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番外編・温泉回!
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その日の夜。聖たちは保養施設から山奥のほうへと三〇〇メートルほど進んだ場所に建てられている、小さなログハウスにと集まっていた。
この小屋は着替えを行なうための場所であり。中に入るとまたすぐ、二つの扉が来訪者たちを待ち構えている。左側の扉には青地で『男』と書かれたのれんがかけられており、右側には同じようにピンク字で『女』と書かれたのれんが下げてあった。
「じゃあ、また後で」
熊さんたち男性陣が軽く手を上げながら左側の扉を開けたので。聖も『はい』と応えながら手を振って、他の女性陣らと一緒に右側の部屋に足を踏み入れる。
部屋の広さは和室に換算して六畳ほどしかなく。しかもその四分の一ほどのスペースには古い木製のロッカーがどっかと鎮座ましましているため、女の子だけとは言え七人も入ると結構狭い。
隣の部屋もここと同じ広さだとしたら、そちらはもっときゅうくつだろう。あちらは人数こそ五人と聖たちより少ないが、熊さん冬丘と並の人間二人分の体積は優にありそうな巨漢が二人もいるのだから。
もっとも敦哉や愁貴といった、女性陣より小柄な人間も二人いるのだから、総合すれば似たようなものかもしれないけれど。
「ねえねえ、小夢」
聖は、隣で着替えている小夢の肩をちょんちょんと叩いた。もっとも。聖たちはすでに浴衣の下に水着を着こんでいるので、着替えると言うよりは単に浴衣を脱いでいるだけなのだが。
もちろん聖の水着は、あかりからもらったスクール水着だ。
「なによ? 聖」
「ここはさあ。やっぱり『うわあ。小夢の胸って大っきくて柔らかそうねえ』とか。『うふふ。聖のも小さいけれど形が良くて可愛いわよ』『わあ。やだあ。こんな所で触っちゃ駄目ぇ』みたいな、わざとらしい嬌声を上げるべきなんじゃないかな?」
「……真面目な顔して、なに言っているのあんた」
「いや。せっかくこんな薄い壁一枚越しで、男の子と女の子がそれぞれ着替えてるんだからさ。女の子としては、そんな感じのセリフの一つくらい聞こえよがしに放っておくのが礼儀と言うか、お約束じゃないかなって思って」
「どこの世界の礼儀や約束よ?」
と、小夢は呆れたように目をすがめただけだったが。
「フン! そんな殿方に媚びを売るようなセリフを平然と吐こうだなんて。いかにも下品で恥知らずな神代さんらしいことですわね」
話を聞いていたらしい参ノ宮が、横からせせら笑うように言ってきた。聖はむっとして、両手を腰に当てながらそんな彼女のほうへと向き直る。
「勘違いしないで欲しいですね、参ノ宮先輩。あたしは男に媚びてるんじゃなくて、あくまでも愁くん一人だけに対して媚びを売ってるんです!」
「……それもどうかなあ、と思うんですけど」
胸を張り、大きく息を吐き出しながら堂々と宣言する聖に、あかりが控え目に笑いながら困ったような笑顔を向けてきた。
春山夏池秋里の三人は『神代聖って、やっぱマジそういう趣味なんだー』『人間として、もう終了しちゃってるって感じっスよね』『でもあの子、可愛いからねえ。気持ちは分かんなくはないかも』などとこそこそ喋り合っている。
「ふっ。なんとでも言うといいです」
そんな春山たちのほうを憐れむようにちらと一瞥してから、聖は軽く鼻を鳴らし、さらに言葉を続けるべく口を開く。
