25 / 38
2章 森の中の生活
2-10.森の中のやり方(1)
しおりを挟む
森の民――野人――の性愛行為は外の人間から見ると特殊だ。彼らは番との深い心の繋がりを重視し、長い時間・日数をかけ夜の営みを行う。生涯に渡り関係を持つのは番だけなので、通常お互いが初めてであるから、番としての初夜は男側の一族で年が近い番に手ほどきを受けながら迎えることになる。ルークの場合、番が外から来た『客番』ということもあり、同じ『客番』である叔父とリーシャがその指南役となった。
里の中にはその指南に使われる家が建っている。ルークとクロエは、その日の夜、叔父たちに連れられその木でできた簡素な家に入った。中にはただ、ベッドと同じように枯草を敷き詰めて、その上に布をかけたふかふかした大きな敷物が二つ、並べてあるだけだった。これは指南役の番が用意するもので、リーシャが準備して、ブルーノが運び込んだものだった。
***
最初にこの習慣の話をされたとき、クロエは絶句してしまった。言葉の出てこない彼女を前に、ルークは困惑した顔をした。
「外では、違うのか」
「――――違う、わ」
(そんな大層なことじゃなくて、もっとこう、この前みたいにがばっと来てくれれば、いいんだけど)
しかし、それが『ここのやり方』と言われると、何も言えない。
「――他に人が、いるのね」
「最初だけだ。そうじゃないと、その、やり方が、わからないだろう」
ルークは自分の言葉がたどたどしくなるのを感じた。クロエの反応を見ると自分の言っていることがおかしいような気がしてしまう。
(やり方がわからない、ということも、あるのかしら)
当惑したクロエはおずおずと聞いた。
「……ルークは、初めて?」
ルークは聞かれた言葉を頭で反復した。
(ハジメテ……初めて? 初めてじゃないことも、あるか? 外は違うのか、)
番と初めて交わるにあたり、それが『初めて』ではないという想定はルークの中になかった。改めて聞かれると困惑してしまう。
「……俺たちは、番としか、しないから。――クロエは」
クロエは口籠って視線を泳がせた。マクシムに身体を触られたときのぞわぞわした気持ちと、初めて貫かれた時の痛みが思い出された。
――『番としかしない』というここで、他の誰かとしたということは、軽蔑の対象になるのだろうかという考えがよぎった。それに、もうそのことは思い出したいと思わなかった。
しばらく思案してから、ぽつりと呟く。
「……初めてよ」
ルークは「そうか」と答えて、その言葉の前に流れた沈黙に頭を悩ませた。
(クロエの考えていることがわからない)
番なら、相手の気持ちが手に取るようにわかるはずなのに。彼女の首元にはこの前、夜香花の香りで酔っていた勢いで噛みついた跡が残っていた。まだ跡は瘡蓋になっていて痛々しい。番の証、をつけたはずだったが、それで何か変わったような感じはしなかった。
彼女の表情を見ると暗い顔をしているように見えた。
「なあ、嫌なら」
「嫌じゃないわ」
即答したクロエは心配そうにルークを見た。彼はどうしていつも『嫌なら』と聞くのだろうか。
「ルークは、嫌なの?」
ルークは考え込んだ。嫌というか、クロエと交わるということが想像できなかったからだ。別に今のままでもいいような気がしていた。ちらりと前を向くと、クロエの不安そうな緑の瞳が視界に入る。そのままのことを言ったら、きっと彼女は余計に悲しそうな顔をする気がした。
「嫌じゃない」
クロエの瞳の陰りはとれなかった。再度言葉を選ぶ。
「……そうしたいと、思ってる」
緑の瞳がぱっと輝いたので、これで良いと思った。
***
ルークは家の外で丸太に腰掛けながら、手を組むとその上に頭を乗せて考えこんでいた。頭を使うときは自然と人間の姿になる。
(番――ってなんだ)
クロエと住むようになってから、今まで考えたことがなかったことについて、考えることが増えた。大人になれば、自然とどこかで番に出会い、自分の家族を作る。そのことに何も疑問を抱いたことはなかった。
