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夫の告白
しおりを挟む (ずっと……ずっと怪しいと思っておりましたわ……!)
アルキニナは整えられた垣根に身を隠しながら、東屋をじっと睨みつける。ここは王城の中庭、時刻は夜九時を少し過ぎたあたり。
アルキニナは今日、夫のゲラシムと共に夜会に招待されていた。
アルキニナの夫、ゲラシムは近衛騎士。本来ならば伯爵家の跡取り娘である彼女と結婚した段階で、彼は婚家を継ぐために騎士を退役するはずだったが、「騎士団は人手不足だから」「新人が育ったら」と何かと理由をつけ、彼は近衛騎士を続けていた。
当初、なかなか騎士を辞めないゲラシムに「責任感があることは良いことですわ」とアルキニナも理解を示していたが、少しずつそれはとある疑惑に変わっていく。
端的に言えば、ゲラシムはゲイではないかと思ったのだ。
きっかけは夜の行為だ。ゲラシムはアルキニナの裸体を目にしたり、触れたりするだけでは興奮出来なかった。ゲラシムはそのことについて「アルキニナの身体が綺麗すぎて、恐縮してしまうんだ」と申し訳なさそうに言っていた。
アルキニナも、ゲラシムは婿養子なので伯爵家の跡取り娘である自分に遠慮があるのだろうと思い、無理強いをしなかった。
しかし、結婚してから一年半が経ち、アルキニナに少しずつ不満が溜まり始める。
アルキニナなりに夫婦関係を良好なものにしたいと努力していたが、ゲラシムは「屋敷からだと登城に不便だから」と騎士団の寮へ戻ってしまった。たまに屋敷に戻ってきた時は一応アルキニナと床を共にするが、彼女に口淫などの性的な奉仕だけさせてさっさと寝てしまうことが殆ど。
尻孔に指を挿れて刺激させないと勃起できないゲラシムの姿を見るたび、アルキニナは不安になった。
騎士団での出来事をいつも嬉しそうに語るゲラシム。アルキニナは「この人は女よりも男のほうが好きなのではないか」と疑惑を抱くようになる。
ゲラシムは口では「愛しているよ」と言っても、態度ではまったく示してくれなかった。だいたい愛している女性にキスのひとつもしないなんて、あり得ないではないか。
アルキニナの不満が爆発しそうになったある日、彼女は決定的な場面を目にしてしまう。
夫婦二人で呼ばれた王城の夜会。ゲラシムは「酒を呑みすぎてしまったから夜風に当たってくるよ」と言い、大広間にアルキニナを一人残して出ていってしまった。
なかなか大広間に戻ってこないゲラシムを心配し、アルキニナは中庭まで彼を探しに行ったのだが、そこで彼女は目を疑うような場面に出くわしてしまう。
薔薇のアーチが掛かった東屋から人の声がする。
もしや誰か逢引でもしているのではないか。とっさにアルキニナは身を屈め、声のする方を見ると、そこにはアスコットタイを首に巻き、礼服を着たゲラシムがいた。が、どこか様子がおかしい。
よく見ると、ゲラシムの向かいには騎士服姿の男がいた。
(あの方は……?)
