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番外編
⑫嫌われ者
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中学受験の結果、翠も広夢も第一志望校に合格した。
だが、試験で一位だった者が入学式でする新入生の挨拶は、広夢の役割となった。それが分かると、翠は両親にその場で正座するように指示された。
普段気楽に過ごしていたリビングが一転、息をするのも恐ろしい空間に変わる。
翠は床に膝を着いて正座をした。
目の前に母親と父親が立ち、翠を見下ろしている。遠くで兄が居心地悪そうにソファーに座っており、本を読みながら時折翠に視線を向けていた。
「翠、言う事は?」
冷たい声で問う母親の目はいつも以上に厳しい。竹刀を持っており、いつ凶器が飛んでくるか、翠はビクビクしている。
「ごめんなさい。おれが無能なばかりに、一位を取れませんでした」
「家族でお前だけだぞ。新入生の挨拶をしていないのは」
父親は淡々とした言い方だ。冷酷さを帯びた目は、とても愛する我が子に向けるものではない。
「ごめん……なさい」
母親の持つ竹刀が翠の腹部を打った。一度始まると、暴力は止まらなくなる。腹部を何度も叩かれ、翠は正座のまま身を丸めた。
次に背中に竹刀が飛んでくる。
「いっ、ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさいぃ! 勉強もっと頑張ります! 中学生になったら一位から落ちません! 許してください!」
「謝るだけなら誰でも出来るの。全く、いくら身体に痛みを覚えさせても無意味だったようね」
母親が翠の腕を掴んで引っ張った。翠は立ち上がり、よろめきながらついて行く。
玄関に向かっていき、母親はサンダルを履いたが、翠は靴を履く暇も与えず靴下のまま外へと引きずられていく。
翠は外に追い出されるのだと思っていたが、違った。庭には物置小屋がある。様々な作業用の動画がしまわれている小屋で、人一人入れるが、狭くて身動きが取れない。
そこに閉じ込められた。扉には鍵をかけられて内側から開くことは出来ない。
まだ寒さの残る春前だ。
暖房器具が一切ない寒い物置小屋で、泣きながら一晩を過ごした。
朝になって出されたが、翠は高熱を出していた。
一位になれなかった者は家族ではないという決まりから、熱でも食事は用意されない。
翠は苦しい身体に鞭を打って自分の朝食を用意したが、食は進まない。すぐにベッドに寝込んだ。
その日は昼に母親と兄が出掛け、父親は仕事で翠は家に一人だ。そんな時、家のチャイムが鳴った。
ぼーっとする頭でどうにかインターフォンに出る。
「……はい?」
「あの、僕、横山広夢です。柳川翠君いますか?」
「……おれ、翠。ちょっと待ってて」
翠は自分が今どういう格好をしているか判断出来ていなかった。上は下着のシャツに、下はトランクスだ。
玄関の扉を開くと、広夢は驚いて目を見開いていた。
「柳川! って、大丈夫か?」
「……何か用?」
「いや、折角同じ中学だし、入学式は一緒に行かないか? って聞きに来たんだよ。ラインとか交換したいし」
「俺のケータイじゃライン、出来ない……」
バタリ、と翠は膝を着いてそのまま地面に倒れた。
「柳川!?」
「ちょっと、熱があるだけだから……大丈夫」
「救急車! 救急車!」
「大袈裟。呼ばないで。迷惑」
翠の態度に少し落ち着いた広夢は、翠を抱き起こし、横抱きにした。靴を脱ぎ捨てて家に上がった。
「お前あっつい。で、お前の部屋、どこ?」
「に……二階……。一番奥」
「おっけー! 安心して僕に任せてな!」
広夢の身体は鍛えている事もあり、子供にしては筋肉質な方だ。特に最近は一気に力強くなった。
軽々と、とまではいかないが、翠をお姫様抱っこをして部屋に向かい、翠をベッドに寝かせた。
「ごめ……なさい」
「何謝ってんだ? 具合悪いんだから、甘えていいんだぞ。風邪引いた時の特権ってな。