『番は自分の半身』『出会った瞬間に血が沸騰するような』『相手の感じていることがわかる』『完成されたように感じる』
番を得たときの感覚を説明する言葉を並べてみる。そして全員が必ずこう言うのだ。
『説明しなくても、感じてわかる』と。
(わからない)
ただ確かなのは、クロエにここにいて欲しいと思っていることと、彼女に喜んでもらいたいということだった。彼女にここにいてもらうなら、それは彼女が番だということになる。
(つがい、番、)
ルークは頭を抱えながら、立ち上がった。番なら、交わらなければいけない。
そのまま叔父の家に向かい、「そうしたい」と伝えると、彼は「よし」と頷いた。
日取りを決めると、ルークはふと彼に聞いた。
「なあ、ブルーノは、リーシャを『愛してる』?」
「――リーシャは俺の番、半身だ。『愛してる』に決まっている。」
当然のことを何で聞くんだ、と叔父は唸り声をあげた。外から、駆け回る姪の声が聞こえる。ルークは続けて聞いた。
「レナや、ティムのことは『愛してる』?」
ブルーノは人の姿に変わると眉間に皺を寄せた。
「――『大事に思っている』だ。『愛してる』は番にしか使わない。――なんで、そんな当たり前のことを聞くんだ」
さらに質問を続ける。
「なあ、リーシャに対する気持ちを説明してくれないか」
「――彼女が喜べば俺も嬉しいし、彼女が悲しければ、俺も悲しい」
(それは、俺も一緒だ)
クロエの泣き顔は見たくなかったし、笑ってほしい、喜んで欲しい。
「でも、それってさ、レナやティムでもそうだろ」
小さな姪と甥を思い浮かべた。子どもたちが怪我をしたり、悲しい気持ちになるのを想像すると、嫌な気持ちになる。
「それは、そうだな」
「番を『愛してる』って気持ちってなんだ?」
「――何で、そんなことを聞くんだ。お前も、番を得たなら感じるだろう?」
ブルーノの訝し気な顔にルークは言葉を飲み込んだ。この里にいるのは番同士か、将来誰かの番となる子どもたちだ。クロエにこのままここにいて欲しいと思うなら、番という言葉に疑念を持ってはいけない。
「――少し、考えただけだ」
「頼むよ」と言って、叔父の家を出た。
里の中にはその指南に使われる家が建っている。ルークとクロエは、その日の夜、叔父たちに連れられその木でできた簡素な家に入った。中にはただ、ベッドと同じように枯草を敷き詰めて、その上に布をかけたふかふかした大きな敷物が二つ、並べてあるだけだった。これは指南役の番が用意するもので、リーシャが準備して、ブルーノが運び込んだものだった。
***
最初にこの習慣の話をされたとき、クロエは絶句してしまった。言葉の出てこない彼女を前に、ルークは困惑した顔をした。
「外では、違うのか」
「――――違う、わ」
(そんな大層なことじゃなくて、もっとこう、この前みたいにがばっと来てくれれば、いいんだけど)
しかし、それが『ここのやり方』と言われると、何も言えない。
「――他に人が、いるのね」
「最初だけだ。そうじゃないと、その、やり方が、わからないだろう」
ルークは自分の言葉がたどたどしくなるのを感じた。クロエの反応を見ると自分の言っていることがおかしいような気がしてしまう。
(やり方がわからない、ということも、あるのかしら)
当惑したクロエはおずおずと聞いた。
「……ルークは、初めて?」
ルークは聞かれた言葉を頭で反復した。
(ハジメテ……初めて? 初めてじゃないことも、あるか? 外は違うのか、)
番と初めて交わるにあたり、それが『初めて』ではないという想定はルークの中になかった。改めて聞かれると困惑してしまう。
「……俺たちは、番としか、しないから。――クロエは」
クロエは口籠って視線を泳がせた。マクシムに身体を触られたときのぞわぞわした気持ちと、初めて貫かれた時の痛みが思い出された。
