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第三章「聖女就任式」

44.アンナのお茶会

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「お座りになってください、ミンファ殿」

 ミンファは聖騎士団長エルグの声に頷き、部屋中央に置かれた大きなソファーに腰を下ろした。
 ネガーベル王城でも特に景観の良い部屋。
 歴代聖騎士団長が公務室として利用しているその権威ある部屋にはミンファが座った大きなソファーのほかにも歴史的価値がある調度品、こまめに手入れされた観葉植物などが置かれている。威厳さだけでなく居心地の良さも兼ね備えた部屋だ。エルグが言う。


「それで、ロレロレの方はどうですか」

 エルグもソファーに座っている妹のミセルの横に腰かけ、正面に座るミンファを見て尋ねる。ミンファが答える。


「はい、順調です……」

 そう答えるしかなかった。
 首に掛けられた『誓いの首飾り』。誰かを愛せば死に至る呪いのかかった恐るべき品。実際ロレンツに心動かされたあの日、ミンファは意識朦朧となり死の淵を彷徨った。


(キス……)

 滑稽なことに策略で嵌めようとしていた相手に命を救われた。人工呼吸というで。


「もう彼女は必要ないんじゃないでしょうか、お兄様」

 それまで腕を組み、じっと黙って聞いていたミセルが口を開く。

「ミセル……」

 隣に座った兄に向かってミセルが言う。


「だってそうでしょ? 間もなく私が『聖女』に就任し、『護衛職』に彼を選抜するわ。そうなればもう味方も同然。改めて彼女を使って落とすなんて必要ないですわよ!」

 大方筋は正しくとも、私情の混じった意見。エルグが言う。


「もちろんそれでロレロレが本当に我らの味方になってくれれば嬉しい。ただ彼の場合、そういった義務で従えたとしても決して味方にはならないと思うんだ。心を揺さぶらないと」

「そ、それは……」

 ミセル自身も人の言うことなど聞かず、己の道を進むロレンツを思い出して小さく頷く。仮にもエルグは強国ネガーベルの要でもある軍のトップ。掌握術は他者より秀でていた。エルグが言う。


「だから魅力的なミンファ殿にロレロレを落として貰えばキャスタール家はもう手足が出せなくなるはず」

 エルグは目の前に黙って座る、銀色の髪の美しい色っぽい女性を見つめる。
 大方の貴族は既に王家キャスタールから距離を置き、その半数以上をジャスター家が取り込んでいる。聖騎士団長に聖女、更に今後国王までがジャスター家から輩出されたとなれば靡かない貴族はほぼいないだろう。エルグがミンファに言う。


「だからあなたに力を貸して欲しいんだ」

「は、はい……」

 そしてアンナ陣営で最後に残ったのが『ロレンツ』という男。
 いきなり現れた元敵国の人物だが、恐ろしく強く、そして鋭い。軍人そして貴族であるエルグに『できるなら敵に回したくない』と思わせる相手。だから味方に入れたい。


「私も、ロレロレ様を味方に引き入れるよう頑張りますわ!!」

 ミセルも胸の前で拳を握って兄に誓う。


「ああ、頑張ってくれ」

 エルグはミセルの頭を撫でながら頷く。


(私はどうすれば……)

 ミンファは仲良く話す目の前の兄弟を見つめながら思う。
 幼い頃から多くの男に言い寄られ、心のどこかで自分の美しさを自覚していたミンファ。体にも自信があり、奥手で正直あまり気が乗らなかったのだが家の為に依頼を遂行しようと思っていた。

(でも、全然違った……)

 攻略対象とされたロレロレと言う男は、そんな彼女の想像を超える男であった。
 攻略すべき対象ではあったが、会った時には既に自分が攻略されてしまっていた。すべてを見透かすような目。武骨だが心にまで染みてくるような優しさ。
 任務など捨ててずっと彼に尽くしたい、そんな持ってはならぬ感情がミンファを支配しつつあった。


(私、死ぬのかな……)

 きっと自分などに彼は落とせないと思った。
 むろん、目の前にいる赤髪の女にだってそれは無理。ならば自分に掛けられたこの呪いは解かれず、逆に抑えきれなくなった感情が死を招き寄せる。


