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四章
一話 翠の実家
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瑞希の誘拐事件があった翌週の日曜。伊吹は、瑞希を伴って翠の実家に来ていた。
少し都心から離れた町だ。閑静な住宅街だが、並んでいる一つ一つの家のサイズが大きく、デザイン性に凝った家が多い。
上流階級の家庭が集っているのだろうという印象がある。
その中にある白い外観の一軒家。庭も広く、花々が家をより芸術的に魅せている。
伊吹はインターホンを鳴らした。
「……はい」
「お約束した、篠と佐々木です」
玄関から出てきた翠の母親は、伊吹と瑞希を見ると軽蔑の眼差しを向けてきた。殺意すら感じるような鋭い目付きだ。
伊吹は一瞬ドキリとしそうになりながらも、余裕の表情を見せる。
その時、後ろから殺気を感じて振り返る。
母親同様、殺意を込めた目で睨み返している瑞希がいた。
「瑞希! 友好的な話し合いするんだろ?」
「うん……分かってるんだけどね。仕方ないからなるべく笑ってるようにするよ」
「普通にしていてくれればいいから」
下手に笑ってる方が怖い。瑞希は笑顔を作っている時こそ何を言い出すか分からないのだ。
それならまだ機嫌悪そうにしてもらった方がまだマシだ。
母親によって、客間に通された。すぐに父親も登場する。母親がお茶を五つ用意した。
一人分多い? と思っていると、柊が現れた。
(瑞希に来てもらって良かった。三人相手じゃ、一人だと分が悪かったかも)
「いぶっ……篠さん、お久しぶりです」
前に会った時より、少しスッキリしたような顔つきをしている柊に違和感を覚えた。
少しカマを掛けてみる事にする。
伊吹を恨んでいない筈がない。こちらが不利になる何かがあるから昂然としているのだろうと伊吹は考えた。
「こちらこそ、お久しぶりです。あの後身体の様子は大丈夫でしたか?」
「身体は……大丈夫です」
てっきり嫌みのひとつでも返してくると思ったが、何か様子がおかしい。柊にとって、思い出したくもない記憶だろうに。
やはり伊吹に不利になる何かがあるのか。身構えて両親と対峙する。
長方形の座卓は、横に三人並べる程広い。だが、柊は両親の隣に用意された席には座らず、伊吹と瑞希、両親から直角になる位置に一人で座った。
真意が分からない。母親が何故かそんな柊を見て、不快な顔をしていた。
先に伊吹が挨拶を始めた。
「今日はお招きいただき、誠にありがとうございます。わたくし、篠伊吹と申します。
貴重なお時間をいただいておりますので、すぐに本題に移らせていただきます」
「早く翠を帰してよ」
開口一番、母親が伊吹を睨んだ。
「返すとは? 俺は翠を誘拐したりなどしていませんよ」
伊吹が父親をジーッと見ると、父親はバツの悪そうな顔をした。伊吹に契約書を破棄させる為に依頼したチンピラからの失敗したという報告は受けているようだ。
母親は知らないらしい。「誘拐したなんて言ってないでしょう!?」と憤慨している。
「まず、お互いの認識を一致させたいと思います。翠は、幼少期からあなた方両親によって生活の全てを管理され、それはもう操り人形のごとくで、体罰も受ける事があったと聞いております。
俺の認識に何か齟齬がありますか?」
両親とも怒り出す一歩手前だ。
「翠の為に私の言う事を聞かせるのは、当然の事です! 躾なんだから! これだから親になった事のない子供は……」
「齟齬はありません」
母親の言葉を遮って柊が答えた。
「両親は、翠を優秀に育てたいあまり、毎日の過剰な勉学を強要し、友達付き合いも制限していました。
翠はずっと両親の期待に応えようと努力をしていましたが、少しでも期待に背く事があれば体罰を与え、学校での試験で一位を取るまで翠を無視して、食事を用意しない等、ネグレクトもしていました」
柊の発言に一番驚いていたのは両親だ。
「柊!?」
