上 下
8 / 12

私一人だけでも

しおりを挟む



 ──ドスンッッ

 寝室と地続きになったリビングから、大きな物音がした。何かが落下するようなものすごい音だった。

 ──今日もお父様も兄様もいないのにぃぃぃ!

 うちの男性陣は家を留守にしすぎだ。嫁入り前の娘がいるというのに日が沈んでも帰ってこない。貴族の屋敷は金銀財宝金目の物があると思われ、何かと賊に狙われやすい。門番は一応いるが、必要最低人数だ。

 私は兄とは違い、魔力を持たない普通の人間。闘う手段がないということをもっと理解して欲しい。出産前の義姉が心配だというのは分かるけど。妹の心配もして欲しかった。

 不安な気持ちをぐっと堪え、ベッドの下に仕込んであった杖を取り出す。兄が魔力を込めたお手製の魔道具だ。父に似た兄は下品な軽口ばかり言うバカっぽい男だが、魔導の腕だけは確かだった。

 婚約者は結婚目前のところで王女に奪われ、賊に陵辱されて殺される。……なんて最後は絶対にごめんだ。

 それに死ぬつもりもない。私はアシュトスのことは好きだったけど、彼のためだけに生きてきたわけじゃない。彼を失っても、まだまだやりたいことは山ほどあるのだ。

 すうはあと深呼吸する。──ええい、私一人だけでも立ち向かうしかない!
 私は杖をぐっと握りしめた。

 換気にと、少しだけ開けていた扉の裏に立ち、蝶番の間から隣の部屋の様子をうかがう。リビングの灯りはつけていなかったから薄暗い。
 月明かりが、いつもは部屋にない布の塊を照らし出していた。布のかたまり──あれは外套?

 もぞもぞと何かのサナギのように蠢いている。ぐもった様な声も聞こえた。

 ──この声は……。

「アシュトス⁉︎ どうして……?」

 物音の正体はアシュトスだった。格好から推測するに、恐らく転移魔法で飛ばされたのだろう。灰色の外套が捲りあがり、大変なことになっていた。チューリップを逆さにしたような感じだ。

「……ロイドに飛ばされたんだ」
「何ですって⁉︎」

 ──兄様は何を考えているの⁉︎

 今のアシュトスは王女の婚約者だ。いや、アシュトスは今日遠征から帰ってきたはずだから、まだ婚姻の届けにサインはしていないのかもしれないが、でも、それでも、とりあえず私と二人きりになるのは相当まずい。王家から不貞を疑われたらウチはいっかんの終わりだ。

「まずいよ、アシュトス! 私と二人きりになるとか……」

 言い方は悪いが、ラードリー家から手切れ金も貰ったのだ。私は額に汗をかきながら首を横に振る。
 一般的な貴族同士の結婚なら、不貞なぞあってないようなものだが、アシュトスは違う。王女の降嫁がほぼ決まっているのだ。王家の人間を娶るのに、浮気を疑われるような真似をするのは相当まずいだろう。下手するとウチが罪に問われてしまう。


「殿下とは結婚しない」

 頭に絡みついていた外套をなんとか脱いだアシュトスはきっぱりとそう言い放った。
 いや、リリアンヌと結婚しないとか。そんなことを真剣な顔をして宣言されてもどうしようもない。

「そんなの無理だよ……!」
「無理じゃない! 俺を信じろ!」

 ──無理だ。

 王女の降嫁を断った男の話なんか今まで聞いたことがない。たしかにリリアンヌは男運が悪いのか、この三年間で何人か許嫁が死んでいる。でも彼らは皆貴族の次男三男で、兵役義務があった。慣れぬ戦場で疫病に罹ったり、魔族の手に落ちたと聞いている。
 今は戦乱の世だ。本来城に駐在しているはずのアシュトスが、毎月のように遠征しなくちゃいけない戦況なのだ。

 そう、王女の降嫁は本人が死ななきゃ回避できないのだ。


「リリアンヌ王女殿下の降嫁を断ったりなんかしたら、ラードリー家もウチも終わりだよ⁉︎」
「終わりにならない。ロイドとも話し合ったんだ」
「決裂したから飛ばされたんでしょ⁉︎」