「うっ、ううっ……」

 ミンファは退室した聖騎士団長室の前で座り込んでひとり涙を流した。





「じゃあ、始めましょうか」

 青く澄み切った空。天気も気候もいいこの日、キャスタール家主催のお茶会が王城中庭で開かれた。
 先の【赤き悪魔】襲撃で破壊されてしまったこの美しき庭園も、ネガーベルの園芸職人達によって今は見事に復元されている。

 この日の為に用意された数十席のテーブル。そのひとつに参加者であるリリーとロレンツが腰掛けている。分かってはいたが出席辞退の嵐。空席だらけの庭園に今のアンナの現状が如実に表れていた。


「俺はこの甘いだけの飲み物があまり好きじゃないんだが……」


(むかっ!!)

(いらっ!!)

 白いテーブル、同じく白のガーデンチェアーに腰かけたロレンツがアンナが注いでくれた紅茶を見てつぶやく。先に隣に座っていたリリーが睨みつけながら言う。


「何を言ってるんですか!! ネガーベルの姫様が淹れてくれた紅茶ですよ。それを飲めるだけでも光栄に思いなさい!!」

 リリーは青いツインテールを大きく揺らしながら怒って言う。


「はあ、分かったよ。仕方ない……」


(むかっむかっ!!!)

「あなたねえ!! 私の紅茶が飲めないって言うの!?」

 自信があった紅茶。それを否定するようなロレンツにアンナも苛ついて言う。


「いや、そう言う訳じゃねえんだが、できればコーヒーとかが良いかなと思ってな」

(むかっむかっむかっ!!!!)

 アンナの怒りが更に増す。


「あんた、やっぱりバッカじゃないの!? お茶会にコーヒーを飲む馬鹿がどこにいると思って!? やっぱり馬鹿でしょ? ねえ、そうでしょ!!??」

 ロレンツが溜息をつきながら答える。


「おい、嬢ちゃん。そう興奮するなよ。分かったから。して飲むからよ」


(むかーーーーーーーーーーーっ!!!!)

 ロレンツの余計なひと言がアンナを大炎上させた。



(やっぱり、勝てないかな……)

 リリーは一方的にロレンツに怒鳴っているアンナを見て思った。


(アンナ様、あんなに元気そうになって……)

 聖女に選ばれなかったことで酷く落ち込んでいる様に見えたアンナ。リリーも自分なりに必死に彼女を元気付けようとしたが全て空回りに終わってしまっていた。
 だが今、目の前にいる彼女は違う。これまで通りの明るくて感情豊かなアンナ。彼が来てから『氷姫』と揶揄されることも少なくなり良く笑うようになった。悔しいが彼女に必要なのは自分ではなく、やはりこの武骨な男なんだろうと思う。



「あら、これはアンナ様。お茶会とは良きですわね」

 そんな彼らにアンナの耳にもっと聞きたくない声が響いた。


「ミセル……」

 真っ赤なドレス。赤い髪。赤の薄手袋に大きな赤のリボン。太陽の光を受けて光る深紅の口紅が大きな笑い声をあげてアンナに言う。


「確か今日はキャスタール家のお茶会ではございませんでしたか? ご来客はまだですの? おーほほほほっ!!!」

 ミセルは誰も座っていないテーブルを見つめて馬鹿にしたように笑う。


「これはアンナ様、ごきげんよう」

 その後ろに兄であるエルグが現れる。そして次から次へと庭園に集まって来る貴族達。その多くがアンナのお茶会を断った貴族達だ。ミセルが言う。


「今日はお天気も良いことですし、急遽ジャスター家のお茶会を開くことにしたんですわ。最高級のミスガリア産茶葉を用意して」

 むっとするリリーの表情とは別に、アンナの顔はどんどん暗くなっていく。ミセルが言う。


「ロレロレ様ぁ、ご機嫌麗しゅうございます」

 ミセルはすっとロレンツの隣にやって来て甘えた声で言う。


「ん? ああ……」

 ロレンツが不愛想に返事をする。ミセルが言った。


「よろしければ私達と一緒にお茶などどうでしょうか。ロレロレ様がお好きなおコーヒーもご用意してましてよ」

 下を向いていたアンナはその言葉を震えながら顔を上げて聞いた。
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