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エピローグ

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 数日後、アヴェラルドが特務の三十六連隊の詰所へとやってきた。
 あの後、彼は後金を持ってくると言っていた。私はもう少しあとでも良いと言ったのだけど、彼はどこまでも真面目なのだろう。

 例のお嬢様の捕物の件で、アヴェラルドが所属する近衛第二連隊は大変そうだ。わずかな暇をみて、アヴェラルドは訪ねてきてくれたのだが──なぜか、彼の所属する近衛のトップ、イケメン師団長様も一緒だった。
 新任の近衛師団長様は威風堂々というよりは、部屋に入ってきた瞬間、冬の早朝のようなキリリと冷たい風が吹く──そんな酷薄そうな人物だった。実年齢よりもずっと若く見え、すらりと背が高くてとにかくクールでカッコよかった。
 アヴェラルドが物語に出てくる王子様的な美男ならば、近衛師団長様は一世一代の美形といった感じだ。

 ──なぜ……。

 首をかしげる。
 一師団のおさみずから、他師団のしかも一連隊の詰所に来るなど、本来はありえない。
 にわかに色めき立つ特務三十六連隊の詰所。
 うちの上長なんか、『おい! 写真ホトグラ技師を呼べ!』なんて叫んでいる。

 新任の近衛師団長様には隠れファンが多いらしく、写真は高値で売れるらしい。離縁した奥さんへ渡す養育費で首が回らなくなっている上長は必死だった。
 ちなみに上長には別れた奥さんが三人いて、それぞれにお子さんがいた。
 全員が兵学校もしくは士官学校へ上がる予定らしく、そりゃいくら特務で働いているとはいえ、金策は大変だろう。兵学校の授業料はべらぼうに高かった。
 余談だが、騎士団に所属している限り養育費は給与天引きだ。

 そんな子作りの計画性がない上長は、近衛師団長様に話しかけられて情けない悲鳴をあげた。


「……ロラ・アーガットはいるか?」
「ひぃぃっ⁉︎ い、今は見回りに出ておりますが、もうすぐ戻ってくるかと……」
「そうか、待たせて貰おう」

 私たちと同じ灰色の外套を翻し、淡々と用件を上長へ伝える近衛師団長様。艶のある黒髪を軽く後ろへ流し、切れ長の瞼から深緑の瞳が覗く。横顔の完璧なラインにうっとりしかけたが、ロラ先輩の名前が出たことで私の心臓は縮みあがる。何事もなければ良いが。


 ──でも……。すごいなぁ。

 しっかしこの近衛師団長様、こんなに不躾なギャラリーがいるのに、まったく意に介していない。
 『かっこいー! あたらしい近衛の師団長様って素敵ね! 一度お相手願いたいわ』『ばっかね! アンタなんか相手にされるわけないじゃない! まずはアタシがいくわ!』『男もイケるのかなぁ?』『近衛の師団長様、タチなのかネコなのか……そっちも問題よねェ~~』

 筋骨隆々の騎士たちが、頬を染めてひそひそ言い合っている。
 ひどいセクハラ発言が背後で飛び交っているというのに、近衛師団長様は眉ひとつ動かさない。さすがだ。
 余談だが、特務の人間は博愛主義者が多い。男女国籍問わず気にいったら食う。日々危険な任務をこなす彼らは雑食だ。

 ちなみにアヴェラルドはガチムチの特務騎士にお尻を触られて甲高い叫び声をあげていた。
 そりゃそうよね。

 涙目になったアヴェラルドに声をかけられた。


「メニエラ、話がある……。ちょっといいかな?」
「はい?」

 二人で個室に入る。
 テーブルを介して向かい合った。

「どこから話をしていいのか分からないが……。とりあえず、これを受け取ってほしい」

 スッと差し出されたのは、一冊の薄い本。
 水色に染め抜かれた表紙がなんとも可愛らしいが、タイトルはない。高価そうな装丁だが。

「……なんですか? これは?」
「日記帳だ。君が気にいるかどうか分からないが……」
「日記帳? なぜ?」
「き、君が、男女交際は交換日記から始めたいと言っていたから……」

 首まで赤く染めたアヴェラルドは、なにやらごにょごにょ言っている。

 先日、私たちの契約は終わったはずだ。
 交際期間は終わっている。
 なぜアヴェラルドは日記帳なぞ用意したのか。
 私が目を丸くしていると、彼は絞り出すような声で言った。