 兄はたしかにリリアンヌとアシュトスの結婚に難色を示していた。しかし兄はスアレム家の跡取りで、もうすぐ父親になるのだ。家の取り潰しの原因になりかねない提案を彼にするとは思えない。

「転移させられたのは、また別の要因でだ。エイサ、お前と話をしろと言われたんだ」
「私はもう、アシュトスと話すことなんか無いよ」

 もう婚約破棄したのだ。私はもう、アシュトスとは何の関係もない。
 長年、アシュトスのことは家族だと思ってきたけど、とんだ思い上がりだった。紙切れ一枚で関係が無くなってしまう。そんな脆い絆しか無かった。その事実が悲しくて虚しくて、受け入れられなくて。毎日アシュトスのことばかり考えていた。

 彼の目を見ることができなくて。気がついたら、ぐぐっと両肩を掴まれていた。骨がきしむような音がして、「ひっ」と小さく声を出してしまった。

 これはとてもまずい状況かもしれない。
 すぐ隣の部屋は寝室だ。

「わっ!」

 彼の手から逃れようとして、その場に尻餅をつく。体勢を大きく崩したところに、覆い被さられてしまった。

「アシュトス!」

 どうも様子がおかしい。私の言葉に逆上したにせよ、アシュトスが私を押し倒すなんて。
 よく見れば、彼の目には古代文字が浮かび上がっている。青白い光を放つ、魔術の文様。

 ──兄様め、余計なことを……。

 私の部屋に転移させるついでに、私を襲うような術をかけたのだろう。
 帰ってきたら……絶対殴る。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

大事な姫様の性教育のために、姫様の御前で殿方と実演することになってしまいました。

水鏡あかり
恋愛
 姫様に「あの人との初夜で粗相をしてしまうのが不安だから、貴女のを見せて」とお願いされた、姫様至上主義の侍女・真砂《まさご》。自分の拙い閨の経験では参考にならないと思いつつ、大事な姫様に懇願されて、引き受けることに。  真砂には気になる相手・檜佐木《ひさぎ》がいたものの、過去に一度、檜佐木の誘いを断ってしまっていたため、いまさら言えず、姫様の提案で、相手役は姫の夫である若様に選んでいただくことになる。  しかし、実演の当夜に閨に現れたのは、檜佐木で。どうも怒っているようなのだがーー。 主君至上主義な従者同士の恋愛が大好きなので書いてみました! ちょっと言葉責めもあるかも。

【完結】野獣な辺境伯は、婚約破棄された悪役令嬢を娶る

紫宛
恋愛
5月4日 グザルの母親の年齢を間違えていたため修正しました。32→35です(ᴗ͈ˬᴗ͈⸝⸝) アッシュフォード王国の北方に位置する領土は、雪山に囲まれているため、王都からは隔離された領土だった。 この地の領主は、ギルフォード辺境伯だった。王都では、大男で有名で女性からは野獣と称され敬遠されていた。 それが原因で、王都には極力近寄らず、 余程のことがない限りは、領地を出ることも無かった。 王都では、王太子に婚約破棄された侯爵令嬢が旅立とうとしていた。両親は無関心で気にもとめず、妹はほくそ笑み、令嬢は1人馬車に乗り込み、辺境伯の元へ嫁いだ。 18歳の少女は、29歳の大男と共に幸せを掴む。 ※素人作品です※ 1月1日 第2話 第3王子→王太子に修正しました。

大嫌いなアイツが媚薬を盛られたらしいので、不本意ながらカラダを張って救けてあげます

スケキヨ
恋愛
媚薬を盛られたミアを救けてくれたのは学生時代からのライバルで公爵家の次男坊・リアムだった。ほっとしたのも束の間、なんと今度はリアムのほうが異国の王女に媚薬を盛られて絶体絶命!? 「弟を救けてやってくれないか?」――リアムの兄の策略で、発情したリアムと同じ部屋に閉じ込められてしまったミア。気が付くと、頬を上気させ目元を潤ませたリアムの顔がすぐそばにあって……!! 『媚薬を盛られた私をいろんな意味で救けてくれたのは、大嫌いなアイツでした』という作品の続編になります。前作は読んでいなくてもそんなに支障ありませんので、気楽にご覧ください。 ・R18描写のある話には※を付けています。 ・別サイトにも掲載しています。