「何を言うんだ、お前は」
「翠は本当に必死でした。両親に嫌われたくないと思うのは、子供として当然ですから。
寝る間も惜しんで勉強をして、自分で食事の用意もして、テストの結果が出る直前は見ているこちらが可哀想に思える程、怯えていました」
「そうでしたか。柊さん、ありがとうございます」
「いえ。俺も同罪です。翠同様、嫌われたくない一心で、両親と共に翠を無視していましたから」
驚いている伊吹を見兼ねてか、瑞希が柊に問いかけた。
「柊さん、と勝手に呼ばせてもらいますが。以前は、ご両親の味方だったと聞いていますけど、何か心境の変化でもありました?」
「……ありました」
柊が伊吹を見た。伊吹は何かあるのかと見返すと、目が合った瞬間に反らされてしまう。
気に留めても仕方ないので、両親に向き直り発言をする。
「子供は親の所有物ですか?」
「そうよ。あの子が幸せになるには、私の言う通りにしていればいいのよ。
柊を見て下さい。この子は私が必死で育てた完成形よ。何を考えているのか分からないのが気持ち悪いけれど。
柊に翠のような豊かな感情表現があれば完璧でしょう? 柊の情操教育は失敗したと思ってるわ。何してもどうにもならないから諦めたの。
けど、翠に求めるのは頭脳だけだもの、本人の努力でどうにでも出来る。厳しく躾けるのは当たり前よ」
伊吹は顔を顰める。聞いていて気分が悪くなったのだ。一瞬瑞希を見るが、毒気を抜かれたようなボーッとした顔をしている。というより、話しても通じないのだろうと諦めた様子だ。
内心「何言ってんだコイツ?」と思っているであろう。相手にしたくないようで、争う気力は一切なくしている。
「お母様の意見は理解しました。その考えの是非を議論するのは時間の無駄です。お父様も契約書の事、ご存知ですよね?
チンピラを雇ってまで、契約書を破棄させようとしてきてますし」
父親は母親と違って怒りを抑える事が出来るらしい。平静を装って返答してきた。
「そもそもあなたが先に柊を脅したそうじゃないか。そんな契約は認められない。今日招いたのは、確実に契約書を無効にさせる為だ」
「無効にはしません。それなら司法に訴えたらいかがです? 脅迫によって締結された契約は無効になりますよ。
それだけでなく、俺は暴行罪と脅迫罪で刑事事件として起訴されるでしょうね。柊君にはあの恥ずかしい写真もあげましたから、証拠も揃ってますし。
それをせずにチンピラを雇ったのは、そちらに司法に頼れない何かがあると俺は考えています」
両親は答えられないのか悔しそうに歯ぎしりをしているが、柊がすぐに答えてくれた。
「親戚の問題です。両親は親戚からの目を異常に気にしています。だから俺や翠の進学先等は特に厳しかったところがあります。
特に父の兄嫁は、うちの母親と会うとお互いの子供の自慢か、相手の子供を貶す事しか言い合いませんから。
父も父で、兄に弱味を見せたくないんです。
もし訴えて、篠さんが撮った俺の恥ずかしい写真が親戚に出回る事を避けて、チンピラ? に依頼したのでしょう」
「な……なんて事……。柊っ!」
母親が叱るように柊を止めようとするが、もう遅い。伊吹も瑞希も事情を理解してしまった。
伊吹は余裕の笑みを見せた。
「あぁ……やっぱりあの脅迫は、柊さんよりご両親に効果覿面でしたか」
「はい。もしこちらの弱味が欲しければ、俺が協力しますよ」
柊の発言に吹き出して笑ったのは瑞希だ。
「……ぷっ、あはは。柊さんは完全にこちらの味方と思っていいんですね?」
「ええ。俺はずっと後悔していました。大事な弟なのに、両親に虐げられて、助ける事も、優しくする事すらも出来ずに、ただ逃げていました。
翠には申し訳なく思っています。だから篠さん、俺の目を覚ましてくれて感謝してます」
伊吹は柊に頷くと、顔面蒼白になっている両親に得意げに向き直る。
「だそうですよ? 然るところに出れば、俺も罪は免れませんが、お父様もどうなるでしょう?
こちらも、彼がチンピラに襲われていますし。被害を訴えてもいいんですよ?