「あたしは愁くんと愛を育むためなら、どんなことでもする覚悟があるんですよ。あなたたちはどうです? 愛する人のために恥や外聞を捨て去り、本能と欲望のまま正面からぶつかっていく勇気がありますか? あたしやこのあかりさんのように!」
「……それを言わないで下さいよぉ、神代さん。あれはもう、あたしの人生において最大最悪の黒歴史になることが決定してしまっているんですからぁ」
同士よ! とばかりに聖に肩を組まれながら、あかりは困ったようなべそをかいたような表情を浮かべ、か細い声で抗議するように呟く。
昼間行なわれた温泉大騎馬戦大会にて。
温泉のお湯の熱さに当てられたせいで、半ば酔っ払ったような状態にあったとは言え。衆人観衆の前で冬丘への想いを大声で吐露する羽目になってしまったため、正気に戻った後であかりはかなり恥ずかしい思いをすることになったらしい。
保養所で一緒に働いていた村人たちにはからかわれ。大会を観戦していた観客たちは応援交じりに冷やかされ。冬丘とはまともに顔を合わせることも出来ず。いっそこのままどこかにこっそり姿を隠してしまおうかと本気で考えたほどだったと言う。
しかしその後。冬丘のほうからあかりに『一度二人だけでじっくり話し合ってみたい』という提案があって。あかりもそれを受け、小一時間ほど二人きりで空いている部屋の一つにこもって色々なことを話し合ったのだそうだ。
彼らがどんなことを話したのかということまでは分からないけれど。話を終えて部屋を出た二人は共にすっきりさわやかとした表情を浮かべていたから。離れて暮らしていた数年間によって生じた溝をうまく埋め、和解することが出来たのだろう。
その後。冬丘とあかりは聖たちスカイ6と参ノ宮らダイヤモンズ・ネックレスのメンバーに対して、迷惑をかけたお詫びにと保養所の建物の外にある露天風呂に招待してくれたのである。
この地から出る温泉はそのほとんどがポンプによって汲み上げられ、保養所四階の……聖たちが温泉大騎馬戦大会を戦ったあの浴場へと送られるのだけれど。それでも全てのお湯が使われるわけではなく、一部は使われないまま下水に流されていた。
それはもったいないということで。あかりたちの村の人たちは温泉の権利者である熊さんの会社に許可を得た上で人力でパイプを引き。保養所施設から少し離れた所に小さな露天風呂を作り上げ、村人たちだけで時々そこを利用していたのだと言う。
最新の設備が整えられた、眺望が抜群の豪華な風呂もいいけれど。自然の中にぽつりと浮かぶように作られた昔ながらの露天風呂も悪くないということで。聖たちは冬丘たちの申し出をありがたく受け、こうしてぞろぞろやってきたというわけだ。
もっとも。余ったお湯を利用してハンドメイドで作られた露天風呂なので、男女用それぞれの湯船を用意する余裕はなく、混浴を余儀なくされている。そのため保養所施設内の温泉と同じく、水着を着用して入るのがルールとなっているのだけれど。
いま聖たちがいるこの小屋は、水着に着替えるために作られたものなので。入口出口共に扉こそ男女別々だが、入る場所も出る場所も結局は同じ所である。
「うわあ」
水着に着替え終えて……と言うか、水着の上に着ていた浴衣を脱いでロッカーにしまい終えた後。小屋出口の扉を開けた聖は、思わずそんな感嘆の声を漏らした。
そこは空き地にただ穴を掘って内部を速乾性のコンクリートで固め、温泉から引いてきたお湯をただ無造作に流しこんでいるだけという、いかにも手作り感満載といった感じの粗末な湯船だった。
