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第二部

里帰り

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 そんなこんなで。
 あの後、「どうしてもユージェニーが心配だから……」とサイラスに再び拝み倒され、ユージェニーとしてオートニ家へ里帰りすることになってしまった。
 とは言っても。私一人でオートニ家へ行っては、ユージェニーに引き止められてサイラスの元へなかなか戻れなくなってしまうかもしれない。心苦しいけど、サイラスにも一緒に来てもらうことにした。
 私たちは来月、新婚旅行を控えていた。さくっとユージェニーの様子を見に行って、ぱぱっとクレマント領に戻ってくる必要があったのだ。
 姉妹同然の仲だった従姉妹ユージェニーより、大好きな夫との新婚旅行を優先させたい私は、やっぱり恋に溺れた愚か者かもしれない。やっと掴んだ女の幸せとはいえ、私は……薄情者だ。

「ごめんなさい、旦那様」
「……いいんだ。それにジャンがいる屋敷に君を一人で行かせるわけにはいかないからな」

 オートニの屋敷へ向かう豪奢な四頭馬車のなか、サイラスは私の隣で雪がちらつく窓の外をみつめていた。彼はジャンが私のことを好きなのではないかと勘ぐっていた。

 ──いくらなんでもそれはないでしょ……。

 たしかにジャンはシスコンだ。誰がどうみても実の妹を溺愛している。ユージェニーのことを「俺の妹がこんなに可愛いだなんて……! これは奇跡だ!」と言って憚らない。……だとしても。
 私自身、ジャンと色っぽい展開になったことなど一度もないのだ。今まで幾度となく二人きりになったにも関わらず、だ。
 それをサイラスに言ったら「君は無用心すぎる!」と珍しく怒られてしまった。
 愛する人にやきもちを焼かれるのは嬉しいことだと今まで思っていたけど、意外と厄介だった。

「旦那様は勘ぐりすぎですっ」

 馭者に声が聞こえないように、私は小声で文句を言った。それでも念のため、彼の呼び名は『旦那様』にした。

「君は心根の良い、美しいひとだ。……男なら誰でも傾くさ」
「……まったくそんなことありませんけどね」

 心根が良いだなんてとんでもない。自分でははじめての恋に浮かれてる、哀れな元・干物女だと思っている。過去の自分が今の自分を見たら、鼻で笑い飛ばすと思う。それか、周りを冷静に見れなくなっていると叱責するかもしれない。
 正直今も、ユージェニーの心配よりも来月予定している新婚旅行に滞りなく行けるかどうか、その事ばかり気にしていた。新婚旅行はサイラスと思う存分従者の目を気にせずいちゃいちゃ出来る絶好の機会だと楽しみにしていたのだ。
 さらに本音を言うと、サイラスがユージェニーの心配をするのもめっちゃくちゃ気にいらない。

 ──私も人のこと言えないわね。

 私も嫉妬深い人間だったということに、サイラスと出会ってはじめて自覚した。ユージェニーとうまく行かなかったことをいつまでも悩んでいるサイラスにやきもきした。そして、私への罪悪感で寝込んでいるユージェニーのことを、本気で心配している彼のお人好しっぷりに呆れている。ユージェニーのせいでひどい濡れ衣を着せられたというのに。ユージェニーに怒りを抱いてもいいのに。なんで彼はユージェニーに腹が立たないのだろう?

 ──でも、サイラスがお人好しじゃなかったら。

 私は今ごろ、彼の妻の座に座れていなかっただろう。それどころか、大貴族の権限で実家もろとも取り潰しに遭っていたかもしれない。
 理由はどうであれ、私は彼を欺こうとしたからだ。花嫁の入れ替わりなんて、物語ではよく聞く題材だけど実際には大罪だと思う。

「……オートニの屋敷が見えてきたな。懐かしい」

 窓の外、雪が半分つもった赤い屋根の屋敷が視界に入ってきた。四ヶ月前、私はユージェニーと自分の家族に見送られて、この屋敷から旅立った。四頭馬車に一人で乗ったのははじめてだった。並走して走る騎馬に守られながら、私は馬車のなかで涙をこらえていたっけ。

