従姉妹の身代わりに侯爵の妻になりましたが、なぜか初見でバレてしまいました

野地マルテ

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第二部

完璧だった婚約者(2)

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 ※ユージェニー回想回(その2)です。


『……あいつ、腹たつなぁ。結局何も認めなかったぜ』

 クレマントの屋敷から我が家へ戻ったあとも、兄たちのイリネスへの怒りはおさまらなかった。ロビー中に響き渡る声でしばらく言い合いをしていた。
 それにしても、イリネスの女遊びの件は今回はまったく関係ない。しかも次兄が騎士団で聞き齧った単なる噂である。自分がいくらモテないからと言って、やっかみで色々言うのは恥ずかしいからやめて欲しかった。

 ──黙ってる私も私だけど。

 私と同じように──かは分からないが、腹の底ではイリネスをよく思っていなかった兄二人は、せきをきったように彼への本音を漏らし始めた。嫉妬もかなり混じっているだろう。兄は二人とも父に似ていてお世辞にも美男とは言えない。長兄アロイスは社交界に出始めて十年近く経つが未だに思ったような婚約者を捕まえられず、次兄ジャンも恋人一人出来ないようで、非番の日すら一日中道場で訓練に明け暮れているらしい。

『しかし父上の言うとおり、イリネスは若くとも名門侯爵家当主。しかも王家の血をひいている。……ユージェニーのことはどうにも出来ん』
『ふん、いくら産みの母が王女とはいえ、枢機院に席を置けるほど優秀だった爺さんも親父さんも立て続けに死んじまった。騎士団長をしていた叔父上殿も死んだ。……今やクレマント家はあのひょろっちいイリネス坊や一人だ。ぺこぺこする必要があるのか? 後ろ盾らしい後ろ盾は皆死んだんだぞ?』
『それでも王家との関係は続いている。ジャンも見ただろう? ……あの従者たちを』
『……胸に王家の紋章をつけていたな。ちっ、ユージェニーがあいつのことを嫌がってるっていうのに、俺たちは何も出来ないのか……?』

 兄たちはどうやら、私がイリネスのことを嫌がっていることを知っていたようだ。しかし家長である父の意向には逆えず、しぶしぶ、見て見ぬふりをしていたらしい。
 長兄のアロイスは、五年後、自分の代になったらイリネスと私の婚約を破棄するつもりでいたらしい。父は六十になったら何が何でも引退し、母と二人で静養地で暮らすと常々言っていた。
 兄たちはどこまでも私に甘かった。


『そもそも、イリネスが成人するまで生きるとは思わなかったなぁ。生まれつき心臓を患ってたんだろう? はじめて会った時は……八つかそこらだった。俺と同い年だってのに、ひょろひょろのチビだったな』
『そうだな。イリネスはちょっと階段を登っただけで、蒼い顔をして胸を押さえているような子どもだった……。あの頃は、ユージェニーと婚約することはないだろうなと思ったな。あんなひ弱さでは当主は務まらない』
『それがさ。十五年前、ユージェニーとの婚約が決まって、うちにロイドがきて、家族総出でクレマントの屋敷へ挨拶に行ったら、イリネスのやつ、元気になっててびっくりしたよな! 兄者っ!』

 うんうんと長兄のアロイスは次兄のジャンの言葉に頷く。子どものころ、イリネスが心臓を患っていたことは聞かされていたが、私は元気になった彼しか見たことがないのでどうもピンとこない。兄たちは私とイリネスが婚約する二年も前から付き合いがあったのだ。

『……ああ、あれにはおどろいたな。ロイドは『子どもは成長しますから、とつぜん身体が丈夫になることも、顔つきが変わることもあります』なんて言っていたが、もしかしたら……』
『おいおい、兄者。イリネスが途中で他人と入れ替わった……なんて言わないよな?』
『なくはないと思っている。何せイリネスはクレマント家に降嫁した王女が命がけで産んだ男子だ。王家の血をひく人間が次代の当主になる恩恵は無視出来んものがあったと思うぞ? 俺がクレマント家の先代様なら、愛人にこっそりスペアを生ませるな。心臓が悪い子どもなんかいつ死ぬか分からんからな』
『……兄者、冗談でもキツいぜ。たとえばだぞ? 俺に兄者の代わりが務まると思うか? 俺は執務なんざごめんだぜ』
『冗談だ、ジャン』


 ──イリネスが子どもの頃に入れ替わった……?