アルキニナには見覚えがあった。ゲラシムの同僚の騎士ユークスだ。白銀に輝く癖のない髪に瑠璃色の瞳。女性のように美しいと令嬢たちの間で評判の騎士だ。月明かりに浮かぶ彼の姿は確かに美しい。すらりと背が高く、脚が長い。タイトな騎士服を着こなしていた。
アルキニナは美しいユークスに思わずうっとりしかけたが、向かいにいるゲラシムの表情を見て我に返る。彼はなんとユークスを見つめて瞳を潤ませていたのだ。それはもう、初恋を迎えたばかりの乙女のように。
「ユークス……! 私はお前のことが好きなんだ」
ゲラシムは聞き捨てならない台詞を吐く。アルキニナは半分覚悟していたが、それでも眩暈がした。我が家の婿がゲイだったなんて。それも妻がいるのに同僚に恋慕して、夜会の夜に告白するような男だったなんて。ショックで倒れそうになったが、アルキニナは歯を食いしばって何とか耐えた。
「ゲラシム、何を言っているんだ。君にはアルキニナ様がいるだろう?」
既婚の同僚から愛の告白を受けたユークスは眉尻を吊り上げる。ユークスはゲラシムから一歩後ずさったが、逆にゲラシムは前屈みになる。
「アルキニナとは家のために結婚した。父上から説得されて仕方なくだ。あんな女、愛していないよ。私が愛しているのは今も昔もユークス、お前だけだ! 私はお前と恋仲になりたい!」
政略結婚はこの国ではごく当たり前に行われていた。別に本命がいるのに、家が決めた相手と泣く泣く結婚するケースは普通にある。アルキニナは自分の結婚が家同士の利益の為と理解していたつもりだったが、それでもゲラシムから「あんな女、愛していない」とはっきり言われ、ショックを受けた。愛のない政略結婚でも、彼女はこの一年半、彼と仲良くなれるように努力してきたのだ。
腹立たしいのに、何故か目に迫り上がってくるものを感じる。気がついたらアルキニナの頬には水滴がいくつも溢れ落ちていた。
ゲラシムから愛の告白を受けたユークスは、ブーツの底をカツコツと鳴らして、ゲラシムの前へ行く。
もしかして、ユークスもゲラシムのことを密かに想っていたのだろうか。アルキニナの胸に虚しさの闇が広がりかけた、その時だった。
ゴッッと乾いた音が東屋に響いた。
「かはっ……⁉︎」
ゲラシムは尻餅をつくと、片手で頬を抑える。
ユークスの拳が、ゲラシムへ打ち下ろされたのだ。
「寝言は寝てから言ってもらおうか、ゲラシム」
地を這うようなユークスの声がゲラシムへ降り注ぐ。ゲラシムを見下ろすその瑠璃色の瞳はひどく冷たかった。
「ユークス、まて、私は本気だ!」
「本気? 歴とした妻がいるのに、同僚に言いよる所業が本気だと? ふざけるな……!」
「ぐふぅっ‼︎」
ユークスはゲラシムのアスコットタイを握り締めると、無理やり立たせる。ゲラシムの鼻の穴からは一筋の血が滴っていた。
「君は今、何を言ったのか分かっているのか? アルキニナ様に隠れて私に愛人になれと言ったのだぞ!」
「お、お前を本命にしてやれないのは悪いと思っている! だが、私も家のためにアルキニナと結婚した。彼女とは離縁できない」
「誰が貴様の本命になりたいものか!」
「がっっ⁉︎」
ユークスの鋭い膝蹴りがゲラシムの腰に入る。ゲラシムは腰を抑えると、鼻血を垂れ流したままよたよたと後ずさった。
「君の気持ちは薄々感付いていた。だが、君ならば私への気持ちを捨て去り、アルキニナ様を幸せにしてくれると信じていたのに。残念だ……ゲラシム」
ユークスは項垂れるようにそう呟くと、外套を翻して去っていく。後に残されたゲラシムは、石畳の上に蹲るとうぉんうぉん声をあげて泣き出した。
一部始終を見ていたアルキニナは、ユークスの姿が見えなくなったことを確認すると、東屋へ入った。
「あ、アルキニナ……⁉︎」
突然現れたアルキニナの姿に、ゲラシムはぎょっとする。
「アルキニナ……、も、もしかして、今のやりとりを聞いていたのか?!」
「ええ、すべて見ておりましたわ。──離縁ですわね」
「り、離縁⁉︎ それは困る‼︎ 君と離縁したら実家の父上になんと言われるか……! そ、それに、ユークスに殴られて、私は目が覚めたんだ! そう、君への愛に目覚めたんだ!」
後ろへ撫で付けていた髪はぐしゃぐしゃに乱れ、鼻血と涙で顔を濡らしたゲラシムを見て、アルキニナは心底汚いと思った。なぜこんな男を亡き父は婿に選んでしまったのか全く理解ができない。たしかに家柄は悪くない。だが、こんな男を婿にしていても、家のためにはならないだろう。子作りは出来ない、騎士団は辞めない、あまつさえ男の愛人をこっそり囲おうとする。早期の離縁はよく思われないが、こんな男捨てたほうが何倍もマシだ。
「アルキニナ……! 愛してる……! 愛してるんだ!」
「おだまりなさい!」
「ひいぃっっ⁉︎」
「あなたの愛など、不要ですわ!」
バシッッ‼︎
グラシムから伸ばされた手を扇子で振るい落とすと、アルキニナは馬車へ向かってツカツカと歩き出す。
あんな男と何とか上手くやろうと頑張っていた自分が腹立たしい。屋敷へ戻ったら即、離縁状を認めなければ。
アルキニナは目尻に溜まった涙をハンカチーフで拭うと、ツンと顎を上げた。
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