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四章
十六話 弱い心
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伊吹が瑞希の涙を見るのは三度目だった。
一度目は、学生の時先輩達に瑞希を犯させた時。嫌がってなりふり構わず涙を流していた事を昨日の事のように覚えている。
あの時は瑞希もドMの気持ちが分かれば、一緒に楽しめると本気でそう思っていたから、泣き顔を見ても何も感じなかった。
だがそれは違った。瑞希は伊吹に裏切られた事を心底怒り、憎悪していた。
二度目は、伊吹が入院した時、乱交パーティー参加者のルールを違反してホテル外で会いに来た時だった。
瑞希は泣きながら伊吹に告白して「もう伊吹の前に現れない」と言っていた。
これで瑞希とは終わるのだと、伊吹は少し安心していた。
けれど、泣き顔を見たらなんだか胸が苦しくなった。だから引き留めた。もうこの先の人生、死ぬまで瑞希の命令には逆らえないのだと悟った。
付き合う事になっても、今までの関係は変わらないと思っていた。瑞希と翠と三人で楽しくやれれば良いなんて、楽観的に考えていた。
二人があんなに仲悪いなんて。伊吹の前では仲の良いふりをしていたなんて、想像すらしていなかった。
二人の事を何日も何日も必死に考えた。
ホテルの店長業務をしている時は考えないで済んだから楽だった。いつしか仕事に逃げていた。
二人が仲悪いのが悪いのだと内心で責任転嫁しそうになっては、自責の念に駆られた。
だが、自分が悪かったのだとハッキリ分かったのは、瑞希の三度目の涙を見た時だ。
伊吹が別れを告げた時、泣きそうなのを堪えて「もうここには来ない」と言った瑞希が部屋から出る最後の瞬間まで、瑞希を見つめていた。
一瞬だったがはっきりと見えた。頬を流れる涙。瑞希は見られないよう必死だっただろうと予想する。
本当は弱味を見せる事が嫌いで、いつも飄々としている姿だけを周囲に見せようとするから。
あの日から、毎晩眠る直前は瑞希の事を考えてしまう。特に、瑞希に電話をかけた時に着信拒否されていると分かってからは、自分を苛むばかりである。
(瑞希……俺、どうしたら良かった? 俺、瑞希の事が好きだった。本当は好きだったんだ。
あんなに頑固に瑞希は恋愛感情じゃないって言い張って、なのに家族以上に大事とか訳わかんねぇ事言ってさ。
結局好きでしたって? じゃあ翠に対する気持ちはなんなんだよ?)
自己嫌悪に陥る。ベッドの上で布団にくるまって強く目を瞑って眠ってしまおうと思っても、瑞希と翠の事が頭から離れない。
ずっと睡眠不足だ。
どうしても眠れず、深夜にガバッと起き上がる。今日こそは薬には頼らないと思っていたのだが睡眠薬を手に取り、飲み込んでからまたベッドに戻る。
瑞希と別れたから、もう安心して翠と付き合えると思っていた。後ろめたさも、罪悪感も、これで終わるのだと。
きっと瑞希を選んだとしても、苦しむ事には変なかっただろう。
どちらかを選ばなければ良かったと後悔する。
毎日が苦しかった。気付けば仕事漬けとなり、翠への連絡は出来なくなっていた。時間が経てば経つ程、大学の後期の授業が始まっても、連絡をするタイミングを逃していた。
(翠から連絡してくれればいいのに。俺のストーカーしてたんだろ? なんでもっとグイグイ来ねぇんだよ)
そんな翠への不満も、自分勝手なものだと自分を責めた。
