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第四章「山奥温泉編」

36.山奥温泉編「5.タケル無双」

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「あれだよ、タケル君!!」

 旅館を出てどれだけ歩いたか分からない。長い距離を歩いた先に、その目指して痛い神社はひっそりと建っていた。
 空は薄暗く、所どころ星が輝き始めている。周り一面は雪で、その小さな神社の屋根にも真っ白な雪が積もっている。思った以上に普通の神社を見てタケルが言う。


「これがその『素敵な場所』なのか?」

 小さなお堂と賽銭箱がある程度の神社。優花がそれを見つめながら答える。


「恋愛成就の神社なんだって」

「恋愛成就……」

 タケルの頭に『恋まじない』の言葉が浮かぶ。


「私はもうタケル君と恋愛は成就しちゃってるから、そうだなあ、このままずっと一緒に居たいってお願いしようかな」

 そう言ってタケルの方を振り返り微笑む優花。暗いがその目は透き通るような水色だと分かる。


「そうだな……」

 タケルもタケルで、本当の優花に振り向いて欲しいと願っている。恋愛成就と言うならばそれはそれで有難い。
 賽銭を入れ、ふたりで一緒に手を合わせる。参拝を終えた優花がタケルに言う。


「私ね、こういう祈祷とかとかすごく信じてるんだ」


(え?)

 それを聞いたタケルが一瞬立ち止まる。優花に聞きたくて聞けない質問。


『恋まじないのこと、覚えてるのか?』

 そんなタケルの想いなど知らない優花が、ひとり賽銭箱の前の階段を下りる。暗い電灯に優花の綺麗な栗色の髪が光る。


「優花、お前……」

 タケルがそう言い掛けた時、優花が急に声を上げた。


「きゃ!!」


 ドン!!

「わ、ゆ、優花!! 大丈夫か!?」

 階段を降り始めた優花。慣れない雪で足が滑り、そのまま尻餅をつくように倒れた。


「痛ったーい!!」

 優花が雪の積もった階段の上に座り込む。タケルがすぐに手を差し出し起き上がらせる。


「大丈夫か? 怪我は??」

「痛たたたたっ……」

 立ち上がった優花がだが、足をくじいたのか片足立ちになっている。

「歩けそうか?」

「うーん……」

 優花は自分の足を見ながら困った顔をする。タケルは彼女の前に背を向けて座り言う。


「ほら、乗れよ」

「え?」

 背中に乗れと言っている。


「いや、でも私……、いいよ……」

「歩けるのか? 宿まで?」

「ゆっくり行けば……」

「朝になっちまう。ほら早く乗れって」

 それでも躊躇う優花。タケルが言う。


「俺は誰だよ?」

「タケル君」

「じゃなくて……」


 その意味に気付いた優花が小さな声で言う。

「……彼氏」


「だろ? だったら乗れ」


「私、重いよ……」

「柔道部の訓練に比べれば大したことはない」


「うん、ありがとう……」

 優花はゆっくりとタケルの背中に乗る。立ち上がったタケルが言う。


「さ、行くぞ」

「うん……」

 優花は嬉しさと恥ずかしさが同居する何とも言い表せぬ気持ちになる。


 タケルは旅館に向かってゆっくりと雪道を歩いた。
 昼間の柔道の訓練でかなり疲れてはいたが、大好きな優花とふたりで一緒に居られることを喜びながら歩いた。最初は話しながら歩いていたふたり、途中から優花の返事がなくなる。


(寝ちゃったのかな?)

