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第29話 恋人とストーカー

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 え? なにかこわい話を教えてしいって? おやおや。一体どうしたんだい、やぶからぼうに。

 へえ。今度小学校の同級生どうきゅうせいの家にまりがけであそびに行くことになって? そこで夜にお友達と一緒いっしょに怖い話を聞かせ合うことになったのかい。いいねえ、楽しそうで。

 なになに? だけど私は怖い話なんか全く知らないし。お父さんやお母さんにいても知らないって言われた? これじゃあ自分だけお友達に話すことがなにもなくてはじをかいてしまうから、最後の希望のぞみをかけておばあちゃんにたずねにきたんだって? なるほどそういうわけかい。

 だけどねえ。ご期待きたいえなくて悪いけど、おばあちゃんも怖い話なんて心当たりがないねえ。おばあちゃんは子供のころ病気びょうきにかかったせいで目が見えなくなった上、おじいちゃんと結婚けっこんする直前くらいの時にある事件にきこまれて頭を怪我ケガしてから、耳も悪くなってしまってね。そのせいで人との付き合いとかもほとんどなくて、そういうお話とかも教えてもらう機会きかいもなかったし……。

 え? いや耳はこえなくなったわけじゃないんだよ。音楽とか物音とかは普通ふつうに聞こえるし。人の声だって、ゆっくり大きな声でしゃべってもらえればなんとか聞きとれて内容ないよう理解りかい出来るしね。

 ただ、人の声の区別くべつがつかなくなってしまったのさ。男の声も女の声も、大人の声も子供の声も、他人の声も知り合いの声も全くちがいが分からないんだよ。たとえば可愛かわいい孫娘であるあんたの声とそれ以外の全く面識めんしきのない赤の他人の声とを聞きくらべたとして、多分どちらがどちらの声なのか分からないだろうね。

 いまだって声じゃなく言葉の内容ないようや話しかた、微妙びみょうなトーンのちがいでなんとなくあんたなんだなって判断はんだんしているだけだからね。かりとなりの家のドラ息子があんたのフリをしてこの部屋に入ってきて、あんたの喋りかたを真似まねて話しかけてきたなら、多分おばあちゃんはドラ息子のことをあんただって思いこんでしまうだろうさ。

 う~ん。そう思ってみるとちょっと心配になってきたかね。あんた、本当におばあちゃんの可愛い孫娘なのかい? 実は隣のドラ息子なんじゃないだろうね? って、はは。もちろんこれは冗談じょうだんだけど。

 なんでこんなことになってしまったのか。お医者さんのお話では怪我そのもののせいと言うより、その怪我をする原因げんいんとなった事件じけん精神的せいしんてきショックを受けたためなんじゃないかってことらしいよ。もちろん本当のところはどうなのか分からないんだけどね。

 そうだ。あんた怖い話を聞きたいって言ってたね。それじゃあおばあちゃんの耳がこんな風になってしまった原因げんいんである事件の話でもしてあげようか。あんたの言う怖い話とはちょっとニュアンスがことなるかもしれないけど。まあ、これだって怖い話にはちがいないしね。

 あれはおばあちゃんがまだ若い娘だった頃の話さ。その当時おばあちゃんはまだ結婚はしていなかったけど、田中たなかみのるさんって名前の男の人と同棲どうせい……一緒にらしていたんだよ。

 そう。去年くなったあんたのおじいちゃんさ。ちなみに知ってるかい? 田中実っていうのは日本人の男性で一番多い名前なんだって。

 おばあちゃんとおじいちゃんはとある趣味しゅみのサークルに参加さんかしていたメンバー同士どうしで。出会ったばかりの頃から不思議ふしぎと気が合って、友達から恋人になって将来結婚の約束やくそくをするようになるまで、あきれるくらい時間がかからなかったねえ。いや、別にのろけているわけじゃないけど。

 サークルのほうは他のメンバーが仕事でいそがしくなったり遠くにしたりでいなくなる人が多かったから、わりとすぐ自然しぜん消滅しょうめつしたんだけど。おばあちゃんとおじいちゃんはサークルがなくなった後も二人でよく会ったりしていて、そのうち当たり前のように一緒に暮らすようになったのさ。