ある時、翠の大学近くの前を通った。用があったわけではない。少しでも翠との物理的距離を近付けたい、という伊吹自身も理解の出来ない深層心理がそうさせていた。
夕方頃に校門から翠が出てきて、伊吹は咄嗟に柱の裏に隠れた。
翠は以前と全然違うタイプ、明るい色合いの服装で、陰の抜けた明るい表情をしていた。周りには友達らしき人が三人。楽しそうに雑談しながら駅の方へ向かっていく。
翠を勝手に自分と同類だと思っていた。今まで翠の薄暗く、陰のある雰囲気に惹かれていたのだと気付く。
普段は聞き分けのいい後輩タイプを見せていたが、ふとした時に見せる暗い目が伊吹を安心させていたのだ。
友人達と楽しそうにしている翠を見ると近寄れなくなった。
(俺、いない方が楽しくやれてるんじゃん。このままの方がいいのかも。俺が近寄ったら翠をまた苦しめるかもしれないし)
結局、翠にメールを送ったのは十二月を過ぎてからだ。周りはクリスマスモードで、恋人とのデートプランなどを考えている友人が多い事もあり、少し寂しくなったのだ。
『翠、今日ラブピーチに来れるか?』
とだけ送った。長々とした文章だったり、謝罪する内容の文章も考えたのだが、ああでもないこうでもないと消しては入力してを繰り返した結果、こうなってしまった。
これで返信が来なければ翠とも終わりだ。残るのは、上っ面のみのビジネス関係者や、高校時代からの付き合いのあるご主人様達、伊吹の華やかな面しか見せていない大学関係者だけだ。
知り合いが多いばかりで、本当に信頼している相手なんて一人もいない。
返事が来るか待っていると気が変になりそうで、休日だったが仕事をする事にした。
店長が「休んでください」としきりに言っていたが聞き流す。仕事に没頭すれば精神的に落ち着けるのだ、邪魔はしないで欲しかった。
※
クリスマス二週間前。急に伊吹からメールが送られてきた。翠はスマホの通知画面に伊吹の名前が表示された事に驚いてすぐにメールを開いた。
これからバイトの時間とか、全てがどうでも良くなる。
『翠、今日ラブピーチに来れるか?』
メールはそんな簡素な内容。待ちに待っていた伊吹からの連絡だ。どんな内容でもいい。
きっと、たった一文字だけ送られてきたとしても大いに喜んでいただろう。
『今日はバイトがあって、すみません。バイト終わったらすぐ行きます!
0時に終わるので1時までには行けると思います!』
と、返信をしてバイトへ向かう。正直、バイトどころではなかった。
そのせいかミスを連発し、店長に呼び出されて厳重注意を受けた。
「すみません、俺、迷惑ばっかりかけて」
特に迷惑をかけた佐藤に翠が謝ると、笑顔で気にするなと励まされる。
「ドンマイ! 篠のところ行くんだろ? 仲直りしてこいよ」
「はい!」
店が閉まり、翠はラブピーチへ直行した。もう電車は動いていない。歩くと一時間以上かかる距離だ。
タクシーに乗って向かう。ラブピーチの名前を言うのが恥ずかしく思えたが、伊吹に一秒でも早く会えるならどうでもいい。
スマホを開くと、『待ってる』と返事が来ていた。心臓が高鳴った。高校時代ストーカー中に見付かりそうになった時よりも、乱交パーティーで伊吹に童貞喪失させてもらった時よりも、きっと今の方がドキドキしている。
一秒が長く感じられたタクシーの移動で、ようやくラブピーチに着いた。
ホテル内に入る。見覚えのある顔のスタッフが受付に座っていた。確か高橋という名だったかと頭の中で記憶を呼び起こした。
「お、お久しぶりです」