 はっとした。今までもやもやしていたものが、急にはっきりしたように思えた。
 彼の演技くさい態度も、心のうちが見えないところも、彼が本物のイリネスでないなら説明がつく。どこか大人しく、いつも遠慮がちな風なのも、別人として周りの目をあざむいて生きているのなら、あんな感じになるのかもしれない。

『しっかし、イリネスのやつ。性格が子どもの頃のままだよなぁ。いつまでも優しくておだやか~~な人畜無害無味無臭なお坊ちゃんのまま。誰にでも物腰柔らかで、皆から求められてる清廉潔白なお坊ちゃん像をずっと演じてるって感じで気味悪りぃんだよな。途中で入れ替わってるって言われれば、あの演技くさい顔も納得なんだけどよ』
『ジャ、ジャンお兄様もそう思っていたの……?』
『お、ユージェニー。……社交界じゃ王族や大貴族に睨まれるのが怖くて誰も何も言わないが、裏じゃ有名だぞ。うちの騎士団の連中にも、クレマント家の新当主、イリネスは仮面の貴公子って呼ばれてる』
『仮面の、貴公子……』
『その仮面の貴公子様も、年頃になって美しくなったユージェニー相手に我慢できなくなったのか……。イイコちゃんの演技ばかりして、無理が祟っているのかもしれないな』
『おいおい、兄者。ユージェニーの前でそんなこと下世話なこと言うなよ』
『お前が言うな、ジャン』


 キイィという、扉が開く音がした。
 青いフロックコートに銀のジレ。じいやと話があると言い、屋敷に帰るなり別室に篭っていた父がロビーに出てきたのだ。

『……うるさいぞ、ジャン。アロイスも言葉が過ぎる。……ユージェニーは今日、クレマント卿に乱暴されかけたばかりなのだぞ。少しは気を使わんか』

 父は一切着乱れていない私を一瞥してそう言った。父は気がついているのかもしれない。私がイリネスに何もされていないということに。

 それでも持参金を無くせとイリネスに迫った。父のしたたかさにぞっとしたが、イリネスを一切庇わなかった私に、父の所業を責める資格はない。

『親父! ユージェニーはどうしてもイリネスのところへ嫁に行かなきゃいけないのか?』
『ジャン、父上と呼べといつも言ってるだろうが。……その事なんだが、ロイドに一計があるそうだ』

 父は半歩後ろに控えていたじいやに目配せする。じいやは恭しく一礼すると、一歩前へ踏み出した。

『ユージェニー様は、クレマント家へお嫁に行く必要はございません』

 いつもの好々爺とした笑みを絶やさぬまま、じいやは目元の皺を深めてそう言った。

 ──クレマント家へ、お嫁に行く必要がない……?

 願ってもない話すぎて、すぐにはじいやの言葉を理解出来なかった。

『どういうこと、じいや?』
『皆さまもお気づきかと思いますが、ユージェニー様はイリネス様のことを生理的に嫌っておいでです。ユージェニー様とイリネス様の結婚は家同士を繋げる意味ももちろんありますが、第一目的はクレマント家に後継をもうけることです。……しかしながら、ユージェニー様はイリネス様にほんの少し触れられただけでも断末魔のごとき悲鳴をあげられる状態……。とてもではありませんが、閨を共にすることなど不可能でしょう』
『見てたの……? じいや』

 私はイリネスに何もされていない。ただ、肩についた花びらを取ってもらっただけだ。
 何もされていないことが父や兄に知られたら、怒られるかと思いきや、ずっと彼らは私に同情的だった。

『おい、どういうことだよロイド。うちに女きょうだいはユージェニーしかいないんだぜ? ユージェニーがクレマント家へ嫁にいかなくて済む方法なんか、俺にはさっぱり思い浮かばんぞ』
『ジャンは脳みそまで筋肉で出来てるからな』
『兄者、キツいぜ。兄者なら他に良い案が思い浮かぶのか?』
『まあ、なくもないがな……。ただ、その道は最終手段だ。……ロイド、そうだろう?』

