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67 遼東城撤退!
しおりを挟む「え~っ!? なんですってーっっ!?」
乙支文徳の言葉に案の定、中小隊長たちは動揺しまくりの叫び声をあげ、意味もなく両手を振り回しながら部屋中を走り回った。
「言った通りだ。一般人や傷病兵たちは近くで一番守りが固い城……そうだな。隣の安市城にでも預けて、我々は遼東城を放棄して平壌城へ引き返す。おれたちが南に下がれば隋軍も追って来るだろうから、安市城が襲われる心配はあるまい」
「だけど……なぜ、遼東城を放棄しなければならないのですか? ぼくたちはいまのところ、隋軍相手に負けていない……と言うよりむしろ、勝っていると思うんですけど」
ただ一人。大陽だけが冷静な口調でそう尋ねかけてきた。だが彼にしても、遼東城を放棄すると言う乙支文徳の真意は分かりかねているようで、しきりに首をひねっていた。
「遼河の時と同じだよ。勝っているのはいまだけだ。実は何日か前に、隋軍の指揮権が煬帝から于仲文に移ろうかという動きがあると細作から報告があった」
「于仲文将軍が……?」
乙支文徳のその応えに、隊長たちはピタリと動きを止め、ごくりと唾を飲みこみながら、わずかに怯えたような表情を浮かべ、呟いた。彼らも半年近く前の遼河から遼東城への撤退戦で、于仲文に苦しめられたことを忘れていないのである。この五か月間ほどの遼東城の戦いで高句麗軍は五〇〇〇人の兵士が死傷したが、遼河からの撤退戦ではたった一日でこれと同数の犠牲が出ているのだ。隊長たちが于仲文を恐れるのも当然だろう。
「そういうこと。いまのおれたちには于仲文とまともに戦うだけの力は残されていない。だが幸いにも、平壌城には高建武隊長率いる一万の防衛隊がほぼ無傷で残されている。しかも平壌城から送られてきた伝令が持ってきた大元……もとい陛下からの手紙によると、彼らは海から攻めてきた四万もの隋水軍と戦い、見事これを追い返したらしい」
隊長たちの間におお! と歓声が広がった。そのざわめきが静まるのを待って、乙支文徳はさらに言葉を続ける。
「彼らと合流することが出来れば、大きな戦力アップになることは疑いない。さらに戦場を平壌城まで下げることで、敵を高句麗の懐深くまで誘いこむことがかなえば、伸び切った敵の兵站線をさらに長く伸ばすことが出来る。こいつが限界まで伸び切ったところで高句麗の全兵力を投入し、隋軍をぶっ叩く!!」
右の平手で机を勢いよくバン! と叩きながら、高句麗が勝つにはもはやこれしかないと乙支文徳は声を荒げた。大陽や中小隊長たちもこれで納得してくれたようだった。
だが城を放棄するにしても、タイミングというものがある。まさか敵が攻撃している最中にノコノコと城の外に出ていく訳にはいかない。そんなことをすれば、後ろから襲って下さいとお願いしているようなものだ。
そこで、乙支文徳は一計を案じた。隋軍の指揮権が煬帝から于仲文に移るのなら、その引き継ぎのために隋兵たちは一旦煬帝の本陣がある武麗邏に戻る必要がある。つまりわずかながら、彼らの遼東城攻めに空白の期間が出来るはずと睨んだのだ。
乙支文徳は兵たちの指揮をとって激しい戦闘を繰り広げる傍ら偵察部隊の指揮も自らとって隋軍に対する監視を強化し、彼らの動向を逐一細かく報告させた。いつ隋軍が武麗邏に戻ることになるのか、その兆候を見逃すわけにはいかないからだ。さらにいつでも素早く城を捨てて逃げられるよう、文官たちの指揮もとって、大急ぎで遼東城脱出のための準備を整えさせた。
これらの作業を並行して、しかも遼東城内部に潜んでいるであろう隋軍の細作に気づかれないよう密かに行なわなければならないのだから、乙支文徳の苦労は想像を絶するものだった。さすがに過重労働のため、そろそろ大脳の大事な血管や神経がぷっつり切れてしまいそうになったその直前、乙支文徳の耳に待ちに待っていた報告が入ってきた。煬帝が指揮権を于仲文に委譲するため、隋軍に武麗邏への一時帰還を命じたと言うのだ。
確かにその報告が届いた時点を境に、それまで激しかった隋軍の攻撃が嵐が収まるがごとくピタリと止んだ。隋軍一〇大隊の全てが遼東城から一時離脱を開始したのだろう。だが乙支文徳はまだ脱出命令は出さず、タイミングを図るように根気強く隋軍の動向を見張り続けていたが……。
「よしっ! 全軍、民間人と文官、傷病兵を守りながら遼東城を脱出! 安市城に向かえ。その後民間人と傷病兵を預けた後は南に針路を取る。最終目標地点はもちろん、平壌城!!」
隋軍が遼東城と武麗邏のちょうど中間地点あたりに到着したと報告を得た時点で、乙支文徳はついに脱出命令を出した。
あまり早く脱出すると宇文述や于仲文らが兵を引き返して追いかけてくる危険性も皆無と言う訳ではないし、逆に遅すぎると指揮権の引き継ぎが終わって、生まれ変わった隋軍が意気揚揚々と攻めてくるだろう。そのため早すぎもせず遅すぎもしない、絶妙のタイミングを見計らい、脱出しなければならなかったのだ。
その見極めはかなり難しいものだったが、苦労の甲斐もあって、乙支文徳は最良のタイミングで、うまく遼東城を脱出することが出来たようだった。
その後。乙支文徳は傷病兵や一般人たちを隣の安市城に送り預けると、自らは残った一万の兵たちを連れて、鴨緑江の南岸まで電撃後退を果たしたのである。
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