湯船の周縁は小学生が夏休みの宿題で適当に作ったものといった感じの、低く粗末な木の策で囲まれているだけだし。身体を洗う場所さえない。辺りには背の高い木々や雑草が茂っているためか、湯船には虫の死骸のようなものも浮かんでいるし。
清潔感あふれ、近代的な設備が整った保養所四階にある室内の大浴場とはまさに雲泥の差だけれど、これはこれで風情がないこともない。月と満天の星空の天蓋のもと、外の風を浴び虫の声を聞きながら入る温泉というのもまた乙なものだ。
「よぉ、遅かったな」
湯船の中ではすでに男性陣五人、熊さんと賢悟、敦哉、愁貴のスカイ6メンバーに加え、冬丘がくつろぐように座っていた。もちろん全員水着姿だ。賢悟が軽く手をあげながら声をかけてきたので、聖も小さく手を振り返す。
他にやることもないので、聖たち女性陣……聖、小夢、あかり、そしてダイヤモンズ・ネックレスの参ノ宮、春山、夏池、秋里の七人も近くに置いてあったお湯で軽く身体を流してから、次々に湯船の中に身を浸していく。
「うーん。やっぱり温泉はこうしてのんびり浸かってこそよねえ」
両手を組んで高く上に上げ、身体を伸ばしながら、聖は心地よい気分で呟いたけれど。すぐ目の前のお湯に、無駄に長い金色の髪の毛がなにかの妖怪のごとくねうねとたゆたっていているのを見つけると途端に気分が悪くなってしまう。
「先輩。髪を湯船に浸けるのはマナー違反ですよ」
聖は眉をしかめながら、髪の毛の持ち主……すなわち参ノ宮に対し小声で抗議をしたけれど。彼女は聖の声など聞こえませんとばかりに、平然と無視をしている。
聖はやれやれと吐息をこぼした。まあ最初から、参ノ宮が自分の言うことなどまともに聞くはずがないと思ったので、さして腹も立たないけれど。
「あの。余計なお世話かもしれませんけれど。この温泉のお湯、結構強めの酸性を帯びているみたいなので、あまり長いこと浸けていると髪の毛が傷むと思いますよ」
だが小夢が小声でぼそりと忠告するように言うと、参ノ宮はぎくりとしたような表情を浮かべ、慌てていそいそと髪の毛を湯船からあげて束ね始めた。
「や、やっぱりマナーは守らなければいけませんからね」
などと空々しい口調で言いながら。調子のいい女である。
それはそうと、やっぱり少し狭いわねえと聖は小さく舌を打った。
やはり所詮はハンドメイドの露天風呂。先に入っていた賢悟たち男性陣は少し端に寄って、聖たち女性陣が入るスペースを作ってくれたけれど、それでも一二人がいっぺんに入ると、やはりきゅうくつだ。
(……待てよ? この狭さを利用して『やあん。押さないでよぉ』とかわざとらしく悲鳴をあげながらさりげなく愁くんのもとに近づいて、身体をべったり密着させてやるっていう手もあるわねえ)
聖はそのことに思い至ると心の中だけでニヤリと邪悪な笑みを浮かべ。善は急げとばかりにいま思いついたばかりの作戦を実行しようとした。
だが聖が動き出すや否や賢悟と敦哉、小夢の三人は素早くそれを察知したらしく。愁貴をガードするようにその周囲を取り囲んでいったのだ。
(なんだかこの三人、最近やたら息が合っているわねえ)
聖は仕方なく足を止めながら、苦々しい思いと共に眉をしかめた。
そういえばここ数週間というもの。聖がよろしからぬ企みを抱いて愁貴に近寄ろうとするや、彼らはすぐに察知して。目配せ一つすることなく連係し、それを阻止すべく速やかに動き出しているような気がする。
迷宮内でかなり強力な魔物と対峙している時だって、ここまで綿密な連係プレイがとれることは滅多にないのに。賢悟たちは冗談抜きで、聖のことを魔物以上に危険な存在だと認識し警戒しているのではないだろうか?
