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第三章「聖女就任式」
36.初めてのキス
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「気が付いたか?」
ミンファは目を覚ますと、イコとロレンツが心配そうな顔で見つめていた。
ロレンツの部屋のソファーで横になっていたミンファ。美しい銀色の髪を揺らしながら起き上る。
「ごめんなさい。ご迷惑を掛けてしまいまして……」
「びっくりしたんだよ!! パパがちゅーってやらなきゃ大変だったんだから!!」
(あっ)
意識朦朧としていたミンファ。
倒れた時の記憶は曖昧であったが、イコの言葉でロレンツに人工呼吸されたことをぼんやりと思い出した。急に顔を真っ赤にして下を向くミンファ。ロレンツが言う。
「気にするな。無事だったので安心した」
(そ、それは私が言うべきセリフじゃ……、落ち着いて。また気持ちを切らすと呪いが……)
ミンファは決して目の前の男に心の奥底まで入り込ませないよう心のドアをきつく締める。そして少し乱れた美しい銀色の髪を整えながら答えた。
「ありがとうございます。ちょっとした発作持ちで、時々ああいう風になるんです」
初めて発動した首飾りの呪い。本当に心から彼を愛してしまったら自分は間違いなくなく死ぬのだろうとミンファは思った。ロレンツが言う。
「ネガーベルには良い医者がたくさんいると聞く。一度診て貰ったらどうだ?」
「お優しんですね」
ミンファは武骨で不器用なのに、時々見せるそのささやかな心遣いが彼の魅力なんだと気付いていた。ロレンツが言う。
「そんなんじゃない。単なるアドバイスだ」
「はい。そうですね」
その後体調が回復したミンファは再びロレンツ達と一緒に夕食とをとり、お礼を言って部屋を出て行った。部屋の片づけをしながらイコがロレンツに言う。
「パパ、イコはもう寝るからどこへ行ってもいいよ」
「どういう意味だ?」
イコが歯を磨きながら言う。
「アンナお姉ちゃん、泣いてたよ」
「ああ、分かってる……」
ミンファへの人工呼吸を見られたロレンツ。アンナが泣きながら走り去ったのも知っている。
「お姉ちゃんの心、壊れちゃいそうだよ……」
イコは能力を使わなくても『強い感情』に触れるとその心が流れ込んで来ることがある。ロレンツはイコをベッドに寝かすと頭を撫でながら言った。
「じゃあ、ちょっとだけ様子を見て来る。ひとりで寝れるな?」
「うん。イコは大丈夫だよ」
ロレンツは再度イコの頭を撫でると静かに部屋を出た。
「失礼します」
エルグとミセルの父親であるジャスター卿ことガーヴェルは、部屋にやって来たその黒装束に身を包んだ眼光鋭い男を見つめた。男は足音を立てずに椅子に座るガーヴェルの傍まで来ると軽く頭を下げる。
「仕事だ」
ガーヴェルが小さく言った。
「目標は誰で?」
男の声にガーヴェルが答える。
「アンナ・キャスタール、その暗殺」
(!!)
アンナ・キャスタール、それはネガーベルの姫。一国の姫を消せとの指令だ。ガーヴェルが続けて言う。
「まもなく『聖女任命審議会』が開かれる。ミセルが承認されるのは間違いないとは思うが、念には念を入れておきたい。やれるか?」
男が尋ね返す。
「父親のように監禁ではなく、抹殺ということで間違いないでしょうか」
「ああ、消してくれ」
男が頷いて答える。
「御意。このヴァン・フレイヤル、ネガーベル最高の暗殺者の名にかけてその依頼達成して見せましょう」
ガーヴェルが葉タバコに火をつけながら言う。
「ただ、姫には今ちょっと厄介な『護衛職』がついておってな」
「あの【赤き悪魔】を倒したという男ですか」
「ああ、その通りだ。元マサルトの軍人だそうだ」
ヴァンが言う。
「何者かは知りませんが、暗殺にかけては私はプロ。軍人上がりの者に邪魔はさせませぬ」
ガーヴェルはふうと煙草の煙を吐いてから言う。
「国王の件と同様、ミセルには話さぬよう」
「御意」
ヴァンはそう言うと音を立てずに部屋から退出した。ガーヴェルは大きく煙草を吸い込むと目を閉じて煙を吐いた。
コンコン……
アンナの部屋の前に来たロレンツはそのドアを軽くノックした。
「う、ううっ……」
中から聞こえるすすり泣く声。
コンコンコン……
「おい、嬢ちゃん。俺だ、開けてくれ」
ロレンツが少し大きめの声で中にいるアンナに呼び掛ける。少しの静寂の後、ドアがゆっくりと開かれた。
「ろれんちゅ……」
出て来たアンナは酒臭く、目を真っ赤に腫らし頬は涙で濡れている。ロレンツを見たアンナは一瞬嬉しそうな顔をしたが、すぐに怒った顔になって言う。
「不潔っ、ふけちゅ、ふけちゅーーーーっ!!!! 信じられにゃーい!!」
そう言って再び涙を流してロレンツの胸を叩く。
「わ、分かったから。ちょっと中に入るぞ」
ロレンツはそう言うとドアを閉めてアンナの手を引いて部屋の中へ入る。
テーブルの上には空になった酒の瓶に飲みかけのグラス。涙かよだれか分からないがべとべとに濡れている。ロレンツはアンナをソファーに座らせて言う。
「その、なんだ……、あれは銀髪の嬢ちゃんが急に倒れて、息ができなくなってそれで仕方なく……」
「ちゅーして」
「は?」
アンナは立って話をしていたロレンツの手を引いて自分の隣に座らせ、真面目な顔で言った。
「あんにゃにもぉ、ちゅーしてって……」
「おいおい、嬢ちゃん……」
さすがに動揺するロレンツ。酔っているとは言え目の前にいるのは大国ネガーベルの姫、そして自分はその守護に当たる『護衛職』。決して一線は越えてはならない関係。ロレンツはアンナの肩を持って言う。
「嬢ちゃん、ちょっと酔い過ぎだ。今、水を持ってくるから少し落ち着いて……」
「ちゅーして、飲ませてぇ~」
もはやアンナの頭の中には『ちゅー』しかないのか。ロレンツがさらに続ける。
「嬢ちゃん、ちょっと落ち着きな。俺は『護衛職』、そんなことはでき……」
「ちゅーして、ちゅーして、ちゅーしてよぉ!!! どうして、あんにゃには~、できないのぉ?? ねぇ、ねぇ?? あのおんにゃには、ちゅーーーーって、してたでしょぉ~?? なんでよぉ、ねえ、なんでよぉ~!!!」
アンナがロレンツの顔の目の前に来て大声で言う。
「おい、嬢ちゃん……」
困り果てたロレンツ。それでも何もしようとしない彼を見てアンナが大声で泣き出す。
「うわーん、うわーん、イヤだよぉ~、そんなのぉ嫌だよぉ~!!!」
アンナの頭の中にはロレンツに抱きかかえられて唇を重ねるふたりの姿がはっきりと映し出されている。自分にはしてくれないキス。アンナにはロレンツがどこか遠くに行ってしまいそうな気がしてならなかった。
「お、おい、嬢ちゃん……」
アンナはそのままロレンツに抱き着いた。
柔らかいアンナの肌。ふわっと香る甘い金色の髪の匂い。朴念仁であるロレンツでもさすがに一瞬頭がくらっと来る。アンナが顔を上げてロレンツに言う。
「ちゅー、して……」
もう断ることなどできなかった。ロレンツが目を閉じる。
「ん、んん……」
重ね合うアンナの唇とロレンツの唇。
アンナは自分の口に当たる固いその唇を酔いながらもはっきりと感じていた。
(固い、唇……)
アンナはすっとロレンツの顔に手を添える。
(固い肌、ごつごつした肌……)
そのすべてが初めてで新鮮で、そして嬉しかった。
(嬢ちゃん……)
ロレンツはロレンツで似合わぬ緊張に包まれていた。
幼い頃に両親を失い、軍一筋で生きて来た男。もちろん女性経験など皆無であり、救助と割り切った人工呼吸を除けばキスも初めて。ロレンツは自分の腕の中で目を閉じて唇を重ねるその女性を意識せざ得るを得なかった。
(どうしてくれるんだよ。仕事には感情を持ち込まないよう自分を制していたの……、ん??)
「うげっ、うおっ、うおぉぉ……」
ロレンツはアンナと口づけを交わしながら、急に口に感じた酸味に仰天する。
「お、おい、嬢ちゃん!!! ちょ、ちょっとやめてくれ!!!!」
「うおっ、うごっ、うげぇぇ……」
ソファーの下に顔を向け嘔吐するアンナ。ロレンツは口に残った酸味のそれに吐き気を催しながら、ぐったりするアンナの背中を撫でる。
(おいおい、マジで勘弁しれくれよ。俺も迂闊だったんだが……)
ロレンツは『キスは甘いもの』と昔聞いたことを思い出し、まさか『初めてのキスの味が酸味になるとは』と苦笑いしながらアンナの背中を撫で続けた。
ミンファは目を覚ますと、イコとロレンツが心配そうな顔で見つめていた。
ロレンツの部屋のソファーで横になっていたミンファ。美しい銀色の髪を揺らしながら起き上る。
「ごめんなさい。ご迷惑を掛けてしまいまして……」
「びっくりしたんだよ!! パパがちゅーってやらなきゃ大変だったんだから!!」
(あっ)
意識朦朧としていたミンファ。
倒れた時の記憶は曖昧であったが、イコの言葉でロレンツに人工呼吸されたことをぼんやりと思い出した。急に顔を真っ赤にして下を向くミンファ。ロレンツが言う。
「気にするな。無事だったので安心した」
(そ、それは私が言うべきセリフじゃ……、落ち着いて。また気持ちを切らすと呪いが……)
ミンファは決して目の前の男に心の奥底まで入り込ませないよう心のドアをきつく締める。そして少し乱れた美しい銀色の髪を整えながら答えた。
「ありがとうございます。ちょっとした発作持ちで、時々ああいう風になるんです」
初めて発動した首飾りの呪い。本当に心から彼を愛してしまったら自分は間違いなくなく死ぬのだろうとミンファは思った。ロレンツが言う。
「ネガーベルには良い医者がたくさんいると聞く。一度診て貰ったらどうだ?」
「お優しんですね」
ミンファは武骨で不器用なのに、時々見せるそのささやかな心遣いが彼の魅力なんだと気付いていた。ロレンツが言う。
「そんなんじゃない。単なるアドバイスだ」
「はい。そうですね」
その後体調が回復したミンファは再びロレンツ達と一緒に夕食とをとり、お礼を言って部屋を出て行った。部屋の片づけをしながらイコがロレンツに言う。
「パパ、イコはもう寝るからどこへ行ってもいいよ」
「どういう意味だ?」
イコが歯を磨きながら言う。
「アンナお姉ちゃん、泣いてたよ」
「ああ、分かってる……」
ミンファへの人工呼吸を見られたロレンツ。アンナが泣きながら走り去ったのも知っている。
「お姉ちゃんの心、壊れちゃいそうだよ……」
イコは能力を使わなくても『強い感情』に触れるとその心が流れ込んで来ることがある。ロレンツはイコをベッドに寝かすと頭を撫でながら言った。
「じゃあ、ちょっとだけ様子を見て来る。ひとりで寝れるな?」
「うん。イコは大丈夫だよ」
ロレンツは再度イコの頭を撫でると静かに部屋を出た。
「失礼します」
エルグとミセルの父親であるジャスター卿ことガーヴェルは、部屋にやって来たその黒装束に身を包んだ眼光鋭い男を見つめた。男は足音を立てずに椅子に座るガーヴェルの傍まで来ると軽く頭を下げる。
「仕事だ」
ガーヴェルが小さく言った。
「目標は誰で?」
男の声にガーヴェルが答える。
「アンナ・キャスタール、その暗殺」
(!!)
アンナ・キャスタール、それはネガーベルの姫。一国の姫を消せとの指令だ。ガーヴェルが続けて言う。
「まもなく『聖女任命審議会』が開かれる。ミセルが承認されるのは間違いないとは思うが、念には念を入れておきたい。やれるか?」
男が尋ね返す。
「父親のように監禁ではなく、抹殺ということで間違いないでしょうか」
「ああ、消してくれ」
男が頷いて答える。
「御意。このヴァン・フレイヤル、ネガーベル最高の暗殺者の名にかけてその依頼達成して見せましょう」
ガーヴェルが葉タバコに火をつけながら言う。
「ただ、姫には今ちょっと厄介な『護衛職』がついておってな」
「あの【赤き悪魔】を倒したという男ですか」
「ああ、その通りだ。元マサルトの軍人だそうだ」
ヴァンが言う。
「何者かは知りませんが、暗殺にかけては私はプロ。軍人上がりの者に邪魔はさせませぬ」
ガーヴェルはふうと煙草の煙を吐いてから言う。
「国王の件と同様、ミセルには話さぬよう」
「御意」
ヴァンはそう言うと音を立てずに部屋から退出した。ガーヴェルは大きく煙草を吸い込むと目を閉じて煙を吐いた。
コンコン……
アンナの部屋の前に来たロレンツはそのドアを軽くノックした。
「う、ううっ……」
中から聞こえるすすり泣く声。
コンコンコン……
「おい、嬢ちゃん。俺だ、開けてくれ」
ロレンツが少し大きめの声で中にいるアンナに呼び掛ける。少しの静寂の後、ドアがゆっくりと開かれた。
「ろれんちゅ……」
出て来たアンナは酒臭く、目を真っ赤に腫らし頬は涙で濡れている。ロレンツを見たアンナは一瞬嬉しそうな顔をしたが、すぐに怒った顔になって言う。
「不潔っ、ふけちゅ、ふけちゅーーーーっ!!!! 信じられにゃーい!!」
そう言って再び涙を流してロレンツの胸を叩く。
「わ、分かったから。ちょっと中に入るぞ」
ロレンツはそう言うとドアを閉めてアンナの手を引いて部屋の中へ入る。
テーブルの上には空になった酒の瓶に飲みかけのグラス。涙かよだれか分からないがべとべとに濡れている。ロレンツはアンナをソファーに座らせて言う。
「その、なんだ……、あれは銀髪の嬢ちゃんが急に倒れて、息ができなくなってそれで仕方なく……」
「ちゅーして」
「は?」
アンナは立って話をしていたロレンツの手を引いて自分の隣に座らせ、真面目な顔で言った。
「あんにゃにもぉ、ちゅーしてって……」
「おいおい、嬢ちゃん……」
さすがに動揺するロレンツ。酔っているとは言え目の前にいるのは大国ネガーベルの姫、そして自分はその守護に当たる『護衛職』。決して一線は越えてはならない関係。ロレンツはアンナの肩を持って言う。
「嬢ちゃん、ちょっと酔い過ぎだ。今、水を持ってくるから少し落ち着いて……」
「ちゅーして、飲ませてぇ~」
もはやアンナの頭の中には『ちゅー』しかないのか。ロレンツがさらに続ける。
「嬢ちゃん、ちょっと落ち着きな。俺は『護衛職』、そんなことはでき……」
「ちゅーして、ちゅーして、ちゅーしてよぉ!!! どうして、あんにゃには~、できないのぉ?? ねぇ、ねぇ?? あのおんにゃには、ちゅーーーーって、してたでしょぉ~?? なんでよぉ、ねえ、なんでよぉ~!!!」
アンナがロレンツの顔の目の前に来て大声で言う。
「おい、嬢ちゃん……」
困り果てたロレンツ。それでも何もしようとしない彼を見てアンナが大声で泣き出す。
「うわーん、うわーん、イヤだよぉ~、そんなのぉ嫌だよぉ~!!!」
アンナの頭の中にはロレンツに抱きかかえられて唇を重ねるふたりの姿がはっきりと映し出されている。自分にはしてくれないキス。アンナにはロレンツがどこか遠くに行ってしまいそうな気がしてならなかった。
「お、おい、嬢ちゃん……」
アンナはそのままロレンツに抱き着いた。
柔らかいアンナの肌。ふわっと香る甘い金色の髪の匂い。朴念仁であるロレンツでもさすがに一瞬頭がくらっと来る。アンナが顔を上げてロレンツに言う。
「ちゅー、して……」
もう断ることなどできなかった。ロレンツが目を閉じる。
「ん、んん……」
重ね合うアンナの唇とロレンツの唇。
アンナは自分の口に当たる固いその唇を酔いながらもはっきりと感じていた。
(固い、唇……)
アンナはすっとロレンツの顔に手を添える。
(固い肌、ごつごつした肌……)
そのすべてが初めてで新鮮で、そして嬉しかった。
(嬢ちゃん……)
ロレンツはロレンツで似合わぬ緊張に包まれていた。
幼い頃に両親を失い、軍一筋で生きて来た男。もちろん女性経験など皆無であり、救助と割り切った人工呼吸を除けばキスも初めて。ロレンツは自分の腕の中で目を閉じて唇を重ねるその女性を意識せざ得るを得なかった。
(どうしてくれるんだよ。仕事には感情を持ち込まないよう自分を制していたの……、ん??)
「うげっ、うおっ、うおぉぉ……」
ロレンツはアンナと口づけを交わしながら、急に口に感じた酸味に仰天する。
「お、おい、嬢ちゃん!!! ちょ、ちょっとやめてくれ!!!!」
「うおっ、うごっ、うげぇぇ……」
ソファーの下に顔を向け嘔吐するアンナ。ロレンツは口に残った酸味のそれに吐き気を催しながら、ぐったりするアンナの背中を撫でる。
(おいおい、マジで勘弁しれくれよ。俺も迂闊だったんだが……)
ロレンツは『キスは甘いもの』と昔聞いたことを思い出し、まさか『初めてのキスの味が酸味になるとは』と苦笑いしながらアンナの背中を撫で続けた。
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