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第三章「聖女就任式」

40.姫の女気

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「あ、ロレンツさん。お疲れ様です!!」

「よお」

 ロレンツは護衛職の合間、城内散歩の傍らネガーベル軍を見学に行くことも何度かあった。退役したとはいえ元軍人。今は自分が在籍する国の軍はやはり気になる。


「訓練に精が出るな」

「はい、もうこの間のような失態はできませんので!!」

【赤き悪魔】を退けたロレンツ。
 聖騎士団長エルグですら勝てなかった魔物を倒したロレンツは、既にネガーベル軍の間でも有名となっており訪れれば皆が歓迎してくれた。そこへ見覚えのある男がやって来る。


「ロレンツさん、お久しぶりです!」

「あ、おめえは……」

 それは以前『剣遊会』で戦った小隊長。拉致されていた家族を助けたが、それ以降は会っていない。小隊長は深く頭を下げてからロレンツに言った。


「魔物の撃退、感謝します。さすがはロレンツさんだ」

「あ、ああ、まあ……」

 怒りに任せて討伐した先の戦い。
 ロレンツは彼なりに反省しなければならないことがたくさんあった。小隊長が言う。


「是非ともネガーベル軍にご入隊頂きたいのですが……、姫様の『護衛職』なら仕方ないですね」

 王族であるアンナ姫。彼女の『護衛職』はどこにも所属できない姫専用となり、軍への入隊は原則出来ない。ロレンツが答える。


「まあ、もう軍隊は遠慮したいな」

 それを笑って聞く小隊長。そして言う。


「そう言えばロレンツさんは元マサルトのご出身とか」

「ああ」

 小隊長はロレンツの艶のある銀髪を見ながら言う。


「マサルト軍、うちとの国境の近くで蛮族相手に大苦戦しているらしいですよ」

「大苦戦?」

 ロレンツの表情が変わる。


「ええ、なんでも第三歩兵部ってのが応戦しているらしいけど、ほぼ孤立無援だとか」


(!!)

 マサルト国軍、第三歩兵部。
 それは以前ロレンツが所属していた部隊。ロレンツが少し震えた声で尋ねる。

「間違いないのか、それは?」

「ええ、うちが派遣している監視団からの報告ですので」

「そうか……」

 ロレンツは静かに頷いて答えた。





「ねえ、ロレンツ」

「ん、なんだ?」

 アンナの公務室に座っていたロレンツに彼女が尋ねる。


「飲まないの? コーヒー」

「ん?」

 ロレンツは手にしたままひと口も飲んでいないコーヒーカップに気付き、慌てて口にする。


「ねえ」

 アンナはロレンツの正面に座り、テーブルの上に顔を乗せて言う。


「なに悩んでるの?」

 少し目を逸らしたロレンツが小さな声で答える。


「なんでもねえ」

 アンナは分かりやすい性格だと思いながら尋ねる。


「何か手伝えることがあるなら言ってよね」


「アンナ様、なりません!! 今は公務中で……」

 それまで黙って見ていた侍女のリリーが立ち上がって言う。アンナが答える。


「ちょっと休憩よ。それに『護衛職』の悩みを聞くのも私の仕事でしょ~?」

「そ、それはそうですが……」

『護衛職』が最高のパフォーマンスを出すために環境を整える。それも使役者の務め。アンナが再度尋ね直す。


「で、なに~? 私の美貌にやられちゃったとか~?」

 無言。無表情のロレンツ。


「もう、言っちゃいなよ。もうすぐ審議会だし、あまりよ~」


(時間……)

 ロレンツがコーヒーカップを置いて静かに言う。


「ネガーベルとマサルトの国境付近で、マサルト軍が蛮族と戦をしている」

 アンナは自分の美貌とは関係ないと分かり、やや落胆しながら聞く。


「そこで戦っているのは第三歩兵部って言うんだが、俺が元所属していたとこだ」

 アンナが驚いた顔をする。

「それって、じゃあ、そこにあなたのお友達とかが……」

「ああ、蛮族に攻められ、孤立無援状態だそうだ」


「ダメです!!!」

 リリーが近寄って来て腕を組みながら言う。

「ダメです、ダメです!! この大事な時期にアンナ様にもしものことがあったらどうするんですか!! 『護衛職』でしょ? あなたは自覚がなさ過ぎます!!!」

 リリーの言うことも尤である。
 前回ロレンツが不在の時に【赤き悪魔】が襲来、先日も城内でアンナが襲われたばかりだ。リリーに怒鳴られ黙り込むロレンツ。そんな彼を見たアンナが尋ねる。


「でも、行ってあげたいんでしょ?」


「……」

 それに答えようとしないロレンツ。少し間を置いてアンナが言う。


「いいわ、行って来て」


「ア、アンナ様っ!!!」

 それを聞きリリーが顔を真っ赤にして怒る。アンナが言う。


「だって、そこで悩んじゃうのがこの人の性格でしょ? それにお友達を見捨てることなんてできないんでしょ?」

 アンナがテーブルの上に両肘をついてロレンツに尋ねる。


「だが……」

 ロレンツが小さな声で言う。アンナが立ち上がって言う。


「いいから行ってきなさい! そんなあなただから私は……」

 思わず出そうになった次の言葉を慌てて飲み込むアンナ。一旦落ち着いてから言う。


「主として命じます。急ぎ行ってお友達を助けること。期限は明日の朝まで。いい?」


「嬢ちゃん……、すまねえ!!!」

 ロレンツは立ち上がり軽く頭を下げると駆け足で部屋を出て行った。



「もー、なんですか!! あれは!!!」

 リリーが出て行ったドアを見ながらむっとして言う。アンナが答える。

「いいじゃない。どうせあんなヘタレ状態だったら、護衛もできないだろうし」

「ですが、もしアンナ様にもしものことがあったら……、それはそうとさっき何と言いかけたんですか?」


「ん?」


「確か『そんなあなただから私は……』と仰った後です」


(うぐっ!)

 幼いが頭脳明晰なリリー。しっかりとアンナの言葉を覚えている。


「そ、それはね、リリーもあと、そうだなぁ、五年もすれば分かるようになるかな……」

「意味が分かりません。五年後にしか分からない事って何ですか?」

「そ、それはね……」

 アンナは目の前にいる青のツインテールの幼い少女にどうやって説明、いや誤魔化そうかと必死に考えた。





 マサルト王国辺境、勢いをつけた蛮族が領内に次々と侵攻して来ている。
 それを迎えるマサルト国軍。だが軍本部の指揮は壊滅状態で、前線に取り残された第三歩兵部が孤軍奮闘していた。


「部隊長!! 援軍要請に向かった早馬ですが……、敵に捕まり処刑されたそうです」

「くっ……」

 マサルト全体で士気は落ち、まともな武器すらなかった蛮族にも既に勝てぬ状態。愚政続きだった領地民からも見放され、一部では蛮族と一緒になって戦っているとの報告もある。兵が言う。


「もはや我々だけでは勝ち目はありません!! 撤退を、撤退をご決断ください!!!」

 兵は涙ながらに頭を下げて言った。

 撤退。
 軍としては受け入れがたい屈辱。上層部からも『死ぬまで戦え』との命令が届いている。
 部隊を預かる長とて皆の命は大切にしたい。だが発せられた部隊長の言葉は厳しい現実を再認識させられる辛いものであった。


「撤退は不可能だ。既に我々は四方を蛮族に囲まれ、マサルトに戻ることもできない。少しだけまだ手薄な個所はあるが、その先は敵国ネガーベル。いずれにせよ、全て敵だ」

 兵士達も頭のどこかで分かっていた事実。
 しかし改めてその現実を突きつけられると、皆が暗い顔をして黙り込んだ。


「お、おい!! 誰だ、貴様っ!! ここをどこだと思っている!!!」

 そんな部隊長本営に見張りの兵士の怒声が響いた。部隊長が尋ねる。


「何事だ?」

 慌てて報告にやって来た兵士が伝える。


「はっ、突然ひとりの見知らぬ男がやって来まして、部隊長に会わせろと言っているんです」

「見知らぬ男?」

 部隊長が首をかしげる。こんな敵の真ん中で一体誰が来たというのか。


「お、おい!! お前、勝手に入るんじゃ……」

 部隊長の近くで響く兵の怒声。しかしその巨躯の銀髪の男はそんな声を気にすることもなく、部隊長の前までやって来る。周りにいた兵が抜刀して叫ぶ。


「貴様っ、何奴っ!!!」


 部隊長は兵士を手で制し、震えながら現れたその男へ歩み寄る。


「ロレンツ、さん……」


「よお、随分出世したな」

 部隊長は目に涙を浮かべてロレンツの元に行き片膝をついて頭を下げる。


「ぶ、部隊長……?」

 周りにいた若い兵士が驚いてその光景を見つめる。
 この部隊長は小隊長だった時のロレンツの元部下。ロレンツの不当裁判を、悔し涙を流しながら見つめた仲間のひとり。部隊長が涙を流しながら言う。


「すみません、すみませんでした、あの時……」

 ロレンツは涙を流し謝る部隊長の肩を持ち立ち上がらせる。


「長がそんな簡単に泣くんじゃねえ」

「はい……」

 部隊長は涙を拭いロレンツに尋ねる。


「どうしてここに? まさか……」

「ああ、ちょっくら暴れに来た」

「ロレンツさん……」

 部隊長は嬉しさで体が震える。


「ただ、明日の朝までには戻らなきゃならんがな」

「明日の朝? 戻る……?」

 部隊長が首をかしげる。そして冗談っぽく尋ねる。


「ロレンツさん、ご結婚されたとか? まさか奥様の元へお帰りになるんでしょうか?」

 少し驚いた顔をしたロレンツ。すぐに笑って答える。


「まあ、似たようなもんかな」


 そしてロレンツは蛮族の本陣の場所を聞くと別れを告げ、そのまま単騎乗り込んで行った。驚く兵達が部隊長に尋ねる。


「あ、あの男は一体? ひとりで大丈夫なんでしょうか??」

 部隊長が笑顔で答える。


「心配ない。それよりよく見ておけ。あれが『マサルト最強』と言われた方の背中だ」

 その後、たったひとりの男に指揮官を討たれた蛮族達は、一晩で壊滅状態に追い込まれる。
 言葉通り朝には居なくなったロレンツを頭に思い浮かべた部隊長が自陣で深く頭を下げ、マサルト第三歩兵部は無事撤退を成し遂げた。
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