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第56話 結婚式と、初めての夜
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慌ただしく時が過ぎていく。
イルダフネに来た当初は、結婚式までかなり日にちがあると考えていたアザレアだったが、実際には三ヶ月はあっという間だった。
その間にはグレンダン公国の戴冠式もあった。クレマティスに大公の座を譲る際、アザレアの父親は、アザレアが実子だと公に発表したのだ。
アザレアは今更だと思ったが、自分に不義の子との疑惑があったままでは、イルダフネ家になんらかの迷惑を掛けることがあるかもしれない。彼女はこの発表を前向きに受け止めた。
そしてとうとう、アザレアとサフタールは婚礼の日を迎える。
「アザレア、大丈夫ですか?」
全身真っ白な花嫁衣装に身を包んだアザレアは、サフタールの問いかけに無言で首を横に振った。豪奢なレースで縁取られたヴェールが揺れる。
「……。き、緊張で、震えが止まらなくて」
「無理もない。皆が私達に注目していますから」
「ど、どうしましょう……!」
「安心してください、アザレア。私が隣におりますから」
白手袋に包まれた手を、すっぽり握り込まれる。
アザレアは顔をあげた。
そこには自分と同じように、白い婚礼衣装に身を包んだサフタールがいた。
裾や襟に細かな金の模様が入った白い詰襟服は、ブルクハルト王国の伝統衣装らしい。肩から腰にかけて濃い紫色のサッシュが斜めがけされている。上背のあるサフタールにそれはもう、とてもよく似合っていた。
(さ、サフタールが素敵すぎる……!)
アザレアの胸に、ハートになった矢尻がぐさりと突き刺さる。
自分の手を取り、たおやかに微笑むサフタールが素敵すぎる。ただでさえ高鳴りが治まらない胸がさらに早鐘を打った。
アザレアは琥珀色の目をぐるぐる回す。
「サフタール、緊張を和らげる魔法とかないのでしょうか? このままでは倒れてしまいます……!」
「そんなにですか? ……待ってください」
サフタールはアザレアの手のひらを広げると、そこの上でなにやら指で書いている。魔法のスペルだろうか?
「さっ、アザレア。これをごくりと飲み込んでください」
「は、はい……!」
言われた通り、アザレアは手を口元へ持っていく。白手袋に紅が付かないよう、慎重にそれを飲み干した。
実際には何も呑み込んでいないのだが、ごくりと喉を鳴らす。
「……サフタール、今、なにをしたのですか?」
「緊張をしなくなるおまじないです。民間療法的なものですが、けっこう効果があるのですよ」
言われてみると、少しだけだが緊張感がマシになったような気がする。
「さあ、行きましょうか、アザレア」
「はい、サフタール」
アザレアがサフタールの腕に手を置くと、巨大なアーチ型の扉が開かれた。
二人が一歩前に出ると、わああっと大きな歓声があがる。
扉の外に出ると、中庭を埋め尽くさんばかりの人で溢れていた。
その誰もが、自分達の姿を見て笑顔を浮かべている。
(こんなにも大勢の人達から、祝福されている)
グレンダン公国にいた頃には想像もつかなかった光景に、目頭が熱くなった。
一緒についてきてくれたゾラは、一番手前の円卓でハンカチ片手にこちらを見上げている。彼女はすでに泣いていたようだ。
ツェーザルとリーラも、拍手をしながら瞳を潤ませている。
また、反対側の円卓には大公の座に就いたクレマティスとその妻のディルクがいた。お揃いの黒い礼服を纏っている。ディルクがクレマティスに何事か囁くと、彼は困ったように笑った。なんとも仲睦まじい。
「サフタール……!」
感動的な光景に、つい、アザレアは一つ二つ涙を頬に溢してしまった。
「ああ、アザレア。まだ泣かないでください」
「む、無理です……! だって、ゾラが……! リーラ様達も!」
サフタールが慌てて懐からハンカチを取り出す。
頬の涙が優しく拭われたが、また、新たな涙が滴り落ちた。
◆
(はぁ……。恥ずかしい)
結婚式の最中はずっと涙が止まらなかった。
でも、サフタールは嫌な顔一つせず、ハンカチで涙を拭い続けてくれた。
(もっと綺麗な顔で、誓いの口づけがしたかったわ……)
あれからイルダフネの城塞内にある教会へ行き、二人で永遠の愛を誓い合った。
魔石がふんだんに使われた、ステンドグラスから日の光が差し込む教会はそれはもう荘厳で美しく、感動で胸がいっぱいになったアザレアはまた泣いてしまったのだった。
初めての口づけがしょっぱかったのは言うまでもない。
「アザレア、落ち着きましたか?」
アザレアが寝室内でぐるぐると歩き回っていると、湯殿からサフタールが戻ってきた。
彼は頭からほかほかと湯気を出している。
正式に夫婦となった二人は、今夜から同じ寝室で眠る。アザレアはこの日を指折り楽しみにしていたのだが、いざ共寝をするとなるとまた胸の奥が早鐘を打った。
なぜなら、今夜は特別な夜だからだ。
(今夜は初夜……!)
