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問題編3 ルナポート9
しおりを挟むおれの名前は、近藤勇美という。年齢は三一歳だ。人工冷凍睡眠カプセルの中で眠っていた一〇年間を計算に入れなければ、だが。
職業は日本にある宇宙関発省の職員。そこで、コンピューターなどの精密機器の修理やメンテナンスなどを行なう技官として働いていた。
それが二六歳の時。今世紀初頭に宇宙開発省が月に設立した日本の月面観測所兼各種実験基地、ルナポート9……つまりここへの赴任を上司から打診されたのだった。
理由は、おれの技官としての腕前が見込まれたから……というわけでは残念ながらなく。すでにルナポート9への赴任が決定していたおれの先輩であり同僚である男、芹沢鴨太郎技官とおれが、当時は結構仲が良かったからである。
ルナポート9の駐在定員は二名。地球から遠く離れて簡単には行き来することが出来ない閉鎖空間内で年単位の長い時間を二人きりで過ごすことになるのだから、出来るだけ仲のいい人間同士を組ませようというのは妥当と言うか、当然の配慮だろう。
だがそれには一つ大きな問題があった。芹沢さんには、同僚からの人望や信頼というものがまるでなかったのだ。
と言うのも彼は仕事は出来るが性格は悪く、陰険で傲慢のむっつり。目上の人間に対しては卑屈なほどへいこらしているが、逆に自分より下だと思っている人間に対しては徹底的に偉そうで、まるで使用人かなにかのように扱うという非常に鼻持ちならない男だったのである。
そのため当時の宇宙開発省内でそれなり以上に芹沢さんと良好な関係を築いていた人間と言えば、このおれくらいのものだったのだ。
何故あの頃のおれは芹沢さんと仲が良かったのか。
いま考えるとどうにも不思議でたまらないのだけど。多分、他人に迎合することを良しとせず、たとえ孤立することとなっても躊躇なく常に我が道を征くといった彼の姿勢と言うか生き様(実際はただ単にわがままで、自分勝手なだけだったのだが)が、若かったおれには格好よく見えていたためではないか。
加えて。おれもどちらかと言えば人間嫌いで無口で無愛想でぶっきらぼうでコミュ力が低く、そのため当然人付き合いが得意なほうではなかったのだが。そういった人間性のマイナス部分が共通していることが、皮肉にもお互い魅かれ合う要因になっていたのかもしれない。
ともあれ。そういった理由で、上司としては芹沢さんのパートナーとして月に赴任出来るのはおれしかいないと思ったのだろう。
そんな上司からの打診におれとしては少しも迷わなかったと言えば嘘になるが、比較的あっさりと了承した覚えがある。
いま述べた通り、おれはあまり人好きがするほうではなかったので特に仲の良い友人とかがいたわけでもないし。両親共結婚する以前にそれぞれの家族とはほぼ絶縁状態になっていたようだから、親戚付き合いなどもなく後顧の憂いもなかったためだ。
唯一(と言うか、正確には唯二か)の血緑者である両親も、父親はおれが大学在学中に鬼籍に入っていたし。母親はそれよりはるか以前……おれが一〇歳の誕生日を迎える前に亡くなっていた。
実はおれの母親は父との結婚前から、現代医学では治療不可能な難病に侵されていたらしく。病状の悪化を抑えるため医師の勧めで『おれが生まれる九か月ほど前』に人工冷凍睡眠装置に入っていたのだそうだ。
当時は治療不可能でも、数年後には海外で画期的な治癒薬が開発される可能性があったため、その未来に希望を托してしばしの眠りに就くことにしたというわけである。
とは言え、治癒薬が出来るまでずっと眠り続けているというわけにはいかない。
例外はあるが、人間が連続して冷凍睡眠状態を続けられるのは五~六年が限界とされており、その期間が過ぎたら解凍(目を覚まさせること)しなくてはならないのだ。
その後再び冷凍睡眠に入るためには少なくとも三年の休憩時間(冷凍睡眠に入っていない時間)を挟む必要があるとされている。六年以上冷凍睡眠状態を続けていたり三年の休憩を待たず再び冷凍睡眠に入っていたりすると、脳細胞や神経細胞に多大な負荷がかかって死滅する恐れがあるのである。
もっともおれの母親は冷凍睡眠状態に入った時点でかなり病状が悪化していたため、一度目覚めさせたら次に冷凍睡眠が可能になる三年間を生存し続けることはかなり難しいとされていた。
そのため彼女は危険を承知でデッドラインの六年を超えて冷凍睡眠を続けていたのだけど。結局治癒薬の開発が間に合うことはなく、九年と三か月目に過剰冷凍睡眠による脳神経挫傷を発して死亡することとなってしまった。
そういうわけなので実はおれは物心ついてから、目を覚ましている母親に会ったことはなく。母親のほうも生きている間に、実の子であるおれの顔を見ることはなかった。
子供の頃、おれは母親がいつか必ず目覚めるものだと信じていて。彼女が意識を取り戻し、対面することがかなったなら満面の笑みを浮かべながら、
『はじめまして』
と声をかけようと幼心に決めており、その日が来るのを待ち遠しくも楽しみにしていたものだった。残念ながらついぞその時は訪れてくれなかったが。
