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四章
十九話 伊吹の本心
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翠は、時折伊吹が寝言で「瑞希」と呼ぶ事を気にしていた。
毎日一緒に寝るわけではないので、いつもそうなのかは知らないが、一緒に寝ると高確率でその寝言を聞く。
昨日に至っては寝言ではなく、完全に忘れ起きている状態で呟いていた。伊吹は、「瑞希の事を思い出す暇もなかった」と言うが、それは建前だと分かっている。
(瑞希さん……あなたに勝って伊吹さんを手に入れられたと思っていたけれど、本当は違うのかもしれません)
瑞希に頼りたくなる気持ちが湧くが、それを振り切る。時が解決してくれる筈だと。
だが、もう時が解決するのを待つのは無理だと思い知る日が来てしまった。
夏休みに入ったある日。翠のバイトが休みの日に伊吹が早めに帰ってきた。
この一ヶ月は伊吹が特に忙しくしており、朝以外でまともに顔を合わせる事がなかった。
夕方頃に帰るなんて事は有り得なかったので、翠はかなり驚いた。
「伊吹さん!? 早かったですね!?」
「たっだいま! へへっ、一年前から始めた事業が一段落してさ。たまには翠とゆっくりしたくて、仕事切り上げてきた」
「新規事業?」
「そっ。あっ、でも翠は良く思わないかもしんないから、気にしなくていいよ」
「ん? はい」
伊吹は上機嫌だ。コンビニで買い物をしてきたのか、袋にはツマミの他にビールが数本入っている。
「今日は料理しないで、買ったもん食おうぜ。他に食いたいものあったら、一緒に買いに行くか?」
「いえ、伊吹さんが買ってきたもので十分ですよ」
居間でソファーに座り、テレビをつけて、ビールやツマミを広げる。酒は翠が二十歳になった日に佐藤や渡邉にビールを飲まされてから、たまに飲むようになった。
バラエティー番組を見て、二人で笑いながら軽く食事をして、ビールを飲む。
缶ビールは六本あったが、全部空になると飲み足りなくて、またコンビニでビールやチューハイを買った。
翠は酒が強く、結構飲んでも酔わなかったが、翠が最後の缶を開けた時、伊吹はもう泥酔していた。
翠は伊吹をソファーに寝かせて布団をかけた。
「伊吹さん、ベッドで寝ますか?」
「んん、やー、ここで寝るの」
「もう」
後で引きずってでもベッドに連れていかないといけないなと思いながらテーブルの上を片付けると、また伊吹から「瑞希……」と呟く声が聞こえた。
翠は片付けを中断して、伊吹の前に膝立ちになって顔を覗く。
「伊吹さん。本当の気持ちを教えてください。本当は瑞希さんの事、好きなんですよね? 愛してるんですよね?」
泥酔している伊吹は、思っている事を素直に話してくれる。今がチャンスだと迫った。
「……ん。瑞希が、好き」
「忘れてなんかいないんですよね?」
「一人になると、瑞希の事ばっかり考えちゃって……。苦しいの。でも、瑞希を選んで、翠と離れても、同じように苦しかったと思う」
「すみません。俺のせいで。俺が瑞希さんを拉致してなんて言ったから、伊吹さんを悩ませて、苦しめて、俺ばかりが良い思いして……」
「翠……愛してる」
伊吹が翠の襟を掴んで、グイッと引っ張った。その力は強いものではないが、されるがまま引っ張られると、唇にキスをされた。
触れるだけのキスだ。愛し合っている実感を持たせてくれる。
「あの、伊吹さん。こんな時にすみません。なんか瑞希さんが俺の味方したとか何とか言ってましたよね? 詳しく教えてくれますか?」
「うーん、色々あったんだ。瑞希は心の傷に敏感なんだ、だから、怒ってた、翠の両親の事」
「え……なんで瑞希さんが? てかなんで俺の両親の話が出てくるんです?」
伊吹はペラペラと話してくれる。
素面では絶対口を割らない情報がある筈だ。もっと踏み込めそうだと、期待が湧く。
「そりゃあ、翠を虐待したんだもん。怒って当然だよ。瑞希は特に虐待とか、他人によって精神的被害を受けてる人とか見ると……特にそれが大事な人だと、自分の事のように怒るから。
ほんと、あの時はびっくり……瑞希ったら、翠の両親にさぁ、伊吹はたった三日で十年経っても苦しんでるんですから。人生の大半を虐待されてた翠君はどうでしょうね? って、怒り心頭で。
翠の両親……あれから大人しくなって……」
呂律が回っていない上に、喋る速度がゆっくり過ぎるので、聞き取りづらいが、翠はどうにか聞き取れた。
「伊吹さん、いつの話です? それ?」
「去年の……夏頃?」
皆が隠し事をしていた時期だ。柊には詮索するなと言われて一度納得したが、ここまで聞いてしまうと最後まで聞かないと気が済まない。
「皆が俺に何か隠し事してましたよね?」
「うん……」
「今なら言えるんじゃないですか?」
喉がゴクリと鳴る。今聞いてしまえば、伊吹の信頼を失うだろうかという不安もあったが、知りたいという好奇心の方が大きい。
聞いてはならないという事は分かっているのだが、伊吹が酔った勢いで口を滑らせたなら良いじゃないかと思ったのだ。
「んー……言えない。それだけは、言っちゃだめなの」
泥酔してここまで口を割らない事は、やはり聞いてはいけない事なのだと翠はその件は完全に諦めた。
「伊吹さんはやっぱり、瑞希さんとヨリ戻したいですよね?」
「んー……翠を選んだから。戻さないよ……。でも、代わりに、瑞希が拠点にしてるところの近くに、新しいホテル作るの」
翠はそれが先程伊吹が言っていた事業だと気付いた。
それは重要度が低いのだろう。あっさりとバラしてしまっている。
「またゲイ専用のホテルですか?」
「んーん。男女でも、男どーしでも、女どーしでも入れる、SM専門のラブホテル。
瑞希、絶対喜ぶよ。ふふふふ」
その事業は瑞希の為だと分かってしまった。
距離が離れてても、大事な人を思う気持ちに差などなかったのだ。どうして、自分は伊吹を一番近くに置いて、その他を排除しようとしたのだろうかと後悔が押し寄せる。
(去年の俺は本当にバカだ。なんで一番大事な伊吹さんの気持ちを無視したんだ。自分ばかり優先した結果、こんなに苦しめた。
これは俺の責任だ)
「えーっとね、俺の系列ってバレたら瑞希が利用してくれないかもしれないから、SMホテルが出来たら俺がラブピーチの店長やってね、今の店長にSMホテルの店長してもらうの。
俺のホテルとは無関係の店長独立のホテルって事にすれば、多分大丈夫かなって」
「瑞希さんの事、本当に大事に思ってるんですね」
「へへへ~」
翠は伊吹を置いてすぐに走り出した。マンションの外に出てから瑞希の所属しているSMデリヘルの店に電話をする。
「はい、SMボーイズです」
「も、もしもし! あの……柳川ですが……瑞希さんはいますか?」
「柳川……? あぁ、翠君だよね? 久しぶり」
以前、ラブピーチの店長と一緒に瑞希の職場の事務所に行った時に会った店長だろう。
「はい、お久しぶりです」
「悪いんだけどさ、君と伊吹君は、連絡が来ても絶対繋げるなって言われてるんだよね」
「緊急事態なので繋げて欲しいです! 予約します、客としてでもいいので!」
「いや、出禁にしてくれって言われててさ」
「出禁!?」
(また出禁かよっ)
翠は歯を食いしばり、電話の先に苛立ちが伝わらないよう我慢する。
「うん。ていうか、言われたんでしょ? 瑞希君にさ、もう死んだものだと思ってくれって。
実際死んでたら、緊急事態でも会えないし、話せないでしょ。そういう事、じゃあ今後一切瑞希君の件で連絡しないようにして下さいね」
店側に電話を切られてしまった。翠は諦めずにもう一店舗の一般的なゲイ向けのデリヘルの店のホームページを開いた。
今日は出勤していないらしい。明日出勤予定らしいが、時間がおかしな事になっている。
「……えっ? 0時から0時? 記載の間違いかな?」
不思議に思いながら、翠は電話をした。次は同じミスはしない。
「お電話ありがとうございます。マジカルローズでございます」
「あ、あの! 田中と申しますが、瑞希さん明日予約出来ますか!?」
「瑞希は一番早くて再来週の木曜ですね。人気なので、予約が埋まっておりまして」
「あの、瑞希さんがいる時間、サイトで見ると0時から0時になっているのですが……」
「もしかして初めての方ですか? 瑞希の希望で、当店には週三日の勤務でいずれも24時間勤務となっております」
「24時間!?」
「SM店の方も週三日の24時間で、予約状況は同じようなものだそうですよ。
予約されますか?」
他店の情報まで流すあたり、その手の質問は多いのだろう。本来なら有り得ない事だろうというのは、社会経験が学生バイトくらいの翠にも分かる。
「少し考えます」
一週間以上も先まで待っていられない。翠は二つのデリヘルの情報を見比べた。どうやら、瑞希は日曜日以外は交互に二つの店舗を行き来しているらしい。
以前瑞希が言っていた。
『こういう商売は若い内しか稼げないよ。大人になって、老けていけば需要はなくなる。
そうなる前に目標金額まで貯金して、どこかでひっそり暮らそうかなって』
その為に有り得ない働き方をしているのだ。伊吹も無理をしていたが、瑞希はそれ以上だ。
一度部屋に戻り、伊吹のスマホを拝借した。寝ぼけている伊吹はすぐにロック解除をしてくれたので、その中から「佐竹」の名前を見つけ出した。
番号を控えて再度外へ。自分のスマホから佐竹に連絡をした。
時間はまだ九時だ。非常識ではあるが、まだ許容範囲内だと言い聞かせる。
「はい、もしもし?」
「あの、俺、柳川翠です。覚えていますか?」
「柳川……あぁ! 翠君か。懐かしいな。久しぶりだね、どうしたの?」
「あの、急に電話してすみません。瑞希さんの事でどうしても、瑞希さんに会いたいんです!
どうしたら会えるか分かりますか?」
「んー。瑞希君ね、絶対会わないって言ってたけど、翠君はそれなりの用件があるんだよね?」
「はい。でも、瑞希さんは死んだものと思えって言われて。納得いきません、だって瑞希さん生きてるじゃないですか。
早く瑞希さんに会わないといけないんです! 俺にはその責任があるんです!」
「俺から瑞希君に会うよう言う事は出来ないかな。こんな事言ったら瑞希君は絶対怒るだろうけど、伊吹君と別れた後大変だったんだよ。
全然仕事にならなくてさ、やけ起こしてSMプレイ中事故起こしちゃって、一ヶ月仕事休んだりさ。
たまに拉致られるし、その度に奴隷増やすし。
あ、でも24時間勤務始めてから拉致される事はなくなったよ。そこは安心していい」
「安心要素そこですか……。瑞希さんも大変だったんですね」
「そりゃあ。俺は結構瑞希君と会えてる方だから知ってるけどね。あーでも、最近は睡眠不足で肌荒れるとか言ってたっけ。呑気なものだろう?」
「元気でいるなら安心ですが……。どうしたら会えるんでしょうか? 普通のデリヘル店に電話したら再来週の木曜なら予約が空いてるって言われましたが、待ってられませんよ」
「じゃあ一つだけ情報をあげよう。瑞希君は日曜日は絶対に休むんだ。なんで休むかは翠君が知ってるかもしれないし、知らないかもしれない。
ただ、次の日曜日は特に気合入ってるみたいだったよ。じゃ、これ漏らしたの私って絶対言わないでね。絶対、絶対だよ!」
念押しをされて電話を切る。
(佐竹さんの場合、瑞希さんに言った方が喜ぶんじゃないか?)
