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最終章「ふたりの想い」

82.俺だけが消えた世界

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 全てが上手く行っていた。

 ミスガリア王国の使者は今回の戦争の責任をはっきりとネガーベルに認めさせ、国王代理のアンナより正式に謝罪を受ける。
 とは言えミスガリアとて国家の崩壊寸前であり、ネガーベルとの対立は望んではいない。同盟、不可侵条約に続き、ミスガリア復興の協力をすることで再び良好な関係が築かれ始めていた。


 ネガーベルの乗っ取り、並びに王家キャスタールを陥れようとしていたジャスター家。思わぬ綻びから裁判でその卑劣な裏工作が次々と暴かれ、首謀者であるガーヴェル・ジャスターは終身刑となり投獄された。息子である聖騎士団長エルグも未だ精神状態が安定せず、特別房にて服役している。
 唯一娘であるミセルだけが投獄を免れたが、それでも常に兵士の監視付きの生活を送らねばならず、表には出さないが今の家族の境遇に時折涙を流している。



「アンナ様、おはようございます!」

「あら、おはよ。リリー」

 そしてネガーベル王国の姫であるアンナ・キャスタールは、自身を陥れようとするジャスター家が事実上失脚したことで、リリーと共に復興を始めとした国政に力を注ぐことができた。
 ネガーベル始まって以来の困難に、笑顔の戻ったアンナを中心として皆が一丸となって復興に汗を流した。


 そう、上手く行っていた。
 全てが上手く行っていた。


 アンナのに関する記憶以外は。



「よお、嬢ちゃん」

 朝の公務室。
 銀髪のロレンツがアンナの部屋を訪れる。アンナが顔を上げて答える。


「おはようございます。ロレンツ

 アンナはそう笑顔で答えると再び仕事に取り掛かった。
 ロレンツはいつも通りテーブルに向かいコーヒーの準備を始める。いつもの朝の風景。ただリリーだけはそのふたりを見てため息をついた。


『呪いの首飾り』

 先にエルグがミンファに渡した首飾りと対を成す呪品。
 エルグが渡したものが実際に人を殺す呪いが掛かっているのに対し、これは人の心を殺す呪いが掛けられている。この首飾りを掛けられたものは、その瞬間より最もを記憶から失う。まさに心を殺す呪いであった。



(嬢ちゃん……)

 ロレンツが机に座って書類に目を通すアンナを見つめる。
 美しい金色の髪。透き通るような白い肌。大きな目。すべてが以前と同じまま。氷姫などと呼ばれていた頃が懐かしいと思えるぐらい最近は誰ともよく話し笑う。


(でも違うんです。アンナ様……)

 同じくアンナを見つめていたリリーが思う。
 よく話し、よく笑う。ただその笑いには不思議と感情が感じられなかった。長い時間一緒に過ごすリリーだからすぐに分かるその感情。何かが足らない。その『何か』なんてすぐに分かる。リリーがロレンツを見て思う。


(あなたなんですよ、その『何か』は……)

 ロレンツと言うを失ったアンナ。
 そんな彼女はまるで機械仕掛けの美しい人形にしか見えなかった。アンナがコーヒーを飲むロレンツに言う。


「そうだわ、ロレンツさん」

「ん、どうした?」

 雑誌のようなものを読んでいたロレンツがその声に応じて顔を上げる。アンナが言う。


「以前頼まれていたミンファさんの件ですが、正式に国政のお仕事に就いて貰うことが決まりました」

 ミンファのリービス家。
 地方領主であるリービス卿はかねてから中央進出の野望を抱きジャスター家に接近。娘のミンファを差し出すことで中央進出への足掛かりにしようと目論んでいた。
 ただその肝心のジャスター家が失脚。娘も当時勢いを失っていた王家に絡んでしまい中央への夢は諦めかけていた。そんな矢先、例のジャスター裁判が起こり状況が一変する。


「そうか、そりゃ良かった。銀色の姉ちゃんも喜ぶってもんだ」

 そんなミンファの心情を察してロレンツが少し前よりアンナに相談していた。アンナ自身もジャスター家が担っていた多くの仕事の割り振りに困っていたこともあり快く承諾。『護衛職』が家の心配をすることなく仕事ができる環境を作る目的もあった。


(ミンファさんとてもいい人だし、あの銀髪なんてそれこそロレンツさんみたい。本当ふたりが一緒に並ぶとまるで家族のような……)

 そこまで考えたアンナが急に胸の痛みを覚える。


(なんだろう、なんか面白くないわ……)

 いつもそうだった。
『護衛職』のロレンツと別の女性のことを思うと胸が痛くなる。
 ロレンツはモテた。寡黙で静かな男。ネガーベルの危機を何度も救い、空席のままになっている次期聖騎士団長の最有力候補とも言われているロレンツ。独身令嬢が放っておくはずもなくミンファやキャロル、そしてあのミセルまでも彼に好意を抱いているのはアンナにも分かった。


(面白くないわ……)

 自分でも理解できない自分の気持ち。
 そんな時、いつもアンナはロレンツに言う。


「ロレンツさん、王都の視察に行きます。ご同行願えるかしら」

「ああ、分かった」

 すっと立ち上がるロレンツ。
 そう、そんな時アンナはいつも無意識のうちに彼を独り占めする。




「いつも感謝しているんですよ、ロレンツさん」

 王都にやって来たアンナがロレンツを見てそう言った。
 ネガーベル王城同様に、【漆黒の悪魔】に襲われた王都。被害は少なかったものの、未だその復旧作業が続いている。ネガーベル姫の後ろに立って歩くロレンツが答える。


「感謝?」

「ええ、感謝。いつもそうやって後ろに居て下さると安心して街を歩けますわ」

 ロレンツは無言になった。
 安心。それは今のロレンツにとって最も辛い言葉であった。


(俺が守れなかった。また守れなかった……)

 混乱した『ジャスター裁判』の大法廷。
 突然のエルグの蛮行への対処をしていたとは言え、結果的にガーヴェルの呪いを許すことになってしまった。
 拘束したガーヴェル解呪方法についてに厳しく問い質したが『ない』との一点張り。イコを使って確認させたがやはり本当に知らないようであった。ちなみに以前ミンファに掛けた呪いも実は解呪法はなかったそうだ。


(俺は何て無力なんだ……)

 同じ呪いからミンファを救った呪剣。
 残念ながら何度もアンナに試したが、彼女の呪いを解くことも受け継ぐこともできなかった。ロレンツは自分の無力さを呪った。不甲斐なさが許せなかった。一度は死んだと思った自分。そして思う。


『大切な人を失うことがこんなに辛いことだなんて……』

 目の前を歩くアンナ。
 その笑顔を美しいと感じれば感じるほど自分の心が砕けて行く感覚となる。


(俺は、俺は……)

 この時恐らく生まれて初めてだろう、ロレンツが自分の気持ちのままに言葉を発した。


「嬢ちゃん」

 前を歩いていたアンナが名を呼ばれ振り返る。
 ふわりと浮かぶ金色の長髪。甘い香り。ロレンツが緊張した面持ちで言う。


「明日、公休日だろ?」

「ええ、そうよ」


「一日だけ、俺にくれないか」


 少し驚いた表情をしたアンナが笑顔になって答える。

「いいですわよ。もしかしてデートのお誘いでしょうか?」

 驚いたロレンツが動揺して答える。


「い、いや、それは……、その、付き合って欲しい場所がある」

 笑顔のままアンナが答える。


「ええ、いいですわ。喜んで」

 生まれて初めて女性を誘ったロレンツ。
 気が付くと全身汗でびっしょりになっていた。
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