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第34話 サフタールの兄弟

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「サフタール、大丈夫ですか? 外の空気を吸いに行きましょう」
「申し訳ないですね……アザレア」

 サフタールは馬車に酔ってしまったのか、その顔はすっかり青ざめている。アザレアはサフタールにぴったりと寄り添う。
 
 (思えば、サフタールと馬車に乗ったのは今日が初めてかもしれない……)

 外出の際、アザレアはいつも馬車に乗っていたが、サフタールは馬に跨っていた。周囲を警戒するためだと言っていたが、もしかしたら乗り物が苦手なのかもしれない。

 馬車を出た二人は、気分転換にブルクハルト城の堀の周辺を歩くことにした。少し離れた場所で、兵達が二人を見守っている。
 ブルクハルト城は堀の周辺も美しく、等間隔に樹木が植えられていた。夕日を受け、橙に染まった石畳の上を二人で歩く。

「アザレア、少し耳を貸してもらっても?」
「はい」

 サフタールの顔が近づく気配がして、アザレアは思わず肩を震わせてしまった。自分から触れにいく分には大丈夫なのだが、サフタールから近づかれるとどうしても意識してしまう。夫婦になるのにこれではいけないと思うが、鼓動が早まるのを止められない。
 
 (……近づかれるのを嫌がっていると思われたら、どうしようかしら)

 アザレアは心配になったが、サフタールは特に気にした様子もなく、彼女にそっと耳打ちした。

「……実は、危険を予知しています」
「えっ……!」

 驚くアザレアに、サフタールは長い人差し指を唇の前で立てる。アザレアは慌てて声量を落とした。

「だから、体調を悪くされているのですか?」
「……はい。複数の危険が迫っているのです」
「複数……ストメリナ絡みでしょうか?」

 護衛の兵達に話している内容が聞こえないよう、二人は囁くような声を出す。
 
「そうです。ディルク殿とストメリナ様が洞窟のような場所で争う姿が見えました。おそらく、あれは魔石鉱山でしょう。……今日行われるのは、王国と公国が共同発掘を行っている魔石鉱山の記念式典。明日にでも、ストメリナ様が魔石鉱山の見学を望む可能性は十分ある」
「朱い魔石のことも、ストメリナはもう知っているかもしれませんよね……」

 イルダフネには間者が送り込まれているとディルクは言っていた。何もかもがストメリナに筒抜けになっていると考えたほうがいいかもしれない。

「他にも、クレマティス将軍が泣いている姿や、大公閣下が高笑いをしている姿も見えました。二人がなぜ、そのようなことになっているのか、理由は分からないのですが……」

 そう話す、サフタールの薄紫色の瞳が揺れている。不安でしょうがないと、その顔には書いてあった。
 アザレアはサフタールが話した内容に対し、どう言ったら良いのか分からなかった。だが、不確定なことでも話してくれたことに対し、礼を言おうと思った。

「話してくださってありがとうございます、サフタール」
「私の危険予知は万能ではありません。外れることもあります。あなたに余計な心配をさせたくないとも思ったのですが……」
「いいえ、不安なことがあったらどんどん吐き出してください。私はあなたの妻になるのですもの。辛いことでも、共有してもらえたら嬉しいです」

 アザレアはサフタールの片手を取ると、両手で包む。
 日が沈みかけている時間帯。冷たい風が吹き始めている。手袋越しでも、サフタールの手が冷えているのが分かる。

「ありがとうございます、アザレア……。今、あなたが隣にいてくださって本当に良かった」

 礼を言うサフタールの顔色は、こころなしか良くなっているように見えた。

「また、何か見えたら教えてください。一緒に対処方法を考えましょう」
「そうですね。まずはディルク殿と会わないと」

 二人は並んで護衛の兵達の元へ戻る。
 幸い、兵達に不審がられた様子はない。結婚が近い若い男女が、夕暮れの美しい光景を束の間楽しんでいたと思われたのだろう。

 アザレアはサフタールのエスコートを受け、白い石目調の大階段を登り、城内へ入る。エントランスには式典用の制服を着た近衛兵達がずらりと並んでいた。
 アザレアは大公の娘だが、傅かれたことが殆どない。近衛兵達に敬礼されると恐縮してしまう。緊張しながらエントランスを進んでいく。

「兄上っ!」

 突然聞こえた声に、アザレアは顔を上げる。

 (兄上……?)