具体的に何をするのかはゾラから聞いていて、あらかじめ心は決まっている。サフタールのことは信用しているので性行為に対する恐怖心はないが、夜の床で上手く振る舞えるかどうか、それだけは不安だった。
「サフタール、私、今夜は初夜がしたいです!」
アザレアは自分から、初夜がしたいと申し出た。
サフタールは優しいので、今夜のところはゆっくり休もうと言い出すかもしれないと思ったのだ。
「アザレア……いいのですか?」
「はい……! この三ヶ月間、ずっと今夜を楽しみにしていました!」
言ってから、破廉恥な発言だろうかと不安になったが、ここで「覚悟を決めてました」なんて言うと、サフタールが手出ししにくくなるかもしれない。
ムードよりも、サフタールが心置きなく自分に手が出せる状況へ持っていこうとアザレアは考えた。
「アザレア、ありがとうございます。あなたは本当に優しい人ですね」
「……? 優しいのはサフタールの方では?」
アザレアは首を傾げる。
二人は並んでベッドに座った。
新品のシーツはぱりっと糊が効いていて、座るとお尻が冷たい。
「そんなことはありませんよ。私はあなたの優しさに甘えてばかりだ」
アザレアの耳の下に、サフタールの無骨な手が潜り込む。「あっ」と思った時には、唇は重なっていた。
アザレアは瞼を閉じる。
教会で愛を誓った時も思ったが、唇を触れ合わせるのは心地が良い。
息苦しくなったアザレアが口を開こうとすると、ぬめるものが唇をなぞった。
それが舌だと分かったアザレアは、頬が痛くなるほど熱くさせる。
「サフタール……っ」
「いきなりすみません、でも、もう……」
「いいの。今夜はあなたの好きなように振る舞ってください。遠慮なんかしないで」
アザレアがそう言うと、サフタールは性急な手つきで、彼女の夜着のボタンを上からひとつひとつ外していく。
今夜のアザレアは下着を身につけていない。
すぐに白い肌が露わになった。
生まれたままの姿になったアザレアは、大きな枕を背にして横たわる。
上着を後ろ手に脱いだ、サフタールがすぐに覆い被さった。
「アザレア、アザレア……」
名前を呼ばれながら、手で舌で、全身を愛される。
彼はあきらかに余裕のない様子であったが、アザレアはむしろそのことを嬉しく感じた。
サフタールの邪魔にならないように、彼の黒髪をそっと撫でる。想像していたよりも、手触りは固い。
アザレアに頭を撫でられていることに気がついたらしいサフタールは、顔を上げると彼女に口付けた。
先程よりも深く、唇を重ね合わせる。
アザレアが苦しくなる前に、サフタールはまた顔を上げた。
「アザレア、愛しています……」
「私もです、サフタール」
アザレアはサフタールの滑らかな頬を、細い指先で撫でる。
イルダフネに来てからのこの三ヶ月間、本当に色々なことがあった。
ストメリナや父親のことはまだ胸の奥で燻っているが、サフタールやゾラ、イルダフネ家の人達の明るさに包まれて、アザレアは少しずつだが立ち直りつつあった。
(これから、きっと子どもにも恵まれて……もっと幸せになりたい。サフタールと)
次期侯爵夫人として、やらなくてはいけないことは山積みだ。でもきっと、サフタールと一緒なら乗り超えられるはず。
イルダフネに来た当初は、結婚式までかなり日にちがあると考えていたアザレアだったが、実際には三ヶ月はあっという間だった。
その間にはグレンダン公国の戴冠式もあった。クレマティスに大公の座を譲る際、アザレアの父親は、アザレアが実子だと公に発表したのだ。
アザレアは今更だと思ったが、自分に不義の子との疑惑があったままでは、イルダフネ家になんらかの迷惑を掛けることがあるかもしれない。彼女はこの発表を前向きに受け止めた。
そしてとうとう、アザレアとサフタールは婚礼の日を迎える。
「アザレア、大丈夫ですか?」
全身真っ白な花嫁衣装に身を包んだアザレアは、サフタールの問いかけに無言で首を横に振った。豪奢なレースで縁取られたヴェールが揺れる。
