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羨ましくて死にそう
しおりを挟む──う、羨ましい。羨ましすぎる……!
ユージェニーがじいやと呼ぶ家令から渡された──イリネスからユージェニーへ送られた手紙は、大人が身を屈めれば入れるような旅行鞄でも、収まりきらないようなものすごい量があった。
なにせ十五年分である。イリネスが十才の頃から、ユージェニー宛に毎月送られてきた手紙は、のべ千通近くあるらしい。
そのどれもが、緻密なアルステラ文字で綴られていて、高い知性と教養を感じる文章だった。きっとイリネスはよく本を読む人なのだろう。とても読みやすく、短い文章でも起承転結がつけられていて、どれだけ読んでも飽きなかった。目を皿のようにして一文字一文字まで読み尽くしてしまった。
こんな手紙を書く人と、子どもの頃から文通出来ていたら。私の人生はとても幸せなものだったに違いない。
白い便箋を胸にあて、天を仰いだ。
このような魅力的な手紙を、毎月のように貰っていたユージェニーが羨ましくて仕方がない。しかも十五年もだ。身悶えするほど悔しかった。
私だったら、毎回の手紙をどれだけ楽しみにしただろうか。きっと貰った手紙も擦り切れるほど何回も読み返して、次の手紙を心待ちにしたはずだ。屋敷に配達員が来ていないか、毎日窓の外をのぞいてはそわそわして。やっと届いた手紙も、うるさく思えるほど高鳴った胸を押さえながら、期待で震える手でペーパーナイフを入れたに違いない。
返事だって書いたのに。私だったらこんなお返しを書いただろうなと想像するだけで辛かった。私はもう、過去のイリネスと文通することは出来ないのだ。
悔しくて悔しくて、机をばんばん叩いた。
「ユージェニーぃぃ~~!」
しかもユージェニーはイリネスの手紙を読んでいなかった。じいやもそれを認めた。さすがに気が咎めたのか、お返しにポストカードを送っていたようだけど、それでも送られた手紙の中身を読まないのはひどい。ひどすぎる。
こんなに面白くて、夢中で読んでしまうような内容なのに。
「……どうせなら、もっと早くに入れ替わっておけば良かったわ」
私なら、イリネスに返事の手紙を書く。
私なら、年始以外にもイリネスと会った。
イリネスは手紙に、ユージェニーを遊びに誘いたいようなことも書いていた。じいやに確認したら、ユージェニーがイリネスの誘いに応じたことは一度もないらしい。
貴族同士の集いの誘いだけではなく、流行りの観劇に季節の花々が咲き誇る庭園探索やショッピング。ただ他愛のないおしゃべりがしたいような事も書いてあった。しかし、ユージェニーはそれらをすべて断ったそうだ。
「イリネス様……」
イリネスはユージェニーを愛していたのだろう。どれだけツレなくされても。
思わず目頭が熱くなる。私だったら……、私だったらと、もう叶わない妄想にとらわれそうになる。鼻の奥がツンと痛くなってきた。
私は恋人いない歴=年齢だった。絵に描いたような干物女だった。だからこそ、恋愛や異性への憧れは人一倍あった。子どもの頃から文通だってしたかったし、デートもしてみたかったのだ。
しかし私には出会いがなかった。田舎の寂れた領地には若者はおらず、使用人も年配者ばかり。社交の場に出ようにも、流行りのドレスひとつ用意出来なかった。この歳になるまでエスコートのひとつも受けたことがないのだ。
私が名状しがたい感情にぐぬぬと唸っていると、戸をやさしく叩く音がした。
「エメリーヌ様」
「じいや」
じいやがお茶のお代わりを持ってきたらしい。礼服を着た彼は台車を引いていた。
私はユージェニーの屋敷に滞在していた。嫁ぎ先のクレマント領に行く日まで、付け焼き刃でも貴族の令嬢としての作法を身につけるためだ。
私は子爵家の長女ではあったけど、家は何年も没落寸前だった。むろん、私にかけられるお金は少なく、家の手伝いに必要な読み書き算術は出来ても、楽器の演奏やダンス、刺繍はからっきしだった。
とは言っても、ユージェニーも刺繍や楽器の演奏はしないらしい。私はユージェニーが好きだというダンスを中心に習い、後の時間はひたすらイリネスからの手紙を読んでいた。
「現在のイリネス様の姿絵を手にいれましたよ」
「まあ、ほんとうに?」
じいやは元々、イリネスの家の家令だった。それが十五年前、イリネスがユージェニーと婚約した際に、じいやはユージェニーの家へ移ることになったそうだ。
家同士のつながりは政略結婚だけとは限らない。
私の実家には使用人はいても家令はいなかったため、よく分からないけど、大貴族間では家令の異動はよくある話らしい。
じいやはとても出来た方で、ユージェニーのただの親戚でしかない私にも、いつも丁寧に接してくれた。
「まあ……!」
じいやに手渡された絵画に描かれていたのは、椅子に腰掛ける一人の若い男性だった。
どこか影のありそうな凛々しい顔立ち。実物よりも美しく描かれている可能性はあるけど、かなりの美形だと思った。
切れ長の瞼から覗く、意思の強そうな青い瞳、すっと通った鼻梁と整った口許。あまり癖のない短い黒髪。肩幅や膝下の長さを見るに、上背はありそうだ。
涼やかな容貌に、思わずため息が漏れる。
文字通り絵に描いたような美しい貴公子の姿に、頰が緩んでしまった。
「……素敵な方ね」
「実物はもっと凛々しい方ですよ。イリネス様の母君は国一番と謳われるほどの美人でした。イリネス様はその母君に似ているのです」
「そうなの。……ユージェニーはどうしてイリネス様のことを好きにならなかったのかしら? こんなに素敵な方なのに」
「人の好みは十人十色です。ユージェニー様も、イリネス様のことは嫌ってはおりませんでした」
「手紙を読んだけど、良さそうな方よね……。本当に私がお嫁に行ってもいいのかしら?」
──ユージェニーは後悔しないかしら。
この手紙を読んだら、ユージェニーだってイリネスのことを好きになるかもしれない。不安になった。イリネスのことを調べれば調べるほど、知れば知るほど、まだ見ぬ彼に惹かれていく。
「良いのですよ。ユージェニー様の翡翠の瞳には、フリオの姿しか映らないのです」
「それは分かっているけど」
「イリネス様も自身を愛してくださる奥方様のほうが良いに決まっています。……エメリーヌ様、どうかイリネス様と仲良くして差し上げてください。あの方は立て続けにご家族を亡くされて、今は一人なのです。従者もこの半年でずいぶん入れ替わったと聞きます。寂しい毎日を過ごされているはずです」
じいやはこの姿絵を借りる際、イリネス本人に会ったと言う。
「以前と変わらず、おとなしく優しい方でした。ユージェニー様のことをとても気遣ってみえましたよ。自分が予定よりも早く家を継ぐことになってしまって、家族と引き離してしまうのが心苦しいと」
確かに、手紙には何かとユージェニーの体調や心を気遣う言葉が多かった。優しい方なのだと思う。
「大丈夫よ、じいや」
男性とは付き合ったことはおろか友人すらいたことがない。イリネスと仲良くなる術は何も分からないけど、それでもなんとなく、上手くいくような予感はしていた。
「私はイリネス様を愛せるわ」
はやくイリネスに会いたい。どんな声をしているのだろう。クレマント領へ向かう日が待ち遠しくて仕方がなかった。
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