――『番としかしない』というここで、他の誰かとしたということは、軽蔑の対象になるのだろうかという考えがよぎった。それに、もうそのことは思い出したいと思わなかった。
しばらく思案してから、ぽつりと呟く。
「……初めてよ」
ルークは「そうか」と答えて、その言葉の前に流れた沈黙に頭を悩ませた。
(クロエの考えていることがわからない)
番なら、相手の気持ちが手に取るようにわかるはずなのに。彼女の首元にはこの前、夜香花の香りで酔っていた勢いで噛みついた跡が残っていた。まだ跡は瘡蓋になっていて痛々しい。番の証、をつけたはずだったが、それで何か変わったような感じはしなかった。
彼女の表情を見ると暗い顔をしているように見えた。
「なあ、嫌なら」
「嫌じゃないわ」
即答したクロエは心配そうにルークを見た。彼はどうしていつも『嫌なら』と聞くのだろうか。
「ルークは、嫌なの?」
ルークは考え込んだ。嫌というか、クロエと交わるということが想像できなかったからだ。別に今のままでもいいような気がしていた。ちらりと前を向くと、クロエの不安そうな緑の瞳が視界に入る。そのままのことを言ったら、きっと彼女は余計に悲しそうな顔をする気がした。
「嫌じゃない」
クロエの瞳の陰りはとれなかった。再度言葉を選ぶ。
「……そうしたいと、思ってる」
緑の瞳がぱっと輝いたので、これで良いと思った。
***
ルークは家の外で丸太に腰掛けながら、手を組むとその上に頭を乗せて考えこんでいた。頭を使うときは自然と人間の姿になる。
(番――ってなんだ)
クロエと住むようになってから、今まで考えたことがなかったことについて、考えることが増えた。大人になれば、自然とどこかで番に出会い、自分の家族を作る。そのことに何も疑問を抱いたことはなかった。
『番は自分の半身』『出会った瞬間に血が沸騰するような』『相手の感じていることがわかる』『完成されたように感じる』
番を得たときの感覚を説明する言葉を並べてみる。そして全員が必ずこう言うのだ。
『説明しなくても、感じてわかる』と。
(わからない)
ただ確かなのは、クロエにここにいて欲しいと思っていることと、彼女に喜んでもらいたいということだった。彼女にここにいてもらうなら、それは彼女が番だということになる。
(つがい、番、)
ルークは頭を抱えながら、立ち上がった。番なら、交わらなければいけない。
そのまま叔父の家に向かい、「そうしたい」と伝えると、彼は「よし」と頷いた。
日取りを決めると、ルークはふと彼に聞いた。
「なあ、ブルーノは、リーシャを『愛してる』?」
「――リーシャは俺の番、半身だ。『愛してる』に決まっている。」
当然のことを何で聞くんだ、と叔父は唸り声をあげた。外から、駆け回る姪の声が聞こえる。ルークは続けて聞いた。
「レナや、ティムのことは『愛してる』?」
ブルーノは人の姿に変わると眉間に皺を寄せた。
「――『大事に思っている』だ。『愛してる』は番にしか使わない。――なんで、そんな当たり前のことを聞くんだ」
さらに質問を続ける。
「なあ、リーシャに対する気持ちを説明してくれないか」
「――彼女が喜べば俺も嬉しいし、彼女が悲しければ、俺も悲しい」
(それは、俺も一緒だ)
クロエの泣き顔は見たくなかったし、笑ってほしい、喜んで欲しい。
「でも、それってさ、レナやティムでもそうだろ」
小さな姪と甥を思い浮かべた。子どもたちが怪我をしたり、悲しい気持ちになるのを想像すると、嫌な気持ちになる。
「それは、そうだな」
「番を『愛してる』って気持ちってなんだ?」
「――何で、そんなことを聞くんだ。お前も、番を得たなら感じるだろう?」
ブルーノの訝し気な顔にルークは言葉を飲み込んだ。この里にいるのは番同士か、将来誰かの番となる子どもたちだ。クロエにこのままここにいて欲しいと思うなら、番という言葉に疑念を持ってはいけない。
