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第一章「氷姫が出会った男」

5.信頼と安堵

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(あれ……?)

 アンナが目を覚ますと再びまだ見慣れない天井が目に入った。


「私、また……」

 昨夜のことはあまりはっきり覚えていない。
 ただバーであの銀髪の男を探して一緒に飲んで、その後はまた記憶が曖昧である。

(青いシーツ……)

 アンナは再び寝かされている男のベッドに気付き、その匂いを嗅ぐ。


(うん……)

 男の匂い。決していい匂いではないはずなのだが、なぜか嗅ぐ度にアンナの体の芯がじわっと心地良く痺れる。不思議な安心感。城の豪華なベッドよりも、心を休め眠ることができる。


(もういいかな。これ……)

 ベッドから起き上がったアンナは、ずっとつけっぱなしになっているマスクをゆっくりと外した。



 カチャ

 アンナは寝室のドアを開け、その先のリビングで座ってコーヒーを飲んでいたロレンツに声を掛けた。


「おはよ……」

 雑誌を読んでいたロレンツがアンナに気付き顔を上げそれに答えようとした。


「よお、おは……」

 そして手にしていたコーヒーカップが止まる。


「嬢ちゃん、おめえ……」

 マスクをしていない素のアンナ。
 その美しさにロレンツが一瞬戸惑う。アンナが少し恥ずかしそうに言う。


「どう……? 変かしら?」

 予想よりもずっと美しかったアンナを見てロレンツが少し驚いて言う。


「いや、そんなことはないが……、良かったのか?」

 相手の素性を知らないのが『覆面バー』。顔を出すというのはを望むという意味にも捉えられる。アンナが答える。


「いいわ。あなた信用できるし……」

 そう言いながらもアンナは、彼がである自分の正体に気付くのかどうか内心ドキドキしていた。
 国王である父親が行方不明になって数か月、アンナがその代行で国政を担ってはいるが表立って国民の前に出ることはほとんどない。実際に国を動かしてるのは大臣達であり、アンナは時折何かしらの判断を行っているだけ。
 彼女はじっとロレンツの反応を見る。そして尋ねた。


「あ、あのさ……」

 アンナは大丈夫だと思いつつも正体がバレないのか不安であった。しかしロレンツの次の言葉を聞いてそんな不安は一瞬で吹き飛んでしまった。


「綺麗……、だと、思うぞ……」


(へ?)

 アンナはドアの入り口で立ったまま、武骨な彼から出た思ってもみなかった言葉に全身の力が抜けて行くのを感じた。


(ええええええっ!!!??? き、綺麗っ!? 今、綺麗って言ったの!!??)

 ロレンツはばつが悪かったのか、少し恥ずかしそうに再び雑誌に目をやる。


(えっ、私、綺麗って言われた!? そりゃ綺麗で可愛いけど、ええっ!!??)

 アンナは嬉しさで顔が真っ赤になっていることに気付く。そしてばつが悪そうにしている銀髪の男を見て思わず『可愛い』と思ってしまった。アンナが言う。


「あ、あの……」

 その声に答えるより先にロレンツが言った。


「嬢ちゃんだけじゃ、悪いな」

 そう言って彼もつけていた自分のマスクを外す。


(えっ、やだ……)

 キリッとした目。鋭さの中にも優しさ温かさがあり、それはまるで幾つもの悲しみを乗り越えてきたような大人の男の目。


(やだ、カッコいい……)

