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第二章「騎士ロレンツ誕生」

16.策略・謀略・計略

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 窓から流れるそよ風の心地良い朝。
 ジャスター家の令嬢ミセルと兄で聖騎士団団長エルグは、王城の眺めの良いテラスで朝食をとっていた。ベーコンエッグをフォークとナイフで食べながらエルグが聞く。


「それで、例の奴の身元は何か分かったのかい?」

 紅茶のカップを持ちながらミセルが言う。

のことでしょうか?」

「ああ、ロレロレだ」

 ミセルはカップに付いた口紅を手で軽く拭き取りながら答える。


「いいえ、まだはっきりとは。ただネガーベルの人間ではなさそうです」

「国民登録がないってことか?」

「ええ。偽名を使っているかもしれませんが」


 エルグもコーヒーを口にしながら答える。

「そうだな。ロレロレなんてふざけた名前、いかにも偽名っぽい」


 そんなふたりの元へひとりの兵士が報告に現れた。兵士は床に片膝をつき一礼すると、エルグに報告した。

「エルグ様、カルックス様より面会の申し出が届いております」

「カルックス卿が? 一体何の用だろう……?」

 ミセルは嫌な予感がした。
 カルックス家と言えば、先日の『剣遊会』で小隊長の家族を拉致、監禁させた貴族。ミセルのジャスター家に忠誠を誓う貴族だがこんな朝早く面会を申し出るにはそれなりの理由があるはず。エルグが答える。


「分かった。朝食を済ませたらすぐに行く。しばし応接室で待たれるよう伝えてくれ」

「はっ!」

 兵士は再度頭を下げてその場を立ち去る。ミセルが言う。


「お兄様。なにやら嫌な予感がしますわ」

「そうだな。とりあえず早めに食事を終えて話を聞こう」

 ふたりは急ぎ朝食を終えると、カルックス卿が待つ応接室へと急いだ。





「エ、エルグ様、ミセル様!!」


「!!」

 応接室にやって来たエルグとミセル。
 歴史ある調度品に囲まれた落ち着いた部屋。中央に置かれた来客用の重厚なソファーにカルックス卿が座っている。だがその姿を見てふたりは驚いた。


「卿、その怪我はどうなされた!?」

 カルックス卿は腕や足に痛々しいほどの包帯を巻き、血の気のない白い顔をしている。ただ事ではない、ふたりはすぐに思った。
 カルックス卿が周りに誰も居ないことを確認してから小声で言う。


「申し訳ございませぬ。人質を奪われました……」

「なに? 人質を……?」

 カルックス卿はうな垂れて話す。


「はい。昨晩突然フードを被ったひとりの大きな男がやって来まして、門番、守護兵を蹴散らし人質を奪って行きました……」

「たったひとりだと!?」

 驚くエルグにカルックス卿が頷いて言う。


「はい、たったひとりでございます。だが恐ろしく強く、その手にした漆黒の剣は振り下ろすだけで周りの者達がバタバタと倒れて行く始末。多少腕に覚えがあった私もごらんのとおりです……」

 今日の痛々しい姿を見て真顔になるふたり。卿が言う。


「そして奴はこう言い残しました。『二度とこんなことするんじゃねえ。次やったらてめえらの全てを叩き潰す』と」

「ぬぬぬっ……」

 エルグの顔が怒りの表情に染まる。卿が頭を下げて言う。


「申し訳ございません。ただこれ以上あの男に関わるのは、む、無理でございます。恐ろしくて恐ろしくて。奴が発した背筋の凍るような邪気。皆震えて……、ああ、恐ろしい……」

 白かったカルックス卿の顔が真っ青に染まる。卿はその後もその男の強さと恐ろしさを延々と話し、最後に頭を下げて退出して行った。残されたジャスター家のふたり。ミセルが言う。