 それだけならまあ、どこにでもあるような幸せなカップルの話なんだけど。おばあちゃんたちには一つ問題と言うか厄介やっかいなことがあったんだよ。

 家族や友人に交際こうさいを反対されていたとかじゃないよ。おばあちゃんは親兄弟とは色々あって、半分以上えんを切られている状態じょうたいだったし。おじいちゃんのほうは完全に天涯てんがい孤独こどくで血のつながった親戚しんせきは一人もいなかったからね。さらに二人ともあまり人付き合いのいいほうじゃなかったから、サークルのメンバー以外に友人と呼べる人もいなかったし。

 問題はそのサークルにいたもう一人の男のメンバーだったのさ。そいつはなんと言うか思いこみがはげしい上に粘着質ねんちゃくしつな性格の持ち主で。面倒めんどうなことに若い頃のおばあちゃんに一目ひとめれしてしまったらしくて、自分と付き合えってしつこく言いってきていたんだよ。

 だけどすでにおばあちゃんには実さん……恋人がいたからね。当然、ことわったさ。なのにその男はこっちの話なんか全然聞く耳持たずでね。自分のほうがお前に相応ふさわしいとか、あいつよりおれのほうが何倍もお前をあいしているとか、お前だってあいつなんかよりも俺のほうが好きなんだろうとか、自分勝手な思いこみでしかないことをねちねち言ってきていたんだよ。

 それでもまあ、最初のうちはサークル活動かつどうでくらいしか会うこともなかったからまだよかったんだけど。サークルが解散かいさん状態になって他のメンバーがいなくなると、あの男はだんだん本性ほんしょうき出しにしてくるようになってね。

 しばしば家や仕事場にまでやって来るようになったり、実さんとのデートにこっそりついてきたり。しまいには家にとどいた郵便物ゆうびんぶつとかをぬすんだり、家に盗聴機とうちょうきまで仕掛しかけたりするようにもなったのさ。そう。まさにストーカーってやつだね。

 いま思えばこの時点で警察けいさつ相談そうだんすればよかったんだけど。一応いちおうサークル仲間だったあの男を警察にして犯罪者はんざいしゃにするってのにはやっぱためらいがあったのさ。こちらがだまって我慢がまんしていればそのうちあの男もあきらめるだろうなんて、なんの根拠こんきょもない楽観論らっかんろんにすがって結局なんの対策たいさくもとることがなかったんだよ。

 それが大間違おおまちがいだったって分かるのに、それほど時間はかからなかったね。

 こちらが大人おとなしくしているとあの男はますますって、行動をどんどんエスカレートさせてきたからね。これまではそれでもこっそりと行なってきていた数々のストーカー行為こういを大っぴらに堂々どうどうと行なうようにもなってしまったんだよ。

 そしてついにあの運命うんめいの日がおとずれてしまったのさ。

 すでに理性りせいのほとんどをうしな妄執もうしゅうとりことなっていたあの男は自分こそがおばあちゃんの本当の恋人であり、実さんのほうが二人の間にりこんで邪魔じゃまをするストーカーなんだと、本気で思いこむようになったんだよ。

 そうしてなか狂乱きょうらん状態になったあの男は包丁ほうちょうを持って、おばあちゃんと実さんが同居どうきょしていた部屋にやって来たのさ。あの男がストーカーであると思いこんでいる実さんをころして、おばあちゃんと二人で幸せに暮らすためにね。

 いきなりあの男におそわれて、実さんはおどろいただろうけど、もちろんあっさりころされることはなく、必死ひっし抵抗ていこうしたさ。一方でおばあちゃんは二人の男の、文字通りいのちけのあらそいにすっかりおびえてしまっていたんだよ。目は見えなくても……いや、見えないからこそ二人から発せられる殺気さっき物理ぶつりてき圧力あつりょくさえともなってまとめて襲いかかってくるように感じられたからね。

 その恐怖きょうふのためにずるずる後退あとずさっていくうちに、おばあちゃんは足をすべらせてころんで、はしらに思いきり後頭部こうとうぶちつけて気をうしなってしまったのさ。おばあちゃんの耳が悪くなったのはこの時の怪我、もしくは精神的ショックのせいなんだね。

