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思い出の場所

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「カーリン、今日は良い天気ねえ」

 穏やかな風が吹く丘の上。ロトニナの腕には黒髪の赤ん坊がいた。
 あれから彼女は男児を産んだ。いくら聖女と言えど、一人で産むのは無謀だと思い、人里へ下りて産婆の力を借りた。
 カーリンが一歳の誕生日を迎えたところで、この小屋へ戻ってきたのだ。
 人里にいる間にハーシレフが戻ってきたらと考えなかったわけではないが、それよりも子どものほうが大事だった。二百年生きてきて、はじめて産んだ我が子。黒髪も深い緑色の瞳も父親のハーシレフそっくりだ。

「あーあー」
「なぁに? カーリン」

 今日は天気が良い。散歩がてら、カーリンを連れて丘までやって来た。ハーシレフと出会った思い出の場所だ。

 (私、あの人を食べようとしたっけ)

 ロトニナは一人、苦笑いを浮かべる。
 もしかしたら幼い頃に家族と一緒に食べた飛竜も、人間に変化する個体だったかもしれないと思うと何とも複雑な気持ちになる。

 今日は雲一つ無い晴天。青く透き通るようだ、と思って見上げていると、遠くに黒い点が見えた。初めは見間違えかと思うほど小さかった黒点がどんどん大きくなる。

 ロトニナ達が暮らす小屋がある山岳一帯には、目に見えない結界を張っている。
 虫一匹、外界からは入って来られないはずなのにとロトニナは焦るが、思えばハーシレフは自分が張った結界をすり抜けて丘の上に倒れていたのだ。他に侵入者があってもおかしくはない。

 ロトニナはカーリンを抱いた腕に力を込めると、右手のひらを空へ向かって突き出した。
 何がやってきても、この子を守らねばならない。
 彼女は魔法を唱え、新たな結界を作るものの、黒点はどんどん近づいてくる。そして黒点の輪郭が見えてきた。
 黒点には黒い羽が生えている。
 飛竜だった。

 飛竜がハーシレフかどうかは分からない。ロトニナはさらにカーリンを腕にしっかり抱え込む。

 ついに丘の上へと飛竜は降り立った。
 飛竜はロトニナ母子の姿を目に止めると、その身体は光に包まれた。光の粒から現れたのは、人間。

「ロトニナ!」

 飛竜だったものは、ロトニナの名を呼ぶ。

「……ハーシレフ⁉︎」

 ロトニナは信じられないとばかりに口を片手で覆う。
 黒い飛竜は帰還を待ち望んでいたハーシレフだった。
 軍服姿のハーシレフは、生えたばかりの地面の花に長い足を取られながらも、彼女へ近寄る。

「すまない、遅くなった」

 彼は息を切らしながら腰を折った。

「良かった、生きていたのね!」
「飛竜はそう簡単には死なないさ」
「でも、初めて会ったあなたは死にかけだったじゃない」
「う……」

 痛いところを突かれたと言わんばかりに、ハーシレフは胸を押さえる。そして、ロトニナが胸に抱いている存在に視線を下ろす。

「その子が、もしかして……」
「そうよ」
「そうか。……妊娠中も、産んでからも一人で不安だったろう」
「そんなことないわ。さすがに妊娠中は人里へ行ったもの」
「もう少し早く戻ってくる予定だったんだがな」

 ハーシレフは片目を手のひらで覆うと、ため息をつく。

「あなたの国の戦争はどうなったの?」
「……辛勝だ。なんとか国は存在しているが、多くの兵が命を落とした」
「そう……」

 彼は復興のため、祖国へ戻ってしまうのだろうか。
 やっと会えたのにとロトニナは俯く。

 本当は、一人でカーリンを育てていて不安だった。生活は問題なく送れていても、伴侶パートナーの存在が欲しく無かったと言えば嘘になる。それにこれからカーリンは大きくなる。息子は飛竜の血を引いている。聖女と言えど、人間でしかない自分では対処出来ない問題が出てくるかもしれない。そんな時、男親がいたら、と思うかもしれない。

「ハーシレフ、あなたは国へ戻るの?」

 不安に思いながらも、ロトニナは尋ねる。
 ハーシレフは首を横に振った。

「いいや、戻らない」
「戻らない……?」
「兄貴から、人間の世界へ行って子どもをたくさん作れと言われている。我が国の飛竜はかなり減ってしまったからな。出来ればロトニナ、あんたとその子……」
「カーリンよ」
「ロトニナとカーリンと、これからは一緒に暮らしたいと思っている。俺は妊娠したあんたを置いて戦場に戻ってしまった男だから、嫌かもしれんが……」