「……。き、緊張で、震えが止まらなくて」
「無理もない。皆が私達に注目していますから」
「ど、どうしましょう……!」
「安心してください、アザレア。私が隣におりますから」
白手袋に包まれた手を、すっぽり握り込まれる。
アザレアは顔をあげた。
そこには自分と同じように、白い婚礼衣装に身を包んだサフタールがいた。
裾や襟に細かな金の模様が入った白い詰襟服は、ブルクハルト王国の伝統衣装らしい。肩から腰にかけて濃い紫色のサッシュが斜めがけされている。上背のあるサフタールにそれはもう、とてもよく似合っていた。
(さ、サフタールが素敵すぎる……!)
アザレアの胸に、ハートになった矢尻がぐさりと突き刺さる。
自分の手を取り、たおやかに微笑むサフタールが素敵すぎる。ただでさえ高鳴りが治まらない胸がさらに早鐘を打った。
アザレアは琥珀色の目をぐるぐる回す。
「サフタール、緊張を和らげる魔法とかないのでしょうか? このままでは倒れてしまいます……!」
「そんなにですか? ……待ってください」
サフタールはアザレアの手のひらを広げると、そこの上でなにやら指で書いている。魔法のスペルだろうか?
「さっ、アザレア。これをごくりと飲み込んでください」
「は、はい……!」
言われた通り、アザレアは手を口元へ持っていく。白手袋に紅が付かないよう、慎重にそれを飲み干した。
実際には何も呑み込んでいないのだが、ごくりと喉を鳴らす。
「……サフタール、今、なにをしたのですか?」
「緊張をしなくなるおまじないです。民間療法的なものですが、けっこう効果があるのですよ」
言われてみると、少しだけだが緊張感がマシになったような気がする。
「さあ、行きましょうか、アザレア」
「はい、サフタール」
アザレアがサフタールの腕に手を置くと、巨大なアーチ型の扉が開かれた。
二人が一歩前に出ると、わああっと大きな歓声があがる。
扉の外に出ると、中庭を埋め尽くさんばかりの人で溢れていた。
その誰もが、自分達の姿を見て笑顔を浮かべている。
(こんなにも大勢の人達から、祝福されている)
グレンダン公国にいた頃には想像もつかなかった光景に、目頭が熱くなった。
一緒についてきてくれたゾラは、一番手前の円卓でハンカチ片手にこちらを見上げている。彼女はすでに泣いていたようだ。
ツェーザルとリーラも、拍手をしながら瞳を潤ませている。
また、反対側の円卓には大公の座に就いたクレマティスとその妻のディルクがいた。お揃いの黒い礼服を纏っている。ディルクがクレマティスに何事か囁くと、彼は困ったように笑った。なんとも仲睦まじい。
「サフタール……!」
感動的な光景に、つい、アザレアは一つ二つ涙を頬に溢してしまった。
「ああ、アザレア。まだ泣かないでください」
「む、無理です……! だって、ゾラが……! リーラ様達も!」
サフタールが慌てて懐からハンカチを取り出す。
頬の涙が優しく拭われたが、また、新たな涙が滴り落ちた。
◆
(はぁ……。恥ずかしい)
結婚式の最中はずっと涙が止まらなかった。
でも、サフタールは嫌な顔一つせず、ハンカチで涙を拭い続けてくれた。
(もっと綺麗な顔で、誓いの口づけがしたかったわ……)
あれからイルダフネの城塞内にある教会へ行き、二人で永遠の愛を誓い合った。
魔石がふんだんに使われた、ステンドグラスから日の光が差し込む教会はそれはもう荘厳で美しく、感動で胸がいっぱいになったアザレアはまた泣いてしまったのだった。
初めての口づけがしょっぱかったのは言うまでもない。
「アザレア、落ち着きましたか?」
アザレアが寝室内でぐるぐると歩き回っていると、湯殿からサフタールが戻ってきた。
彼は頭からほかほかと湯気を出している。
正式に夫婦となった二人は、今夜から同じ寝室で眠る。アザレアはこの日を指折り楽しみにしていたのだが、いざ共寝をするとなるとまた胸の奥が早鐘を打った。
なぜなら、今夜は特別な夜だからだ。
(今夜は初夜……!)
