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2章 舞踏会

2-14.過去との重なり

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 ――どういう意味かって――

 私は顔が熱くなるのを感じた。酔いではない。吸血鬼はお酒で酔ったりはしない。
 あれは、その場の雰囲気と勢いだった。キスして、血を吸って、彼が望むのであれば、それ以上でも。
 私は自分のグラスに残っているワインを一気に飲み干した。アーティの手から空のグラスを取り、近くのテーブルに置くと、彼の手を引いた。

「場所を、変えましょうか」

 大勢の人がいる場所でするやりとりではないと思った。
 
  ホールを出て、人気のない廊下を抜け、談話室として使われている部屋に入る。豪華な刺繍が施された布張りの椅子が並び、木製の細かい彫り物があるテーブルが置かれている。灯りを持ってきていないので、部屋は真っ暗だったけれど、窓から月灯りが入っているし、私たちは二人とも夜目が効くので問題はない。
 
 バタン、と扉を閉め、アーティの顔を見つめる。はぁ、と息を吐いてから口を開いた。

「そのままの意味よ。あなただって、断ったじゃない。『そういうのは、≪つがい≫になる相手としか、しない』って」

「俺が聞きたいのは」

 アーティが両腕で私の肩を掴んだ。茶色の瞳が私を見つめる。

「――あなたは、俺のことが好きですか」

 私は息を飲んだ。あれは、あの場の空気で、彼と「したい」と思ったから口から出た言葉だった。

「あなたの、落ち込んでいるところを気にかけてくれる、優しいところが好きよ」

 首を横に背けてそう言うと、彼は右手で私の頬を押し、正面に直した。
 再び目が合う。右ほおに、彼の大きいごつごつした手の感触と、熱いてのひらの体温を感じた。

「俺には、忘れられない光景があるんです。14の時に、屋敷へ行った時――ふと部屋の扉が開いているのに気がついて、覗いたんです。そこには、貴方とステファン様がいて、ひざまずくステファン様の首に貴方が手を回していて、」

 アーティは自分の頭を押さえた。

「少し、蒸し暑い夏の日でしたね。汗ばむくらいの。貴方はゆっくりと、ステファン様の首筋に牙を立てて……、今でも思い出せますね。小さい呻き声がして、俺はびっくりして後ずさりして、音を立てちゃって。貴方は俺に気がついて、目が合って、微笑んだんです。口から赤い血がたれてて……」

 再びこちらを見つめる。

「覚えていらっしゃらないでしょうね。俺が、館と王宮警備の職についたのも、貴方の近くにいられると思って――、でも、貴方は、あの時と全く変わらない姿で、今もそこにいる」

 ぐっと肩を握る手に力が入った。

「どうして、あんな事を言ったんですか。俺は、一族のためにも、早く≪番≫を見つけないとって思ってたのに。――俺は、あの時微笑んだ貴方の姿を見た時から、貴方のことが、好きなんです」

 私は目を見開いて彼を見つめた。貴方のこと『が』、それは私が何より欲しかった言葉だった。誰かの代わりや、変わらない時間の中でのぼんやりとしたものではなく、この瞬間に私にだけ向けられる生きた感情。
 
 私はアーティの身体をとん、と押して椅子に座らせた。彼の膝の上に乗るように座ると、肩に腕を回し、その短い髪を指ですいた。彼の身体が硬直しているのが伝わってくる。

「アーティ、貴方は、行為を貴方たちで言うところの≪番≫同士でする、血を残すための行為だと考えていると思うけれど、私たちは違うわ。私たちは、吸血鬼は子孫は残せないし、誰かを求めるのは、その瞬間にそうしたいからよ」

 がっしりした胸元に寄りかかり、囁いた。

「あの時、あなたが欲しいと思ったからそう言ったの。あなたは?」

「俺は」

 動きかけた唇を、私の唇で塞ぐ。ワインの香りがした。ゆっくりそれを離すと、アーティは茶色い瞳を大きく広げてこちらを見ていた。
 
  私は微笑んだ。ああ、思い出した。あの時、扉の影からこちらを覗き込んでいた男の子。ぼんやりとした時間を過ごしている間に、彼はいつの間にか立派な青年になっていた。

 髪を撫でると、再度顔を近づけた。抵抗はなかった。唇を舌でこじ開ける。暖かい口内に滑り込ませ、その熱を奪うように動かした。アーティの舌も、だんだんと、私に応えるように絡みついてきた。彼の腕が私の背中を抱きしめた。

 私は唇を離すと、口元についた唾液を手の甲で拭って微笑んだ。

「ちょっとくらい、いいんじゃない」

 私の背中を抱くアーティの腕の力が強まった。
 その瞬間に、私は『沙代里』としての記憶を思い出した。

『ちょっとだけ、いいかな』

 沙代里わたしを抱きしめて、彼はそう言った。
 
 新卒で入社した会社の先輩で、8歳年上だった。仕事ができて、頼りがいがあって困った時は助けてくれて。仕事場での人間関係がうまくいかず、何度も仕事の後に相談に乗ってもらった。
 お酒を飲みながら、だんだんと家庭の話になった。年末だったと思う。私も彼もあまり家族関係がうまくいっていないことがわかった。そのうち、年度末の帰省の話になった。

『年末年始、帰らないからまた1人だよ。彼女とも、別れちゃったし』
 
  言いながら、彼は寄りかかってきた。やっぱりワインの香りがしたような気がする。帰り際、手をつながれて、『帰るの?』と寂しそうな目で見られた。
 
 それから、5年。好きだと言われて付き合うわけでもなく、ただ身体の関係を続けた。周りが結婚したり、人生を進めている中で、自分がずっとその関係の中にいることに焦りを感じて、距離を置いた。連絡が来たけれど、無視した。やがて、それも途絶え、1年経ち、彼がきちんとした恋人を作ったことを、社内の知り合いに聞いて知った。それからだ。何もやる気がしなくなって、家に引き籠るようになった。ずっとゲームをして、クーラーが壊れたまま、暑い部屋で布団を身体中に巻いて丸まっていた。

 私はアーティを見つめた。困惑と期待の混じるその瞳に見覚えがあった。
 
  ――あのときの私?

  動きを止めた。そして、私はあの時の先輩の立場にいる?
  自分に向けられる好意の心地よさ。漠然とした心のすき間を埋めたいと思う欲求。相手の熱に触れたいと思う性的な衝動。でも、  
 
   ――きちんと『好き』と伝えないで、このまま続けていいの?
 
 彼を「好き」だと断言できる気持ちはなかった。沙代里としての常識が私のストップをかける。――勢いに任せるのは、良くない。膝から降りるとうつむいた。

「ごめんなさい」

 呟くと、アーティが正気に戻ったように椅子から立ち上がった。襟を正し、乱れた衣装を整える。

「―――俺も、かなり酔ってて――、すいません――」

「いえ、いいのよ、」
 
 言いながら思う。何がいいのよ。穴があったら入りたい。

 そのとき、バタバタと足音がして、バタンっと扉が開いた。びっくりして、そちらを見ると、ステファンがいた。 彼は、一瞬私とアーティを見比べて、驚いた顔をしたけれど、すぐに私に向き直った。瞳の中心に赤が混ざっている。緊迫した表情で張り詰めた声で言った。 

「カミラ、ルシアが消えた」
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