≪番≫の代償~選ばれなかった令嬢と婚約者の望み~

越智むう

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1章 ことのはじまり

1-1.ある令嬢の新婚初夜のできごと

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 ある国は『野人』と呼ばれる国を持たない、未開の民族と国境を接していた。その国境領地を支配するのが、ヘクセン辺境伯である。残念ながら、当主のヘクセン卿――イアン=ヘクセンは2年前に狩猟時の落馬が原因で死去し、現在は弟のヘンリー=ヘクセンが領地運営を行っている。国は森を切り開き、『野人』たちの領域へ勢力を広げるべく、第4王子チャールズと、イアン=ヘクセンの一人娘、アメリアを幼少時に互いに婚約者として定めた。アメリアが18歳の誕生日を迎えたその年の暖かな春の日、二人の結婚式が行われた。

 栗色の髪を綺麗に結った純白のウェディングドレスの花嫁は、歓声に包まれながら教会のヴァージンロードを歩く。横を歩くのは叔父のヘンリーだ。花道の先には白い礼服に身を包んだチャールズが笑顔で彼女を待っている。二人の美しい若者の晴れ姿に参列客は感嘆のため息をもらした。

 新郎は新婦のヴェールを上げ、彼女の丸い宝石の様な緑の瞳を見つめると感極まって呟いた。

「――なんて、綺麗なんだ」

 誓いの言葉を唱和し、お互いの指に指輪をはめる。唇を重ねると、チャールズは新婦を抱きしめた。

「アメリア――君と、結婚できる日が来るなんて、僕は今、世界で一番幸せだよ」

 私もよ、と呟くアメリアの視線は参列客の奥に立つ、くすんだメイド服を着た女に向けられていた。栗色の髪の毛をしっかりと結ったそのメイドは、切れ長の緑の瞳をアメリアと合わせ、頷いた。

 新婚初夜、真っ暗なヘクセン伯の屋敷の廊下に静かな足音が響く。アメリアは長いケープを被り、小走りで廊下を走っていた。裏庭に続く扉で待つのは、昼間の結婚式で彼女と目を合わせたメイドだった。

「こちらです、お嬢様」

 彼女はアメリアの手を引いて裏庭に出ると、ランプにかけた布を外した。淡い灯りが2人を照らす。すると、がさがさという音がして植木の陰から長身の、体格の良い銀髪の男が現れた。

「ルーク!!」

 アメリアは瞳を喜びで輝かせると彼のたくましい胸元へ抱きついた。男は華奢な令嬢の背中を強く、優しく抱きしめる。

「アメリア……会いたかった。――痩せたな」

「――2月も、あなたに会えなくて、辛くて、辛くて、食事が喉を通らなくて」

 でも、と令嬢はメイドを見た。

「クロエが、結婚式さえ終えてしまえば、お母様の監視が緩むからって。部屋に閉じ込められて、鍵をかけられてしまって、どうしようもなかったのだけど、これで、貴方と一緒に行けるわ」

 アメリアは青年の腕から離れるとクロエを抱きしめた。

「本当にありがとう」

「いいえ、お嬢様。愛しい人と一緒にいたいと思うのは当然ですものね。それが、運命のつがいというなら、なおさら」

 クロエは令嬢を抱きしめ返した。

「――お嬢様だなんて、クロエ、最後なのだし――お姉さまと呼んでくれない」

 アメリアは瞳を潤ませた。それに応えるようにクロエは微笑む。

「ええ――お姉さま」

 ルークは気まずそうにクロエを見た。

「クロエ、本当になんて言っていいか」

「いいのよ、ルーク」

 クロエはアメリアから手を離すと、彼に近づいた。

「最後に――あなたを抱きしめさせて」

 銀髪の青年は躊躇ちゅうちょしたように、視線を泳がせる。クロエは懇願するように言った。

「最後だから、お願い」

 ルークはしばらく黙った後、頷いて腕を広げた。メイドは彼の背にゆっくりと手を回す。

(――この匂い、ルークの匂い、)
 
 クロエは瞳を閉じた。懐かしい、愛おしい匂い。
 その手にナイフが握られていることに二人は気づかない。

 暗闇にブスリ、という無機質な音が響いた。ルークが「がっ」っと喉の奥からくぐもった叫び声を上げる。彼の身体が一回り大きくなり、シャツが盛り上がり、ふさりとした銀色の毛が伸びた。口が裂け、耳は獣の耳に変化する。

「クロエ、何を」

 ルークはそのままふらふらと後ろに下がると、花壇の花を潰し地面に腰をついた。息を荒くして目の前の、血が滴るナイフを月光に光らせる女を凝視する。
 
「人狼は銀のナイフと痺れ草に弱いんでしょう」

 クロエは歪んだ笑みを口に浮かべた。

「ど、どういうこと」

 アメリアは丸い瞳をさらに大きく丸く広げて後ずさった。その背中が何かに当たる。

「アメリアーー新婚初夜に夫を置いて、夜の散歩?」

 ひ、と息を吸って令嬢は後ろを振り返った。彼女の背中を受け止めたのは、今日の昼間永遠の愛を誓い合った夫のチャールズだった。

 怯えるアメリアに彼は笑顔を向けた。

「僕とずっと一緒だって、今日誓ったよね。神さまに」

「ク、クロエ」

 彼女はメイドに助けを求めた。しかし、クロエはその声を無視し無言で地面にうずくまるルークに近づく。
  地に伏した彼の上半身は狼に変わっていた。その上体を起こすと膝に乗せ、愛おしそうにその顔の毛並みをなで、頬にキスをした。うっとりした瞳をアメリアに向ける。

「お姉さま、お姉さまは何でも持っているじゃない。だから、ルークはあげない。彼は私が見つけた王子様よ」

   微笑むと、ぐったりとしたルークの身体を抱きしめた。

「クローー」

 アメリアの叫び声を、チャールズのキスが塞ぐ。

「アメリア、さあ戻ろう、僕たちの寝室へ」

 彼はポケットから湿ったハンカチを出すと、妻の口を覆った。ふらりとアメリアの身体の力が抜ける。がくっと地面に落ちた彼女の身体をチャールズは膝に手を入れて抱き上げた。そのまま屋敷の中へ二人が消えていくのを確認してクロエは大声を上げた。

「――――――人狼が! 裏庭に!!!」

 やがて、ばたばたと足音が響いて武装した警備兵が駆け付ける。彼らは地面に横たわる狼男と、クロエを困惑したように見比べた。

「お嬢様と、この人狼が、逃げる約束をしていたのを聞いていたのです。私がお嬢様のふりをして近づきました。――大事なお嬢様を、お守りするために」

「牢へ、牢へ入れろ」

 警備の兵たちは、ルークをずるずると引きずっていった。

 裏庭に残されたクロエは月を見上げ、嬉しそうに呟いた。

「ルーク、貴方は私のものよ」
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