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第17話 焦燥感
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「船旅って退屈ですねえ。クレマティス将軍、ちょっと喋りませんか?」
イルダフネ領へ向かう戦船にて。ディルクは酒瓶を持ってクレマティスの部屋までやってきた。
「……私は業務中ですが」
「少しぐらい良いじゃないですか。俺は帝国の王子ですよ? ……ま、妾の子ですけど」
クレマティスは短くため息をつくと、仕方なくディルクを自分の部屋へ入れた。廊下でくだを巻かれても迷惑だからだ。
ディルクからは強い酒精の匂いがした。どうもすでに酔っているらしい。彼はローテーブルの上に酒瓶を置くと、どかっと音を立ててソファに座り込んだ。
「はぁ~あ。やっと大嫌いなストメリナから離れられた……。せいせいしますよ、ほんと」
「……なぜ、あなたはストメリナ様へ近づいたのです? 遊学先の魔法研究所では優秀な成績をおさめていたと伺っていますが」
ディルクは女関係はだらしないが、魔道士としては有能で、二十歳にしてエレメンタルマスターの取得も夢ではないと言われている。エレメンタルマスターは四大属性を極めた魔道士へ贈られる称号で、魔法大国のブルクハルト王国でも百名ほどしかいない。
ストメリナや他の令嬢達相手に男娼の真似事などしなくとも、国に戻れば要職に就けるのではないか。
真面目なクレマティスはそのように考えたが、ディルクはハッと鼻で笑った。
「俺はね、帝国には居場所がないのです。公国で女に媚びを売って、要職を得ようと考えていたのですが……。もう、どうでもよくなっちゃいましたね」
「帝国に居場所がない?」
「妾の、それも八番目の王子です。役目などあるわけないでしょう?」
(妾の子、か)
公国軍の将校にも、貴族の庶子は珍しくない。ディルクのように自分の生まれを堂々と嘆く人間は見たことがないが、皆大なり小なり実家との関係で苦労しているという話は聞いている。
「……アザレア様は可哀想だったな。母のことを思い出しましたよ」
首元のクラバットを緩め、背を丸めたディルクは、自分の母親の過去をぽつりぽつりと語り出す。
「俺の死んだ母は平民でした。城で下働きしていたところを皇帝に見初められましてね、後宮入りしたのですが……まあ、酷く虐められたそうです。他の側女達にね」
皇帝の寵愛を得ようとぎらついている女達の、溜まった鬱憤のはけ口にされていたとディルクは吐き捨てる。
「アザレア様は母と一緒だと思いました。母は好き好んで後宮入りしたわけじゃない。それなのに、平民だと虐げられて……病みやつれて亡くなりました。アザレア様も、望んでエトムント公爵家に生まれたわけじゃない……」
「ディルク様……」
「アザレア様の朱い髪は彼女のせいではないのに、不義の子と言われて虐げられる。なんて理不尽なんだと俺は思いましたよ。助けてやりたい、どうにかしてやりたいと思いました。でも、結局何も出来なかった……」
(……この方も、私と同じだったのか)
理不尽なめに遭っているアザレアを可哀想に思い、助け出したいと考えていた。……だが、何も出来なかった。
「情けないですよねえ。俺も、……大公閣下も」
「大公閣下も?」
「大公閣下もでしょう? アザレア様の不憫な境遇を何とかしてやりたいと密かに思っていたのに、ストメリナを十数年も野放しにした。俺もです。アザレア様に子どもじみた虐めを繰り返すストメリナを諌めることすら出来なかった。情けない……うっうぅっ」
よほど酔っているのか、ディルクは手で口を覆うと嗚咽を漏らし始めた。
クレマティスはテーブルにあったボトルの水をグラスに注ぐと、それをディルクに握らせる。
「どうぞ、水です」
「ああ、ありがとう……」
ディルクはグラスの水を煽る。それはあっという間に空になった。水を飲み干した彼はぷはっと息をはく。
「……ストメリナは顔と心は醜いが、血統だけは良いですからね。大公閣下も、帝国の元王女を母に持つ彼女に今まで手出し出来なかったのでしょう。それは分かります。でもね、それでも何かやりようがあったでしょう……!」