 昨晩朝まで喋り続けていた優花。タケルの背に負われ、そのまままるで子守唄を聴く子供のように眠ってしまった。タケルもそんな彼女を思い、少し笑顔になって歩き続ける。


 そして旅館にかなり近づいた頃、その招かざる客が森の雪道に現れた。


「よお、兄ちゃん。その女、渡してくれるか?」

 数名の男たち。ガラの悪いチンピラである。タケルが答える。


「人違いじゃないのか。俺はお前らに用はない」

 ポケットに手を突っ込んだままのリーダーらしき男が言う。


「威勢がいいじゃねえか。こりゃ、潰し甲斐があるぜ!!」

 タケルは困ったなと思った。
 ひとりならまだしも優花が背中にいる。どうするかと考える。



 同時刻、タケルたちよりほんの少し離れた林道。雪の積もった道を歩く数名の男たち。そのひとりが言う。

「ゴリさん、本当にこっちに飲み屋なんてあるんですか?」

 五里が答える。

「ああ、間違いない。ネットで調べた有名な隠れ家的居酒屋だ」

 『有名な隠れ家』ってなんだ、と内心思う柔道部員たち。そのひとりが林の方を指差して言う。


「あ、ゴリさん!! あれって一条じゃないっすか!?」

「なに?」

 皆の視線がその指差す方へ向く。一条が誰かを背負い、ガラの悪そうな男たちと対峙している。五里が言う。


「あいつめ、また何か馬鹿なことをやったのか? 行くぞ!!」

 そう言って五里は仲間たちとタケルの方へと走って行く。



「うおおおおおおっ!!!」

 タケルとチンピラたちが睨み合っていると、突然林の方から数名の男達が叫びながら現れた。驚くタケルとチンピラ。


「あれ? 五里先輩!?」

「誰が、ゴリじゃああ!!!」

 五里たちはタケルの前に来て言う。


「で、何やったんだ、お前?」

 タケルが答える。

「何にもやってないですよ。神社行って帰って来たところです」

「彼女は?」

 五里はタケルの背にいる優花を見て言う。

「ああ、足をくじいたので背負って来て、まあ、寝ちゃったみたいです」

「そうか」

 五里はチンピラ達に向かって言う。


「で、お前らは一体何なんだ?」

 チンピラが答える。

「てめえらこそ、なんじゃい!!!」

 ドスの効いた低い声。怯むことなく五里が言う。


「こいつは俺たちの可愛い後輩だ。用がないなら消え去れ」

(五里先輩……)

 タケルはちょっとだけ嬉しくなった。チンピラが言う。


「邪魔するならぶっ潰す!!!!」

 その声と同時に襲い掛かるチンピラ。五里が言う。


「相手してやれっ!!!」

「おう!!」

 部員連中がチンピラに向かう。


「あ、ちょ、ちょっと待って……」

 タケルがそう言うよりも先に、柔道部員の連中は殴られ地面に倒れて行った。それを見て焦る五里。しかし後ろにいるタケルを思い言う。


「に、逃げろ。一条。俺のことは心配要らない!! 早く行け!!」

 五里は自分より弱いと思っているタケルを何とか逃がそうと必死だった。チンピラが言う。


「はー? 馬鹿じぇねえの、お前。どうやったらこの状況で逃げられると思ってんの??」

 五里が全身に気合を入れる。

「うおおおおおお!!!!」

 五里が叫びながらチンピラたちに突撃していく。


「ば、馬鹿。やめろっ!!!」

「ぐはっ!!」

 タケルが叫ぶも、その前にチンピラの軽い一撃で沈んでしまった五里。タケルは柔道部員が倒れた光景を見て、カッと心に火がついた。



「優花、すまない。ちょっとだけ寒いけど我慢しててくれ」

 タケルはまだ眠る優花を下ろすと自分の上着を雪の上に敷き、木にもたれさせるように優花を座らせた。一瞬父の顔が頭に浮かんだが、すぐにそれを打ち消す。タケルがチンピラたちの前に歩いて来て言う。


「五里先輩のことよぉ。俺、ちょっと勘違いしてたみたいだぜ」

「なんだぁ、てめえ!! ぶっ殺すぞ!!!」

 タケルが倒れる五里を見て言う。


「威勢だけで実は逃げちまう人だと思っていたんだが、マジで男じゃん」

「てめえ、死ね、ゴラああああ!!!!」

 チンピラの人がタケルに殴り掛かる。


「え?」

 チンピラの拳が空を切り、そしてその体が美しく宙を舞った。


 ボン!!