 もしかしたら、ハーシレフは死んでしまったかもしれないと、何度も不安に思った。彼が戻ってきてくれただけでも胸がいっぱいなのに。
 ロトニナは声を詰まらせる。

「い、嫌じゃない! 私も、あなたと暮らしたいと思ってる」
「良かった! ああ、追い出されたらどうしようかと思った」

 破顔する彼に、視界が緩む。
 本当はずっと不安だった。でも、息子には自分しかいない。自分がしっかりせねばと気を張り過ぎていたことに、ロトニナは今さらながら気がつく。

「あーあー」

 ロトニナが目に涙を浮かべたところで、胸に抱いたカーリンがハーシレフへ向かって小さな腕を伸ばした。

「抱っこしてみる?」
「いいのか? 泣かないかな」
「きっと大丈夫よ」

 ハーシレフは恐る恐る我が子を腕に抱く。カーリンは泣くことは無く、初めて見る父親の顔をじっと見上げている。

「はは……。すごく見られているな」
「ここには私以外の人間はいないもの。男の人が珍しいのかもしれないわね。……さっ、小屋へ行きましょう。色々話を聞かせてよ」
「ああ」

 ハーシレフはカーリンを腕に抱いたまま、歩き出す。
 彼は「可愛いな」と目を細めた。

「夢みたいね」
「何がだ?」
「私、もうあなたが戻って来ないんじゃないかって半分覚悟していたもの」
「飛竜はつがいを見捨てるような薄情な生き物ではないぞ」

 ロトニナの言葉に、ハーシレフはムッと眉間に皺を寄せる。

「薄情とかじゃなくて、あなたが戦争で無理をして、死んでしまうのではないかと……」
「出会い方が良くなかったな。俺が初めてこの丘に来た時、自分の体長の三倍以上ある古代竜三匹と戦った後だった」
「古代竜……⁉︎ 三匹?」
「なんとか古代竜は俺一人で倒せたんだが、深手を負ってしまった。まぁ、古代竜三匹に囲まれるようなことは滅多にない」
「あなた、もしかして強いの?」
「これでも王家の血を引いているから、他の個体よりかは身体は大きいし、ブレスも威力がでかいものを出せる」
「ブレス……。カーリンも、口から光線や炎を出すようになるのかしら?」

 カーリンは人の子の姿をして生まれてきた。
 そして生まれてからずっと人の赤子として過ごしている。この子が竜の姿になってブレスを吐く姿は想像出来ない。
 ハーシレフはカーリンの艶やかな黒髪を撫でる。

「そんなことが出来るようになるのはずっと先だ。俺が飛竜に変化出来るようになったのも、人の姿で大人になってからだ。二十歳ぐらいだったかな……?」
「あなたが戻ってきてくれて本当に良かったわ。私、飛竜のことは何も分からないもの」
「今思えば、本当に無責任だったな……」
「私も考えなしだったわ。お互い、長く生きているのにね」
「まったくだ」

 二人で顔を見合わせると、胸の奥からむず痒いような笑いが込み上げてくる。
 ひとしきり笑った後、ハーシレフは顔を上げた。

「あの時は本能に突き動かされてしまったが、子育てはきちんとするさ。これからはロトニナとカーリンをしっかり食わせていく。少ししたら人里へ行こう」
「仕事はどうするの?」
「俺は二百年も生きているからな。人間世界の資格は色々ある。カーリンの教育に金がかかるだろうから、町医者でもやろうかな。これでも医師免許は定期更新しているんだ」
「すごいわね」
「あんたの魔法の力があれば医者なんかいらないだろうが」
「ううん。魔法の癒しの力で傷を治せるかどうかは相手の体力次第だもの。小さな子どもやお年寄りには医者の力が必要だわ」

 ロトニナは聖女だったころ、主に帝国兵達の傷を癒していた。相手が屈強な成人男性だったからこそ、魔法の癒しの力が通用していた。
 聖女を辞めて百五十年が経つ。もう今の人間世界では聖女を必要としていないかもしれない。

 しばらくは人間世界に造詣が深そうなハーシレフに頼る生活になってしまうだろうが、自分は自分で頑張ろうとロトニナはふんと息を吐いて気合いを入れる。

「これからは宜しく頼む」
「ええ、こちらこそ」

 ハーシレフは片手でカーリンをしっかり抱えると、ロトニナへ向かって手を差し出す。
 二人は握手を交わし、そして笑い合った。
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