ディルクはドンッとローテーブルを叩く。
「ディルク様、呑みすぎですよ。そろそろ休まれたほうが……」
「俺は酔ってなどいませんよ!」
(よっぽど鬱憤が溜まっていたのだな……)
嫌いな女に愛を囁く。
想像しなくともぞっとする。
自分には絶対に出来ないとクレマティスは思う。
「……あーあ、俺に力があったらな。アザレア様を娶って、帝国に連れて帰れたのに。まったく……。王国の、それも一介の貴族の男に盗られてしまうなんて最悪だ」
「アザレア様が嫁ぐ家はブルクハルト王国の筆頭貴族であるイルダフネ家。それに嫡子のサフタール様は誠実な人柄だと評判です」
「だからなんですかぁ? クレマティス将軍は悔しくないんですか? 貴公だって、好きだったでしょ? アザレア様のことが」
(……ばれていたのか)
クレマティスは肯定も否定もせず、ディルクを睨みつける。一呼吸置くと、クレマティスは話題を変えた。
「……イルダフネへ着いたら、アザレア様とサフタール様に何をどこまで話されるおつもりですか?」
「それは将軍には言えませんねえ」
「言えぬのなら、これ以上お送りすることは出来かねます」
クレマティスが凄むと、ディルクは肩を竦める。
「やれやれ……。とりあえず、ストメリナの企みについては話すつもりですよ。アザレア様の命が掛かっていますからね。あと、向こうは気がついているでしょうけれど、イルダフネ家へストメリナの間者が入り込んでいることも言います」
「向こうが気がついている? サフタール様がですか?」
「……ええ。アザレア様とゾラ殿が使っている客室に間者が魔道具の盗聴器を仕掛けたのですが、サフタール殿は即破壊していました。間者の存在に気がついているとみて間違いないでしょう」
「なぜ、間者を排除しようとしないのですか?」
「泳がせているのか、それとも結婚前で大ごとにしたくないのか……。まあ両方でしょうね。ストメリナにバレても問題のない情報だけ敢えて流している。そんな印象を受けました」
「…………」
(私は、何も知らない……)
公国軍を率いる立場だというのに、何も知らなさすぎるのではないか。
クレマティスの胸に焦燥感が沸く。このままではいけないと思った彼は口を開いた。
「私も、イルダフネの城塞へ参ります」
イルダフネ領へ向かう戦船にて。ディルクは酒瓶を持ってクレマティスの部屋までやってきた。
「……私は業務中ですが」
「少しぐらい良いじゃないですか。俺は帝国の王子ですよ? ……ま、妾の子ですけど」
クレマティスは短くため息をつくと、仕方なくディルクを自分の部屋へ入れた。廊下でくだを巻かれても迷惑だからだ。
ディルクからは強い酒精の匂いがした。どうもすでに酔っているらしい。彼はローテーブルの上に酒瓶を置くと、どかっと音を立ててソファに座り込んだ。
「はぁ~あ。やっと大嫌いなストメリナから離れられた……。せいせいしますよ、ほんと」
「……なぜ、あなたはストメリナ様へ近づいたのです? 遊学先の魔法研究所では優秀な成績をおさめていたと伺っていますが」
ディルクは女関係はだらしないが、魔道士としては有能で、二十歳にしてエレメンタルマスターの取得も夢ではないと言われている。エレメンタルマスターは四大属性を極めた魔道士へ贈られる称号で、魔法大国のブルクハルト王国でも百名ほどしかいない。
ストメリナや他の令嬢達相手に男娼の真似事などしなくとも、国に戻れば要職に就けるのではないか。
真面目なクレマティスはそのように考えたが、ディルクはハッと鼻で笑った。
「俺はね、帝国には居場所がないのです。公国で女に媚びを売って、要職を得ようと考えていたのですが……。もう、どうでもよくなっちゃいましたね」
「帝国に居場所がない?」
「妾の、それも八番目の王子です。役目などあるわけないでしょう?」
(妾の子、か)
公国軍の将校にも、貴族の庶子は珍しくない。ディルクのように自分の生まれを堂々と嘆く人間は見たことがないが、皆大なり小なり実家との関係で苦労しているという話は聞いている。
「……アザレア様は可哀想だったな。母のことを思い出しましたよ」
首元のクラバットを緩め、背を丸めたディルクは、自分の母親の過去をぽつりぽつりと語り出す。
