乱交パーティー出禁の男

眠りん

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四章

十四話 目の腫れ

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 翠から逃げるようにファストフード店から出て、レンタルルームへと向かう。
 今日の予約客の道具を取りに行かなければ。今日は新規客もいる。その場合、道具は店が用意する為、そこまで荷物は多くならない。

 と、真面目に考えているフリをする。そうでなければ、翠を恨んでしまいたくなる。
 それは瑞希の本意ではない。

(翠君は悪くない。僕の心が狭いだけ)

 瑞希は足を止めて空を見上げた。晴天の空を見ると悲しくなった。
 頭の中から何度も消そうと思っても消えない、昨日の夕方の記憶が脳を巡った。





 瑞希は仕事の準備の為、レンタルルームに予約客の道具を取りに行っていた。リュックに詰めて、背負うと店へと向かう。
 その途中で着信音が響いた。初期設定のままの曲に顔を顰めながら画面を見ると、顔が綻ぶ。
 好きな人からの電話は嬉しい。

「もーしもーし? 伊吹、どうしたの?」

「瑞希、今から少し話せるか?」

「長い話?」

「どうだろ。伝える事は一つだけなんだけど……」

 時計を見ると予約時間まであと二時間だ。余裕がないわけではない。

「電話じゃ出来ない話?」

「出来れば顔見て言いたい。本当は俺が瑞希のところに行くべきなんだけど」

 大事な話なのだろう。伊吹の顔ならいつ見ても嬉しいし、断る理由がない。

「いいよ、そっち行く」

 タクシーに乗ってラブピーチへ向かった。仕事が終わった後だと翌日になるし、翌日も昼から仕事がある。それなら、さっさと済ませた方が早いと踏んだ。

 ラブピーチに着くと、いつもの様に受付に座っているスタッフをからかう。

「やっほー! えぇっと、草壁くん!」

「名前覚えてくださってるなんて……」

 二十代後半のフリーター草壁は、瑞希に感激して立ち上がりそうになっていた。

「最近、僕の事指名してくれなくない?」

「すみません……お金がちょっと」

「ここ稼げないの? 伊吹に言って時給上げさせようか?」

「やっ、いいですよ。やめてください。今度絶対指名しますから」

「ほんと?」

 甘えるような目を向けると、草壁は顔を赤くさせていた。

「なんてね。お金に余裕なかったら大丈夫だよ」

「いえ! 来週か再来週! 絶対行きますから」

「無理しなくていいよ。あはは」

 草壁に手を振ってエレベーターに乗る。

(ここのスタッフからかうの楽し過ぎる)

 呑気にそんな事を思いながら七階の部屋に入った。伊吹は疲れた顔でソファーに座っており、瑞希を見ると「あぁ」と声を発した。

「どうしたの? お疲れみたいだね?」

「うん。俺、ずっと考えてたんだ」

「何を?」

「翠とお前の事」

「伊吹が喧嘩を長引かせるなんて、珍しいね?」

「いや、もう翠の事は心の中では許してるんだ。
 ただ、ずっと考え事してて……」

「ふぅん」

(伊吹が珍しい)

 翠には一ヶ月くらいと言ったが、それは嘘だ。 瑞希にとっては些細な喧嘩の為に、翠が数日でも悶々と悩んでしまったら、その時間が無駄だと思ったのだ。
 一ヶ月と期間を言えば、伊吹が許すであろう数日間、伊吹の事を忘れて過ごせるのではと思った上での発言だった。

 いつもなら、翌日か遅くとも三日後には伊吹から謝る事が多い。
 伊吹は自分に自信がない。相手が悪くても、もしかしたら自分も悪いのかもと考え、先に折れてしまうのだ。
 そんな事を考えていたから、次に発された伊吹の言葉が頭に入らなかった。

「瑞希、俺と別れてくれる?」

「え…………っと?」

 伊吹は苦しそうな顔で瑞希を見つめている。目が合うと逸らされた。耳に入ってきた言葉は聞き違いではなかったのだと分かる。

「ん? なんで? やっぱ翠君選ぶんだ?」

「うん。ごめん。ずっと考えてた」

「マジかぁ。だから翠君はイヤなんだよねぇ。
 後から勝手にやってきた癖に、僕の大事な人奪ってさぁ。
 正直後悔してるよ。翠君に出会う前に、もっと早く伊吹を許して、告白して、無理矢理でも付き合わせれば良かったって」

 怒りとも悲しみとも悔しさとも言えない感情に、身体が小刻みに震える。

「ごめん」

「謝らないで」

「うん、ごめん」

「謝られると惨めだってば!!」

 感情が爆発しそうになるのを押さえようとしたが無理だった。落ち着いて対応したいのに上手くいかない。
 心が制御出来ない。

「伊吹は自分の心に従っただけでしょ。僕は、短い間でも、好きな人の二番目になれた。それだけで、十分……」

「瑞希?」

 胸が痛くなった。胃もズキズキと痛み出す。だが、その痛みのお陰で落ち着く事が出来た。
 今出来ることは、伊吹の選択を尊重し、引き下がる事だと自分に言い聞かせる。

(伊吹は悪くない。誠実に答えを出したんだ。後は僕が身を引くだけ。早くここから出ていけよ僕)

