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第五章「聖女と神騎士」

68.動き出した脅威

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 その日の夕刻、公務室で仕事をしていたエルグの元に兵士が報告に現れた。

「エルグ様、ご報告がございます!!」

「申せ」


 兵士は一礼してから話し始める。


「はっ、実はミスガリア遠征に向かった軍なのですが……」

 エルグは少し前にミスガリアと開戦したことを思い出す。ずいぶん時間が経っているがまだ制圧したとの報告はない。兵士が言う。


「王都制圧寸前と言う報告を受けてから一切連絡がなくなりました」

「なに?」

 エルグの表情が真剣になる。


「まさか、負けたのか? ミスガリアに?」

 兵士が困った顔で答える。

「分かりませぬ。途中までの報告では破竹の勢いで勝利を重ねていた模様。とてもミスガリアに負けるとは思えませんが……」

 確かにエルグもそう思った。
 ミスガリア程度に負ける軍隊ではない。ただ嫌な予感はする。


「すぐに偵察部隊を送れ。至急だ。何が起こっているのか確認せよ!!」

「はっ!!」

 兵士は敬礼してからすぐに部屋を出る。


(音沙汰がない? 一体何が起きたんだ……?)

 エルグは言い表せぬ不安を胸に公務に戻った。





 コンコン……

 その日の深夜。
 ネガーベル王城最奥にある『ジャスター』のプレートが掲げられた部屋にひとりの男が訪れた。ノックをしてから小さく言う。


「私です。エルグです」

 エルグはそう言ってから静かにドアを開け中に入る。
 優雅な部屋。
 高価な調度品が部屋のランプのゆらゆらと揺れる明かりに照らされる。父ガーヴェルはエルグをソファーへ案内するとゆっくりとその正面に座った。エルグが懐から書状を取り出して言う。


「ゴードンから受け取った書状です。偽造ですがマサルト国印が入った本物。これを見て誰も疑う者などおりませぬ」

 ガーヴェルはエルグからその書状を受け取りまじまじと見つめる。

「本物だな。本当に愚かな奴よ」

 ガーヴェルは無能なゴードンの顔を思い出して小さく言う。エルグが書状を片付けてから尋ねる。


「それで実行はいつにしますか」

「近いうち、だな」

「近いうちですね」

 ガーヴェルは葉巻に火をつけてふうと煙を吐いてから答える。


「ああ、近いうちだ。アンナ姫、そしてロレロレともに。準備が整い次第実行せよ」

「分かりました」

 エルグはいよいよ周到に準備を重ねてきた計画に移れると満足そうに頷く。それからあることを思い出して父に報告した。


「それから父上、ミスガリア討伐なんですが……」

「制圧は済んだのか?」

 エルグが小さく首を振って答える。

「いえ……、それが討伐隊からの報告が途絶えました……」


 無言になるガーヴェル。エルグに言う。

「気になるな。偵察は出したのか?」

「はっ、既に城を出ております」


「うむ、重々注意せよ。思いもよらぬ所から綻びと言うものは顔をのぞかせる。肝に銘じておけ」

「かしこまりました」

 ミスガリアと言えば今回の開戦理由にもなった『エルグ暗殺未遂』。それは強国の聖騎士団長という立場から出た慢心と言うだったかも知れない。エルグは改めて決意を新たにする。
 だが慎重に慎重を重ねた今回の計画に決して綻びなどないはずだと思っていた彼だが、既にそれは遠方で現実の形となって現れていた。





 ミスガリア王国、王都。
 その上空にその不気味で恐るべき漆黒の竜は悠然と舞っていた。


「ぐわあああああ!!!」

 ミスガリア王都に意気揚々と攻め込んだネガーベル軍。
 破竹の勢いで勝利を重ねていたネガーベルに異変が起きたのは、王都突入開始後すぐに事であった。

「ぐ、軍団長!! あれは一体!?」

 それは漆黒の竜。
 巨大な黒い体に禍々しい大きな翼。見るだけで足がすくむような凶悪な顔に、鋭い牙や爪。放たれる瘴気は気の弱い者だと立っていられなくなるほど強烈である。軍団長が口を開けて言う。


「あ、あれはまるで【赤き悪魔】じゃないか……」

 だがネガーベル王城を襲ったその魔物とは全てにおいて桁が違う。
 危険を感じた軍団長が一旦非難を命じようとした時には、その壮絶な光景が既に始まってしまっていた。


「グゴオオオオオオ!!!!!」

【漆黒の悪魔】と後に呼ばれたその黒き竜。
 その口から吐き出される闇のブレスは、触れたものを黒く焼き尽くし灰にしてしまう恐ろしいものだった。


「た、退却、退却!!!!」

 軍団長の叫び声が響く。
 だがすでに隊の半数以上を失ったネガーベル軍には、その声など届かぬぐらい混乱していた。

「た、助けて!!!」
「ぎゃああああ!!!!」

 次々と灰になって息絶えて行く部下達。
【漆黒の悪魔】は闇のブレスや爪、牙などでまるで遊ぶように殺戮を続ける。


「こんな、こんなことが……」

 軍団長は迫り来る【漆黒の悪魔】を前にもう避難などできないことを理解しその場に崩れ落ちた。


「グゴオオオオオオ!!!!!」

 そしてネガーベル軍を崩壊させたその漆黒の竜は、大きく翼を羽ばたかせ目の前にあるミスガリア王都へ向かった。





 その日の朝。部屋にやって来たリリーがアンナに言った。

「アンナ様、いい加減あいつと仲直りしてください。『護衛職』がこの状態ではアンナ様に危険が及びます。あいつを部屋に入れないのなら、それこそエルグ様にその役をお願いしますか?」