具体的に何をするのかはゾラから聞いていて、あらかじめ心は決まっている。サフタールのことは信用しているので性行為に対する恐怖心はないが、夜の床で上手く振る舞えるかどうか、それだけは不安だった。
「サフタール、私、今夜は初夜がしたいです!」
アザレアは自分から、初夜がしたいと申し出た。
サフタールは優しいので、今夜のところはゆっくり休もうと言い出すかもしれないと思ったのだ。
「アザレア……いいのですか?」
「はい……! この三ヶ月間、ずっと今夜を楽しみにしていました!」
言ってから、破廉恥な発言だろうかと不安になったが、ここで「覚悟を決めてました」なんて言うと、サフタールが手出ししにくくなるかもしれない。
ムードよりも、サフタールが心置きなく自分に手が出せる状況へ持っていこうとアザレアは考えた。
「アザレア、ありがとうございます。あなたは本当に優しい人ですね」
「……? 優しいのはサフタールの方では?」
アザレアは首を傾げる。
二人は並んでベッドに座った。
新品のシーツはぱりっと糊が効いていて、座るとお尻が冷たい。
「そんなことはありませんよ。私はあなたの優しさに甘えてばかりだ」
アザレアの耳の下に、サフタールの無骨な手が潜り込む。「あっ」と思った時には、唇は重なっていた。
アザレアは瞼を閉じる。
教会で愛を誓った時も思ったが、唇を触れ合わせるのは心地が良い。
息苦しくなったアザレアが口を開こうとすると、ぬめるものが唇をなぞった。
それが舌だと分かったアザレアは、頬が痛くなるほど熱くさせる。
「サフタール……っ」
「いきなりすみません、でも、もう……」
「いいの。今夜はあなたの好きなように振る舞ってください。遠慮なんかしないで」
アザレアがそう言うと、サフタールは性急な手つきで、彼女の夜着のボタンを上からひとつひとつ外していく。
今夜のアザレアは下着を身につけていない。
すぐに白い肌が露わになった。
生まれたままの姿になったアザレアは、大きな枕を背にして横たわる。
上着を後ろ手に脱いだ、サフタールがすぐに覆い被さった。
「アザレア、アザレア……」
名前を呼ばれながら、手で舌で、全身を愛される。
彼はあきらかに余裕のない様子であったが、アザレアはむしろそのことを嬉しく感じた。
サフタールの邪魔にならないように、彼の黒髪をそっと撫でる。想像していたよりも、手触りは固い。
アザレアに頭を撫でられていることに気がついたらしいサフタールは、顔を上げると彼女に口付けた。
先程よりも深く、唇を重ね合わせる。
アザレアが苦しくなる前に、サフタールはまた顔を上げた。
「アザレア、愛しています……」
「私もです、サフタール」
アザレアはサフタールの滑らかな頬を、細い指先で撫でる。
イルダフネに来てからのこの三ヶ月間、本当に色々なことがあった。
ストメリナや父親のことはまだ胸の奥で燻っているが、サフタールやゾラ、イルダフネ家の人達の明るさに包まれて、アザレアは少しずつだが立ち直りつつあった。
(これから、きっと子どもにも恵まれて……もっと幸せになりたい。サフタールと)
次期侯爵夫人として、やらなくてはいけないことは山積みだ。でもきっと、サフタールと一緒なら乗り超えられるはず。
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