 ゆっくりと呼吸を落ち着けて、伊吹を見つめた。数を数えながら無理矢理呼吸を合わせているから、心臓がドクドクと早く鳴るのは抑えられない。

「僕、もう伊吹にしたみたいな恋はしないよ。ちゃんと幸せになるの。伊吹や翠君に負けないくらい。
 伊吹、大好きだったよ」

 瑞希は俯く伊吹の顔を両手で包んで上を向かせると、口付けをした。最後のキスを。

「バイバイ伊吹。今日で最後、僕はもうここには来ない。SMショーもやめるね。
 伊吹は別れても仕事は別って思うだろうけど、それは僕が無理なんだ。ごめんね」

「瑞希……!」

 涙が流れる前に逃げ出したい。焦って外に出ようと扉に手を掛けるが上手く開かない。なんだってこんな扉にしたんだと、心の中で文句を言いながら開いて出ていく。

 エレベーターに乗る。流れた涙は見えてしまっただろうか。
 エレベーターを降りたら受付前を通らなければならない。顔を見られたくない。先程からかった相手に泣き顔なんて見られたくない。

「瑞希さん!?」

 声は聞こえたが、無視して外に走っていく。風が生温い。どうでもいい事ばかりが脳裏に浮かんでくる。

(明日は翠君と佐竹さんちで講習か。なんで僕、恋敵にこんな事までしてあげてんだろ。僕は振られたのに。バカみたいじゃん。
 なんで僕が。伊吹の事を思って、翠君の為にここまでしてあげる必要なんてないのに。バカ。僕、バカじゃん)

 走る。誰にも涙を見られたくなくて、腕で拭きながら走ったら電柱にぶつかった。額を強打して蹲る。
 心配する声が周りから聞こえる。「大丈夫ですか?」と肩を叩かれるが、こんな顔を見られるわけにはいかない。

 全て無視してまた走り出した。誰もいないところを探そうとするが、誰もいないところなどどこにもない。

(どうしよう。あと一時間もすれば予約時間だ。泣き顔で仕事なんて出来ない。でも、休む訳にはいかないし……)

 こんな時頼れる相手がいない。一瞬加藤を思い出すが、彼は一番頼ってはいけない人だ。客は論外で、店にも迷惑はかけられない。
 一人だけ、SMやセックスに関係ない相手を思い出した。今思い出したくない上に、頼りたくない相手でもあったが、仕方ない。
 翠を頼るよりはマシだと電話を掛けてみた。

「もしもし……瑞希君?」

「しゅ……柊……君、すみません、今から行っていいですか? 三十分だけ洗面台を借りたくて、あとタオルも」

「特に用事も何もないから大丈夫だけど……」

「ありがとうございます」

 恋敵の兄だが、彼になら多少瑞希らしくない姿を見せても大丈夫だ。
 客でもなければ、奴隷でもない。利害関係もない。強がらなくても問題のない相手だと判断した。

 タクシーで柊のマンションに着いた。チャイムを鳴らすとすぐに柊が出てきた。

「瑞希君……って、その顔どうしたんだ!?」

「なんでもないです。お邪魔します」

「なんでもないわけないだろう? 何があったんだ?」

「すみません、時間なくて。これから仕事なんですけど、こんな顔のまま仕事出れないし、冷やさせてもらってもいいですか?」

 すぐに洗面台を借りた。タオルを濡らし、目を冷やす。泣いて目が腫れるのは炎症を起こしているからだ。冷やせばいいと、タオルが温くなるとすぐに冷やして目の上に乗せる事を繰り返した。

 見かねた柊が袋に氷水を入れて渡してきたので、ソファーを借りて横になって目の上に氷水を置いた。

「君がそんなになるなんて、どうしたんだ?」

 柊が心配そうな声でソファーの下に座った。

「ちょっと、伊吹と喧嘩しちゃって……」

「ふむ。喧嘩したなら謝ればいいんじゃないか?」

「あはは。こんな時に言う言葉がそれ? だからモテないんですね」

「うぐっ……君のその言い方もどうかと思うぞ」

「そうですね。すみません。実は、伊吹に振られちゃって」

「伊吹君に?」

「伊吹、答え出したんです。翠君を選んだそうですよ。喧嘩っていうか、僕が勝手に泣いちゃったっていうか……」

「そうか」

 柊は押し黙ってしまった。なんと声を掛けていいか分からなくなったらしい。
 瑞希としては、あれこれ聞かれるよりはマシである。

「仕事は休めないのか?」

「絶対休めませんね。今日予約入れてくれた人って、二週間前から予約入れて、今日は僕の為に時間を作って来てくれるんですよ。
 僕の都合で空けるなんて出来ません」

「君は、責任感が強いんだな。今の言葉を俺の職場の後輩に聞かせてやりたいよ」

「普通の事じゃないですかね。僕も、楽しみにしてた事がなくなったら悲しいと思うし。
 そんな思いを、僕の生活を支えてくれている人達にさせたくないだけです」

「そうか。職場まで送ろうか?」

 その時スマホのバイブが鳴った。起き上がってメールを開いて見てみると、SMデリヘルの店長からのメールだ。
 客がホテルに入ったという連絡だ。

 予約時間まであと三十分。ここからであれば車で十分間に合う時間だ。柊の言葉に甘える事にした。

「送ってくれると助かります。すみません、洗面台借りるだけだったのに」

「いいよ。世話になったからね」

「僕何もしてませんよ。でもありがとうございます」

 瑞希は少し腫れが引いた顔で柊に微笑んだ。
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