襲われた時の衣服は保存していますから、体液からDNA検査も出来ますし、指紋も残っています。あのチンピラだって、捕まったらお父様に依頼された事を話すでしょうね?」
両親はがっくりと項垂れた。もう両親に反論する余力は残っていないようだった。
「ご納得いただけたようですね。では契約書の内容を確認させていただきます」
少し都心から離れた町だ。閑静な住宅街だが、並んでいる一つ一つの家のサイズが大きく、デザイン性に凝った家が多い。
上流階級の家庭が集っているのだろうという印象がある。
その中にある白い外観の一軒家。庭も広く、花々が家をより芸術的に魅せている。
伊吹はインターホンを鳴らした。
「……はい」
「お約束した、篠と佐々木です」
玄関から出てきた翠の母親は、伊吹と瑞希を見ると軽蔑の眼差しを向けてきた。殺意すら感じるような鋭い目付きだ。
伊吹は一瞬ドキリとしそうになりながらも、余裕の表情を見せる。
その時、後ろから殺気を感じて振り返る。
母親同様、殺意を込めた目で睨み返している瑞希がいた。
「瑞希! 友好的な話し合いするんだろ?」
「うん……分かってるんだけどね。仕方ないからなるべく笑ってるようにするよ」
「普通にしていてくれればいいから」
下手に笑ってる方が怖い。瑞希は笑顔を作っている時こそ何を言い出すか分からないのだ。
それならまだ機嫌悪そうにしてもらった方がまだマシだ。
母親によって、客間に通された。すぐに父親も登場する。母親がお茶を五つ用意した。
一人分多い? と思っていると、柊が現れた。
(瑞希に来てもらって良かった。三人相手じゃ、一人だと分が悪かったかも)
「いぶっ……篠さん、お久しぶりです」
前に会った時より、少しスッキリしたような顔つきをしている柊に違和感を覚えた。
少しカマを掛けてみる事にする。
伊吹を恨んでいない筈がない。こちらが不利になる何かがあるから昂然としているのだろうと伊吹は考えた。
「こちらこそ、お久しぶりです。あの後身体の様子は大丈夫でしたか?」
「身体は……大丈夫です」
てっきり嫌みのひとつでも返してくると思ったが、何か様子がおかしい。柊にとって、思い出したくもない記憶だろうに。
やはり伊吹に不利になる何かがあるのか。身構えて両親と対峙する。
長方形の座卓は、横に三人並べる程広い。だが、柊は両親の隣に用意された席には座らず、伊吹と瑞希、両親から直角になる位置に一人で座った。
真意が分からない。母親が何故かそんな柊を見て、不快な顔をしていた。
先に伊吹が挨拶を始めた。
「今日はお招きいただき、誠にありがとうございます。わたくし、篠伊吹と申します。
貴重なお時間をいただいておりますので、すぐに本題に移らせていただきます」
「早く翠を帰してよ」
開口一番、母親が伊吹を睨んだ。
「返すとは? 俺は翠を誘拐したりなどしていませんよ」
伊吹が父親をジーッと見ると、父親はバツの悪そうな顔をした。伊吹に契約書を破棄させる為に依頼したチンピラからの失敗したという報告は受けているようだ。
母親は知らないらしい。「誘拐したなんて言ってないでしょう!?」と憤慨している。
「まず、お互いの認識を一致させたいと思います。翠は、幼少期からあなた方両親によって生活の全てを管理され、それはもう操り人形のごとくで、体罰も受ける事があったと聞いております。
俺の認識に何か齟齬がありますか?」
両親とも怒り出す一歩手前だ。
「翠の為に私の言う事を聞かせるのは、当然の事です! 躾なんだから! これだから親になった事のない子供は……」
「齟齬はありません」
母親の言葉を遮って柊が答えた。
「両親は、翠を優秀に育てたいあまり、毎日の過剰な勉学を強要し、友達付き合いも制限していました。
翠はずっと両親の期待に応えようと努力をしていましたが、少しでも期待に背く事があれば体罰を与え、学校での試験で一位を取るまで翠を無視して、食事を用意しない等、ネグレクトもしていました」
柊の発言に一番驚いていたのは両親だ。
「柊!?」
「何を言うんだ、お前は」
「翠は本当に必死でした。両親に嫌われたくないと思うのは、子供として当然ですから。
寝る間も惜しんで勉強をして、自分で食事の用意もして、テストの結果が出る直前は見ているこちらが可哀想に思える程、怯えていました」