ふん。まあいいわと聖は肩をすくめ、湯船の端っこで縁に寄りかかるようにして腰を降ろした。夜は長いし、賢悟たちとてそういつまでも神経を張りつめてはいられないはず。のんびり待っていれば、そのうちチャンスもめぐってくるだろう。
そんなことを思いながら聖がいまは鋭気を養う時だとばかりにゆったりくつろいでいると。隣にいる冬丘がどこかおずおずとした表情で参ノ宮のほうに顔と目を向けながら、おもむろに口を開く様子が視界に入ってきた。
「ところで参ノ宮さん。あれ、本当に僕らがもらってよろしかったのですか?」
「……あれ? あれって、なんなんですか?」
それを聞いていた愁貴が、きょとんと小首をかしげながら尋ねると。あかりが、昼間に行なわれた温泉大騎馬戦大会の優勝商品であるリガナ王国ファリン島への宿泊券と航空チケットですよと応えた。
「え? 参ノ宮先輩、ずいぶん太っ腹ですね」
賢悟が目を丸くしながら思わずと言うように声をあげると、参ノ宮はふふんと鼻でせせら嗤いながら、優雅な仕草でふぁさりと髪を掻き上げる。
「別にいいんですのよ。あたくしたちは商品のために騎馬戦大会に出たわけではありません。神代さんたちスカイ6と決着をつけるべく出場したのですからね」
言って、参ノ宮は勝ち誇ったような視線で聖の顔をねめつける。聖は悔しさのあまり奥歯をギリギリと強く噛み締めたけれど。勝負に敗れたのは事実なのでなにも言い返すことは出来ない。
いや。あれは負けたと言うよりも、聖が自ら勝負を降りたというのが正確なところなのだけれど。
聖が『精神安定』の呪文を唱えた時点で、あかりと冬丘の体力はもう限界に近づいていた。人一人担いで熱い長い時間お湯の中に浸かり動き回っていた上に、あれほど激しい戦いを繰り広げていたのだから当たり前のことだ。
もうあと数分もお湯に浸かり続けていたら二人とも、熱中症と脱水症状で完全にダウンしてしまっていただろう。下手をすれば病院送りになっていたかもしれない。それと察したからこそ、聖は自らお湯に落ちることで勝負を終わらせたのだから。
ちなみに観客たちは、聖があかねの激しい動きについていくことが出来ずにバランスを崩したせいで落ちたと思ったらしい。
一応、正当に決着がついた(ということになっている)ので、心配されたような暴動は起きることもなく。観客たちはみな両チームに惜しみない拍手を贈った上で、満足して会場(浴場)を出て、それぞれの部屋に帰っていった。
つまり聖が勝負に固執せず自らリタイアしたことで、いろいろなことが上手くいったわけである。なので聖は自らの決断を後悔していないし、間違っていたとも思わない。あの時は、ああするより他に方法がなかったのだから。
そのことを主張し、あたしたちは実力で負けたわけではないと言い張ることも出来なくはないけれど、さすがにそれは少々見苦しいだろう。理由はどうあれ、負けは負けなのである。
「そうですね。そして勝負は参ノ宮先輩の勝利に終わりました。言いわけする気はないですよ。あたしたちの負けです」
聖は歯噛みしながらも、乾いた雑巾を絞るような思いで言葉を滴らせた。
聖の敗北宣言を耳にして、参ノ宮はますます勝ち誇ったように胸を張ったけれど。すぐにつまらなそうに眉をしかめ、あさってのほうに向き直りながらはあと長く湿ったため息をこぼす。
「その通りですわ、神代さん。これであたくしたちの正しさが証明されたことになりますわね……と言いたいところですけれど。いくらあたくしでも、あの勝負を以って決着がついたと言い切るほど、図々しくはありませんですわ」
