上 下
6 / 12

王国の白百合

しおりを挟む





 エイサ・スアレムは美しく聡明な女の子だった。
 飴色の艶やかな髪、エメラルドを磨いたような瞳、一流の職人が造作したように整った顔は小さく、肌は透けるように白い。
 王宮内を歩くと誰もが振り向くような、文句のつけようがないほどに美しい娘。それがエイサだった。

 外見が美しいだけでなく、才媛だった。異国の言葉を流暢に話し、難解な魔導書さえも的確に翻訳することが出来る。
 この類い稀な容姿と語学力があれば、異国の王族に嫁ぐことだって夢ではない、……ああでも。異国に嫁いだらわたくしとの交流がむずかしくなる。悩ましいところだ。エイサはわたくしの友人としてもすばらしい存在だったから。

 王宮で閉じこもりきりになっているわたくしのために、いつも楽しい話を聞かせてくれる。鈴の音のような声。彼女が語る胸躍る異国の冒険譚は、何回聴いても飽きなかった。


「──殿下、」
「アシュトス!」

 寝室を隔てる、薄い桃色の布越しに映る大きな影と、やや掠れた声。急いで薄布を引いた。

「急に呼び出して悪かったですわね」
「……いえ」
「頭を上げてください」

 少し癖ある黒髪が動く。彼は片膝をついていた。顎を上げた顔はなるほど、凛々しく整っている。跪く姿は王宮騎士らしく、一枚絵とまでは言わないが、なかなかに雰囲気があった。

 黒髪に黒い虹彩。甘さはないが、切れ長の奥二重は涼やかで、スッと高い鼻梁と整った口元はまあまあ美男と言える。軍人の類にしては肌もきれいだと思った。

 ──でも、妖精ニンフのように美しいエイサの隣に並びたつには、少し地味かもしれない。

 王宮の内の侍女たちが、彼をみて黄色い声を出していたのは知っていた。彼があのエイサの婚約者だということも。

 エイサから彼のことを何度か聞いたことがある。一見口調や表情は冷淡だが、根はとても優しくて良いひとだと言っていた。腐れ縁としか言いようのない自分のことを、大切に扱ってくれる紳士だとも。

 ──あのエイサが頰を染めて褒めるような男だもの、きっと極上に違いない。

 この三年間、数多くの男を『抱いて』きたが、誰一人として満足のいく者はいなかった。アシュトス・ラードリーはあの美しいエイサを虜にしているのである、きっと『凄い』のだろう。

 エイサは翻訳家として何年も王宮内を出入りしている。あの美貌だ。純潔なふりをして、数々の男たちと関係があってもおかしくはない。その中でこのアシュトス・ラードリーを選ぼうとしていたのだ。

 父親の命令があるのかもしれないが、エイサなら、特別裕福でもない伯爵の父親を黙らせられる男を簡単に得ることが出来ただろう。
 しかしエイサは、自分が働いて支えねばならないこの男の妻になろうとしていたのだ。彼女なら、いくらでも金持ちで権力のある男を手に入れられるというのに。容姿だって、彼よりも優れた者を選べたはず。

 ──それほどまでに良い男なのか。

 興味を強く惹かれた。つまり何が言いたいのかと言うと、この男の『具合』を試してみたくなったのだ。
 今すぐに。

「殿下……。恐れながら」
「なぁに?」
「……場所を移しませんか? ここで話していては誰に勘繰られるや分かりません」

 紳士というのも本当であった。彼はわずかに左右に黒い瞳を揺らすと、すくっと立ち上がった。背は特段高くもなく、低くもない。が、均整の取れた体躯をしている。腕の良い剣士らしいが、筋骨隆々ではない。王宮騎士であるにも関わらず、遠征の依頼がひっきりなしに来ていると、彼の父親は困ったように言っていた。

 体力も凄そうだ。はしたなくもごくりと喉が鳴った。

 アシュトスが気にしているのは、ここは私の寝所だからだ。そして私は肌が透けて見えるような扇状的な部屋着を身にまとっている。彼はあきらかに察していた。褥に誘われているということに。
 分かっている上で、嫌悪感を完全に押し殺しているのだ。

