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王国の白百合
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エイサ・スアレムは美しく聡明な女の子だった。
飴色の艶やかな髪、エメラルドを磨いたような瞳、一流の職人が造作したように整った顔は小さく、肌は透けるように白い。
王宮内を歩くと誰もが振り向くような、文句のつけようがないほどに美しい娘。それがエイサだった。
外見が美しいだけでなく、才媛だった。異国の言葉を流暢に話し、難解な魔導書さえも的確に翻訳することが出来る。
この類い稀な容姿と語学力があれば、異国の王族に嫁ぐことだって夢ではない、……ああでも。異国に嫁いだらわたくしとの交流がむずかしくなる。悩ましいところだ。エイサはわたくしの友人としてもすばらしい存在だったから。
王宮で閉じこもりきりになっているわたくしのために、いつも楽しい話を聞かせてくれる。鈴の音のような声。彼女が語る胸躍る異国の冒険譚は、何回聴いても飽きなかった。
「──殿下、」
「アシュトス!」
寝室を隔てる、薄い桃色の布越しに映る大きな影と、やや掠れた声。急いで薄布を引いた。
「急に呼び出して悪かったですわね」
「……いえ」
「頭を上げてください」
少し癖ある黒髪が動く。彼は片膝をついていた。顎を上げた顔はなるほど、凛々しく整っている。跪く姿は王宮騎士らしく、一枚絵とまでは言わないが、なかなかに雰囲気があった。
黒髪に黒い虹彩。甘さはないが、切れ長の奥二重は涼やかで、スッと高い鼻梁と整った口元はまあまあ美男と言える。軍人の類にしては肌もきれいだと思った。
──でも、妖精のように美しいエイサの隣に並びたつには、少し地味かもしれない。
王宮の内の侍女たちが、彼をみて黄色い声を出していたのは知っていた。彼があのエイサの婚約者だということも。
エイサから彼のことを何度か聞いたことがある。一見口調や表情は冷淡だが、根はとても優しくて良いひとだと言っていた。腐れ縁としか言いようのない自分のことを、大切に扱ってくれる紳士だとも。
──あのエイサが頰を染めて褒めるような男だもの、きっと極上に違いない。
この三年間、数多くの男を『抱いて』きたが、誰一人として満足のいく者はいなかった。アシュトス・ラードリーはあの美しいエイサを虜にしているのである、きっと『凄い』のだろう。
エイサは翻訳家として何年も王宮内を出入りしている。あの美貌だ。純潔なふりをして、数々の男たちと関係があってもおかしくはない。その中でこのアシュトス・ラードリーを選ぼうとしていたのだ。
父親の命令があるのかもしれないが、エイサなら、特別裕福でもない伯爵の父親を黙らせられる男を簡単に得ることが出来ただろう。
しかしエイサは、自分が働いて支えねばならないこの男の妻になろうとしていたのだ。彼女なら、いくらでも金持ちで権力のある男を手に入れられるというのに。容姿だって、彼よりも優れた者を選べたはず。
──それほどまでに良い男なのか。
興味を強く惹かれた。つまり何が言いたいのかと言うと、この男の『具合』を試してみたくなったのだ。
今すぐに。
「殿下……。恐れながら」
「なぁに?」
「……場所を移しませんか? ここで話していては誰に勘繰られるや分かりません」
紳士というのも本当であった。彼はわずかに左右に黒い瞳を揺らすと、すくっと立ち上がった。背は特段高くもなく、低くもない。が、均整の取れた体躯をしている。腕の良い剣士らしいが、筋骨隆々ではない。王宮騎士であるにも関わらず、遠征の依頼がひっきりなしに来ていると、彼の父親は困ったように言っていた。
体力も凄そうだ。はしたなくもごくりと喉が鳴った。
アシュトスが気にしているのは、ここは私の寝所だからだ。そして私は肌が透けて見えるような扇状的な部屋着を身にまとっている。彼はあきらかに察していた。褥に誘われているということに。
分かっている上で、嫌悪感を完全に押し殺しているのだ。
そんな男は見たことがない。特に貴族出身の次男三男は率先してわたくしに抱かれたがった。皆、王女の降嫁を望んでいるのだ。この国の公爵になるために。
──面白い。
「ふふっ、今日のところは見逃してあげます。時間はまだまだありますから」
「……は」
「くわしい話はすでにあなたの父親に話してあるわ。良い返事を期待していますよ、アシュトス」
わたくしは彼に求婚した。アシュトスは遠征中であったため、代わりに彼の父親を呼び出した。ラードリー卿は降嫁の申し出を喜ぶでもなく、ただひたすらに恐縮していた。ラードリー卿の態度にも好感を持った。露骨に喜ぶこともなく、わたくしに世辞を言うわけでもなく『うちの倅で本当によいのでしょうか?』と困惑した様子で尋ねてきた。強欲さはまるでなく、良い意味で貴族らしくないと思った。この父親の元で育ったのなら、アシュトスも貴族らしくない面白い男であるに違いない。
降嫁する場合の婚約期間は半年。身体が合わなければ破棄すれば良いと気軽に考えている。外聞などは気にしないが、新たな獲物がかかりにくくなるのは困る。新鮮な精液を啜らねば、わたくしは干からびてしまうから。
──精液をすすりきって殺すか。
今まで十人、腹上死させた。皆列強の美男だったが、体力がなくすぐに力尽きた。筋骨隆々な者は好みではなく、軍属者は選んで来なかったが、アシュトス・ラードリーは存外悪くない。騎士服の上から見た限りでは、そこまで暑苦しい逞しさは感じられない。
なによりあの涼やかな相貌は新鮮だった。あの寒々しい、淡々とした表情をしたアシュトスが、シーツの上で乱れるのを見てみたい。顔や首を赤く染め、切れ長の目に涙を浮かべる様は見ものだろう。
健康的な雰囲気は感じられるのに、性欲が感じられないのだ。わたくしに一欠片の情欲も抱かない彼に興味を持った。
黒い瞳が、劣情に歪むところがみたい。わたくしの中の雌雄が疼いた。
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