「ほぇ?」
参ノ宮のことだからてっきり盛大に勝ち誇り、聖たちに対してもう二度と自分たちに逆らうんじゃありませんわよなどと高笑いと共に命令してくるんじゃないかと思っていたため、聖は意外な思いで目を丸くした。
そんな聖の顔を見て、その考えていることを察したのか。参ノ宮は実にイヤそうな表情を浮かべて憎々しげに口唇の端を歪ませる。
この小屋は着替えを行なうための場所であり。中に入るとまたすぐ、二つの扉が来訪者たちを待ち構えている。左側の扉には青地で『男』と書かれたのれんがかけられており、右側には同じようにピンク字で『女』と書かれたのれんが下げてあった。
「じゃあ、また後で」
熊さんたち男性陣が軽く手を上げながら左側の扉を開けたので。聖も『はい』と応えながら手を振って、他の女性陣らと一緒に右側の部屋に足を踏み入れる。
部屋の広さは和室に換算して六畳ほどしかなく。しかもその四分の一ほどのスペースには古い木製のロッカーがどっかと鎮座ましましているため、女の子だけとは言え七人も入ると結構狭い。
隣の部屋もここと同じ広さだとしたら、そちらはもっときゅうくつだろう。あちらは人数こそ五人と聖たちより少ないが、熊さん冬丘と並の人間二人分の体積は優にありそうな巨漢が二人もいるのだから。
もっとも敦哉や愁貴といった、女性陣より小柄な人間も二人いるのだから、総合すれば似たようなものかもしれないけれど。
「ねえねえ、小夢」
聖は、隣で着替えている小夢の肩をちょんちょんと叩いた。もっとも。聖たちはすでに浴衣の下に水着を着こんでいるので、着替えると言うよりは単に浴衣を脱いでいるだけなのだが。
もちろん聖の水着は、あかりからもらったスクール水着だ。
「なによ? 聖」
「ここはさあ。やっぱり『うわあ。小夢の胸って大っきくて柔らかそうねえ』とか。『うふふ。聖のも小さいけれど形が良くて可愛いわよ』『わあ。やだあ。こんな所で触っちゃ駄目ぇ』みたいな、わざとらしい嬌声を上げるべきなんじゃないかな?」
「……真面目な顔して、なに言っているのあんた」
「いや。せっかくこんな薄い壁一枚越しで、男の子と女の子がそれぞれ着替えてるんだからさ。女の子としては、そんな感じのセリフの一つくらい聞こえよがしに放っておくのが礼儀と言うか、お約束じゃないかなって思って」
「どこの世界の礼儀や約束よ?」
と、小夢は呆れたように目をすがめただけだったが。
「フン! そんな殿方に媚びを売るようなセリフを平然と吐こうだなんて。いかにも下品で恥知らずな神代さんらしいことですわね」
話を聞いていたらしい参ノ宮が、横からせせら笑うように言ってきた。聖はむっとして、両手を腰に当てながらそんな彼女のほうへと向き直る。
「勘違いしないで欲しいですね、参ノ宮先輩。あたしは男に媚びてるんじゃなくて、あくまでも愁くん一人だけに対して媚びを売ってるんです!」
「……それもどうかなあ、と思うんですけど」
胸を張り、大きく息を吐き出しながら堂々と宣言する聖に、あかりが控え目に笑いながら困ったような笑顔を向けてきた。
春山夏池秋里の三人は『神代聖って、やっぱマジそういう趣味なんだー』『人間として、もう終了しちゃってるって感じっスよね』『でもあの子、可愛いからねえ。気持ちは分かんなくはないかも』などとこそこそ喋り合っている。
「ふっ。なんとでも言うといいです」
そんな春山たちのほうを憐れむようにちらと一瞥してから、聖は軽く鼻を鳴らし、さらに言葉を続けるべく口を開く。
