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千年越しの祝福
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アルゼットが思い出した前世の記憶は、お世辞にも良いものとは言い難かった。
アルゼットが生まれた家は先祖代々の奴隷。それも戦奴だった。戦奴は戦さ場の最前線へ送られる奴隷のことで、三十路まで生きる者はまずいなかった。アルゼットが幼い頃に父親は戦場で命を落とし、彼は剣術道場で育った。黒羽族との争いは過酷そのもので、白羽族は常に兵が足らず、彼はわずか十二歳で戦場に立った。
体格に恵まれたアルゼットは、次々に黒羽族の戦士を討ち倒し、着実に戦果をあげていたが、彼自身はいつ命を落とすか分からないと冷静に考えていた。
そして明日の命も知れない身なのに、他の奴隷仲間のようにつがいと恋や愛に傾倒する気になれないと思っていた。
神殿から与えられた同い年の妻シトリンにも、アルゼットは敢えて距離を取っていた。いや、距離を取ろうとしていた。シトリンから笑顔で話しかけられても無視を決め込み、しつこくされれば怒鳴りつけた。それでも彼女はめげることなく、彼に関わろうとした。
本音を言えば、アルゼットはシトリンのことが嫌いではなかった。両耳の上で丸い形になるように髪を結いあげ、女官の格好をして笑顔でやってくる彼女を見ると心臓が跳ねた。
シトリンの声を聞くと、不思議と身体の倦怠感が和らぐ。もっとたくさん彼女の声が聞きたいと思う自分に戸惑った。しかし、彼女に優しくするわけにはいかない。
奴隷仲間のつがいは、奴隷仲間が死ぬともれなく命を絶った。アルゼットは自分の死にシトリンを巻き込みたくないと思った。
シトリンを突き放せば、自分が死んでも彼女は後を追わないのではないか? そんな風にアルゼットは考えたのだ。
シトリンは貴族の娘で、恵まれた立場にある。自分の死後、たとえ奴隷との婚姻歴があったとしても、他の者と新たな人生を歩めるのではないか。
アルゼットは常にシトリンの幸せを願っていた。だから彼女に冷たくしたのだ。いざ自分が死んでも悲しまないようにと。
現実にはアルゼットの願いも虚しく、シトリンは死んだ彼の後を追って自死してしまった。
◆
「ごめんなさい……。あなたの後を追ってしまって」
真実を知らされたシトリンは俯く。
なんとなく分かってはいたのだ。前世のアルゼットがなぜ、自分に冷たくするのかを。だからこそ彼がいなくなった世で生きたくないと思ったのだ。
「俺の方こそごめん、何も言わなくて。無視されるばかりで辛かっただろう」
「ううん。私の方こそ、あなたのこと何も考えていなかった。前世の私はあなた恋しさに、一方的に気持ちをぶつけてばかりいたわ。身勝手な子どもだったわ……」
前世の自分を思い返すと、顔から火が出そうになる。差し入れを作っていきなり道場へ押しかけたり、鍛錬が終わる時間を身計らって待ち伏せしていたこともある。
完全にストーカーだった。
「嫌われて当然だと思ってた……」
「差し入れ、嬉しかったよ。肉饅頭とか旨かった」
「わぁぁっ! わ、忘れてよ! 黒歴史なんだから!」
「黒歴史? なぜ? いつも差し入れも出迎えも嬉しかった。嬉しかったのに……気持ちを伝えなくてごめん」
「ううんっ!」
シトリンは大きくかぶりを振る。視界が歪んでアルゼットの顔がよく見えない。
今日は二人とも仕事が休みだった。用事らしい用事もなく、朝からまったりしていた。
シトリンは今日こそはアルゼットに伝えようと思っていた。
自分のお腹に新たな生命を宿したことを。
初めての妊娠は駄目になりやすいと聞いて、シトリンはしばらくアルゼットに黙っていた。でも、そろそろ妊娠四ヶ月になる。もう彼に伝えても良い頃だろう。そう思って朝からそわそわしていたのだ。
アルゼットも話があると言うので先に聞いたら、彼はなんと前世のことを思い出したと言う。
妊娠のことを告げるタイミングを失ってしまった。
「もう、いいの。今が幸せだから」
シトリンはテーブルの下で下腹をそっと撫でながら、アルゼットに微笑みかける。
「そうか……。あっ、そういえば。シトリンも話があると言っていたな? すまない、長々と俺の話をしてしまって」
「うん……あのね」
一組のつがいに、千年越しに訪れた祝福。
この後シトリンが告げた事柄に、アルゼットが歓喜したのは言うまでもない。
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