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2夜 ワイルドな海賊の腕でさらわれたい

2-7.クラーケンの襲来(1)

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 どれくらい時間が経ったかわからなかったけど、私は何度も高みを感じて、すっかり疲れ果てて固いベッドに身を投げていた。外の太陽は空高く昇っている。

 シャツはめくり上げられ、ズボンは履いているけれど股のあたりがびしょびしょで、小さいときにおもらしをしたことを思いだしてしまう。服を直す気力もなく、手足を投げ出す。こうしてみると、手足の重さが適度に受け止められて、固い寝床が逆に気持ちよく感じる。

 フレディというと、はぁはぁ肩で息をしている私の横でにこにこしながら髪の毛をなでている。あなたは、いいの?と思うと、彼は嬉しそうに答えた。

「ありがとう。でも、ソフィーが気持ちよくなってくれれば、俺は元気になるから」

 ああ、そう。

 口に出すのも面倒になって、心の中で返事をする。
 フレディが髪の毛を引っ張った。

「ちゃんと声に出してよ」
「わかったわよ……」

 なんか面倒、一瞬そう思った瞬間、フレディの手が止まった。
 振り返るとやたらとショックを受けた顔をして固まっている。

「ど、どうしたの?今面倒って思ったから?」
「口に出さないでほしい」
「どっちなのよ!」

 毎回違う姿で現れるけど、「本体」の性格がちゃんとあるんだな、と私は思った。
 前回の“フレッド”を思い出す。この夢魔をフレッドみたいって思った私が馬鹿だったかも。 前回は、記憶の中で美化した“フレッド”の姿で来たからわからなかったけど、この夢魔――面倒なのでフレディでいいや――は、意外と人間らしい部分があるような気がする。

 ねえ、フレディ。

「……」
「フレディ?」
「え、何?ソフィー」
「今、話しかけたんだけど」
「うそ、――ごめん聞いてなかった」
「私の考えていることを読んでないの?」

 フレディは私の髪をくるくると指に巻き付けた。

「……ずっと読んでると、ソフィーが嫌かなって思ってやめた」

 さっきの面倒のくだりで傷ついたりとかもあるのかしら、と考えて私はふふっと笑った。――ずいぶん人間くさいところがあるのね。

「フレディ、もしかして、あなた、夢魔として新米だったりとか?」

 悪魔っていうから、抜け目なく目的だけを進めそうなのに、フレディはところどころ抜けているところがあるから、なんとなくそんな感じがした。ぴたっとフレディの動きがとまった。あれ、と思っていると、上にのしかかってくる。

「証明してみようか?」

 顔が近づいてきて、唇と唇が重なる。――何か刺激した?歯を割って入ってくる舌に気持ちだけ抵抗しつつ、そんなことを考えているとき、窓をコンコンっとたたく音がした。

「だれ!?」

 フレディを押し倒してシーツで胸元を隠す。
 船員は人形みたいなものだと思っていたから、そんな第3者的なものが間に入ってくることは考えていなかった。

 キキィと動物の鳴き声がして、フレディと同じような服を着た、小さな茶色の子猿が窓を叩いていた。

 フレディは立ち上がると窓を開けた。船長室に入ってきたその子は、右足を引きずりながら、でも器用にフレディの肩に上り、頭にしがみついている。

「リッキー?」

 私は目をぱちくりさせる。それは、私が昔飼っていた猿だった。旅の芸人が連れていた猿が生んだ片足の不自由な子猿。「こいつはダメだな」と芸人が言っていたのを聞いて、私が泣いてお父さまに言って引き取ってもらった子。そして……、
 
「海賊は、こういうの飼ってるもんだろ?」

 フレディは「痛たたた」と言いながらリッキーを顔から引き離して、私に渡そうとした。リッキーは首を傾げて、茶色い大きなビー玉みたいな瞳を私に向けた。

「やめて!」

 私はフレディの手を叩いた。リッキーははずみで床に落ちて、キキっ声をあげる。

「ソフィー?」
 
 リッキーを抱き上げて、フレディは首を傾げる。子猿は不安そうな表情で私を見上げている。

 ――そんな目で見ないでよ。

 リッキーは死んだのだ。竜皮症が感染して、柔らかだった毛並みは全身ぼこぼこの鱗になって、動けなくなって、トカゲみたいに床にべたっと這いつくばったままになって。
 
 『竜皮症』という病気は、噂としては聞いたことはあったけど、誰も近くでかかった人はいなかった。最初私の左足に鱗が現れたとき、お父さまは、私をいったん部屋に入れて、王都から有名なお医者様を読んだ。そのお医者様は、「一度『竜皮症』になると、もう治りません。周囲に感染しますので、お嬢様のことは諦めて早急に“安楽死”させて下さい」と言った。

 誰も周囲にそんな病気にかかった人はいなかったので、お父さまはその言葉には従わず、私を部屋の一室に隔離して他の医者を探した。その様子を見ていた王都の医者は、リッキーを私の部屋に入れて、『様子を見てください』と言った。
 部屋にひとりで、遊び相手もいなくてつまらなかった私はリッキーが部屋に来てくれて嬉しかった。食事の時も寝る時もいつも一緒に過ごした。そうしたら、リッキーは、猿なのにトカゲみたいになって、動けなくなり、死んだ。
 それを見たお父さまは、私をあの別荘地に送った。
 リッキーは私が殺したようなものだ。それに、シェリー……

「ソフィー、考えるのを、やめろ」

 頭を押さえて座り込んだ私の肩にフレディが手をかける。
 キキィとリッキーが私の足を掴む。

「やめて!」

 叫ぶと船がぐらっと揺れて、二人はバランスを崩してベッドのほうへ転がった。

 長女の私にとって、本当のお姉さんみたいだったメイドのシェリー。
 馬番の男の子が好きだと頬を赤らめて話していたシェリー。彼女だって。
 私が別荘に送られることになったときに、身の回りの世話をしたいからとついてきてくれた彼女は、他の人に止められても、時折私の部屋に会いにきてくれた。直接、体を拭いてくれたり、髪をとかしてくれたり。そして、彼女の左手には、鱗ができた。

 シェリーがいなくなった日の朝を思い出す。ただならぬ空気を感じて、窓をつたって部屋を抜け出した。連れていかれるシェリーと、白衣のボーゲン先生と、その手に握られた斧を見たことを、くぐもっていたけれど確かに聞こえた彼女の悲鳴を、思い出す。

 私は部屋に戻って、もう二度と外に出ないと誓った。誰かに、これをうつすわけにはいかない。部屋から出たいと騒ぐのもやめた。
 シェリーがいなくなってからは、先生以外誰も私の部屋を訪れる人はいなくなった。

「ソフィー!」

 フレディの声がする。同時に、窓がバリン!と割れる音が部屋中に響いた。
 私ははっとして、そちらを見た。
 窓が割れて、大量の雨と風が吹き込んでいる。あんなに晴れていた外は嵐になっていた。
 そして、にゅるりとした、何かうねうねした動きをした、黒いタコの足のようなものが、窓枠にからみついている。

「何、これ」

 そう言っている間に、部屋に入ってきたそれは、私に向かって飛びかかってきた。

「どいて!」

 フレディが私を突き飛ばす。それは、私を押した彼の腕を絡めとった。
 そして、勢いよく、外へ引っ張っていく。
 フレディの身体が窓の外へ宙を飛んだ。

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