「あたしは愁くんと愛を育むためなら、どんなことでもする覚悟があるんですよ。あなたたちはどうです? 愛する人のために恥や外聞を捨て去り、本能と欲望のまま正面からぶつかっていく勇気がありますか? あたしやこのあかりさんのように!」
「……それを言わないで下さいよぉ、神代さん。あれはもう、あたしの人生において最大最悪の黒歴史になることが決定してしまっているんですからぁ」
同士よ! とばかりに聖に肩を組まれながら、あかりは困ったようなべそをかいたような表情を浮かべ、か細い声で抗議するように呟く。
昼間行なわれた温泉大騎馬戦大会にて。
温泉のお湯の熱さに当てられたせいで、半ば酔っ払ったような状態にあったとは言え。衆人観衆の前で冬丘への想いを大声で吐露する羽目になってしまったため、正気に戻った後であかりはかなり恥ずかしい思いをすることになったらしい。
保養所で一緒に働いていた村人たちにはからかわれ。大会を観戦していた観客たちは応援交じりに冷やかされ。冬丘とはまともに顔を合わせることも出来ず。いっそこのままどこかにこっそり姿を隠してしまおうかと本気で考えたほどだったと言う。
しかしその後。冬丘のほうからあかりに『一度二人だけでじっくり話し合ってみたい』という提案があって。あかりもそれを受け、小一時間ほど二人きりで空いている部屋の一つにこもって色々なことを話し合ったのだそうだ。
彼らがどんなことを話したのかということまでは分からないけれど。話を終えて部屋を出た二人は共にすっきりさわやかとした表情を浮かべていたから。離れて暮らしていた数年間によって生じた溝をうまく埋め、和解することが出来たのだろう。
その後。冬丘とあかりは聖たちスカイ6と参ノ宮らダイヤモンズ・ネックレスのメンバーに対して、迷惑をかけたお詫びにと保養所の建物の外にある露天風呂に招待してくれたのである。
この地から出る温泉はそのほとんどがポンプによって汲み上げられ、保養所四階の……聖たちが温泉大騎馬戦大会を戦ったあの浴場へと送られるのだけれど。それでも全てのお湯が使われるわけではなく、一部は使われないまま下水に流されていた。
それはもったいないということで。あかりたちの村の人たちは温泉の権利者である熊さんの会社に許可を得た上で人力でパイプを引き。保養所施設から少し離れた所に小さな露天風呂を作り上げ、村人たちだけで時々そこを利用していたのだと言う。
最新の設備が整えられた、眺望が抜群の豪華な風呂もいいけれど。自然の中にぽつりと浮かぶように作られた昔ながらの露天風呂も悪くないということで。聖たちは冬丘たちの申し出をありがたく受け、こうしてぞろぞろやってきたというわけだ。
もっとも。余ったお湯を利用してハンドメイドで作られた露天風呂なので、男女用それぞれの湯船を用意する余裕はなく、混浴を余儀なくされている。そのため保養所施設内の温泉と同じく、水着を着用して入るのがルールとなっているのだけれど。
いま聖たちがいるこの小屋は、水着に着替えるために作られたものなので。入口出口共に扉こそ男女別々だが、入る場所も出る場所も結局は同じ所である。
「うわあ」
水着に着替え終えて……と言うか、水着の上に着ていた浴衣を脱いでロッカーにしまい終えた後。小屋出口の扉を開けた聖は、思わずそんな感嘆の声を漏らした。
そこは空き地にただ穴を掘って内部を速乾性のコンクリートで固め、温泉から引いてきたお湯をただ無造作に流しこんでいるだけという、いかにも手作り感満載といった感じの粗末な湯船だった。