「一体誰でしょうか……?」

 エルグが答える。

「分からぬが、常識ある貴族ではなかろう」

 ネガーベル王国でいま最も力のあるジャスター家。そのジャスター家に忠義を尽くすカルックス家に対してこのような強行ができるのは通常の貴族ではない。ミセルが言う。


「となるとアンナ姫の手の内の者……」

「ロレロレか……?」

 ふたりは顔を合わせる。エルグが言う。


「キャロルを倒した男だ。十分にあり得るだろう」

「だとしてもなぜカルックス卿だと分かったのでしょう?」

 エルグが腕を組んで考える。


「分からぬ。誰か我が陣営に内通者でもいるのか? それともカルックス卿の自作自演……」

 ふたりは答えの出ない問題に頭を抱える。エルグが言う。


「とりあえずロレロレの調査を優先する。私も一度面会して見よう。あとは計画通り姫の外堀を埋めていく。カイトの方はどうなっている?」

 ミセルが答える。


「はい。今度の茶会でご一緒致しますわ。既に『護衛職』を解かれた凋落貴族。私が軽く落として見せましょう」

 ミセルは真っ赤な髪を色っぽくかき上げながら言う。エルグが頷きながら言う。


「頼もしい妹だ。あとロレロレは独身なのか?」

「ええ、恐らく。ただ小さな連れ子がいるようです」

「連れ子? まあ、いい。奴の調査と同時に、策略も滞りなく頼む」

「分かりましたわ」

 エルグとミセルは突如現れたアンナの強力な助っ人に戸惑いながらも、周到な準備をしてそれを迎えうとうとしていた。





「カイト様!」

 その日の午後。爽やかな風が吹き、色とりどりの花が咲き誇るネガーベル王城中庭にミセルは来ていた。


「ミセル様!」

 アンナの婚約者であるカイト・ジェードは、そんな可憐に咲き誇る花々の中にいても、それよりも美しく輝くミセルに目を奪われた。
 真っ赤なドレス。男を惑わせるような大きく開いた胸元に、彼女のボディーラインがはっきりと分かるようなタイトな衣装。風に揺れる赤髪に唇は情熱の深紅。カイトは自分の中にある興奮を抑える自信がなかった。


「お忙しいところお時間を作って頂き、ミセルは嬉しゅうございます」

 少し頬を赤らめながら上目遣いで言うミセル。確実に男を意識した仕草。真面目なカイトはその姿を直視できないほど緊張していた。


「いえ、僕の方こそミセル様にお会いできて嬉しいです」

 カイトも緊張から顔を赤くして答える。ミセルが言う。


「お茶会にご参加頂けるようでとても楽しみにしております。でも、私などとご一緒でよろしかったのでしょうか?」

 ミセルが少し寂しそうな表情でそう伝える。カイトが大きく首を振って答える。


「と、とんでもない!! ミセル様とご一緒できるなんて僕は光栄です!!」

「まあ、嬉しい!! 私は喜んでよいのですね?」

「あ、はい!」

 ミセルは満面の笑みを浮かべながら内心思う。


(チョロいわ)

 カイトは王家であるキャスタール家に仕える有力貴族。
 そのジェード家のひとり息子であるカイトは、行方不明になった国王から娘アンナの『護衛職』、並びに婚約者として指名されていた。だが国王が不在になって以降ジャスター家が力をつけ彼に接近、結果カイトは『護衛職』を失い、王家との関係も悪化していた。


「でも……」

 物悲しげな表情をするミセル。華やかな彼女だが、一瞬ちらりと見せる彼女のとしての弱さにカイトの心は揺さぶられた。カイトが尋ねる。


「何かご心配なことでも……?」

 ミセルは目を赤くし、少し目線を下に向けながら首を振る。


(ぼ、僕が守ってあげなきゃ!!)

 単純なカイトはミセルの演技にものの見事に嵌り、滝に流される落ち葉の如く騙されて行く。ミセルが言う。


「カイト様はその……、姫君のご婚約者。だから私は抱いてはいけない感情に毎夜苦しんでおりますの……」

 カイトは体の震えが止まらなかった。目の前の女性を救いたい。今彼の頭を支配しているのはただそのひと言であった。


(彼女は恐らく聖女になる人物。その聖女の夫こそ、この国を率いるリーダー。それこそ僕の天命。ならばもう迷うことはない)

 真面目で臆病な一面を持つカイトであったが人並み以上に権力に対する欲は強く、『国王』と言うジェード家の歴史に無い偉業を刻み込みたい気持ちは強かった。ミセルとの関係はまさに渡りに船である。カイトが言う。


「ミセル様」

「はい……」

 カイトが真面目な顔で言う。


「僕の心はあなたのことでもう一杯でございます」

「嬉しいわ……」

 そう言いながらも少し悲しげな表情を浮かべるミセル。それを不安を拭うようにカイトが言う。


「これよりアンナと少し話をして参ります。それであなたのお心が晴れれば僕は本望でございます。では」

「あっ……」

 カイトはそう言って頭を下げると勇ましく歩いて行った。ミセルは彼が消えるまで『恋する乙女』を演じていたがすぐに背を向けて思う。


(ば~か。なんてお馬鹿さんなんでしょう。くくくっ……)

 ミセルはこれから起きるであろう出来事を思いひとりくすくすと笑った。





「アンナ、失礼するよ」

 その日の夕刻。私室にいたアンナの元へカイトが尋ねて来た。部屋の奥にはまだ仮ではあるが『護衛職』を拝命したロレンツがひとりコーヒーを飲んでいる。アンナが少し驚きながら言う。


「カイト……、お久しぶりです」

 アンナの顔が再び氷のように冷たくなる。カイトが言う。

「ああ、久しぶりだ。アンナ」

 無表情のアンナが抑揚のない声で尋ねる。


「一体何のご用で? 病気はもう治って?」

 療養中のため『剣遊会』も辞退したカイト。思い出したように答える。


「あ、ああ。お陰でもう大丈夫だ。それより君に伝えなきゃならないことがある」

 真面目な表情。アンナは何となく次の言葉が予測できた。



「君との婚約を破棄したい」


 アンナが再び『氷姫』となる。
 ロレンツは雑誌を見ながら黙ってコーヒーを啜った。
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