 そんな男は見たことがない。特に貴族出身の次男三男は率先してわたくしに抱かれたがった。皆、王女の降嫁を望んでいるのだ。この国の公爵になるために。

 ──面白い。

「ふふっ、今日のところは見逃してあげます。時間はまだまだありますから」
「……は」
「くわしい話はすでにあなたの父親に話してあるわ。良い返事を期待していますよ、アシュトス」

 わたくしは彼に求婚した。アシュトスは遠征中であったため、代わりに彼の父親を呼び出した。ラードリー卿は降嫁の申し出を喜ぶでもなく、ただひたすらに恐縮していた。ラードリー卿の態度にも好感を持った。露骨に喜ぶこともなく、わたくしに世辞を言うわけでもなく『うちの倅で本当によいのでしょうか?』と困惑した様子で尋ねてきた。強欲さはまるでなく、良い意味で貴族らしくないと思った。この父親の元で育ったのなら、アシュトスも貴族らしくない面白い男であるに違いない。

 降嫁する場合の婚約期間は半年。身体が合わなければ破棄すれば良いと気軽に考えている。外聞などは気にしないが、新たな獲物がかかりにくくなるのは困る。新鮮な精液を啜らねば、わたくしは干からびてしまうから。

 ──精液をすすりきって殺すか。

 今まで十人、腹上死させた。皆列強の美男だったが、体力がなくすぐに力尽きた。筋骨隆々な者は好みではなく、軍属者は選んで来なかったが、アシュトス・ラードリーは存外悪くない。騎士服の上から見た限りでは、そこまで暑苦しい逞しさは感じられない。
 なによりあの涼やかな相貌は新鮮だった。あの寒々しい、淡々とした表情をしたアシュトスが、シーツの上で乱れるのを見てみたい。顔や首を赤く染め、切れ長の目に涙を浮かべる様は見ものだろう。

 健康的な雰囲気は感じられるのに、性欲が感じられないのだ。わたくしに一欠片の情欲も抱かない彼に興味を持った。

 黒い瞳が、劣情に歪むところがみたい。わたくしの中の雌雄が疼いた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】野獣な辺境伯は、婚約破棄された悪役令嬢を娶る

紫宛
恋愛
5月4日 グザルの母親の年齢を間違えていたため修正しました。32→35です(ᴗ͈ˬᴗ͈⸝⸝) アッシュフォード王国の北方に位置する領土は、雪山に囲まれているため、王都からは隔離された領土だった。 この地の領主は、ギルフォード辺境伯だった。王都では、大男で有名で女性からは野獣と称され敬遠されていた。 それが原因で、王都には極力近寄らず、 余程のことがない限りは、領地を出ることも無かった。 王都では、王太子に婚約破棄された侯爵令嬢が旅立とうとしていた。両親は無関心で気にもとめず、妹はほくそ笑み、令嬢は1人馬車に乗り込み、辺境伯の元へ嫁いだ。 18歳の少女は、29歳の大男と共に幸せを掴む。 ※素人作品です※ 1月1日 第2話 第3王子→王太子に修正しました。

大事な姫様の性教育のために、姫様の御前で殿方と実演することになってしまいました。

水鏡あかり
恋愛
 姫様に「あの人との初夜で粗相をしてしまうのが不安だから、貴女のを見せて」とお願いされた、姫様至上主義の侍女・真砂《まさご》。自分の拙い閨の経験では参考にならないと思いつつ、大事な姫様に懇願されて、引き受けることに。  真砂には気になる相手・檜佐木《ひさぎ》がいたものの、過去に一度、檜佐木の誘いを断ってしまっていたため、いまさら言えず、姫様の提案で、相手役は姫の夫である若様に選んでいただくことになる。  しかし、実演の当夜に閨に現れたのは、檜佐木で。どうも怒っているようなのだがーー。 主君至上主義な従者同士の恋愛が大好きなので書いてみました! ちょっと言葉責めもあるかも。

〈短編版〉騎士団長との淫らな秘め事~箱入り王女は性的に目覚めてしまった~

二階堂まや
恋愛
王国の第三王女ルイーセは、女きょうだいばかりの環境で育ったせいで男が苦手であった。そんな彼女は王立騎士団長のウェンデと結婚するが、逞しく威風堂々とした風貌の彼ともどう接したら良いか分からず、遠慮のある関係が続いていた。 そんなある日、ルイーセは森に散歩に行き、ウェンデが放尿している姿を偶然目撃してしまう。そしてそれは、彼女にとって性の目覚めのきっかけとなってしまったのだった。 +性的に目覚めたヒロインを器の大きい旦那様(騎士団長)が全面協力して最終的にらぶえっちするというエロに振り切った作品なので、気軽にお楽しみいただければと思います。