 長兄の言葉に、じいやはゆっくりうなづいた。

『そうでございますね……。私は最善の手段だと思いますが』
『勿体ぶらずに言えよ、ロイド』
『……ジャン様、従姉妹のエメリーヌ嬢のことは覚えておいでですか?』
『は? エメリーヌ? 覚えてるも何も……。先週野菜を届けに行った時に会ったぞ』

 ──まさか。

 ぞわっと鳥肌が立った。実の姉妹のように仲良くしている従姉妹の顔が思い浮かぶ。鏡に写したように私とそっくりな、エメリーヌ。ショックで口が戦慄いた。

『エメリーヌに……私の代わりに……私として……お嫁に行ってもらうの? クレマント家に』
『おい……冗談だろ?』

 震えた私の言葉に、次兄のジャンの顔がこわばる。じいやはもう一度、今度は深く頷いた。

『冗談ではございません。……エメリーヌ嬢に、ユージェニー様としてクレマント家へ輿入れして頂く。幸いにして、エメリーヌ嬢はイリネス様のことは何もご存知ありません。まっさらな状態で嫁ぐことができます。ユージェニー様より、より良い関係をイリネス様と築くことが出来るでしょう』
『……バレたらどうするんだ?』
『たとえバレたとしても、心配はご無用です』
『何言ってんだロイド、相手は一人でも、王家の血をひく大貴族だぞ? 花嫁の入れ替えがバレて、それを王家へチクられでもしたら、ウチは取り潰しに遭うかもしれねえ』
『……ジャン様、人間は弱い生き物です』
『はぁ?』
『イリネス様は今、ご家族がいないどころか、味方らしい味方もおりません。そんな状況下で迎える花嫁。イリネス様にとってこの花嫁が唯一の家族であり、味方になります。しかし、今のユージェニー様では、イリネス様に寄り添うことは極めて難しい。しかし、エメリーヌ嬢ならば、イリネス様に寄り添おうとすることでしょう。それに出来る限り愛情すら示そうとするはずです。あの方は下に三人も弟様がいて、男性の世話にも慣れていらっしゃいます。……ジャン様は、抗えますか? 近くで優しくしてくださる女性が、たとえ偽物だとわかっていても、訴えることができますか? ご自分さえ入れ替わりに気づかなければ、何も問題はない。……そんな状況でも』
『うむむ……』
『大国の王であっても、一人の女性に絆されて、国が傾くことなど山ほどあります』
『しかし、イリネスはモテるのだぞ? 女性なんていくらでも……!』
『アロイス様、妻は別格です。しかも、イリネス様とユージェニー様の付き合いは十五年にもおよびます。ユージェニー様そっくりな方にはじめて微笑まれ、好意を示されて……イリネス様の心が動かないはずはありません。偽物だと思っていても、見て見ぬふりをするはずです。……人間は、弱いですから。甘く柔らかいものに縋ってしまうのです』

 じいやの話の説得力はいつも神懸かみがかっていた。よくよく考えれば辻褄の合わないことでも、彼に語られれば、皆が納得して頷いてしまう。

『それで私はどうしたらいいの? じいや……』
『そうですね。ユージェニー様は、とにかくフリオ一筋だということをエメリーヌ嬢に熱烈にアピールなさってください。この花嫁入れ替わり作戦も、ご自分が言い出したことだとエメリーヌ嬢へお伝えくださいませ』
『……私が? じいやではなく?』
『はい。エメリーヌ嬢はとても真面目な方です。人を騙す行為においそれと承諾しては貰えないでしょう。それに普通ならば、見目麗しき侯爵家当主の元へ嫁げることは、とても嬉しいことですから。……ユージェニー様がきまぐれで、マリッジブルーにでもなって言い出したことだと思われてはダメです』
『……そうね』
『エメリーヌ嬢は気後れして断る可能性が高い……。しかしユージェニー様にとって、フリオと一緒になることが、何よりの幸せだと分かれば、かならずや首を縦に振ってくださるはずです』

