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第25話 弱みを握ったはずなのに
しおりを挟む「クレマティス将軍……今、なんと?」
「聞こえてしまいましたか……」
クレマティスは広い肩をがっくり落とす。
聞こえるもなにも、はっきり言っていたじゃないかとディルクは言い返したかったが、明らかに気落ちした様子のクレマティスに、ぐっと本音を飲み込む。
「……先ほどあなたと交わした口づけが、私のはじめての口づけです」
ディルクは、憂いを帯びたクレマティスの表情に、彼の発言が冗談ではなく本気だということを思い知る。
背を仰け反らせるディルクのこめかみに、焦りの汗が滴り落ちた。
(やべぇな……)
ディルクが、偽の証拠づくりの相手にクレマティスを選んだのには理由がある。
クレマティスは次期大公。公国は歴史の浅い新興国のためか同性婚が認められているが、それでも次期大公に男の恋人がいると世間に誤解されれば、スキャンダルになるのは避けられない。
ディルクはクレマティスの弱みを握るため、彼に口づけたのだ。要人の弱みはいくら握っていても困らない。
だが、クレマティスが口づけすらしたことがなかったのは計算外だった。彼は公国女性の関心の中心で、国内外問わず世界中の令嬢や王女が、彼の正妻の座を狙っている。
ディルクは苛立たしげに、癖のある前髪をがしがしと掻く。胸には罪悪感と後悔が広がる。
「何でサフタール殿もクレマティス将軍も童貞なんですか……! モテるでしょう? 女に不自由しないはずだ」
「結婚前に下手に女性と付き合えば、家の迷惑になる恐れがある。サフタール様は養子ですし、なおさらイルダフネ家のことを考えたでしょう。私もです。妻にできない女性と愛を交わしては、トラブルになる」
(家のため、か……)
帰る家のないディルクにとって、もっとも気に入らない理由だった。サフタールもクレマティスも背負う家の為に身綺麗にしていた。
ディルクはフンと鼻を鳴らすと、クレマティスへ手のひらを差し出す。
「クレマティス将軍、俺を雇いませんか?」
「いきなり何を?」
「大公閣下はじきに引退なさる。ストメリナも討たれることでしょう。そうすれば俺の飼い主はいなくなります」
「自由に生きればいいのでは? あなたには魔法があるし、それに特殊能力だって……」
「俺はずっと強いものに尻尾を振って生きてきたのです。今さら自分の意思で行動することなど出来ません」
「そんなことはない」
「そんなことはあります。クレマティス将軍」
(……まっすぐな瞳だ。腹立たしいほどに)
公国軍の将軍クレマティスは、家柄が良いだけのお飾りの長だと思っていた。次期大公に選ばれたのも、宰相である父親の力だと考えていたが、この実直さはある意味武器かもしれない。
(弱みを握って利用してやろうと思っていたが、いっそ懐に入るのも悪くないかもしれないな)
ディルクは口端を吊りあげる。
だが、クレマティスは彼の手を取らなかった。
「あなたには自由に生きる権利がある。今はまだ道が見えなくても」
「……胡散臭い俺とは関わり合いになりたくないと?」
「そうは言っていません。そうですね……では」
クレマティスは曲げた指を顎に当てる。
「私が大公になったら、あなたに勅命状を書きます」
「はっ? 勅命状?」
「あなたを正式に私の家臣として迎え入れます」
クレマティスの提案に、ディルクは固まった。
「いや、俺はそういうことを言ってるんじゃなくて……」
「戦船の中で、帰るところがないと何度も言っていたでしょう? 私が正式に用意します。あなたの居場所を」
(まさか、ここまで実直とは……)
開いた口が塞がらないとはまさにこの事だ。クレマティスはディルクの言っていた自嘲混じりの愚痴を間に受け……いや、真実なのだが、正式に地位を用意しようとしている。
「俺を憐れんでいるのですか」
「違います。あなたの処世術や特殊能力を目にして思いました。私は世間というものを知らないと」
「……俺が世の中の汚いところばかり見ているだけですよ」
「私に、あなたが見えている世界を教えてほしい。私は……自分で言うのもなんだが、綺麗ごとで作られた世界で生きてきました。次期大公として、これではいけないと思う……」
(不器用だな)
次の大公になるのなら、もっと威風堂々と振る舞えないものかと呆れた。並の人間なら、偉そうにするものだろう。だが、クレマティスはあくまでディルクを敬う。
「……分かりました。勅命状でもなんでも送ってください。血判を押して差し上げますよ」
ディルクは、今までにないほど晴れやかな気分でそう答えた。
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