「翠さん。あなたには色々と恨み言があるんですが……これ以上は言いません。伊吹さんは七階です、どうぞ行ってあげてください」
「あ。伊吹さん、俺の事怒ってました?」
「いえ。伊吹さんの事じゃなくて、瑞希さんの事ですよ。伊吹さんと別れてからここに来なくなって、寂しいだけです」
「すみません。俺のせいで」
「いいです。伊吹さんを大事にしてあげて下さい」
「はい」
翠はエレベーターに乗り込み、七階へと急いだ。ノックしてから部屋に入る。
「伊吹さん、お待たせしました!!」
返事はない。どこかへ行ってしまったのか? と部屋を見回すと、ソファにもたれかかって眠っている伊吹がいた。
久々に見る伊吹の姿。起こさないようにそっと近付き、膝をついてまじまじと顔を見つめた。
目の下のクマや、ひび割れている唇に気付く。眉間に皺が寄っており、眠っているのに苦しそうだ。
「伊吹さん、どうしてこんな……」
まるで電車の中でたまに見掛ける疲れきっているサラリーマンのようだ。優しく頬に触れると、伊吹の目がゆっくりと開く。
「翠」
「伊吹さん、どうしたんです? なにか辛い事でもありましたか?」
「翠……会いたかった」
伊吹は切なげな表情を見せると、翠に上半身を預けるように抱きついてきた。
「いっ伊吹さん、大丈夫ですか?」
「もっと早く連絡すれば良かった。悩みなんて、お前の顔見れば全部吹っ飛んだのに」
「悩みがあったんですか?」
伊吹は答えずに頷いた。そんな彼の頭を撫でる。伊吹が嬉しそうに翠の肩に頬ずりした。
「何があったんです?」
「お前の顔見たら忘れた。これからは俺から離れないで、この先ずっと傍にいて。ずっと」
「それ、プロポーズって思ってもいいですか?」
「ああ、そうだな。プロポーズでいいや。お前さえいてくれればそれで十分だから」
「はい」
久々に愛しい人の身体に触れた。我慢出来る筈もなく、伊吹をベッドに押し倒す。抱き合いながら伊吹を全裸にした。
「伊吹さん、俺、色々出来るようになったんですよ」
「えっ?」
「きっと満足させてみせますから、俺に身を預けてください」
翠は伊吹所有のSM道具をクローゼットから取り出し、まずは縄で伊吹の両手を後ろ手に、全身を縛った。
脚もM字開脚のまま縛り、閉じられないように固定する。身動きが出来ない伊吹の乳首をクリップで挟み、ぷっくりと膨れた乳頭を舐める。
「ん、あっ……痛いぃ。痛いの気持ちいいよぅ」
伊吹の切なげな喘ぎ声で、もう翠の男性器は臨戦状態だ。赤い低温蝋燭に火をつけて、胸から腹にかけて赤い花を散らす。
伊吹には蝋燭が似合う。綺麗で、なにより痛々しい。その痛みに苦しむ姿は、この世の誰よりもエロティックだ。
「もっと痛みが欲しいですか?」
「はい。もっと俺を痛めつけて下さい! 俺は許されてはいけない人間なんです。罰を与えて下さい。俺がもう誰も傷付けないように、戒めを下さい」
伊吹の目からは涙が流れていた。何かに悩んでいたのは明白であり、それが瑞希に関する事だと翠は理解している。
『伊吹は自分がSMプレイで痛みを受ける事で、過去にお母さんを守れなかった自分に罰を与えてるつもりなの』
と言っていた瑞希の言葉を思い出す。きっと瑞希を振ったことで自分を責めてしまっているのだろうと、想像がついた。
「伊吹さん、俺は伊吹さんに傷付けられてもいいですよ」
「それは、どういう事でしょうか?」
「人を傷付けないように気を付ける事は悪い事じゃないです。でも、そうやって生きていたら疲れちゃいますよ。
俺相手ならどんなに傷付けても構いません。だから、もう自分を責めるのやめませんか?