 ──私の厄介ごとを、エメリーヌに押しつけてしまう。大好きなエメリーヌ。大切な、エメリーヌ。赤ん坊のころからずっと一緒だった、エメリーヌ。

 じいやの言葉は甘く響く。
 でも、本当にエメリーヌに自分の役割を押しつけてもいいのか。彼女を身代わりの花嫁にしていいのか。今後の人生を自分として生きさせてもいいのか。
 心は振り子のように揺れ動く。
 イリネスの妻にはなりたくない。フリオと一緒にいたい。エメリーヌも不幸にしたくない。
 でも、そのすべての願いを叶えることは不可能だ。分かってる、でも。

『エメリーヌ嬢は、貧しい貴族の生まれです。朝から晩まで働きづめ。縁談があったとしても、足元を見られるものばかりになるかと。ユージェニー様、この花嫁の入れ替わりは、エメリーヌ嬢を救うことにもなるのです。ユージェニー様はよろしいのですか? エメリーヌ嬢が、親子ほど歳の離れた残忍な性癖の金持ちに買われても』
『だめ……! そんなの……』
『そうでしょう? これは皆が幸せになるための策なのです。ただのあなた様のわがままではございません』
『じいや……』
『ユージェニー様は、イリネス様を愛せますか? フリオのことを忘れて』

 ──そんなの、ぜったい無理。

 フリオのいない生活なんて考えられない。この十年間、彼はずっと私の隣にいてくれたのだ。毎日のように私に惜しみない喜びと笑顔を与えてくれた。私に向けられる太陽のようなフリオの笑顔。あれが失われるなんて。嫌、そんなの、ぜったいに無理!

『……いや、嫌よっ!……私はフリオと幸せになるのよ‼︎ あんな……っ、あんなっ……! イリネスの元へなんか、誰が行くものですか……!』


 ──許して、許して、エメリーヌ。

 イリネスの仮面の裏にあるものはわからない。それがエメリーヌを不幸にするものかどうかも。
 ひとつ確かなのは、私は自分の幸せのために、半身のように大切な従姉妹を売った魔女だということだ。きっと、良い死に方はしない。
 私は最低、最悪な女だ。生まれた時から仲良くしていた、姉妹同然の女性を犠牲にした。実家の貴族家のための贄にしたのだ。


 エメリーヌがクレマント家へ行ってからというもの、毎夜悪夢にうなされている。私の夢のなかで、エメリーヌは泣き叫んでいた。私の名を呼びながら、おぞましい仮面の男に犯されているのだ。
 エメリーヌは身をよじり、必死で助けを求めているのに。夢の中の私はまったく動けなかった。石の壁で四方が囲われた部屋。エメリーヌは手首を鉄の鎖で拘束されて、延々と身体を貫かれていた。
 大きくて柔らかな乳房を後ろから乱暴にわしづかみにされながら、エメリーヌは泣き叫んでいた。

『たすけて……! たすけてユージェニー!』

 耳を覆いたくなるような水音と、肌を打ちつけあう音をたてながら、なおも必死でエメリーヌは私に助けを求める。

 ──好きでもない男に犯される。ぞっとした。
 閨教育の時、はじめて男女のまぐわいを間近で見たが、とてつもなく汚らしい行為だった。これが本当に子を得るための人間の行動なのか、こんな浅ましい行為がと、侍女やじいやに聞いたが、皆当たり前だと言わんばかりの顔をしていて、私はその場で卒倒してしまった。

 フリオとは長らく交際していたが、触れるだけの軽いキスやハグをするだけの関係だった。
 男の排泄器が太く長くなることなんかまったく知らなかったし、その排泄器を、月の触りがくる場所に入れることなど、私の理解の範疇をはるかに超えていた。
 男性と付き合いがある私でも性交渉に嫌悪したのだ。まじめで交際経験がないエメリーヌなら、なおさら受け入れ難いだろう。

 ──私は、なんてことを。

 クレマント家の婚礼の儀の日。私は一日中泣き通した。エメリーヌは真面目で、誠実な女性だ。きっとどれだけおぞましい思いをしても、奥歯を噛み締めてイリネスを受け入れたはずだ。
 エメリーヌとイリネスが、あの閨教育の男女のようにまぐわう姿を想像するだけで吐き気がこみあげた。隘路に剛直をねじ込まれ、痛みと嫌悪で泣き叫ぶエメリーヌを想像し、嗚咽が止まらなかった。

『ユージェニー……』
『ねえ、フリオ、私は最低なことをしてしまったわ。私ばっかり幸せになって、不幸をエメリーヌに押しつけてしまったわ。……エメリーヌは永遠に私を許してくれないでしょうね』
『そんなことないよ。クレマント卿は貴公子だし、何よりお優しい方だ。エメリーヌさんも奥さんになれて幸せだと思うよ』
『イリネスのあの優しさが演技だったら? 本当は残忍な人間だったら? エメリーヌはもう帰るところがないのよ……! 私がエメリーヌの居場所を奪ってしまったの』
『ユージェニー、落ち着こう』
『落ち着けるわけないじゃない! 今こうしてる間だって、エメリーヌは犯されてるかもしれないのよ!』

 金切り声をあげ、フリオに枕を投げつけた。彼はしょんぼりするばかりで私を叱ったりはしなかった。
 そして意を決したようにこう言ったのだ。

『僕、エメリーヌさんに会いにいくよ』
『なんですって……』
『エメリーヌさんが元気なら、……幸せだって分かれば、ユージェニーも安心だろう?』
『何を言ってるのよ⁉︎ あなたがクレマントのお屋敷に入れるわけないじゃない! イリネスだって、あなたのことを知ってるのよ?……訪ねてきたあなたを追い返すだけならいいわよ、もしかしたら酷いめに合わせるかも……!』
『まったくもう……。ユージェニーは心配性だな』

 ふすぅと息をはき、フリオはただでさえ優しげな顔を、さらに緩めた。

『僕、自慢じゃないけど人から警戒されたことが無いんだ。クレマントのお屋敷にも何回か仕事で行ったことがあるから、入れて貰えるよ。きっと』
『でも、エメリーヌと会えるかどうか……』
『うん、だからまずはクレマント卿にお会いして、お話を聞こうと思う』

 フリオはにっこり微笑んだ。
 ──不思議だ。彼に微笑まれると、それまでどれだけ最悪な気分になっていても、お腹のあたりがすっと軽くなる。肩に感じていた重さもなくなるのだ。

『わかったわ。フリオ、おねがい……』
『うん、まかせておいて!』

 フリオは私に嘘をつかない。
 クレマント家へ行って、そして見聞きしてきたものをありのまま教えてくれるはずだ。

『……おやすみ、ユージェニー』

 フリオのぽっちゃりとした手を取りながら、私はまぶたを閉じた。フリオがいてくれて良かった。私は彼がいれば、いつだって幸せでいられるのだ。

 ──エメリーヌは?

 イリネスから幸せを与えられてるだろうか? ……まったく想像ができない。百歩譲って何もされてないにしろ、淡々とした毎日を送っていそうだ。どちらにしろ、エメリーヌがイリネスの元で幸せになっているとは思えない。

 もしも迫害されているのなら。私はエメリーヌを助け出さなきゃいけない。
 フリオの手を強く握りしめた。
 エメリーヌが酷いめに遭っていると知ったら、兄たちだって黙っていないだろう。それにエメリーヌは私としてイリネスの妻になっている。理由をつけて里帰りさせることだって可能なはずだ。

 ──エメリーヌ……。

 婚礼の儀が終わった今、彼女を自分の身代わりの花嫁にした後悔しかしていない。しかし、自分がイリネスの妻として初夜を耐えられたとは思えない。自分がもしもイリネスの妻になっていたら、今ごろ閨で与えられた屈辱で自害していただろう。
 涙がこぼれた。フリオが何も言葉を発せず、それを拭ってくれた。私は今、エメリーヌが身代わりになってくれたおかげで幸せなはずなのに、深い深い、底無し沼に沈みこんでいる気分だった。
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