「旦那様も、オートニの屋敷に来られたことが?」
「……ああ、寄宿舎に入る前は何度か。あの頃は良かったな」

 もしかしたら、幼い頃にサイラスに会っていたかもしれない。しかし、どの子どもがサイラスだったのか、記憶が定かじゃない。
 ユージェニーの両親は、やたら屋敷に近隣の貴族子息を呼んでいた。私をユージェニーと間違えて声をかけるお坊ちゃんは一人や二人ではなかった。それにサイラスのように、黒髪で青い目の人間も珍しくない。

「もしかしたら、俺たちは出会っていたかもしれないな」
「……そうですね」

 私もサイラスも、共通の過去がないか探す癖があった。こんなに近くにいたのだから、どこかで出会っていたのではないか、と。

 ──私がユージェニーだったら。

 記憶の引き出しをたくさん開けて。それでも何も出てこない時に考えるのは、自己否定だ。自分がユージェニーだったら。彼も私も幸せな十五年間を過ごせたのに。いや、もっと早くに籍を入れることだって出来たかもしれない。

 いつの間にやら、ドレスに皺が出来るぐらい膝を握りしめていたらしい。私よりもずっと大きな手が、すっぽり包み込むように重ねられた。

「……大丈夫だ。上手くやろう」

 耳元で囁かれた。「はい」と、私は自分の膝を見つめながら頷くことしかできなかった。
 夫を好きすぎるのも考えものだ。夫に関わるもの、すべてが欲しくなるから。それは過去でさえも。




 ◆
 



「ユージェニー! 無事だったか!」

 オートニの屋敷。大仰な台詞を口にしながら私たちを出迎えたのは、ユージェニーの次兄、ジャンだった。

「ジャン……お兄様」

 ジャンは私を抱きしめようとしたけど、その手は隣にいたサイラスによって制止されてしまった。

「クレマント卿……。我々は四ヶ月ぶりに再会を果たした兄妹なのです。抱擁を許しては頂けませんか?」

 言葉使いは丁寧だが、ジャンの声色は地を這うようなものだった。サイラスへの敵意を隠そうともしない。サイラスもサイラスで、目はあきらかに座っていた。

「……エメリーヌに、私の妻に触らないで頂きたい」
「……ほう、ロイドから聞いておりましたが、本当に妹たちの入れ替わりを黙認しておられるのですね」

 いきなり私たちの入れ替わりを知っている発言をするサイラス。まあ、フリオにも知られてしまったのだ。じいやはもっと前から知っているし、自動的にオートニ家にも伝わるだろう。 

 ……分かっていても、心臓に悪いけど。

 二人が発する不穏な雰囲気にはらはらした。ジャンは口は悪いけど根は紳士だし、サイラスは普段はおだやかな人なので表立った喧嘩はしないとは思うが。
 

 久しぶりに足を踏み入れたオートニ家。クレマントの豪奢な屋敷で毎日を過ごしていると、とても質素な内装に思えた。実家とこの屋敷を行き来していた頃は、ここは豪邸に思えたのに、と何だか上から目線なことを考えてしまった。

「エメリーヌ、申し訳ないが一人でユージェニーと会って貰えないか? 部屋までは俺が案内しよう」
「え、ええ」

 ジャンはじいやを呼び、サイラスを応接間に案内させようとした。

「……待ってください。ジャン殿が妻の案内をするのですか?」
「……はい。何か問題でも?」
「旦那様、ユージェニーの部屋はこの廊下の突き当たりです。近いですから、何の心配もありませんよ」

 ほんの数歩の距離、ジャンが私を案内するのさえサイラスは警戒心を示した。どうしてもジャンと私を二人きりにしたくないらしい。
 ジャンは短い前髪をかきあげると、呆れたようにひとつため息をついた。
 ジャンに申し訳なく思う。でも、サイラスは納得してくれそうになかった。

「……クレマント卿に愛されてるな、エメリーヌ。申し訳ないが、先にユージェニーの部屋へ行って貰えないか?」
「ええ」
「またあとでな、エメリーヌ」

 ジャンに頭を下げて、私は一人でユージェニーの部屋へ向かった。こんなに緊張しながら彼女の部屋へ行くのは初めてだ。

 ──ユージェニー……。

 自分の気持ちを上手く伝えられるだろうか? 今、私はとても幸せだと。イリネスを……サイラスを愛していることを説明できるだろうか?
 そして、何とか彼女の不安を取り除きたい。

 胸に手を置き、ふうっと息をはく。私は見慣れた扉をコンコンと叩いた。
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