俺が痛みをあげるのは、罰を与える為じゃないですよ。
伊吹さんに喜んでもらいたいからです。愛してるからです。
俺の愛を受け取る事は伊吹さんにとって罰ですか?」
「そんな事ない! 翠が俺の事いじめてくれるの、凄く嬉しい」
「良かった! 伊吹さん、俺相手ならいくら傷付けても良いんです。気にせず、ありのままでいてください。
あなたの悪いところも全部を見せて下さい。あ、これ命令ですからね」
伊吹が頷くと、目から涙がポロポロと零れた。その涙を舐め取る。
舌に塩味を感じながら、溢れる涙を何度も掬う。
(伊吹さんは泣き顔も綺麗だけど、もうこんなに苦しんで欲しくない)
翠はベッドから少しだけ離れて、一本鞭を手に取った。そして、伊吹の乳首や胸板を目掛けて鞭を振るう。
鞭の衝撃で乳首のクリップが弾け飛んだ。
「ひぃっ、あぁっ! 痛っ、痛いぃっ、もっと、責めて下さいぃ」
伊吹は苦痛に悶えながら射精していたのだった。
一度目は、学生の時先輩達に瑞希を犯させた時。嫌がってなりふり構わず涙を流していた事を昨日の事のように覚えている。
あの時は瑞希もドMの気持ちが分かれば、一緒に楽しめると本気でそう思っていたから、泣き顔を見ても何も感じなかった。
だがそれは違った。瑞希は伊吹に裏切られた事を心底怒り、憎悪していた。
二度目は、伊吹が入院した時、乱交パーティー参加者のルールを違反してホテル外で会いに来た時だった。
瑞希は泣きながら伊吹に告白して「もう伊吹の前に現れない」と言っていた。
これで瑞希とは終わるのだと、伊吹は少し安心していた。
けれど、泣き顔を見たらなんだか胸が苦しくなった。だから引き留めた。もうこの先の人生、死ぬまで瑞希の命令には逆らえないのだと悟った。
付き合う事になっても、今までの関係は変わらないと思っていた。瑞希と翠と三人で楽しくやれれば良いなんて、楽観的に考えていた。
二人があんなに仲悪いなんて。伊吹の前では仲の良いふりをしていたなんて、想像すらしていなかった。
二人の事を何日も何日も必死に考えた。
ホテルの店長業務をしている時は考えないで済んだから楽だった。いつしか仕事に逃げていた。
二人が仲悪いのが悪いのだと内心で責任転嫁しそうになっては、自責の念に駆られた。
だが、自分が悪かったのだとハッキリ分かったのは、瑞希の三度目の涙を見た時だ。
伊吹が別れを告げた時、泣きそうなのを堪えて「もうここには来ない」と言った瑞希が部屋から出る最後の瞬間まで、瑞希を見つめていた。
一瞬だったがはっきりと見えた。頬を流れる涙。瑞希は見られないよう必死だっただろうと予想する。
本当は弱味を見せる事が嫌いで、いつも飄々としている姿だけを周囲に見せようとするから。
あの日から、毎晩眠る直前は瑞希の事を考えてしまう。特に、瑞希に電話をかけた時に着信拒否されていると分かってからは、自分を苛むばかりである。
(瑞希……俺、どうしたら良かった? 俺、瑞希の事が好きだった。本当は好きだったんだ。
あんなに頑固に瑞希は恋愛感情じゃないって言い張って、なのに家族以上に大事とか訳わかんねぇ事言ってさ。
結局好きでしたって? じゃあ翠に対する気持ちはなんなんだよ?)
自己嫌悪に陥る。ベッドの上で布団にくるまって強く目を瞑って眠ってしまおうと思っても、瑞希と翠の事が頭から離れない。
ずっと睡眠不足だ。
どうしても眠れず、深夜にガバッと起き上がる。今日こそは薬には頼らないと思っていたのだが睡眠薬を手に取り、飲み込んでからまたベッドに戻る。
瑞希と別れたから、もう安心して翠と付き合えると思っていた。後ろめたさも、罪悪感も、これで終わるのだと。
きっと瑞希を選んだとしても、苦しむ事には変なかっただろう。
どちらかを選ばなければ良かったと後悔する。
毎日が苦しかった。気付けば仕事漬けとなり、翠への連絡は出来なくなっていた。時間が経てば経つ程、大学の後期の授業が始まっても、連絡をするタイミングを逃していた。
(翠から連絡してくれればいいのに。俺のストーカーしてたんだろ? なんでもっとグイグイ来ねぇんだよ)
そんな翠への不満も、自分勝手なものだと自分を責めた。