 リリーはいつもにも増して厳しい口調で言った。既にロレンツがこの部屋に入れなくなって数週間。侍女としての仕事にも支障をきたしている。アンナが答える。


「だって……」

 アンナの頭にはミセルと仲良くするロレンツの姿が浮かぶ。ミセルの『護衛職』になりたいとか、キャロルやミンファなど次々と現れる魅力的な女性が思い浮かびむかむかする。


「だってじゃありません!! あいつはそりゃ失礼な奴ですが、これだけ冷たくされてもきちんと毎日やって来て役目を果たそうとしています。まずは私情は捨てて『護衛職』として彼を評価すべきです!!」

 アンナは本当に自分より幼い子の青髪のツインテールの少女がやはり姑に見えて仕方なかった。
 その優秀さが認められ歴代王家に仕えているティファール家。その中でも特に有能なリリーだから決してブレない。アンナはため息をつきながら尋ねる。


「でも、じゃあ、なんて言えばいいの……?」

 リリーは少しだけ軟化したアンナの態度を感じ嬉しそうに答える。


「そうですね。とりあえず間もなくやって来る彼の為に、大好きなコーヒーでも淹れてあげたらどうですか。あれって彼の習慣だけど、ここ最近は全く飲んでいないと思いますから」

「コーヒー……」

 アンナはいつもロレンツが座ってコーヒーを飲んでいたテーブルを見つめる。彼があそこに座らなくなって随分と時間が経つ。部屋に漂うコーヒーの香りを嗅いで朝を感じていたことが懐かしくなる。


「分かったわ。あいつもうすぐ来るし、コーヒー、淹れるわ……」

 アンナはそう言うとすっと立ち上がりキッチンの方へ向かう。そしてそこに置かれたロレンツ愛用のコーヒー豆を取り出しミルで砕いて行く。漂うコーヒー豆の香ばしい匂い。リリーも久しぶりに嗅ぐその香りに少しだけ嬉しくなった。
 粉になったコーヒー豆にお湯を注ぎ、抽出を待つ。カップもちゃんと温め、冷めないように気を遣う。


「できたわ」

 そのアンナの言葉と同時に、まるでその出来上がりを待っていたかのようにドアの外から声が掛かる。


「おい、嬢ちゃん。俺はここにいるから何かあったら呼んでくれ」

 いつも同じ時間に響く同じ声。
 何度自分に嘘をつきそのドアの方を見ないでいたことか。そんなアンナの気持ちが香ばしいコーヒーの香りで徐々に解けて行く。


「アンナ様……」

 コーヒーをトレーに乗せ歩き出すアンナにリリーが頷く。


(分かってる)

 アンナもそれに無言で頷いて返す。


(まずはコーヒーを差し上げて、それで私がちゃんと謝って……)

 そこまでアンナが考えた時、その覚悟を決めた耳に最も聞きたくない声が響いた。


「おはようございます! ロレ様!!!」

(え?)

 アンナの足が止まる。
 その甲高く甘い声がドアを通してアンナの耳まで届く。


「ロレ様ぁ、昨晩はとても嬉しかったです~。ミセル、感激しちゃいました!!」

 コーヒートレーを持ったままドアの前でアンナが固まる。ロレンツはそれに対した何やら言っているようだが、低い彼の声ははっきりと聞こえない。ミセルが続ける。


「ロレ様がぁ、またミセルをくれるようでしたら、いつでもお応えしましてよ~」


(ミ、ミセルを求めるですって!?)

 アンナの顔が真っ青になる。


「ミセルはロレ様に、全てを捧げますわ!!」


 バン!!

 アンナは無表情の真っ白な顔で勢いよくドアを開ける。驚いたロレンツが声をかける。


「じょ、嬢ちゃん……?」

 アンナの目にロレンツの太い腕を掴んでこちらを見るミセルの姿が映る。アンナが持っていたコーヒーカップに手をやる。リリーが叫ぶ。


「だ、駄目です。アンナ様っ!!!」


 バリン!!!

 アンナは手にしたコーヒーカップをそのままロレンツに投げつけた。熱いコーヒーがロレンツにかかり、カップは床に落ちてバリンと音を立てて割れた。驚いたミセルが大きな声で言う。


「あ、あなた!! 一体何をして……」

 アンナは涙目になりながらロレンツを睨みつけながら叫ぶ。


「馬鹿、馬鹿馬鹿馬鹿!!! 最低っ、もう死んでっ!!!!」


 バン!!!

 アンナはそう叫ぶと勢いよくドアを閉める。


「おい、嬢ちゃん!!」

 ロレンツはすぐにアンナを呼んだが、その声は彼女に届かずアンナは顔を押さえたままベッドに走る。


「うあーん、うわーん!! どうしてよぉ、うわーん!!!」

 アンナは布団に潜り込んで大きな声で泣いた。
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