言うか言わないかで少し悩んだが、まずは瑞希に会ってからだと、部屋に戻った。
伊吹はソファーで眠ってしまっているので、お姫様抱っこでベッドに連れて行った。
毎日一緒に寝るわけではないので、いつもそうなのかは知らないが、一緒に寝ると高確率でその寝言を聞く。
昨日に至っては寝言ではなく、完全に忘れ起きている状態で呟いていた。伊吹は、「瑞希の事を思い出す暇もなかった」と言うが、それは建前だと分かっている。
(瑞希さん……あなたに勝って伊吹さんを手に入れられたと思っていたけれど、本当は違うのかもしれません)
瑞希に頼りたくなる気持ちが湧くが、それを振り切る。時が解決してくれる筈だと。
だが、もう時が解決するのを待つのは無理だと思い知る日が来てしまった。
夏休みに入ったある日。翠のバイトが休みの日に伊吹が早めに帰ってきた。
この一ヶ月は伊吹が特に忙しくしており、朝以外でまともに顔を合わせる事がなかった。
夕方頃に帰るなんて事は有り得なかったので、翠はかなり驚いた。
「伊吹さん!? 早かったですね!?」
「たっだいま! へへっ、一年前から始めた事業が一段落してさ。たまには翠とゆっくりしたくて、仕事切り上げてきた」
「新規事業?」
「そっ。あっ、でも翠は良く思わないかもしんないから、気にしなくていいよ」
「ん? はい」
伊吹は上機嫌だ。コンビニで買い物をしてきたのか、袋にはツマミの他にビールが数本入っている。
「今日は料理しないで、買ったもん食おうぜ。他に食いたいものあったら、一緒に買いに行くか?」
「いえ、伊吹さんが買ってきたもので十分ですよ」
居間でソファーに座り、テレビをつけて、ビールやツマミを広げる。酒は翠が二十歳になった日に佐藤や渡邉にビールを飲まされてから、たまに飲むようになった。
バラエティー番組を見て、二人で笑いながら軽く食事をして、ビールを飲む。
缶ビールは六本あったが、全部空になると飲み足りなくて、またコンビニでビールやチューハイを買った。
翠は酒が強く、結構飲んでも酔わなかったが、翠が最後の缶を開けた時、伊吹はもう泥酔していた。
翠は伊吹をソファーに寝かせて布団をかけた。
「伊吹さん、ベッドで寝ますか?」
「んん、やー、ここで寝るの」
「もう」
後で引きずってでもベッドに連れていかないといけないなと思いながらテーブルの上を片付けると、また伊吹から「瑞希……」と呟く声が聞こえた。
翠は片付けを中断して、伊吹の前に膝立ちになって顔を覗く。
「伊吹さん。本当の気持ちを教えてください。本当は瑞希さんの事、好きなんですよね? 愛してるんですよね?」
泥酔している伊吹は、思っている事を素直に話してくれる。今がチャンスだと迫った。
「……ん。瑞希が、好き」
「忘れてなんかいないんですよね?」
「一人になると、瑞希の事ばっかり考えちゃって……。苦しいの。でも、瑞希を選んで、翠と離れても、同じように苦しかったと思う」
「すみません。俺のせいで。俺が瑞希さんを拉致してなんて言ったから、伊吹さんを悩ませて、苦しめて、俺ばかりが良い思いして……」
「翠……愛してる」
伊吹が翠の襟を掴んで、グイッと引っ張った。その力は強いものではないが、されるがまま引っ張られると、唇にキスをされた。
触れるだけのキスだ。愛し合っている実感を持たせてくれる。
「あの、伊吹さん。こんな時にすみません。なんか瑞希さんが俺の味方したとか何とか言ってましたよね? 詳しく教えてくれますか?」
「うーん、色々あったんだ。瑞希は心の傷に敏感なんだ、だから、怒ってた、翠の両親の事」
「え……なんで瑞希さんが? てかなんで俺の両親の話が出てくるんです?」
伊吹はペラペラと話してくれる。
素面では絶対口を割らない情報がある筈だ。もっと踏み込めそうだと、期待が湧く。
