていたのに。
師団長の地位が彼を変えてしまったのだ。
アルキニナはキッとユークスを睨む。
「それは出来ませんわ。私だって、矜持を持って自領を治めてきたのです。父から受け継いだ土地を結婚するからと身内へ明け渡すなんて……! そんな無責任なこと出来ません。今まで支えてくれた家令たちになんと説明すれば良いの? 民だって認めませんわ」
「アルキニナ様、私はあなたを愛しています」
「ユークス……」
「どうか私との愛を選んでは貰えませんか?」
腹の底から、不愉快な感情がふつふつと湧き起こってくる。
どうして男はどいつもこいつも、愛していると言えば女が許してくれると思っているのだろうか。
耳ざわりの良い、都合の良いことばかり言って本当に腹が立つ。
まったく、人を舐めている。
「あなたの愛など、不要ですわ!」
四年前、ゲラシムへ告げた言葉を、今度はユークスに告げることになってしまった。
(もっとユークスと話をしてから、身体を許すべきでしたわ……)
後悔しても後の祭り。アルキニナはもしかしたら孕んでいるかもしれない下腹を摩った。
◆
あれから八ヶ月の月日が経った。
ユークスと何度となく話し合ったアルキニナは、王都の外れにある屋敷にいた。
端的に言えば、アルキニナの生活は変わっていない。
変わったのはユークスの方だ。
「アルキニナ、具合は大丈夫か?」
「ユークス」
二人は六ヶ月前に結婚していた。再会してから約二ヶ月半のスピード再婚だ。二人が結婚を急いだのには理由がある。
二人の視線の先にはアルキニナの下腹がある。それはゆったりしたドレス越しにも膨らんでいることがはっきり分かった。
アルキニナはたった一晩の行為で子を孕んでしまったのだ。彼女は一人で産んで育てると言ったが、ユークスはお腹の子を父無しに出来ないと言い、近衛の師団長であるのも関わらず騎士を休業した。
現在、ユークスが屋敷と伯爵領を行き来し、領の運営をアルキニナに代わって行っている。身重のアルキニナは馬車に乗ることすらままならないからだ。
ユークスはアルキニナへの言葉遣いを改め、現在は伯爵代理として日々奔走している。
「国へ提出する書類をまとめた。急ぎではないから、体調の良い時に目を通して貰えるか?」
「まぁ、ありがとうございます。頼りになりますわね」
(正直、ユークスがここまでやって下さるとは思ってもみませんでしたわ)
ユークスがまとめた書類は完璧だった。彼はたった一度説明しただけの事柄を理解し、やってのけた。この若さで近衛師団長に抜擢されたのも机仕事が出来るからかもしれない。その上、彼は騎士としての戦果も充分だ。
このまま伯爵家の当主になって欲しいとアルキニナが願うのも当然と言えるぐらい、彼は優秀だった。
「このまま、我が家を継いで欲しいぐらいです」
「……そうだな。副官たちも私が留守の間、よく近衛騎士団を支えてくれていると思う。次の師団長を任命し、私は降りよう。このまま騎士を退役し、この家を継ごう」
「良いのですか?」
「君と生まれてくる子どもの方が大切だ」
やっと掴んだであろう師団長の座よりも、自分たち家族の方が選ばれて、嬉しいはずなのにアルキニナの心境は複雑だった。
俯くアルキニナに、ユークスは更に言葉を続ける。
「私の父は、男爵家の長男で嫡子だった。だが、家督は弟である叔父へゆずり、父は騎士を続けて早死してしまった。私とまだ赤ん坊だったアンベラを残して……。私は父の人生の選択に巻き込まれてしまったと、ずっと死んだ父のことを恨んでいた。父が家督を継いでいれば、私も貴族だったし、父も死んでいなかったと思う……。私は我が子に自分と同じような思いをさせたくない」
「ユークス……」
ユークスは身を屈めると、ソファに座るアルキニナの肩を抱きしめた。
「もう八ヶ月前になるか、君に師団長夫人になれと宣ったのは。あの時の私は冷静ではなかったな。念願の近衛師団長に任命されて、浮かれていた。周りがまったく見えてなかったと思う。これでは死んだ父のことをとやかく言えないな」
「仕方がないですわ、夢を叶えたところですもの」
「今はずいぶん、頭が冷えたよ。これからは君達のために生きていきたい。愛してる、アルキニナ」
「私もよ、ユークス……。私たちを選んだこと、後悔させないぐらいこれから幸せにして差し上げますわ」
「ははっ、楽しみだ」
目尻に皺を寄せて笑ったユークスは、アルキニナに触れるだけのキスを落とした。
16
お気に入りに追加
935
あなたにおすすめの小説
【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?
アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。
泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。
16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。
マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。
あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に…
もう…我慢しなくても良いですよね?
この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。
前作の登場人物達も多数登場する予定です。
マーテルリアのイラストを変更致しました。
どうも、死んだはずの悪役令嬢です。
西藤島 みや
ファンタジー
ある夏の夜。公爵令嬢のアシュレイは王宮殿の舞踏会で、婚約者のルディ皇子にいつも通り罵声を浴びせられていた。
皇子の罵声のせいで、男にだらしなく浪費家と思われて王宮殿の使用人どころか通っている学園でも遠巻きにされているアシュレイ。
アシュレイの誕生日だというのに、エスコートすら放棄して、皇子づきのメイドのミュシャに気を遣うよう求めてくる皇子と取り巻き達に、呆れるばかり。
「幼馴染みだかなんだかしらないけれど、もう限界だわ。あの人達に罰があたればいいのに」
こっそり呟いた瞬間、
《願いを聞き届けてあげるよ!》
何故か全くの別人になってしまっていたアシュレイ。目の前で、アシュレイが倒れて意識不明になるのを見ることになる。
「よくも、義妹にこんなことを!皇子、婚約はなかったことにしてもらいます!」
義父と義兄はアシュレイが状況を理解する前に、アシュレイの体を持ち去ってしまう。
今までミュシャを崇めてアシュレイを冷遇してきた取り巻き達は、次々と不幸に巻き込まれてゆき…ついには、ミュシャや皇子まで…
ひたすら一人づつざまあされていくのを、呆然と見守ることになってしまった公爵令嬢と、怒り心頭の義父と義兄の物語。
はたしてアシュレイは元に戻れるのか?
剣と魔法と妖精の住む世界の、まあまあよくあるざまあメインの物語です。
ざまあが書きたかった。それだけです。
【完結】私が王太子殿下のお茶会に誘われたからって、今更あわてても遅いんだからね
江崎美彩
恋愛
王太子殿下の婚約者候補を探すために開かれていると噂されるお茶会に招待された、伯爵令嬢のミンディ・ハーミング。
幼馴染のブライアンが好きなのに、当のブライアンは「ミンディみたいなじゃじゃ馬がお茶会に出ても恥をかくだけだ」なんて揶揄うばかり。
「私が王太子殿下のお茶会に誘われたからって、今更あわてても遅いんだからね! 王太子殿下に見染められても知らないんだから!」
ミンディはブライアンに告げ、お茶会に向かう……
〜登場人物〜
ミンディ・ハーミング
元気が取り柄の伯爵令嬢。
幼馴染のブライアンに揶揄われてばかりだが、ブライアンが自分にだけ向けるクシャクシャな笑顔が大好き。
ブライアン・ケイリー
ミンディの幼馴染の伯爵家嫡男。
天邪鬼な性格で、ミンディの事を揶揄ってばかりいる。
ベリンダ・ケイリー
ブライアンの年子の妹。
ミンディとブライアンの良き理解者。
王太子殿下
婚約者が決まらない事に対して色々な噂を立てられている。
『小説家になろう』にも投稿しています
とまどいの花嫁は、夫から逃げられない
椎名さえら
恋愛
エラは、親が決めた婚約者からずっと冷淡に扱われ
初夜、夫は愛人の家へと行った。
戦争が起こり、夫は戦地へと赴いた。
「無事に戻ってきたら、お前とは離婚する」
と言い置いて。
やっと戦争が終わった後、エラのもとへ戻ってきた夫に
彼女は強い違和感を感じる。
夫はすっかり改心し、エラとは離婚しないと言い張り
突然彼女を溺愛し始めたからだ
______________________
✴︎舞台のイメージはイギリス近代(ゆるゆる設定)
✴︎誤字脱字は優しくスルーしていただけると幸いです
✴︎なろうさんにも投稿しています
私の勝手なBGMは、懐かしすぎるけど鬼束ちひろ『月光』←名曲すぎ
君のためだと言われても、少しも嬉しくありません
みみぢあん
恋愛
子爵家の令嬢マリオンの婚約者、アルフレッド卿が王族の護衛で隣国へ行くが、任期がながびき帰国できなくなり婚約を解消することになった。 すぐにノエル卿と2度目の婚約が決まったが、結婚を目前にして家庭の事情で2人は…… 暗い流れがつづきます。 ざまぁでスカッ… とされたい方には不向きのお話です。ご注意を😓
拝啓、愛しの侯爵様~行き遅れ令嬢ですが、運命の人は案外近くにいたようです~
藤原ライラ
ファンタジー
心を奪われた手紙の先には、運命の人が待っていた――
子爵令嬢のキャロラインは、両親を早くに亡くし、年の離れた弟の面倒を見ているうちにすっかり婚期を逃しつつあった。夜会でも誰からも相手にされない彼女は、新しい出会いを求めて文通を始めることに。届いた美しい字で洗練された内容の手紙に、相手はきっとうんと年上の素敵なおじ様のはずだとキャロラインは予想する。
彼とのやり取りにときめく毎日だがそれに難癖をつける者がいた。幼馴染で侯爵家の嫡男、クリストファーである。
「理想の相手なんかに巡り合えるわけないだろう。現実を見た方がいい」
四つ年下の彼はいつも辛辣で彼女には冷たい。
そんな時キャロラインは、夜会で想像した文通相手とそっくりな人物に出会ってしまう……。
文通相手の正体は一体誰なのか。そしてキャロラインの恋の行方は!?
じれじれ両片思いです。
※他サイトでも掲載しています。
イラスト:ひろ様(https://xfolio.jp/portfolio/hiro_foxtail)
私に告白してきたはずの先輩が、私の友人とキスをしてました。黙って退散して食事をしていたら、ハイスペックなイケメン彼氏ができちゃったのですが。
石河 翠
恋愛
飲み会の最中に席を立った主人公。化粧室に向かった彼女は、自分に告白してきた先輩と自分の友人がキスをしている現場を目撃する。
自分への告白は、何だったのか。あまりの出来事に衝撃を受けた彼女は、そのまま行きつけの喫茶店に退散する。
そこでやけ食いをする予定が、美味しいものに満足してご機嫌に。ちょっとしてネタとして先ほどのできごとを話したところ、ずっと片想いをしていた相手に押し倒されて……。
好きなひとは高嶺の花だからと諦めつつそばにいたい主人公と、アピールし過ぎているせいで冗談だと思われている愛が重たいヒーローの恋物語。
この作品は、小説家になろう及びエブリスタでも投稿しております。
扉絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品をお借りしております。
僕は君を思うと吐き気がする
月山 歩
恋愛
貧乏侯爵家だった私は、お金持ちの夫が亡くなると、次はその弟をあてがわれた。私は、母の生活の支援もしてもらいたいから、拒否できない。今度こそ、新しい夫に愛されてみたいけど、彼は、私を思うと吐き気がするそうです。再び白い結婚が始まった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる