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侯爵様と打ちとけたい

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 そして始まったクレマント家の生活。
 婚約した大貴族や王族の男女は、正式に婚姻を結ぶ前に共に何ヶ月か一緒に暮らす習慣がある。夫婦になる前にその家の慣しを学び、いざ結婚してから困らないようにするためだそうだ。

 侯爵家である、クレマントの屋敷の生活は驚きの連続だった。
 従者たちは皆、実家の家族よりも仕立ての良いものを着ていて、私よりもずっと教養のある人たちばかりだった。日頃から従姉妹のユージェニーの家に出入りしていて、貴族家が何たるかを知っていたはずなのに、侯爵家だとこんなにも仕事が出来る若者が集まるのかと舌を巻いた。
 それでも、皆、世間知らずで無知な私にとても親切に接してくれた。

 使用人たちはいつも忙しそうにしていたし、自室の掃除ぐらいは自分でしようかと考えていたが、雑巾を手に取ろうとしたら全力で止められてびっくりした。
 特にやる事もないし、何か手伝わせてほしいと言っても、私に雑用を振られることは決してなかった。皆困った顔をして、ソファに座っていてくださいと言うばかりなのである。
 まるでお姫様のような待遇に、嬉しいと思うよりも複雑な気持ちのほうが遥かに優った。

 ──我が家とは何もかもが違うのね……。

 食事だってそうだ。
 うちの実家は母と私と、料理人たち総出で毎食作り、領主の父も弟たちも、使用人たちも。みんなで並んで同じ食卓を囲んでいた。大皿から思い思いにおかずを取り分けて、楽しく賑やかに食事をしていたのだ。
 それがこの屋敷に来てからというもの、シャンデリアが頭上で輝く、だだっ広い食堂でイリネスと二人きりで食事を取る生活になった。

 ウチは一応子爵家だったけど、おそらくその辺の農村の豪農と変わらないような生活をしていた。違いは管理する土地の規模ぐらいだろう。
 私はユージェニーとよく会っていたので、自分の家が貴族でもかなり変わった生活様式を取っていたことは知っていた。
 でも。

 焦りの気持ちは日に日に募る。
 この屋敷に来て、早一月。私はこのクレマント家に必要ない人間じゃないかと思い始めたのだ。

 家の仕事や雑用をする貴族の妻は滅多にいないことだって、私は知っている。しかしどうにも落ち着かないのだ。
 つい一月と十日前まで、私は大きな納屋のようなボロい屋敷に住み、空が明るくなる前に起きて洗濯をしていた。昼間は備蓄庫に納められた麦の束を数えて帳簿をつけたり、家の人間全員が食べる食事の準備を毎日していたのである。
 それが、今では使用人が起こしにくるまでは寝ていなきゃいけない生活だ。侍女が淹れたお茶を飲み、日中は薔薇が咲き誇る庭の東屋で、日なが本を読むような優雅極まりない生活を送っている。
 落ち着かなくてそわそわした。周り皆が働いていて、自分だけが座っているのである。そんな状況下で平然としていられるほど、私は立派な育ちをしていないのだ。

 ──温度差で、風邪をひいちゃいそうだわ……

 服装ドレスだって、今までは母親のお古を大切に着ていたのに、クレマントのお屋敷に来てからは、毎日のように違うドレスを着させられていた。しかも一人で脱ぎ着できないような立派なものだ。
 侍女頭が最先端のデザインだというドレス。正直自分に似合っているかどうかは分からない。実家にいたころは、毎日使用人と同じ作業服を着ていたのだ。

 じっと自分の手をみる。この一月で家事を一切しなくなり、だいぶ手荒れは改善したけれど、それでも白魚のような貴人の手とは程遠い。はっきりいって、私についてくれた侍女のほうがずっと綺麗な手をしていた。

 いざ、イリネスと閨を共にすることになったらどうしようかと思う。この手を見られたら、私がユージェニーじゃないとバレてしまうかもしれない。

 閨といえば、先日侍女頭から張り型を渡されて、私は頭を抱えていた。
 この国の結婚をひかえた貴族の娘は、嫡子の男と同じく閨教育を受ける。結婚前にある程度快楽を享受できるように身体を開発しておくのが淑女のマナーだった。
 いざという時、身体を開けないのは相当まずい。受け身で震えていても許されるのは、成人したばかりの王女様ぐらいだ。

 ──ユージェニーはどうなのかしら?

 イリネスと言葉を交わしながら、毎晩それなりに楽しく食事をしているけれど、いまいち彼とユージェニーの距離感がわからない。
 仲が悪いわけではなかったというのは本当らしく、イリネスも笑みを浮かべて話題を振ってくれるけど、どうも会話が上滑りしているような気がする。

 ──私が若い男性との会話に慣れてないだけかもしれないけど。

 閨の時、彼がどういう態度を取るのかいまいち想像ができない。優しくしてくれるとは思うけど、甘えっぱなしでは仲の良い夫婦になれないかもしれない。

 侍女頭から支給された道具箱をそっと開けてみる。大人のおもちゃの生々しい見た目に、何度見ても心が折れそうになった。使い方は一通り教わったものの、こんなものを月の触りが起こるところに挿れて、気持ちよくなる自分がちっとも想像できない。恐る恐る一番細い棒の先っぽだけを隙間へ挿れてみたものの、鈍痛がして奥までぜんぜん入らなかった。

 よそのお屋敷から異動してきたばかりだという侍女頭は、『お一人で上手く使えないようなら、旦那様に相談してみてくださいね』とちょっとニヤついた顔で言っていた。彼女は私たちの仲がそれなりに良好だと認識しているのかもしれない。
 たしかに悪くはないが、イリネスからはどこか壁を感じるというか。うまく言葉に出来ないけど。少なくとも、閨教育に付き合って欲しいなどと気軽に頼める雰囲気ではない。

 ──それにイリネス様のあの青い瞳に、私の姿が映ってないような気がする。

 気のせいだと思いたいけれど、これ以上は自分のなかを踏み込ませないという距離を感じられる。イリネスはいつも優しく接してくれるというのに。

 椅子に座っているとどうも気分が落ち込んでくる。何か用事があるわけでもないけど、何となく立ち上がり、腕をあげて伸びをする。

 ──図鑑でも借りに行こうかな。

 クレマント侯爵家の屋敷は、蔵書も豊富だった。せめて教養だけでも身につけようと、私は毎日書庫へ通っていた。

 身体に薄いストールを巻き付け、部屋を出る。最近は日も短くなり、窓の外に見える樹木も色づきはじめていた。
 結婚式は十二月。今、赤くなりかけている葉がすべて落ちるころには、私はこの家の女主人になっているはずだ。

 ──いまいちピンと来ないけれど。

 雪が降り始める前にはなんとかイリネスと打ち解けたい。
 私は本物のユージェニーじゃないけれど、彼と幸せになりたいと思っている。

 ──おこがましい夢かしら……。

 貧乏な子爵家令嬢だった自分が、ユージェニーになりすまして大貴族であるイリネスと仲睦まじくなりたいと思うのは、正直なところ、倫理的にどうなのだろうかと思うことはある。
 それに、もしもイリネスに入れ替わりがバレたら。

 ──ユージェニーはフリオの実家へ行くと言っていたし、バレないとは思うけど。

 現在ユージェニーはフリオの実家である男爵家で幸せに暮らしていると、先週この屋敷を訪ねてくれたじいやが教えてくれた。

 ──ユージェニーのためにも、私はイリネス様と打ち解けなくては。

 ストールを引き寄せ、私は歩を早めた。もう後には引けないのだ。
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