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62 平壌城の戦い・その7

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「……しぶといですねえ。そんな馬の上に乗ってよくここまで戦えるもんだと感心しますよ。でももういい加減チャンバラも飽きてきたので、そろそろられてもらえません?」

「そちらこそ、さっさとあたしにられてくれませんかね? これでもあたしは結構忙しいのです。いつまでも貴女あなたがたとばかり関わってはいられないんですけど」

「気が合いますねえ。あたしも出来ればこれ以上、貴女と関わりを持ちたくないなあって思ってたところなんです」

侵略者しんりゃくしゃのかたなんかと気が合っても、嬉しくないですけどね」

 その後も二人の少女たちはしばらくの間、互いににくまれ口をたたき合いながらも右に左にせわしく動き回り、息をつく間もない激しい攻防戦が繰り広げられていた。しかしらい護児ごじの見たところ、どうにも秦瓊しん けいの不利はいなめないようだった。

 秦瓊の武器である二本のかんも、攻撃力や破壊力では決して高建武コ チェンムの剣におとるものではないが、いかんせん一本で四〇キロもの重さがあるシロモノ。いかに秦瓊が女の子離れした怪力と体力の持ち主であるとは言え、そうそう長い時間扱えるようなものではない。

 一方、高建武の武器も長大なバスタード・ソードではある。こちらも重さは相当なものであろうが、一本だけである分軽量であろうし。なにより彼女は巨大な青毛の馬を足代わりとすることが出来るため、その分体力は相当温存されているはずだ。

 通常、馬に乗っている人間は手綱たづなを持つ左側が弱点となるが、高建武はそのたくみな手綱さばきによってあたかも馬が自分の身体の一部であるかのように操っている。いや。と言うより馬自身が操られて動くのではなく、自身の判断によって乗り手を守るように行動しているかのようである。そのため幾度いくどとなく敵の左側に回りこもうとしている秦瓊だが、なかなかその機会をつかむことが出来ず、無駄に動くことで余計に体力を消耗しょうもうさせられているのだ。

 来護児も武器さえあれば秦瓊の援護えんごに回ることも出来るのだが。残念ながらもともと持っていた剣はどこかに弾き飛ばされてしまったし、予備の剣もない。近くには先程秦瓊の放った短剣がいくつか落ちているのだが、馬上の相手に対し短剣を振り回しても大して効果があるとは思えない。仮にいまここで来護児が秦瓊の短剣を拾って二人で高建武に向かっていったとしても、あまり役に立たないどころか足手まといにしかならないだろう。

 だがいまのままでも、秦瓊は確実に追いつめられつつある。こうなったら駄目でもともと、一か八かやってみようと来護児が思ったその瞬間。勢いよく上から振り下ろす高建武の豪剣ごうけんに力負けした秦瓊は、左手の鐗を取り落としてその場に仰向あおむけに倒れこんだ。もう片方の鐗はかろうじて右腕ににぎられているが、こちらは敵の剣を受けた衝撃しょうげきで一時的にしびれてしまっているようで、しばらくはまともに動かすことが出来そうもない。

「危ないっ、小猫ちゃんっ!!」

「もらったあっ!!」

 悲鳴交じりの来護児の声と、勝ちほこった高建武の声が同時にひびき渡る。その次の瞬間。秦瓊はまゆをひそめながらも、急いで左手で割烹着かっぽうぎふところを探り出した。

 左手で短剣を使うつもりだろうか。だが秦瓊は右利きだ。その右手で、しかも鐗をもってしても高建武の攻撃を完全にはしのぐことが出来なかったのに、左手で短剣を使ってもどうにもならないだろう。

 しかし秦瓊が取り出したのは短剣ではなく、黒く小さな丸い玉のようなものだった。彼女はその黒い玉を馬の足元に向け、思い切り叩き付けたのだ。

 パン! パパパン! パン、パン!!

「うわ!?」

 同時に馬の足もとで破裂はれつ音が響き渡り、黒い煙のようなものがもくもくとたちこめてきた。ずい秘蔵ひぞうの武器であるかんしゃく玉と煙玉である。これにはさすがに高建武も驚いたような声をあげると、反射的に左手の手綱を引いて馬を立ち止まらせた。

「いまです、総管そうかん! 逃げますよ!!」

 そうさけぶと秦瓊は来護児の腕を引いて有無うむを言わさず走り始めた。来護児も慌ててうなずき、街の外へと向かって駆け出していく。

「あっ! 待ちなさい。逃げるなんて卑怯ひきょうですよ!!」

 高建武は慌てて追ってきたが、要所要所で秦瓊がばらまくかんしゃく玉と煙玉のお陰でかろうじてそれから逃れることが出来た。さらに、安鶴宮アンハクキュウからの脱出に成功した隋兵たちも少しずつ二人に合流してきてかなりの数の集団にふくれ上がってくる。

 そうして来護児と秦瓊、さらに生き残りの隋兵たちはなんとか平壌城ピョンヤンソンの街からも逃げ出すことが出来た。守備兵たちも街を出てまで追いかけてくるつもりはないようで、とりあえずはやれやれである。来護児はほっと安堵あんどの息をついたが、助かったと思うと今度はやるせないほどの苛立いらだちが胸にのしかかってくる。

「くそ……。乙支文徳ウルチ ムンドクごときの奸計かんけいにまんまと乗せられて、こんな無様な失態しったいを演ぢてしまうなんて。自分で自分が情けないわよ。なんでこんなことになってしまったのかしら」

 秦瓊にささえられ、二〇キロ以上もの道のりをとぼとぼと歩きながら、来護児は自らの不甲斐ふがいなさと認識にんしきの甘さを思い切りののしった。こんなことになるのなら秦瓊の言った通り水軍単独での平壌城攻めなんてやめれば良かったと後悔しても、もはや後の祭り。戦いの結果はくつがらず、失った兵たちの生命は永遠に帰っては来ない。

「元気を出してください、総管」

 そんな来護児をなぐさめるように、彼女に肩を貸していた秦瓊が優しく声をかける。

「今回は負けましたけど、前回の海戦では勝ったんですから、一勝一敗じゃないですか。今度は最初の計画通り、司令官閣下かっかや他の十二将軍がたひきいる陸軍が平壌城までたどり着いたら、彼らと連携れんけいして再び平壌城を攻めることにしましょう。今度はきっと勝てますよ。なにしろあたしたち隋水軍には、まだ六万もの精鋭兵が残っているんですから」

「……そうね」

 秦瓊の言葉に、来護児は笑みを浮かべて言った。

「可愛い義妹いもうとにこんな情けない姿を見せっぱなしぢゃあ、義姉あねとしての面目丸つぶれだし。今度の戦いでは獅子しし奮迅ふんじんの大活躍をして、陛下へいか高句麗コグリョ王にしていただけるだけの手柄を立ててみせるわ」

「そうなったらあたしは、高句麗の副王ですね。楽しみです。期待していますよ」

「ええ。期待していてちょうだい」

 そう言って二人は、小さく声をあげて笑い合った。

 やがて、前方に隋水軍の旗印をかかげた大軍勢が、ゆっくりとこちらに向かって進んでくるのを、来護児は見つけた。部下たちが心配して迎えに来てくれたらしい。来護児と秦瓊、それにその他の兵たちは彼らに向かい、千切ちぎれんばかりに大きく手を振った。






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