湯船の周縁は小学生が夏休みの宿題で適当に作ったものといった感じの、低く粗末な木の策で囲まれているだけだし。身体を洗う場所さえない。辺りには背の高い木々や雑草が茂っているためか、湯船には虫の死骸のようなものも浮かんでいるし。
清潔感あふれ、近代的な設備が整った保養所四階にある室内の大浴場とはまさに雲泥の差だけれど、これはこれで風情がないこともない。月と満天の星空の天蓋のもと、外の風を浴び虫の声を聞きながら入る温泉というのもまた乙なものだ。
「よぉ、遅かったな」
湯船の中ではすでに男性陣五人、熊さんと賢悟、敦哉、愁貴のスカイ6メンバーに加え、冬丘がくつろぐように座っていた。もちろん全員水着姿だ。賢悟が軽く手をあげながら声をかけてきたので、聖も小さく手を振り返す。
他にやることもないので、聖たち女性陣……聖、小夢、あかり、そしてダイヤモンズ・ネックレスの参ノ宮、春山、夏池、秋里の七人も近くに置いてあったお湯で軽く身体を流してから、次々に湯船の中に身を浸していく。
「うーん。やっぱり温泉はこうしてのんびり浸かってこそよねえ」
両手を組んで高く上に上げ、身体を伸ばしながら、聖は心地よい気分で呟いたけれど。すぐ目の前のお湯に、無駄に長い金色の髪の毛がなにかの妖怪のごとくねうねとたゆたっていているのを見つけると途端に気分が悪くなってしまう。
「先輩。髪を湯船に浸けるのはマナー違反ですよ」
聖は眉をしかめながら、髪の毛の持ち主……すなわち参ノ宮に対し小声で抗議をしたけれど。彼女は聖の声など聞こえませんとばかりに、平然と無視をしている。
聖はやれやれと吐息をこぼした。まあ最初から、参ノ宮が自分の言うことなどまともに聞くはずがないと思ったので、さして腹も立たないけれど。
「あの。余計なお世話かもしれませんけれど。この温泉のお湯、結構強めの酸性を帯びているみたいなので、あまり長いこと浸けていると髪の毛が傷むと思いますよ」
だが小夢が小声でぼそりと忠告するように言うと、参ノ宮はぎくりとしたような表情を浮かべ、慌てていそいそと髪の毛を湯船からあげて束ね始めた。
「や、やっぱりマナーは守らなければいけませんからね」
などと空々しい口調で言いながら。調子のいい女である。
それはそうと、やっぱり少し狭いわねえと聖は小さく舌を打った。
やはり所詮はハンドメイドの露天風呂。先に入っていた賢悟たち男性陣は少し端に寄って、聖たち女性陣が入るスペースを作ってくれたけれど、それでも一二人がいっぺんに入ると、やはりきゅうくつだ。
(……待てよ? この狭さを利用して『やあん。押さないでよぉ』とかわざとらしく悲鳴をあげながらさりげなく愁くんのもとに近づいて、身体をべったり密着させてやるっていう手もあるわねえ)
聖はそのことに思い至ると心の中だけでニヤリと邪悪な笑みを浮かべ。善は急げとばかりにいま思いついたばかりの作戦を実行しようとした。
だが聖が動き出すや否や賢悟と敦哉、小夢の三人は素早くそれを察知したらしく。愁貴をガードするようにその周囲を取り囲んでいったのだ。
(なんだかこの三人、最近やたら息が合っているわねえ)
聖は仕方なく足を止めながら、苦々しい思いと共に眉をしかめた。
そういえばここ数週間というもの。聖がよろしからぬ企みを抱いて愁貴に近寄ろうとするや、彼らはすぐに察知して。目配せ一つすることなく連係し、それを阻止すべく速やかに動き出しているような気がする。
迷宮内でかなり強力な魔物と対峙している時だって、ここまで綿密な連係プレイがとれることは滅多にないのに。賢悟たちは冗談抜きで、聖のことを魔物以上に危険な存在だと認識し警戒しているのではないだろうか?