話が逸れたが。まあそういうわけで、家族や友人が大勢いる他の職員たちと違っておれは地球に全くしがらみがなかったため、月への赴任もそれほど抵抗はなかったわけである。
まあ正直に言えば、ルナポート赴任中に給料以外にもらえることになる特別手当や危険手当、僻地勤務手当などが魅力的だったからだという理由のほうも大きかったのだが。
赴任期間は三年間の予定で。それが過ぎれば交代要員がシャトルに乗ってやってくる手はずだった。そうなればおれと芹沢さんは引き継ぎを済ませた後に彼らが乗ってきたシャトルに乗って、そのまま地球にと帰還。
その後は長期休暇と三年分の給料ボーナス特別手当を貰って、しばし悠々自適の生活を送る予定だったのだが。
ところがその三年が過ぎても、交代要員はいっかなやってこなかった。
不審に思って地球にいる上司に連絡を取って確認してみると、とんでもないことが分かった。なんとおれたちが月にいる三年の間に日本では政権交代が起こり、宇宙事業に否定的な政策を掲げていた極右の野党が政権をとってしまったのだそうだ。
地球から月へと航行することが出来る唯一の手段である有人シャトルロケットは建設するにも飛ばすにも莫大な手間と時間と金がかかる。そんなものに国民の貴重な税金を使うよりも国内の景気対策や教育福祉、防衛産業の充実などに力を入れるべきというのが彼らの主張らしい。
もっとも、それはその極右政党独自の思想だと言うわけではない。
と言うか。現在において世界の国々……少なくとも月面に有人ロケットを送ることが出来るだけの技術と金を持っている主要国家の政府はみな同じ考えである。
アメリカや中国を初めとする大国だけでなく、地球上の多くの国家が一時は競争するように月面基地を作り、その探索や開発にしのぎを削っていた。月には水やダイヤモンド、さらには核融合に使うヘリウム3といった資源が大量に眠っていると思われていたため、その貴重な財産を他の国に奪われまいとしたためだ。
だが調査の結果。月には当初見こまれていたほどの資源はなく、そのほとんどが無機質な岩と砂と土でしかないと分かると、官民共に月開発の熱は急激に冷めていった。
おりしも当時の地球は世界規模の大不況とそれに伴う不景気とに見舞われていたこともあり、大国は自国の経済立て直しに全精力を傾けなくてはならなくなってしまう。
そのため米中欧州などはあっさりと月から撤退。他の中堅の国々もそれに追随していった。
その唯一の例外が日本だった。と言っても別に崇高な理念や信念があってのことではなく、単に当時国内外で色々面倒ごとが重なっていて月面事業の撤退を進めるどころではなかった……はっきり言えばそのタイミングを見失ってしまっただけのことなのだけれど。
まあ理由や事情はともかく。他の国々が全て月から去っていった後も数十年間、日本は月面基地を存続させ駐在員を送り続けていたのだけれど、とうとうそれも限界に来たというわけらしい。
しかしそれにしても、いま現在月面に駐在している職員を地球に帰すための有人シャトルくらいは送ってくれても良さそうなものだと思うが。新政権のもと宇宙開発省の予算は大幅に削られてしまったため、食糧や各種補給物資を送る無人ロケットを打ち上げるだけで精一杯という有り様なのだそうである。
従って地球から交代要員や、彼らを乗せた迎えのシャトルを出すことが出来るのがいつになるのかは全く未知数、白紙の状態であるとのことだった。
そういったわけで、おれがルナポート9に派遣されてきてから五年目。おれが三一歳になった時に、宇宙開発省の上司はおれと芹沢さんに人工冷凍睡眠に入るよう指示を出した。
ルナポート9の医務室には最新鋭の技術で作られた人工冷凍睡眠カプセルが常備されているのだ。なにか想定外の出来事が起きて月に在勤している職員が長く地球に帰れないという事態が起きた時に、職員の精神と肉体を保護するためである。
予算が新政権に認められたら直ちに有人シャトルを建造して迎えに来てくれるとのことだったが、それがいつのことになるかは正直全く目処が立っていない。
そのため冷凍睡眠に身体が耐えられる、上限いっぱいの年数を眠っているように。上司にそのように言われた時は、さすがにおれも天を仰いだものだった。
ルナポート9に派遣されてから五年の間。当初想像していたよりもはるかに過酷で厳しい労働環境に辟易していたおれは、僻地勤務手当てなどに釣られて特に考えなしでのこのこと月まで来てしまった自分の愚かさをムカデの足の数ほども後悔する羽目になったものだったが。この時に覚えた後悔はそれらとは別格だった。
とは言え。『なんらかの事情』で月での滞在期間が大幅に延長してしまう可能性があるということは契約書にもきちんと銘記されていたことであるため、文句も言えない。
仕方がない。それにものは考えよう。なにもせず寝ているだけでその期間の給料や各種手当もきちんともらえるようになったのだから、かえってラッキーじゃないかと自分を慰めながら、おれは渋々一〇年間の眠りに入り。
ついいまさっき、目を覚ましたという次第なのである。
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