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最終章「ふたりの想い」

87.ミセルのけじめ

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 王都ネガーベル。
 先日の【漆黒の悪魔】襲撃で受けた修復作業もほぼ終わり、すっかり以前と同じ賑わいと平和が戻りつつある。そんな王都の夜、一軒のバーでその銀髪の男はひとり静かに酒を飲んでいた。


 カラン

 グラスに入った氷が少し溶け、音を立てる。
 ロレンツはその氷を見つめながら自身の不甲斐なさを思った。


(油断、だったのか……)

 アンナの『護衛職』として彼女を守れなかった。
 強さには自信がある。特に呪剣を手にしてからは誰にも負ける気がしない。


(でも、な……)

 それでもなぜかアンナと一緒にいるとその自信に綻びが出る。彼女といるとちょっとしたことで焦りや動揺が起きる。理由は分かっている。ロレンツは溶け行く氷をじっと見つめた。


「あれー、もしかしてロレロレ様ですか??」

 ロレンツがひとり酒を飲んでいると、ふたり組の見知らぬ貴族令嬢が声を掛けて来た。

「本当だ! ロレロレ様ですわ!!」

 身なりのいい服。高級そうな装飾品。お忍びで来ているようだが、立ち振る舞いや生まれ持った気品は隠せない。髪の長い令嬢が言う。


「おひとりで飲まれているのでしょうか。ご一緒してもよろしいでしょうか?」

 何度もネガーベルの危機を救い、次期聖騎士団長と噂されるロレンツ。武骨で不愛想な男だが、その野性味あふれる存在は軟弱な男ばかりの貴族にあってひときわ目立っていた。無論、彼が独身だという話は皆も知っており、今最もネガーベルで人気の高い男となっている。
 ロレンツの両隣に座った令嬢が立て続けに質問をする。


「ロレロレ様はよくこちらへ来られるんですか?」
「聖騎士団へ加入されるって本当でしょうか?」

 令嬢達は手にしたグラスを持ちながら興味津々にロレンツに尋ねる。ロレンツは手にしたグラスを見つめながら小さく答える。


「悪いが俺はひとりで静かに……」

 そう言い掛けた時、そのロレンツの後ろで聞き覚えのある女性の声が響いた。


「お待たせしましたわ。ロレ様」


 その声にロレンツ、そして両隣にいた令嬢が振り返る。そして驚きの顔になって言う。

「ミ、ミセル様……」

 先の『ジャスター裁判』で表舞台から失脚したジャスター家。以前の自信あふれる彼女とは少し異なるが、それでも元有力貴族のジャスター家ミセルの登場に令嬢達が驚く。令嬢が言う。


「あ、あの私達……」

 言葉を選びつつ何かを言おうとした令嬢達にミセルが言う。


「用事がないのならそこ、空けて下さる?」

 ミセルは令嬢達が座るロレンツの隣の椅子を見て言った。令嬢達は慌てて立ち上がり小さく頭を下げて言う。


「し、失礼しました!!」

 そう言ってその場から立ち去る。失脚したとはいえミセルの令嬢としての迫力は健在である。去って行った令嬢達を見てからミセルが言う。



「失礼しました、ロレ様」

「嬢ちゃんか」

「お隣、よろしいでしょうか」


「ああ……」

 ミセルは軽く頭を下げてロレンツの隣に座る。ロレンツが言う。


「嬢ちゃんも飲めるのか」

「ええ、得意じゃありませんが、嗜む程度には」

 ミセルはマスターからグラスを貰うとゆっくりカウンターの上に置いた。


「もうひとりでいいのかい?」

 裁判後、彼女はほぼ全ての行動に監視役がついている。ミセルが少し首を横に振って答える。

「いえ、あちらにいますわ」

 そう言って話す彼女の目線の先には、店の入り口付近でこちらを見ている黒服の女がいる。

「なるほどね」

 そう言うロレンツにミセルが答える。

「仕方ありませんわ。でも慣れましたので」

 そう言って小さく笑うミセル。
 いつも通りの赤い服。露出が控え目なのは以前と違うところか。ロレンツが言う。


「騎士団長さんはまだ駄目なのか」

 聖騎士団長エルグは依然精神疾患を患って特別監房に入れられている。ミセルが答える。

「ええ、残念ながら……、ところでロレ様」

 ミセルがロレンツの方を向いて言う


「ロレ様は聖騎士団長になられるのでしょうか」

 監房に入れられているエルグは、その罪により既に聖騎士団長はおろかネガーベル軍からも追放させられている。ロレンツが苦笑いして答える。


「ならねえ。軍はもう結構だ」

「ふふっ……」

 ミセルが少し笑って言う。


「貴族の噂では次期聖騎士団長はロレ様で決まりとの話が出ております。軍の多くの者も賛同しており、何より誰よりも強き者でないと務まらない職でございます。皆が羨むようなお話にもご興味がないんですね」