つか、汗びっしょりなんだから、着替えないと」
「う……ん。一位になれなくて……ごめん、なさい……」
広夢がタンスを漁り、服を見付けると、翠のシャツを脱がせた。そこで広夢の手が止まる。
「……っ!」
広夢は絶句した。翠の身体は痣だらけだ。
「なぁ、お前……これ、虐待されてんのか?」
「虐待なんかじゃない、よ。おれが一位じゃないから、当然の罰なんだ。こうしないとおれが努力しないから……」
「んなわけあるかよ」
「で、でも……お母さんは、おれは身体に痛みを覚え込ませても無意味だって……本当に見捨てられたかも」
「はあ? 傷つける方が無意味だろ! 児相に連絡していい?」
「だ、ダメ……。勝手な事すんなよ。心配要らない。次、一位取れば家族って認めてもらえるから」
「他人が言っちゃいけないかもしれないけど、それおかしいぞ。間違ってるよ」
ぼーっとした時だった頭では、広夢の言っている意味が理解出来ない。
服を着替えると、翠はすぐに眠ってしまった。
目が覚めると、広夢はいなかった。おでこには温くなった濡れタオルが乗っている。広夢が看病したのだとすぐ分かった。
さすがに翠の体調の悪さにマズいと思った母親が看病をしたが、治った途端、また無視されるようになってしまった。
それでも、翠は母親が看病をしてくれた事に心から歓喜していた。
そして……中学の入学式で翠は広夢に頭を下げた。
「ごめん、介抱させて。風邪は移らなかった?」
「バカは風邪引かないからね! だーいじょうぶー!」
「お前の方が成績いい癖に」
「ははっ、そんな事ないだろ~。入試はまぐれだよ。柳川の方が頭いいんだから自信持てよ」
やけに謙遜している広夢に違和感を覚えた。最初はバカにされているような気がして、いい気分ではなかった。
中学生活は広夢とはクラスも違い、関わる事はなかった。翠は小学生の頃のように周りを見下す事はなかったが、クラス中に嫌われてしまっていた。
同じ塾に通っていた生徒数人が翠を嫌っており、知らない者達に翠は見下して嫌味を言う人間だと吹聴していたのだ。
それを知らない翠は、クラスで見覚えのある男子達四人に話し掛けようと近寄った。
少し近寄ると、四人の内、翠を知らない一人が「どうしたの?」と友好的に翠に話しかけた。
だが、他三人が嫌そうな顔をした。
「やめとけよ。アイツ、塾でトップだからってスゲー見下すんだぜ」
「俺の方が成績良いです~ってか? うぜぇ」
「俺ら、お前の自尊心満たす為の道具じゃないんで」
翠は愕然とした。そこまで嫌われている事に今まで気付いていなかったのだ。
友達の作り方も知らない翠が、この場を打開出来る筈もなく、黙り込んでしまった。
「……あっち行こうぜ」
四人とも翠を避けるように遠ざかった。
翠は友達を作る事を諦めた。同じレベルの人達となら仲良くなれるだろうと思っていたのに、これまでの悪い評価が足を引っ張る。
それから翠は今まで以上に本気で勉強に力を入れた。誰にも負けたくなかった。一番でさえいれば、友達が出来ない情けなさも、紛らわせられる。
両親や兄にも家族と認めてもらえる。そう信じた。
その結果、最初の中間試験で一位となった。学年で上位十位までが廊下に張り出される。
翠は自信がついて、余計に周りを見下すようになったのだった。
だが、試験で一位だった者が入学式でする新入生の挨拶は、広夢の役割となった。それが分かると、翠は両親にその場で正座するように指示された。
普段気楽に過ごしていたリビングが一転、息をするのも恐ろしい空間に変わる。
翠は床に膝を着いて正座をした。
目の前に母親と父親が立ち、翠を見下ろしている。遠くで兄が居心地悪そうにソファーに座っており、本を読みながら時折翠に視線を向けていた。
「翠、言う事は?」
冷たい声で問う母親の目はいつも以上に厳しい。竹刀を持っており、いつ凶器が飛んでくるか、翠はビクビクしている。
「ごめんなさい。おれが無能なばかりに、一位を取れませんでした」
「家族でお前だけだぞ。新入生の挨拶をしていないのは」