「――少し、考えただけだ」
「頼むよ」と言って、叔父の家を出た。
0
お気に入りに追加
248
あなたにおすすめの小説
『別れても好きな人』
設樂理沙
ライト文芸
大好きな夫から好きな女性ができたから別れて欲しいと言われ、離婚した。
夫の想い人はとても美しく、自分など到底敵わないと思ったから。
ほんとうは別れたくなどなかった。
この先もずっと夫と一緒にいたかった……だけど世の中には
どうしようもないことがあるのだ。
自分で選択できないことがある。
悲しいけれど……。
―――――――――――――――――――――――――――――――――
登場人物紹介
戸田貴理子 40才
戸田正義 44才
青木誠二 28才
嘉島優子 33才
小田聖也 35才
2024.4.11 ―― プロット作成日
💛イラストはAI生成自作画像
【完結】仰る通り、貴方の子ではありません
ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは
私に似た待望の男児だった。
なのに認められず、
不貞の濡れ衣を着せられ、
追い出されてしまった。
実家からも勘当され
息子と2人で生きていくことにした。
* 作り話です
* 暇つぶしにどうぞ
* 4万文字未満
* 完結保証付き
* 少し大人表現あり
皇太子夫妻の歪んだ結婚
夕鈴
恋愛
皇太子妃リーンは夫の秘密に気付いてしまった。
その秘密はリーンにとって許せないものだった。結婚1日目にして離縁を決意したリーンの夫婦生活の始まりだった。
本編完結してます。
番外編を更新中です。
このたび、あこがれ騎士さまの妻になりました。
若松だんご
恋愛
「リリー。アナタ、結婚なさい」
それは、ある日突然、おつかえする王妃さまからくだされた命令。
まるで、「そこの髪飾りと取って」とか、「窓を開けてちょうだい」みたいなノリで発せられた。
お相手は、王妃さまのかつての乳兄弟で護衛騎士、エディル・ロードリックさま。
わたしのあこがれの騎士さま。
だけど、ちょっと待って!! 結婚だなんて、いくらなんでもそれはイキナリすぎるっ!!
「アナタたちならお似合いだと思うんだけど?」
そう思うのは、王妃さまだけですよ、絶対。
「試しに、二人で暮らしなさい。これは命令です」
なーんて、王妃さまの命令で、エディルさまの妻(仮)になったわたし。
あこがれの騎士さまと一つ屋根の下だなんてっ!!
わたし、どうなっちゃうのっ!? 妻(仮)ライフ、ドキドキしすぎで心臓がもたないっ!!
「好き」の距離
饕餮
恋愛
ずっと貴方に片思いしていた。ただ単に笑ってほしかっただけなのに……。
伯爵令嬢と公爵子息の、勘違いとすれ違い(微妙にすれ違ってない)の恋のお話。
以前、某サイトに載せていたものを大幅に改稿・加筆したお話です。
王子殿下の慕う人
夕香里
恋愛
エレーナ・ルイスは小さい頃から兄のように慕っていた王子殿下が好きだった。
しかし、ある噂と事実を聞いたことで恋心を捨てることにしたエレーナは、断ってきていた他の人との縁談を受けることにするのだが──?
「どうして!? 殿下には好きな人がいるはずなのに!!」
好きな人がいるはずの殿下が距離を縮めてくることに戸惑う彼女と、我慢をやめた王子のお話。
※小説家になろうでも投稿してます
娼館で元夫と再会しました
無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。
しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。
連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。
「シーク様…」
どうして貴方がここに?
元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる