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あれから四年後
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「おめでとう、アンベラ!」
紙吹雪が舞うチャペルの前、アルキニナの目の前には純白のドレスに身を包んだユークスの妹、アンベラがいた。
「ありがとう、先生!」
「私よりも先に結婚してしまうだなんて、やりますわね」
「へへっ、運が良かったんだよ」
──あれから四年後、アンベラは十八歳で結婚した。相手は上級学校で出会った同級生で、王都でも指折りの商会の跡取り息子だった。
この国では十代後半で結婚する人間は珍しくないが、それでもアルキニナは彼女の結婚の報告を聞いて驚いた。
アルキニナにとってアンベラは、少女だった頃のイメージの方が強い。
「ユークス兄さんももうすぐ来ると思うわ」
美しく化粧を施した顔で、アンベラは微笑む。
ユークス。その単語だけでもアルキニナの胸の奥が跳ねる。今日、もしかしたら会えるかもしれないと思っていたが、アンベラの口から彼が来ると聞いて動揺してしまった。
「ええ……」
逢いたいのに、逢いたくない。相反する考えがアルキニナの中でせめぎ合う。
アルキニナとユークスは、四年前から疎遠になっていた。
(ユークス……)
アルキニナは雲一つ無い空を見上げる。
彼女はこの四年間、女領主として伯爵家領を切り盛りしてきた。苦労はそれなりにあったが、父の代から仕えてくれている家令達と協力しあい、なんとか黒字運営を続けている。
助け合える伴侶がいたら、と思うことがまったく無かったわけではない。王都の屋敷と自領の行き来は楽では無かった。領主として重い決断を下さねばならない時もあった。しかし、今では独り身で良かったかもしれないと思うことも増えた。
それでも、ユークスのことは忘れられない。
アルキニナはそっと瞼を閉じる。
四年前、アルキニナは褥を共にしたいとユークスに迫った。『避妊をしっかりするなら』と、一度はユークスも了承したものの、いざベッドの上で抱き合う段階になって彼は行為を拒否した。
アルキニナは前夫ゲラシムと交接出来なかったことが酷くコンプレックスになっており、ユークスにも拒否されたことで、瞬く間に錯乱状態に陥った。
彼女は金切り声を上げてユークスにクッションを投げつけ、二度と屋敷に現れるなと怒鳴ったのだ。
すぐにアルキニナには自分がしたことに後悔したが、再びユークスを屋敷へ呼びつけるのも悪いと思い、謝罪文だけ騎士団経由で送ってそのままになっていた。
出来ればユークス本人に詫びたいが、彼はもう自分の顔など見たくないと思っているかもしれない。
彼はせっかく自分に好意を抱いてくれていたのに、それを自ら台無しにしてしまったのだから。
「アンベラ! すまない!」
息を切らした懐かしい声が、背後から聞こえた。
アルキニナは胸を震わせながら、恐る恐る振り向く。
そこにはユークスがいた。四年前よりも身体の厚みが増しているだろうか。最後に会った時よりも、制服の袖の線が増え、胸につけた勲章がより豪奢なものになった彼がそこにいた。柔らかな風を受け、白い外套の裾がふわりと広がった。
「兄さん、遅いわよ」
「悪かった」
「近衛師団長になって忙しいのは分かるのけど、身内の結婚式ぐらいちゃんと出てよね~~!」
ユークスが近衛師団長になったことは、風の噂で知っていた。近衛騎士団発足以来二番目に若い団長で、平民ということも少し話題になっていた。
(立派になりましたわ、ユークス……)
四年前は女性的だった横顔には精悍さが加わり、ユークスは見るからに頼もしそうな大人の男性になっていた。背も少し高くなったように思える。
兄妹の会話を邪魔してはいけないとアルキニナは一歩後退り、別のところへ行こうとするとアンベラに止められた。
「先生! どこへ行くの? 兄さんと話したかったのよね?」
「そ、それは……。兄妹の会話を邪魔しては悪いと思いまして」
「そんなの気にしなくていいって! ね! 兄さん?」
「ああ。アルキニナ様、ご挨拶が遅れて申し訳ございません。ご無沙汰しております」
恭しく腰を折るユークスに涙が出そうになる。本当に立派になった。細められる瑠璃色の瞳に、胸が鷲掴みにされる。
「お久しぶりですわね、ユークス……」
アルキニナはそう言うので精一杯だった。
◆
アンベラは最初から、自身の結婚式の場で兄と恩師を再会させようと考えていたらしく、二人は今、アンベラが用意した個室にいた。結婚式場の控え室の一室で二人はテーブル越しに向かい合っていた。
(一体何をお話すればよろしいのかしら)
アルキニナは湯気が立つ紅茶のカップの中身に視線を落とす。眉尻を下げた自分の顔が映り込んでいた。
何せ、二人の最後は最悪だった。アルキニナがユークスに迫り、ユークスが土壇場になって拒否したという、男女のやりとりの中でも最低クラスの疎遠の仕方をしていた。
今思い出しても顔から火が出そうだとアルキニナはさらに背を丸めた。どうしてあの時の自分はユークスを責めてしまったのだろうか。何回後悔しても、しきれない。
「……アルキニナ様」
「は、はい!」
先に口を開いたのはユークスだった。
「四年前のことですが……本当に申し訳ありませんでした」
「い、いえ、私もごめんなさい……。あなたは何も悪くないですわ。カッとなってしまって……ごめんなさい。今思い出しても、自分が恥ずかしいですわ」
「いえ、私の方こそ、アルキニナ様への思いやりが足りませんでした。アルキニナ様はゲラシムから酷い裏切りを受けたばかりという認識が抜けていたと思います……。あの時、行為を断るにせよ、もっと言いようはあったかと……」
「顔を上げてくださいませ、ユークス。あなたには何の非もありませんわ。……私があの日、あなたへ迫った時、あなたは私のためを思って行為を断ってくださった……。それなのに、私ときたら……」
お互いに自分が悪いと言い合い、話は平行線だった。
「もうやめましょうか……。久しぶりに会ったのですから、別の話をしましょう」
何度もごめんなさいと呟くアルキニナを見かねたユークスは、ぬるくなった紅茶をひとくち口に含むとそう切り出した。
「ええ……」
「ゲラシムのことで、ご報告がございます」
「ゲラシムのこと?」
「あまり聞きたい話題ではないかもしれませんが」
「いいえ、気になりますわ」
ゲラシムは離縁後、騎士を退役した彼は父親の命で遊学に出たらしいと家令から聞いていた。
あれから四年、ゲラシムが今どうしているのか確かに気になる。社交界でも噂が流れて来ないのだ。
ユークスのことをずっと思っていたからか、正直ゲラシムを恨む気持ちはかなり薄れているが。
「アルキニナ様はコブという国をご存知ですか?」
「コブ、ですか? 確か隣の大陸にある大国がそのような名前だったような……」
「コブは同性婚が認められている国で、貴族であっても実子や親戚などの跡継ぎがいれば同性婚が可能です」
「まさか……」
「ゲラシムは、コブの貴族に嫁ぎました。相手は親子ほど歳の離れた好色家の男です。証拠の写真も手に入れました。……あまり、見ていて愉快なものではありませんが」
そう言うと、ユークスは騎士服の内ポケットから手のひらサイズの写真を何枚か取り出した。白黒だが、何が行われているのかはっきりと写し出されている。
裸になったゲラシムは、でっぷりと太った男の股間に顔を埋めていた。それだけではない。自身の尻で他の男の肉棒を咥えこんでいたのだ。
またある写真では、ゲラシムは立ったまま後ろから貫かれ、小ぶりな雄を中途半端に吃立させていた。写真に写ったどのゲラシムも、快楽に浮かされたような表情をしている。涙を流しながらとても嬉しそうだ。白黒なので分からないが、きっと肌も赤く染め上げているはずだ。
「ゲラシムは現在、好色家の夫やその客達との狂乱にふける毎日を送っているそうです」
「そう……」
ゲラシムはユークスに恋慕するぐらいなので、美青年が好きなはずだ。それなのに、写真に写った裸の男達はお世辞にも美しいとは言いがたい。ゲラシム以外は体型が崩れた脂ぎった中年の男達ばかりだ。それでもゲラシムが嬉しそうなのは、何か薬でも打たれているのかもしれない。
不思議と、男達に回されているゲラシムを見ていると胸の辺りがスッと軽くなった。彼を可哀想だとは微塵も思わない。
写真を眺めていて、ふと疑問に思った。
「この写真はどうやって手に入れたのかしら?」
「ああ、私が撮りに行きました。ゲラシムのご主人にお願いしたら、場を用意して下さったのです」
「まぁ、そうでしたの。わざわざ大変でしたわね」
「いえ、この写真でアルキニナ様の溜飲を少しでも下げることが出来たのなら、私は幸いです」
「ええ、ありがとうございます。何だか胸のあたりのつっかえが取れたような気がしますわ」
人が不幸になっている場面を見てすっきりするのはどうかと思うが、アルキニナはかつてゲラシムに一年半もの間裏切られ続けた。ゲラシムは同性愛者だということをアルキニナに隠して結婚したばかりか、ユークスを愛人にしようとしたのだ。
ユークスを前にして、中年男達に好き勝手回されたゲラシムの絶望はいかばかりか。それを想像するだけでクスクスと笑いたくなるようなむず痒い感情が沸きあがってくる。
我ながら、なんと性格の悪いことか。
「これからは、もっと前を向いて歩いていけそうですわ」
胸の中にあったつっかえが解けていくような気がする。
アルキニナの口許からは自然な笑みがこぼれた。
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