 思わず本音が出てしまった。
 何者かは知らない、素性も分からない男。
 でもアンナはきっと出会った日からずっと彼を求めているのだと気付いた。



「あの……」

 アンナが何かを言おうとした時、もうひとつのドアが開かれ大きな声がリビングに響いた。


「おはよー、パパ!! あっ、お姉ちゃんだ!!」

 可愛らしいパジャマを着た薄紫色の髪がやや乱れたイコが起きて来て言った。アンナがそれに答える。


「イコちゃん、おはよ!」

「おはよ、お姉ちゃん! またお泊りしていたの?」

 アンナはその言葉の意味を考え少し顔を赤くしながら言う。


「う、うん。またちょっと飲みすぎちゃってね……」

 恥ずかしそうに言うアンナの顔をイコがじっと見つめる。アンナが言う。


「どうしたの、かな……?」

 そう言ってアンナが苦笑いをするとイコが大きな声で言った。


「お姉ちゃん、綺麗ーーーーーっ!!」


「え?」

 アンナは自分がマスクを外していることに改めて気付いた。


「お姉ちゃん、すっごく綺麗だね!! 綺麗、綺麗っ!!」

「あ、ありがと。イコちゃん」

 アンナもそれに笑顔で答える。イコがロレンツに言う。


「パパ、お姉ちゃん綺麗だね!!」

「……あぁ」

 無関心そうに雑誌を見ながら適当に答えるロレンツ。


(むかっ! なによその適当な反応!!)

 アンナはむっとしてロレンツを見つめる。だが次の言葉でふたりとも冷静にはいられなくなった。


「パパ、お姉ちゃんと早くしてよ!!」


「え?」

 自分に無関心だったロレンツに対し苛立っていたアンナが固まる。ロレンツも少し慌ててイコに言い返す。


「ば、馬鹿なこと言ってねえで、早く学校の準備をしろ!」

「はーい」

 イコはそう言って右手を上げると洗面台の方へ走って行く。突然の言葉に顔を真っ赤にしたアンナが言う。


「わ、私は別にそんなつもりは……、でも、あ、あなたがそう思うのなら……」

「子供の言葉だ。本気にするな」


(むかっ!!)

 アンナはなぜこの男はいちいち気に障るようなことを言うのか理解できない。


「朝ごはん作るわ。あなたも食べる?」

 ロレンツが和やかな笑顔になって答える。


「ああ、それは助かる。頼まれてくれるか」


「えっ……、あ、うん……」

 それでもアンナは彼のそんな笑顔を見て、一瞬で嫌なことすべてを忘れられる自分に気付いていた。一緒に居ると癒される。そんな人は初めてだった。



「パパ、顔洗ったよ」

 洗面所で顔を洗って来たイコがロレンツの元へやって来る。

「ああ、そうだ。今日また彼女がご飯作ってくれるそうだ。良かったな」

 イコが嬉しそうな顔で答える。


「ほんと? 嬉しい!! お姉ちゃんの料理、すっごく美味しいから!!」

 ロレンツはキッチンに立つアンナを見ながら、料理がまるでできない自分を少しだけ悪いと思った。イコに言う。


「イコ、彼女なんだが、少しだけくれるか?」

 イコが少し離れたキッチンに立つアンナの後姿を見て小声で尋ねる。


「いいの……?」

 ちょっと驚いた顔でロレンツに尋ねる。


「……ああ。最低限でな」

「うん」

 イコはキッチンに立って楽しそうに料理をするアンナをじっと見つめた。





(良かったわ。私、バレていない……)

 マスクをとったアンナ。
 綺麗、とか言われて忘れかけていたが、自分がネガーベルの姫だとはふたりにバレていないと分かり安堵していた。ふたりには知られていいかなとは思いつつも、素性の分からない相手に知られるかも知れないと言う不安はある。


(そんな素性も知らない相手の家に普通に泊って、ごはんとか作ってるんだけどね……)

 アンナはそんな自分がしている矛盾に苦笑しつつも、誰かのために作る料理がこんなに楽しいものだと初めて知った。



「美味しいっ!!!」

 イコはアンナが作ったパスタにスープ、サラダをとても嬉しそうに食べて言った。

「そう? ありがと、イコちゃん」

 アンナもそれに嬉しそうに答える。ずっと無言で食べているロレンツに少々苛立ちを感じながらも、アンナは経験したことのない幸せな気持ちになっていた。


「いってきまーす!!」

 学校の支度をしたイコが元気に手を振って家を出て行く。ロレンツとアンナもそれに手を上げて応えて見送った。



「さて、あなたこれからどうするの?」

 イコがいなくなり少し静かになった部屋で朝食の片づけをしながらアンナが言った。

「俺は冒険者でな。少しギルドでも覗いて来る」


(冒険者……)

 アンナの頭にロレンツの新たな情報が書き込まれる。


「ねえ」

 食器を洗い終えたアンナがロレンツの元へ来て笑顔で言った。


「私も一緒に行く」

 ロレンツはその顔を見て、もう断ることはできないのだと理解した。
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