ふん。まあいいわと聖は肩をすくめ、湯船の端っこで縁に寄りかかるようにして腰を降ろした。夜は長いし、賢悟たちとてそういつまでも神経を張りつめてはいられないはず。のんびり待っていれば、そのうちチャンスもめぐってくるだろう。
そんなことを思いながら聖がいまは鋭気を養う時だとばかりにゆったりくつろいでいると。隣にいる冬丘がどこかおずおずとした表情で参ノ宮のほうに顔と目を向けながら、おもむろに口を開く様子が視界に入ってきた。
「ところで参ノ宮さん。あれ、本当に僕らがもらってよろしかったのですか?」
「……あれ? あれって、なんなんですか?」
それを聞いていた愁貴が、きょとんと小首をかしげながら尋ねると。あかりが、昼間に行なわれた温泉大騎馬戦大会の優勝商品であるリガナ王国ファリン島への宿泊券と航空チケットですよと応えた。
「え? 参ノ宮先輩、ずいぶん太っ腹ですね」
賢悟が目を丸くしながら思わずと言うように声をあげると、参ノ宮はふふんと鼻でせせら嗤いながら、優雅な仕草でふぁさりと髪を掻き上げる。
「別にいいんですのよ。あたくしたちは商品のために騎馬戦大会に出たわけではありません。神代さんたちスカイ6と決着をつけるべく出場したのですからね」
言って、参ノ宮は勝ち誇ったような視線で聖の顔をねめつける。聖は悔しさのあまり奥歯をギリギリと強く噛み締めたけれど。勝負に敗れたのは事実なのでなにも言い返すことは出来ない。
いや。あれは負けたと言うよりも、聖が自ら勝負を降りたというのが正確なところなのだけれど。
聖が『精神安定』の呪文を唱えた時点で、あかりと冬丘の体力はもう限界に近づいていた。人一人担いで熱い長い時間お湯の中に浸かり動き回っていた上に、あれほど激しい戦いを繰り広げていたのだから当たり前のことだ。
もうあと数分もお湯に浸かり続けていたら二人とも、熱中症と脱水症状で完全にダウンしてしまっていただろう。下手をすれば病院送りになっていたかもしれない。それと察したからこそ、聖は自らお湯に落ちることで勝負を終わらせたのだから。
ちなみに観客たちは、聖があかねの激しい動きについていくことが出来ずにバランスを崩したせいで落ちたと思ったらしい。
一応、正当に決着がついた(ということになっている)ので、心配されたような暴動は起きることもなく。観客たちはみな両チームに惜しみない拍手を贈った上で、満足して会場(浴場)を出て、それぞれの部屋に帰っていった。
つまり聖が勝負に固執せず自らリタイアしたことで、いろいろなことが上手くいったわけである。なので聖は自らの決断を後悔していないし、間違っていたとも思わない。あの時は、ああするより他に方法がなかったのだから。
そのことを主張し、あたしたちは実力で負けたわけではないと言い張ることも出来なくはないけれど、さすがにそれは少々見苦しいだろう。理由はどうあれ、負けは負けなのである。
「そうですね。そして勝負は参ノ宮先輩の勝利に終わりました。言いわけする気はないですよ。あたしたちの負けです」
聖は歯噛みしながらも、乾いた雑巾を絞るような思いで言葉を滴らせた。
聖の敗北宣言を耳にして、参ノ宮はますます勝ち誇ったように胸を張ったけれど。すぐにつまらなそうに眉をしかめ、あさってのほうに向き直りながらはあと長く湿ったため息をこぼす。
「その通りですわ、神代さん。これであたくしたちの正しさが証明されたことになりますわね……と言いたいところですけれど。いくらあたくしでも、あの勝負を以って決着がついたと言い切るほど、図々しくはありませんですわ」
「ほぇ?」
参ノ宮のことだからてっきり盛大に勝ち誇り、聖たちに対してもう二度と自分たちに逆らうんじゃありませんわよなどと高笑いと共に命令してくるんじゃないかと思っていたため、聖は意外な思いで目を丸くした。
そんな聖の顔を見て、その考えていることを察したのか。参ノ宮は実にイヤそうな表情を浮かべて憎々しげに口唇の端を歪ませる。
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――実は僕、他の戦闘スキルは皆無なんです
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《勘違い》で婚約破棄された令嬢は失意のうちに自殺しました。
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【完結】義妹とやらが現れましたが認めません。〜断罪劇の次世代たち〜
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──これは、20年前の断罪劇の続き。
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※ご指摘を受けて題名を変更しました。作者の見通しが甘くてご迷惑をおかけいたします。
旧題『義妹ができましたが大嫌いです。〜断罪劇の次世代たち〜』
※初投稿です。話に粗やご都合主義的な部分があるかもしれません。生あたたかい目で見守ってください。
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