 エントランスの奥から、黒髪の少年がこちらへ向かって来ているのが見える。頭には金のサークレットが乗っていて、一目で高貴な存在だと分かった。

 (あの方は、もしかして王太子殿下?)

 アザレアは、隣りに立つサフタールを見上げた。

「殿下……」
「ねえ、隣の方が奥方様でしょう?」
「は、はい、アザレア・エトムント・グレンダンと申します」
「堅苦しい挨拶はいいよ、姉上。僕はオイゲン・フォン・ブルクハルト。サフタールの弟です」

 アザレアが咄嗟にドレスの裾を摘み淑女の礼をしようとすると、オイゲンと名乗った少年は手のひらを向けて横に振る。

「殿下。このような場所で私を兄と呼ぶのはお控えください」
「何でだよ。誰が何と言おうと兄上は僕の兄上だ。堂々と呼んで何が悪い?」

 (似ているわ……)

 アザレアは無礼だと思いながらも、サフタールとオイゲンを交互に見てしまう。オイゲンはサフタールと同じ艶のある黒髪をしていて、瞳もアメジストを思わせる薄紫色をしている。
 サフタールは騎士のように立派な体躯をしているが、彼をもっとほっそりさせて、背を低くさせれば、オイゲンになる。それぐらい二人はよく似ていた。

「お二人とも、とてもよく似ていらっしゃいますね……」
「アザレア!」
「ご、ごめんなさい、つい」

 思わずそう溢してしまったアザレアに、サフタールの困ったような声が飛んでくる。

「でしょ? 隠しても無駄なんだって。兄上と僕はそっくりなんだからさあ。……ねえ、式典が始まるまで僕の部屋で話さない?」
「申し訳ありません、殿下。式典の前にグレンダン家の皆様に挨拶がしたいと考えておりまして」
「ああ……。色々見つかったもんね」

 オイゲンも朱い魔石が見つかったことを知っているらしい。
 グレンダン家の客室の場所をサフタールへ伝えると「またね」と言って、彼はあっさり去っていった。

「すごく、気さくな方ですね……」

 オイゲンの姿が見えなくなると、アザレアははぁっと腹から息をはきだした。

「そうですね。たまに殿下の交友能力の高さが羨ましくなります。……私は内気なので」
「そうなのですか?」

 サフタールは十年前に公国の城の中庭で出会った時も、半月前にイルダフネ港で再会した時も、感心するぐらい誠実に対応してくれたとアザレアは思っている。
 だから、内気だと溢したサフタールに驚いた。

「……はい。なので、アザレアに仲良くしてもらえて本当に嬉しく思っています。打ち解けてもらえなかったらどうしようって、婚約が決まってからアザレアが我が家に来るまでずっと……夜もろくに眠れなくて」

 サフタールの殊勝すぎる言葉に、アザレアの胸はどうしようもなく締め付けられる。
 彼の自信なさげな発言を男らしくないと言う人がいるかもしれない。次期領主ならばもっと堂々としていた方がいいと。
 しかし、アザレアは内にある気持ちをきちんと言葉に出来るサフタールのことを偉いと思っている。すごいと思っている。なかなか出来ることではない。

 (サフタールのこと、こんな風に思うのは間違っているかもしれないけど……)

 サフタールが可愛すぎる。
 アザレアは十八年生きていて、はじめてえというものを覚えていた。
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