ある時、翠の大学近くの前を通った。用があったわけではない。少しでも翠との物理的距離を近付けたい、という伊吹自身も理解の出来ない深層心理がそうさせていた。
夕方頃に校門から翠が出てきて、伊吹は咄嗟に柱の裏に隠れた。
翠は以前と全然違うタイプ、明るい色合いの服装で、陰の抜けた明るい表情をしていた。周りには友達らしき人が三人。楽しそうに雑談しながら駅の方へ向かっていく。
翠を勝手に自分と同類だと思っていた。今まで翠の薄暗く、陰のある雰囲気に惹かれていたのだと気付く。
普段は聞き分けのいい後輩タイプを見せていたが、ふとした時に見せる暗い目が伊吹を安心させていたのだ。
友人達と楽しそうにしている翠を見ると近寄れなくなった。
(俺、いない方が楽しくやれてるんじゃん。このままの方がいいのかも。俺が近寄ったら翠をまた苦しめるかもしれないし)
結局、翠にメールを送ったのは十二月を過ぎてからだ。周りはクリスマスモードで、恋人とのデートプランなどを考えている友人が多い事もあり、少し寂しくなったのだ。
『翠、今日ラブピーチに来れるか?』
とだけ送った。長々とした文章だったり、謝罪する内容の文章も考えたのだが、ああでもないこうでもないと消しては入力してを繰り返した結果、こうなってしまった。
これで返信が来なければ翠とも終わりだ。残るのは、上っ面のみのビジネス関係者や、高校時代からの付き合いのあるご主人様達、伊吹の華やかな面しか見せていない大学関係者だけだ。
知り合いが多いばかりで、本当に信頼している相手なんて一人もいない。
返事が来るか待っていると気が変になりそうで、休日だったが仕事をする事にした。
店長が「休んでください」としきりに言っていたが聞き流す。仕事に没頭すれば精神的に落ち着けるのだ、邪魔はしないで欲しかった。
※
クリスマス二週間前。急に伊吹からメールが送られてきた。翠はスマホの通知画面に伊吹の名前が表示された事に驚いてすぐにメールを開いた。
これからバイトの時間とか、全てがどうでも良くなる。
『翠、今日ラブピーチに来れるか?』
メールはそんな簡素な内容。待ちに待っていた伊吹からの連絡だ。どんな内容でもいい。
きっと、たった一文字だけ送られてきたとしても大いに喜んでいただろう。
『今日はバイトがあって、すみません。バイト終わったらすぐ行きます!
0時に終わるので1時までには行けると思います!』
と、返信をしてバイトへ向かう。正直、バイトどころではなかった。
そのせいかミスを連発し、店長に呼び出されて厳重注意を受けた。
「すみません、俺、迷惑ばっかりかけて」
特に迷惑をかけた佐藤に翠が謝ると、笑顔で気にするなと励まされる。
「ドンマイ! 篠のところ行くんだろ? 仲直りしてこいよ」
「はい!」
店が閉まり、翠はラブピーチへ直行した。もう電車は動いていない。歩くと一時間以上かかる距離だ。
タクシーに乗って向かう。ラブピーチの名前を言うのが恥ずかしく思えたが、伊吹に一秒でも早く会えるならどうでもいい。
スマホを開くと、『待ってる』と返事が来ていた。心臓が高鳴った。高校時代ストーカー中に見付かりそうになった時よりも、乱交パーティーで伊吹に童貞喪失させてもらった時よりも、きっと今の方がドキドキしている。
一秒が長く感じられたタクシーの移動で、ようやくラブピーチに着いた。
ホテル内に入る。見覚えのある顔のスタッフが受付に座っていた。確か高橋という名だったかと頭の中で記憶を呼び起こした。
「お、お久しぶりです」
「翠さん。あなたには色々と恨み言があるんですが……これ以上は言いません。伊吹さんは七階です、どうぞ行ってあげてください」
「あ。伊吹さん、俺の事怒ってました?」
「いえ。伊吹さんの事じゃなくて、瑞希さんの事ですよ。伊吹さんと別れてからここに来なくなって、寂しいだけです」
「すみません。俺のせいで」
「いいです。伊吹さんを大事にしてあげて下さい」
「はい」
翠はエレベーターに乗り込み、七階へと急いだ。ノックしてから部屋に入る。
「伊吹さん、お待たせしました!!」