 それから何十分だか何時間だかがぎた後、おばあちゃんは病院びょういんのベッドの上で目をましたんだよ。さわぎに気が付いた近所の人が警察を呼んでくれて、やって来たおまわりさんが二人をとりさえ、気を失っていたおばあちゃんを病院に運んでくれたのさ。

 やがておまわりさんにれられて、おじいちゃんが病院にお見舞みまいに来てね。その時に話してくれたんだけど。あの後おじいちゃんは激戦げきせんすえに、襲ってきたあの男から首尾しゅびよく包丁をうばうことが出来たけど、いきおあまってそのままあの男をし殺してしまったんだそうだよ。

 それではおじいちゃんは殺人罪に問われてしまうのかと思って、おばあちゃんは息が止まりそうになったね。だけど通報つうほうけつけてきて、おじいちゃんと一緒にお見舞いに来てくれたおまわりさんが言うには、

「こちらの田中実さんからお話をうかがうに、彼は凶器きょうきを持って襲ってきた不審者ふしんしゃからあなたを守るために戦って、運悪くはずみで相手を刺し殺してしまったとのことでした。それなら正当せいとう防衛ぼうえいが成立するので、おそらくあなたの恋人が罪を問われることはないでしょう」

 とのことだったんだよ。

 その言葉通り。後におばあちゃんが裁判さいばんで、あの男が突然とつぜん包丁を持って家に押し入ってきて、自分たち二人に襲いかかってきたんだと証言すると、おじいちゃんはあっさり正当防衛がみとめられ無罪むざいになったのさ。さいわいと言うかあの男も天涯孤独だったから、遺族いぞく控訴こうそしてくるようなこともなかったしね。

 その後は邪魔じゃま者もいなくなり、おばあちゃんとおじいちゃんは無事結婚することになってめでたしめでたしというわけさ。

 だけどちょっと考えてごらん。おばあちゃんは目が見えないんだよ。そしてあの男が家に押し入ってきたせいでおばあちゃんは頭を打って、その精神的ショックのためか怪我のせいかはともかく、耳に異常いじょうが出て人の声を聞き分けることが出来なくなった。

 おばあちゃんが病院で目を覚ました時。おまわりさんは、あなたの恋人がお見舞いに来てくれましたよと言っていたし。本人もそう言っていた。その時おばあちゃんは頭が混乱こんらんしていたし、彼らの言葉をうたがう理由もなかったからあっさり信じていたけど。

 でも当たり前だけどおまわりさんは、おばあちゃんの恋人の顔を知っていたわけじゃない。おじいちゃんがそう言ったから、そうなんだなと思っただけなのさ。

 一方でおばあちゃんは実さんのことをよく知っていると言いたいところだけど。目が見えないから顔は最初から知らないし、耳にも障害しょうがいが出たから声も聞き分けられない。

 と、なると。あの事件のさいに生き残ったのは本当に実さんだったのかね? もしかしたら家に押し入ってきたあの男のほうが実さんを刺し殺したんじゃないかな? あの男はおばあちゃんが人の声を聞き分けることが出来なくなったのをいいことに、自分が実さんであるふりをしていたとは考えられないかい?

 いや。あの男は、自分こそがおばあちゃんの恋人であると本気で思いこんでいたからね。ふりとかじゃなくて、本当に自分は実さんなんだと信じていたのかもしれないね。

 え? そんなはずはないでしょうって? どうしてそう思うんだい? だっておじいちゃんの名前は田中実で間違まちがいないし、生き残ったのも田中実という名前の人物であるくらいのことは警察もちゃんと確認かくにんしてあるだろうから、ストーカー男がおじいちゃんのわけがないでしょうって?

 ああ、そういえば言っていなかったね。さっきちょっと説明せつめいしたと思うけど。田中実っていうのは日本人男性の中で一番多い名前なんだって。

 それがどうしたのかって? おやおや、分からないのかい?

 偶然ぐうぜんだけどストーカー男の名前も、田中実っていったんだよ。



 
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