「そうでしたか。柊さん、ありがとうございます」
「いえ。俺も同罪です。翠同様、嫌われたくない一心で、両親と共に翠を無視していましたから」
驚いている伊吹を見兼ねてか、瑞希が柊に問いかけた。
「柊さん、と勝手に呼ばせてもらいますが。以前は、ご両親の味方だったと聞いていますけど、何か心境の変化でもありました?」
「……ありました」
柊が伊吹を見た。伊吹は何かあるのかと見返すと、目が合った瞬間に反らされてしまう。
気に留めても仕方ないので、両親に向き直り発言をする。
「子供は親の所有物ですか?」
「そうよ。あの子が幸せになるには、私の言う通りにしていればいいのよ。
柊を見て下さい。この子は私が必死で育てた完成形よ。何を考えているのか分からないのが気持ち悪いけれど。
柊に翠のような豊かな感情表現があれば完璧でしょう? 柊の情操教育は失敗したと思ってるわ。何してもどうにもならないから諦めたの。
けど、翠に求めるのは頭脳だけだもの、本人の努力でどうにでも出来る。厳しく躾けるのは当たり前よ」
伊吹は顔を顰める。聞いていて気分が悪くなったのだ。一瞬瑞希を見るが、毒気を抜かれたようなボーッとした顔をしている。というより、話しても通じないのだろうと諦めた様子だ。
内心「何言ってんだコイツ?」と思っているであろう。相手にしたくないようで、争う気力は一切なくしている。
「お母様の意見は理解しました。その考えの是非を議論するのは時間の無駄です。お父様も契約書の事、ご存知ですよね?
チンピラを雇ってまで、契約書を破棄させようとしてきてますし」
父親は母親と違って怒りを抑える事が出来るらしい。平静を装って返答してきた。
「そもそもあなたが先に柊を脅したそうじゃないか。そんな契約は認められない。今日招いたのは、確実に契約書を無効にさせる為だ」
「無効にはしません。それなら司法に訴えたらいかがです? 脅迫によって締結された契約は無効になりますよ。
それだけでなく、俺は暴行罪と脅迫罪で刑事事件として起訴されるでしょうね。柊君にはあの恥ずかしい写真もあげましたから、証拠も揃ってますし。
それをせずにチンピラを雇ったのは、そちらに司法に頼れない何かがあると俺は考えています」
両親は答えられないのか悔しそうに歯ぎしりをしているが、柊がすぐに答えてくれた。
「親戚の問題です。両親は親戚からの目を異常に気にしています。だから俺や翠の進学先等は特に厳しかったところがあります。
特に父の兄嫁は、うちの母親と会うとお互いの子供の自慢か、相手の子供を貶す事しか言い合いませんから。
父も父で、兄に弱味を見せたくないんです。
もし訴えて、篠さんが撮った俺の恥ずかしい写真が親戚に出回る事を避けて、チンピラ? に依頼したのでしょう」
「な……なんて事……。柊っ!」
母親が叱るように柊を止めようとするが、もう遅い。伊吹も瑞希も事情を理解してしまった。
伊吹は余裕の笑みを見せた。
「あぁ……やっぱりあの脅迫は、柊さんよりご両親に効果覿面でしたか」
「はい。もしこちらの弱味が欲しければ、俺が協力しますよ」
柊の発言に吹き出して笑ったのは瑞希だ。
「……ぷっ、あはは。柊さんは完全にこちらの味方と思っていいんですね?」
「ええ。俺はずっと後悔していました。大事な弟なのに、両親に虐げられて、助ける事も、優しくする事すらも出来ずに、ただ逃げていました。
翠には申し訳なく思っています。だから篠さん、俺の目を覚ましてくれて感謝してます」
伊吹は柊に頷くと、顔面蒼白になっている両親に得意げに向き直る。
「だそうですよ? 然るところに出れば、俺も罪は免れませんが、お父様もどうなるでしょう?
こちらも、彼がチンピラに襲われていますし。被害を訴えてもいいんですよ?
襲われた時の衣服は保存していますから、体液からDNA検査も出来ますし、指紋も残っています。あのチンピラだって、捕まったらお父様に依頼された事を話すでしょうね?」
両親はがっくりと項垂れた。もう両親に反論する余力は残っていないようだった。
「ご納得いただけたようですね。では契約書の内容を確認させていただきます」
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