「俺の死んだ母は平民でした。城で下働きしていたところを皇帝に見初められましてね、後宮入りしたのですが……まあ、酷く虐められたそうです。他の側女達にね」
皇帝の寵愛を得ようとぎらついている女達の、溜まった鬱憤のはけ口にされていたとディルクは吐き捨てる。
「アザレア様は母と一緒だと思いました。母は好き好んで後宮入りしたわけじゃない。それなのに、平民だと虐げられて……病みやつれて亡くなりました。アザレア様も、望んでエトムント公爵家に生まれたわけじゃない……」
「ディルク様……」
「アザレア様の朱い髪は彼女のせいではないのに、不義の子と言われて虐げられる。なんて理不尽なんだと俺は思いましたよ。助けてやりたい、どうにかしてやりたいと思いました。でも、結局何も出来なかった……」
(……この方も、私と同じだったのか)
理不尽なめに遭っているアザレアを可哀想に思い、助け出したいと考えていた。……だが、何も出来なかった。
「情けないですよねえ。俺も、……大公閣下も」
「大公閣下も?」
「大公閣下もでしょう? アザレア様の不憫な境遇を何とかしてやりたいと密かに思っていたのに、ストメリナを十数年も野放しにした。俺もです。アザレア様に子どもじみた虐めを繰り返すストメリナを諌めることすら出来なかった。情けない……うっうぅっ」
よほど酔っているのか、ディルクは手で口を覆うと嗚咽を漏らし始めた。
クレマティスはテーブルにあったボトルの水をグラスに注ぐと、それをディルクに握らせる。
「どうぞ、水です」
「ああ、ありがとう……」
ディルクはグラスの水を煽る。それはあっという間に空になった。水を飲み干した彼はぷはっと息をはく。
「……ストメリナは顔と心は醜いが、血統だけは良いですからね。大公閣下も、帝国の元王女を母に持つ彼女に今まで手出し出来なかったのでしょう。それは分かります。でもね、それでも何かやりようがあったでしょう……!」
ディルクはドンッとローテーブルを叩く。
「ディルク様、呑みすぎですよ。そろそろ休まれたほうが……」
「俺は酔ってなどいませんよ!」
(よっぽど鬱憤が溜まっていたのだな……)
嫌いな女に愛を囁く。
想像しなくともぞっとする。
自分には絶対に出来ないとクレマティスは思う。
「……あーあ、俺に力があったらな。アザレア様を娶って、帝国に連れて帰れたのに。まったく……。王国の、それも一介の貴族の男に盗られてしまうなんて最悪だ」
「アザレア様が嫁ぐ家はブルクハルト王国の筆頭貴族であるイルダフネ家。それに嫡子のサフタール様は誠実な人柄だと評判です」
「だからなんですかぁ? クレマティス将軍は悔しくないんですか? 貴公だって、好きだったでしょ? アザレア様のことが」
(……ばれていたのか)
クレマティスは肯定も否定もせず、ディルクを睨みつける。一呼吸置くと、クレマティスは話題を変えた。
「……イルダフネへ着いたら、アザレア様とサフタール様に何をどこまで話されるおつもりですか?」
「それは将軍には言えませんねえ」
「言えぬのなら、これ以上お送りすることは出来かねます」
クレマティスが凄むと、ディルクは肩を竦める。
「やれやれ……。とりあえず、ストメリナの企みについては話すつもりですよ。アザレア様の命が掛かっていますからね。あと、向こうは気がついているでしょうけれど、イルダフネ家へストメリナの間者が入り込んでいることも言います」
「向こうが気がついている? サフタール様がですか?」
「……ええ。アザレア様とゾラ殿が使っている客室に間者が魔道具の盗聴器を仕掛けたのですが、サフタール殿は即破壊していました。間者の存在に気がついているとみて間違いないでしょう」
「なぜ、間者を排除しようとしないのですか?」
「泳がせているのか、それとも結婚前で大ごとにしたくないのか……。まあ両方でしょうね。ストメリナにバレても問題のない情報だけ敢えて流している。そんな印象を受けました」
「…………」
(私は、何も知らない……)
公国軍を率いる立場だというのに、何も知らなさすぎるのではないか。
クレマティスの胸に焦燥感が沸く。このままではいけないと思った彼は口を開いた。
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