 ロレンツはそれを酒を飲みながら聞く。そして答える。


「上に立つ者は強さだけじゃ務まらねえ。皆を率いる才能が必要だ。強いに越したことはねえが、俺には無理だ。その器じゃねえ」

 そう言ってグラスに残っていた酒を一気に口に流し込む。ミセルが言う。


「欲がないんですね」

 酒を飲み真っすぐ向いたままロレンツが答える。


「あるさ。出ちまった」


 それを聞いたミセルが意外そうな顔で尋ねる。

「あら、それは大変興味があるお話です。聞かせて貰えませんか」

 ロレンツは新しくマスターから酒を貰うと笑って答えた。


「そんな事より何か用事があったんだろ?」

 ミセルはちょっと残念そうな顔になり答える。


「ええ、ございます。ロレ様に会いたくて参りました」

「……」

 無言のロレンツ。しばらく間を置いてからミセルが小声で言う。


「国王陛下についてでございます」

「!!」

 前を向いていたロレンツが隣に座るミセルを見つめる。まっすぐ前を向いたままの彼女に言った。


「まさかそれもおめえさん達の仕業なのか?」

 ミセルはちょっと首を振って答える。

「分かりませんわ。この件については私は絡んでおりませんの。でもお父様やお兄様ならもしかして何か知っているかもしれません」

 そう話すミセルはとても落ち着いていた。父や兄の悪行を話す。その意味もしっかり理解した上でロレンツのところに来ている。


「それを聞いた以上、俺も黙っている訳にはいかねえが、いいのかい?」

 ミセルがロレンツの方を向いて答える。

「はい、分かっております。ただ、ひとつお願いがございます」

「お願い?」

 そう聞き返すロレンツにミセルが言った。


「はい、できることなら……」


 ミセルの話を聞いたロレンツが無言になって考える。
 がやがやと騒がしい王都のバー。楽しく雑談する者、酔って大きな声を出す者など様々だ。しばらく考えた後、ロレンツが答える。


「分かった。できる限り協力しよう」

 ミセルの顔がぱっと明るくなる。

「ありがとうございます。ロレ様」

 ロレンツは無言でカウンターの上に置かれたグラスの酒を飲む。そして言う。


「しかし嬢ちゃんも大したタマだな」

「どういう意味でしょうか?」

 ロレンツが言う。


「俺にこんなことを話すのはある意味賭けだ。それでも自分の信じたことを真っすぐつき通す」

「私も必死でございます。過去を反省し、本物の聖女になるために頑張っております」

 ロレンツが少し笑顔になって言う。


「ああ、知っている。俺は真っすぐな奴が好きだからな」

 それを聞いたミセルの頬が少し赤くなる。


「ロレ様」

 ロレンツが顔をミセルの方に向けて答える。

「なんだ?」


「ロレ様は女性にそう言う勘違いをさせることを軽々しく仰ってはいけませんよ」

(勘違い?)

 意味の分からないロレンツが首をかしげる。ミセルが立ち上がって言う。


「では私はこれで失礼致しますわ」

「ああ……」

 去り行き際、ミセルがロレンツに言う。


「ロレ様」

「ん?」


「私がここに来たのは、ロレ様にお会いしたかったからですわよ」

 ミセルはそう言うと軽く頭を下げ、黒服の女と店を出て行く。


(私は決して諦めませんわよ。ロレ様……)

 ミセルは黒服の女に顔を見られないように赤髪を風になびかせながら先を歩いた。




 店内に残ったロレンツもグラスの酒を一気に飲み干し、立ち上がって言った。


「さて、明日はまたイコに助けて貰うか。ちょっと忙しくなるぞ」

 ロレンツはカウンターに代金を置きそのままひとり店を出た。
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