〈短編版〉騎士団長との淫らな秘め事~箱入り王女は性的に目覚めてしまった~

二階堂まや
恋愛
王国の第三王女ルイーセは、女きょうだいばかりの環境で育ったせいで男が苦手であった。そんな彼女は王立騎士団長のウェンデと結婚するが、逞しく威風堂々とした風貌の彼ともどう接したら良いか分からず、遠慮のある関係が続いていた。 そんなある日、ルイーセは森に散歩に行き、ウェンデが放尿している姿を偶然目撃してしまう。そしてそれは、彼女にとって性の目覚めのきっかけとなってしまったのだった。 +性的に目覚めたヒロインを器の大きい旦那様(騎士団長)が全面協力して最終的にらぶえっちするというエロに振り切った作品なので、気軽にお楽しみいただければと思います。

慰み者の姫は新皇帝に溺愛される

苺野 あん
恋愛
小国の王女フォセットは、貢物として帝国の皇帝に差し出された。 皇帝は齢六十の老人で、十八歳になったばかりのフォセットは慰み者として弄ばれるはずだった。 ところが呼ばれた寝室にいたのは若き新皇帝で、フォセットは花嫁として迎えられることになる。 早速、二人の初夜が始まった。

元男爵令嬢ですが、物凄く性欲があってエッチ好きな私は現在、最愛の夫によって毎日可愛がられています

一ノ瀬 彩音
恋愛
元々は男爵家のご令嬢であった私が、幼い頃に父親に連れられて訪れた屋敷で出会ったのは当時まだ8歳だった、 現在の彼であるヴァルディール・フォルティスだった。 当時の私は彼のことを歳の離れた幼馴染のように思っていたのだけれど、 彼が10歳になった時、正式に婚約を結ぶこととなり、 それ以来、ずっと一緒に育ってきた私達はいつしか惹かれ合うようになり、 数年後には誰もが羨むほど仲睦まじい関係となっていた。 そして、やがて大人になった私と彼は結婚することになったのだが、式を挙げた日の夜、 初夜を迎えることになった私は緊張しつつも愛する人と結ばれる喜びに浸っていた。 ※この物語はフィクションです。 R18作品ですので性描写など苦手なお方や未成年のお方はご遠慮下さい。

【R18】悪女になって婚約破棄を目論みましたが、陛下にはお見通しだったようです

ほづみ
恋愛
侯爵令嬢のエレオノーラは国王アルトウィンの妃候補の一人。アルトウィンにはずっと片想い中だが、アルトウィンはどうやらもう一人の妃候補、コリンナと相思相愛らしい。それなのに、アルトウィンが妃として選んだのはエレオノーラだった。穏やかな性格のコリンナも大好きなエレオノーラは、自分に悪評を立てて婚約破棄してもらおうと行動を起こすが、そんなエレオノーラの思惑はアルトウィンには全部お見通しで……。 タイトル通り、いらぬお節介を焼こうとしたヒロインが年上の婚約者に「メッ」されるお話です。 いつも通りふわふわ設定です。 他サイトにも掲載しております。

腹黒王子は、食べ頃を待っている

月密
恋愛
侯爵令嬢のアリシア・ヴェルネがまだ五歳の時、自国の王太子であるリーンハルトと出会った。そしてその僅か一秒後ーー彼から跪かれ結婚を申し込まれる。幼いアリシアは思わず頷いてしまい、それから十三年間彼からの溺愛ならぬ執愛が止まらない。「ハンカチを拾って頂いただけなんです!」それなのに浮気だと言われてしまいーー「悪い子にはお仕置きをしないとね」また今日も彼から淫らなお仕置きをされてーー……。

処理中です...