大嫌いなアイツが媚薬を盛られたらしいので、不本意ながらカラダを張って救けてあげます

スケキヨ
恋愛
媚薬を盛られたミアを救けてくれたのは学生時代からのライバルで公爵家の次男坊・リアムだった。ほっとしたのも束の間、なんと今度はリアムのほうが異国の王女に媚薬を盛られて絶体絶命!? 「弟を救けてやってくれないか?」――リアムの兄の策略で、発情したリアムと同じ部屋に閉じ込められてしまったミア。気が付くと、頬を上気させ目元を潤ませたリアムの顔がすぐそばにあって……!! 『媚薬を盛られた私をいろんな意味で救けてくれたのは、大嫌いなアイツでした』という作品の続編になります。前作は読んでいなくてもそんなに支障ありませんので、気楽にご覧ください。 ・R18描写のある話には※を付けています。 ・別サイトにも掲載しています。

慰み者の姫は新皇帝に溺愛される

苺野 あん
恋愛
小国の王女フォセットは、貢物として帝国の皇帝に差し出された。 皇帝は齢六十の老人で、十八歳になったばかりのフォセットは慰み者として弄ばれるはずだった。 ところが呼ばれた寝室にいたのは若き新皇帝で、フォセットは花嫁として迎えられることになる。 早速、二人の初夜が始まった。

嫉妬の代償は旦那様からの蜜愛でした~王太子は一夜の恋人ごっこに本気出す~

二階堂まや
恋愛
王女オリヴィアはヴァイオリンをこよなく愛していた。しかし自身最後の音楽会で演奏中トラブルに見舞われたことにより、隣国の第三王女クラリスに敗北してしまう。 そして彼女の不躾な発言をきっかけに、オリヴィアは仕返しとしてクラリスの想い人であるランダードの王太子ヴァルタサールと結婚する。けれども、ヴァイオリンを心から楽しんで弾いていた日々が戻ることは無かった。 そんな折、ヴァルタサールはもう一度オリヴィアの演奏が聴きたいと彼女に頼み込む。どうしても気が向かないオリヴィアは、恋人同士のように一晩愛して欲しいと彼に無理難題を押し付けるが、ヴァルタサールはなんとそれを了承してしまったのだった。

元男爵令嬢ですが、物凄く性欲があってエッチ好きな私は現在、最愛の夫によって毎日可愛がられています

一ノ瀬 彩音
恋愛
元々は男爵家のご令嬢であった私が、幼い頃に父親に連れられて訪れた屋敷で出会ったのは当時まだ8歳だった、 現在の彼であるヴァルディール・フォルティスだった。 当時の私は彼のことを歳の離れた幼馴染のように思っていたのだけれど、 彼が10歳になった時、正式に婚約を結ぶこととなり、 それ以来、ずっと一緒に育ってきた私達はいつしか惹かれ合うようになり、 数年後には誰もが羨むほど仲睦まじい関係となっていた。 そして、やがて大人になった私と彼は結婚することになったのだが、式を挙げた日の夜、 初夜を迎えることになった私は緊張しつつも愛する人と結ばれる喜びに浸っていた。 ※この物語はフィクションです。 R18作品ですので性描写など苦手なお方や未成年のお方はご遠慮下さい。

【R18】悪女になって婚約破棄を目論みましたが、陛下にはお見通しだったようです

ほづみ
恋愛
侯爵令嬢のエレオノーラは国王アルトウィンの妃候補の一人。アルトウィンにはずっと片想い中だが、アルトウィンはどうやらもう一人の妃候補、コリンナと相思相愛らしい。それなのに、アルトウィンが妃として選んだのはエレオノーラだった。穏やかな性格のコリンナも大好きなエレオノーラは、自分に悪評を立てて婚約破棄してもらおうと行動を起こすが、そんなエレオノーラの思惑はアルトウィンには全部お見通しで……。 タイトル通り、いらぬお節介を焼こうとしたヒロインが年上の婚約者に「メッ」されるお話です。 いつも通りふわふわ設定です。 他サイトにも掲載しております。

処理中です...