「そりゃあ、翠を虐待したんだもん。怒って当然だよ。瑞希は特に虐待とか、他人によって精神的被害を受けてる人とか見ると……特にそれが大事な人だと、自分の事のように怒るから。
ほんと、あの時はびっくり……瑞希ったら、翠の両親にさぁ、伊吹はたった三日で十年経っても苦しんでるんですから。人生の大半を虐待されてた翠君はどうでしょうね? って、怒り心頭で。
翠の両親……あれから大人しくなって……」
呂律が回っていない上に、喋る速度がゆっくり過ぎるので、聞き取りづらいが、翠はどうにか聞き取れた。
「伊吹さん、いつの話です? それ?」
「去年の……夏頃?」
皆が隠し事をしていた時期だ。柊には詮索するなと言われて一度納得したが、ここまで聞いてしまうと最後まで聞かないと気が済まない。
「皆が俺に何か隠し事してましたよね?」
「うん……」
「今なら言えるんじゃないですか?」
喉がゴクリと鳴る。今聞いてしまえば、伊吹の信頼を失うだろうかという不安もあったが、知りたいという好奇心の方が大きい。
聞いてはならないという事は分かっているのだが、伊吹が酔った勢いで口を滑らせたなら良いじゃないかと思ったのだ。
「んー……言えない。それだけは、言っちゃだめなの」
泥酔してここまで口を割らない事は、やはり聞いてはいけない事なのだと翠はその件は完全に諦めた。
「伊吹さんはやっぱり、瑞希さんとヨリ戻したいですよね?」
「んー……翠を選んだから。戻さないよ……。でも、代わりに、瑞希が拠点にしてるところの近くに、新しいホテル作るの」
翠はそれが先程伊吹が言っていた事業だと気付いた。
それは重要度が低いのだろう。あっさりとバラしてしまっている。
「またゲイ専用のホテルですか?」
「んーん。男女でも、男どーしでも、女どーしでも入れる、SM専門のラブホテル。
瑞希、絶対喜ぶよ。ふふふふ」
その事業は瑞希の為だと分かってしまった。
距離が離れてても、大事な人を思う気持ちに差などなかったのだ。どうして、自分は伊吹を一番近くに置いて、その他を排除しようとしたのだろうかと後悔が押し寄せる。
(去年の俺は本当にバカだ。なんで一番大事な伊吹さんの気持ちを無視したんだ。自分ばかり優先した結果、こんなに苦しめた。
これは俺の責任だ)
「えーっとね、俺の系列ってバレたら瑞希が利用してくれないかもしれないから、SMホテルが出来たら俺がラブピーチの店長やってね、今の店長にSMホテルの店長してもらうの。
俺のホテルとは無関係の店長独立のホテルって事にすれば、多分大丈夫かなって」
「瑞希さんの事、本当に大事に思ってるんですね」
「へへへ~」
翠は伊吹を置いてすぐに走り出した。マンションの外に出てから瑞希の所属しているSMデリヘルの店に電話をする。
「はい、SMボーイズです」
「も、もしもし! あの……柳川ですが……瑞希さんはいますか?」
「柳川……? あぁ、翠君だよね? 久しぶり」
以前、ラブピーチの店長と一緒に瑞希の職場の事務所に行った時に会った店長だろう。
「はい、お久しぶりです」
「悪いんだけどさ、君と伊吹君は、連絡が来ても絶対繋げるなって言われてるんだよね」
「緊急事態なので繋げて欲しいです! 予約します、客としてでもいいので!」
「いや、出禁にしてくれって言われててさ」
「出禁!?」
(また出禁かよっ)
翠は歯を食いしばり、電話の先に苛立ちが伝わらないよう我慢する。
「うん。ていうか、言われたんでしょ? 瑞希君にさ、もう死んだものだと思ってくれって。
実際死んでたら、緊急事態でも会えないし、話せないでしょ。そういう事、じゃあ今後一切瑞希君の件で連絡しないようにして下さいね」
店側に電話を切られてしまった。翠は諦めずにもう一店舗の一般的なゲイ向けのデリヘルの店のホームページを開いた。
今日は出勤していないらしい。明日出勤予定らしいが、時間がおかしな事になっている。