「ぐっ!!!」

 雪の上に叩きつけられたチンピラ。タケルはその腕をの方へと強くひねる。


「ぎゃあ!!!」

 チンピラが腕を押さえのたうち回る。タケルは表情を変えずに低い声で言う。


「さあ、来いよ。俺に喧嘩売ったこと、後悔させてやる」


(あれ……、一条……??)

 黒目の優花ははっきりと覚めぬ頭で、チンピラ達が次々と宙を舞うのをぼんやりと見つめた。





「先輩、先輩、五里先輩!!」

 パンパン!!

 タケルは気を失っている五里の頬を叩いて名前を呼ぶ。


「う、うーん……」

 ようやく目覚める五里。

「皆さんも、起きてください!!」

 優花も倒れている柔道部員たちのそばへ行き懸命に声を掛ける。


「あ、あれ、俺たち……」

 目覚める柔道部員。そして雪の上に倒れて気を失っているチンピラ達を見て驚く。


「あ、す、凄い!! これってまさかゴリさんがやったんですか?」


「え?」

 目覚めたばかりの五里が自分の名前を呼ばれて思わず答える。


「あ、ああ、そうだ。なかなか強い奴等だったがな……」


(おいおい……)

 タケルが内心突っ込む。五里がタケルに気付いて言う。


「おお、一条。大丈夫だったか?」

「え? あ、ああ。大丈夫です……」

「あまり馬鹿なことはしないように。いいか?」

「はい……」

 良く分からないが、感謝はしている。五里が言う。


「みんな、戻るぞ」

「ゴリさん、こいつらは……?」

 部員たちが倒れて気を失っているチンピラ達を指差して言う。


「ああ、放って置け。そしてこのことは内密にするように。校外で喧嘩をしたことがバレれば大問題だからな」

「う、うす!!」

 五里がタケルに言う。


「そっちの子は大丈夫か?」

「ちょっと足をくじいてるんで、俺が背負って帰ります!」

「分かった。じゃあ、俺たちは先に行く。気を付けて帰れよ」

「はい!」

 タケルは五里に頭を下げ立ち去るのを見つめた。




(な、何だと!? 一体どういうことだ!!??)

 ちょうどその時、近くにやって来た結城は思わぬ光景に目を疑った。
 それは自分が指示した男達がすべて倒れており、タケルとガタイの良い男達が会話をしている光景。すぐに気付く。


(あれは総館大の、くそっ、柔道部の奴等か!!!)

 同じ旅館で柔道部が合宿をしているとは知っていたが、まさかこのタイミングでこの場所で出くわすとは想定外であった。結城が手を上げて去って行く柔道部員たちを見つめながら思う。


(ま、まあ、いい。その瞬間が伸びただけ。優花、お前は必ず俺の足元に跪く。そして……)

 結城は優花を背負って歩き出すタケルを見て心の中で叫ぶ。


(運がいいだけの下賤な男よ!! お前もいつか二度と起き上がれないほど叩き潰してやるっ!!!)

 結城は木の陰に隠れながらひとり怒りを積もらせていった。





「ね、ねえ……」

 タケルの背に負われた優花が小さな声で言う。

「なんだ?」

「う、うん。ありがと……、カッコ良かった……」

 タケルは歩きながら少し考えて優花に尋ねる。


「なあ」

「なに?」


「ちょっと俺のを呼んで見てくれないか?」

 優花が怪訝そうな顔をして言う。


「何言ってんのよ、?」

 タケルは前を向きながら嬉しそうな顔をして頷いて答える。


「どういたしまして」

「何だよ、気になるじゃん!!」

 タケルは何でもないよ、と笑って答えた。
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