「メニエラ、俺は君のことが好きだ。でも、……ずっと、君のことは諦めようと思っていたんだ。道ならぬ恋だと思って……」
「えっ」
「君は近衛でも可愛いと評判だ。毎日のように、王城の詰所では君の噂が飛び交っていた……。誰それと高級宿の前を歩いていただの、恋人が変わっただの……。俺はその話を耳にするたびに、辛かった。俺も君に交際を申し込みたかったが、俺にはろくに女性との交際経験がない。俺が告白しても相手にされないと思っていたんだ」
「アヴェラルドさん……」
「君に、過去の男たちと比べられるのが怖かったんだ。依頼にかこつけて性急な真似をしたのも、やることなすこと遅いと、経験不足を馬鹿にされるんじゃないかって……。すまなかった、メニエラ。君にろくに確認もせず、勝手な真似をして。君を傷つけた俺が、こんなことを言うのは間違っているかもしれないが……。どうかチャンスをくれないか?」

 私をまっすぐに見据える、真摯な青い瞳に息をのむ。
 あの、お嬢様に宣言していたことは口上ではなかったのか。私を愛する人だと言っていたのは、本気だったのか。あれは恋人のフリでもなんでもなくて──

「俺と交換日記から、交際をはじめてほしい。……結婚を前提として」

 胸の奥がぎゅうぅっと軋むように痛くなる。
 何か返事をしたいのに、胸がいっぱいすぎて言葉が出ない。

 私はぶんぶん頭を縦に振った。

「は、はいぃぃぃ~~……!」

 色々思うことはある。
 アヴェラルドは名門貴族家の出身だ。
 いくら嫡子ではないとはいえ、私みたいな移民の小娘を婚約者にしてもいいのか? とか。

 でも、今は彼の告白に素直に頷きたかった。
 私だって、アヴェラルドが好きだ。
 本当は大好きだ。
 はじめての行為はとても痛くて苦しかったけど、でも、好きな人と裸で抱き合えた経験は、結果的には嬉しいことだった。
 自分とは違う、固く逞しい身体にキュンとした事は確かだ。

 私の必死すぎる返事に、アヴェラルドの表情がパッと明るくなる。
 その眩しい笑顔に、また胸が苦しくなった。
 酸欠で死ぬかもしれない。

「ほ、ほんとうか! ありがとう! さっそく一ページ目を書いてきたんだ」
「ありがとうございます~~! へへっ、私、毎日この国の言葉の勉強をしてるから、交換日記はすごく勉強になりそうで嬉しいです!」
「なるほど。あ、ではこれはどうだ? 俺も南方文字を勉強してるんだ。余白にお互いの母国語で返事を書いたらどうだろうか……」
「いいですね!」

 真新しい日記帳を挟んで、きゃっきゃと盛り上がる。嬉しい。これぞ私が望んでいた男女交際の始まり方だ。
 すでに私たちは身体の関係をすませているが、これからまた愛を育めばいい。


 ──ロラ先輩、ありがとう……。

 心の中で、なにかと協力してくれたロラ先輩に感謝する。
 ロラ先輩は私は私のままでいいと背中を押してくれた。
 ロラ先輩がいなかったら、私はアヴェラルドと正式に付き合えていなかったかもしれない。


「メニエラ、俺はもう焦らない。ゆっくり愛を育んでいこう」
「はい……!」
「前にも言ったが、敬語はやめてほしい」
「はっ……う、うん」

 どちらからともなく、手を取り合う。

 背後から女性の『くぁwせdrftgyふじこlp』という断末魔が聞こえたが、私たちは気にしない。
 この個室──相談室は壁が薄かった。

 たぶん、ロラ先輩は見回りから戻ってきたのだろう。因縁の近衛師団長様とばったり出くわしてしまったのだ。

 ──ロラ先輩は大人だもん! 自分でなんとかするよね!

 この時の私はすっかり忘れていた。
 媚薬の出どころについてアヴェラルドに聞かれ、ロラ先輩の名前を出してしまったことを──言っていなかったのだ。ロラ先輩に。
 アヴェラルドが媚薬について報告したから、今日近衛師団長様はここへとやってきたのだろう。

 私のせいでロラ先輩と近衛師団長様は一悶着あったのだが、これはまた別の話だ。


 <おわり>
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