返事はない。どこかへ行ってしまったのか? と部屋を見回すと、ソファにもたれかかって眠っている伊吹がいた。
久々に見る伊吹の姿。起こさないようにそっと近付き、膝をついてまじまじと顔を見つめた。
目の下のクマや、ひび割れている唇に気付く。眉間に皺が寄っており、眠っているのに苦しそうだ。
「伊吹さん、どうしてこんな……」
まるで電車の中でたまに見掛ける疲れきっているサラリーマンのようだ。優しく頬に触れると、伊吹の目がゆっくりと開く。
「翠」
「伊吹さん、どうしたんです? なにか辛い事でもありましたか?」
「翠……会いたかった」
伊吹は切なげな表情を見せると、翠に上半身を預けるように抱きついてきた。
「いっ伊吹さん、大丈夫ですか?」
「もっと早く連絡すれば良かった。悩みなんて、お前の顔見れば全部吹っ飛んだのに」
「悩みがあったんですか?」
伊吹は答えずに頷いた。そんな彼の頭を撫でる。伊吹が嬉しそうに翠の肩に頬ずりした。
「何があったんです?」
「お前の顔見たら忘れた。これからは俺から離れないで、この先ずっと傍にいて。ずっと」
「それ、プロポーズって思ってもいいですか?」
「ああ、そうだな。プロポーズでいいや。お前さえいてくれればそれで十分だから」
「はい」
久々に愛しい人の身体に触れた。我慢出来る筈もなく、伊吹をベッドに押し倒す。抱き合いながら伊吹を全裸にした。
「伊吹さん、俺、色々出来るようになったんですよ」
「えっ?」
「きっと満足させてみせますから、俺に身を預けてください」
翠は伊吹所有のSM道具をクローゼットから取り出し、まずは縄で伊吹の両手を後ろ手に、全身を縛った。
脚もM字開脚のまま縛り、閉じられないように固定する。身動きが出来ない伊吹の乳首をクリップで挟み、ぷっくりと膨れた乳頭を舐める。
「ん、あっ……痛いぃ。痛いの気持ちいいよぅ」
伊吹の切なげな喘ぎ声で、もう翠の男性器は臨戦状態だ。赤い低温蝋燭に火をつけて、胸から腹にかけて赤い花を散らす。
伊吹には蝋燭が似合う。綺麗で、なにより痛々しい。その痛みに苦しむ姿は、この世の誰よりもエロティックだ。
「もっと痛みが欲しいですか?」
「はい。もっと俺を痛めつけて下さい! 俺は許されてはいけない人間なんです。罰を与えて下さい。俺がもう誰も傷付けないように、戒めを下さい」
伊吹の目からは涙が流れていた。何かに悩んでいたのは明白であり、それが瑞希に関する事だと翠は理解している。
『伊吹は自分がSMプレイで痛みを受ける事で、過去にお母さんを守れなかった自分に罰を与えてるつもりなの』
と言っていた瑞希の言葉を思い出す。きっと瑞希を振ったことで自分を責めてしまっているのだろうと、想像がついた。
「伊吹さん、俺は伊吹さんに傷付けられてもいいですよ」
「それは、どういう事でしょうか?」
「人を傷付けないように気を付ける事は悪い事じゃないです。でも、そうやって生きていたら疲れちゃいますよ。
俺相手ならどんなに傷付けても構いません。だから、もう自分を責めるのやめませんか?
俺が痛みをあげるのは、罰を与える為じゃないですよ。
伊吹さんに喜んでもらいたいからです。愛してるからです。
俺の愛を受け取る事は伊吹さんにとって罰ですか?」
「そんな事ない! 翠が俺の事いじめてくれるの、凄く嬉しい」
「良かった! 伊吹さん、俺相手ならいくら傷付けても良いんです。気にせず、ありのままでいてください。
あなたの悪いところも全部を見せて下さい。あ、これ命令ですからね」
伊吹が頷くと、目から涙がポロポロと零れた。その涙を舐め取る。
舌に塩味を感じながら、溢れる涙を何度も掬う。
(伊吹さんは泣き顔も綺麗だけど、もうこんなに苦しんで欲しくない)
翠はベッドから少しだけ離れて、一本鞭を手に取った。そして、伊吹の乳首や胸板を目掛けて鞭を振るう。
鞭の衝撃で乳首のクリップが弾け飛んだ。
「ひぃっ、あぁっ! 痛っ、痛いぃっ、もっと、責めて下さいぃ」
伊吹は苦痛に悶えながら射精していたのだった。
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