「……えっ? 0時から0時? 記載の間違いかな?」
不思議に思いながら、翠は電話をした。次は同じミスはしない。
「お電話ありがとうございます。マジカルローズでございます」
「あ、あの! 田中と申しますが、瑞希さん明日予約出来ますか!?」
「瑞希は一番早くて再来週の木曜ですね。人気なので、予約が埋まっておりまして」
「あの、瑞希さんがいる時間、サイトで見ると0時から0時になっているのですが……」
「もしかして初めての方ですか? 瑞希の希望で、当店には週三日の勤務でいずれも24時間勤務となっております」
「24時間!?」
「SM店の方も週三日の24時間で、予約状況は同じようなものだそうですよ。
予約されますか?」
他店の情報まで流すあたり、その手の質問は多いのだろう。本来なら有り得ない事だろうというのは、社会経験が学生バイトくらいの翠にも分かる。
「少し考えます」
一週間以上も先まで待っていられない。翠は二つのデリヘルの情報を見比べた。どうやら、瑞希は日曜日以外は交互に二つの店舗を行き来しているらしい。
以前瑞希が言っていた。
『こういう商売は若い内しか稼げないよ。大人になって、老けていけば需要はなくなる。
そうなる前に目標金額まで貯金して、どこかでひっそり暮らそうかなって』
その為に有り得ない働き方をしているのだ。伊吹も無理をしていたが、瑞希はそれ以上だ。
一度部屋に戻り、伊吹のスマホを拝借した。寝ぼけている伊吹はすぐにロック解除をしてくれたので、その中から「佐竹」の名前を見つけ出した。
番号を控えて再度外へ。自分のスマホから佐竹に連絡をした。
時間はまだ九時だ。非常識ではあるが、まだ許容範囲内だと言い聞かせる。
「はい、もしもし?」
「あの、俺、柳川翠です。覚えていますか?」
「柳川……あぁ! 翠君か。懐かしいな。久しぶりだね、どうしたの?」
「あの、急に電話してすみません。瑞希さんの事でどうしても、瑞希さんに会いたいんです!
どうしたら会えるか分かりますか?」
「んー。瑞希君ね、絶対会わないって言ってたけど、翠君はそれなりの用件があるんだよね?」
「はい。でも、瑞希さんは死んだものと思えって言われて。納得いきません、だって瑞希さん生きてるじゃないですか。
早く瑞希さんに会わないといけないんです! 俺にはその責任があるんです!」
「俺から瑞希君に会うよう言う事は出来ないかな。こんな事言ったら瑞希君は絶対怒るだろうけど、伊吹君と別れた後大変だったんだよ。
全然仕事にならなくてさ、やけ起こしてSMプレイ中事故起こしちゃって、一ヶ月仕事休んだりさ。
たまに拉致られるし、その度に奴隷増やすし。
あ、でも24時間勤務始めてから拉致される事はなくなったよ。そこは安心していい」
「安心要素そこですか……。瑞希さんも大変だったんですね」
「そりゃあ。俺は結構瑞希君と会えてる方だから知ってるけどね。あーでも、最近は睡眠不足で肌荒れるとか言ってたっけ。呑気なものだろう?」
「元気でいるなら安心ですが……。どうしたら会えるんでしょうか? 普通のデリヘル店に電話したら再来週の木曜なら予約が空いてるって言われましたが、待ってられませんよ」
「じゃあ一つだけ情報をあげよう。瑞希君は日曜日は絶対に休むんだ。なんで休むかは翠君が知ってるかもしれないし、知らないかもしれない。
ただ、次の日曜日は特に気合入ってるみたいだったよ。じゃ、これ漏らしたの私って絶対言わないでね。絶対、絶対だよ!」
念押しをされて電話を切る。
(佐竹さんの場合、瑞希さんに言った方が喜ぶんじゃないか?)
言うか言わないかで少し悩んだが、まずは瑞希に会ってからだと、部屋に戻った。
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