父親は淡々とした言い方だ。冷酷さを帯びた目は、とても愛する我が子に向けるものではない。
「ごめん……なさい」
母親の持つ竹刀が翠の腹部を打った。一度始まると、暴力は止まらなくなる。腹部を何度も叩かれ、翠は正座のまま身を丸めた。
次に背中に竹刀が飛んでくる。
「いっ、ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさいぃ! 勉強もっと頑張ります! 中学生になったら一位から落ちません! 許してください!」
「謝るだけなら誰でも出来るの。全く、いくら身体に痛みを覚えさせても無意味だったようね」
母親が翠の腕を掴んで引っ張った。翠は立ち上がり、よろめきながらついて行く。
玄関に向かっていき、母親はサンダルを履いたが、翠は靴を履く暇も与えず靴下のまま外へと引きずられていく。
翠は外に追い出されるのだと思っていたが、違った。庭には物置小屋がある。様々な作業用の動画がしまわれている小屋で、人一人入れるが、狭くて身動きが取れない。
そこに閉じ込められた。扉には鍵をかけられて内側から開くことは出来ない。
まだ寒さの残る春前だ。
暖房器具が一切ない寒い物置小屋で、泣きながら一晩を過ごした。
朝になって出されたが、翠は高熱を出していた。
一位になれなかった者は家族ではないという決まりから、熱でも食事は用意されない。
翠は苦しい身体に鞭を打って自分の朝食を用意したが、食は進まない。すぐにベッドに寝込んだ。
その日は昼に母親と兄が出掛け、父親は仕事で翠は家に一人だ。そんな時、家のチャイムが鳴った。
ぼーっとする頭でどうにかインターフォンに出る。
「……はい?」
「あの、僕、横山広夢です。柳川翠君いますか?」
「……おれ、翠。ちょっと待ってて」
翠は自分が今どういう格好をしているか判断出来ていなかった。上は下着のシャツに、下はトランクスだ。
玄関の扉を開くと、広夢は驚いて目を見開いていた。
「柳川! って、大丈夫か?」
「……何か用?」
「いや、折角同じ中学だし、入学式は一緒に行かないか? って聞きに来たんだよ。ラインとか交換したいし」
「俺のケータイじゃライン、出来ない……」
バタリ、と翠は膝を着いてそのまま地面に倒れた。
「柳川!?」
「ちょっと、熱があるだけだから……大丈夫」
「救急車! 救急車!」
「大袈裟。呼ばないで。迷惑」
翠の態度に少し落ち着いた広夢は、翠を抱き起こし、横抱きにした。靴を脱ぎ捨てて家に上がった。
「お前あっつい。で、お前の部屋、どこ?」
「に……二階……。一番奥」
「おっけー! 安心して僕に任せてな!」
広夢の身体は鍛えている事もあり、子供にしては筋肉質な方だ。特に最近は一気に力強くなった。
軽々と、とまではいかないが、翠をお姫様抱っこをして部屋に向かい、翠をベッドに寝かせた。
「ごめ……なさい」
「何謝ってんだ? 具合悪いんだから、甘えていいんだぞ。風邪引いた時の特権ってな。
つか、汗びっしょりなんだから、着替えないと」
「う……ん。一位になれなくて……ごめん、なさい……」
広夢がタンスを漁り、服を見付けると、翠のシャツを脱がせた。そこで広夢の手が止まる。
「……っ!」
広夢は絶句した。翠の身体は痣だらけだ。
「なぁ、お前……これ、虐待されてんのか?」
「虐待なんかじゃない、よ。おれが一位じゃないから、当然の罰なんだ。こうしないとおれが努力しないから……」
「んなわけあるかよ」
「で、でも……お母さんは、おれは身体に痛みを覚え込ませても無意味だって……本当に見捨てられたかも」
「はあ? 傷つける方が無意味だろ! 児相に連絡していい?」
「だ、ダメ……。勝手な事すんなよ。心配要らない。次、一位取れば家族って認めてもらえるから」
「他人が言っちゃいけないかもしれないけど、それおかしいぞ。間違ってるよ」
ぼーっとした時だった頭では、広夢の言っている意味が理解出来ない。
服を着替えると、翠はすぐに眠ってしまった。
目が覚めると、広夢はいなかった。おでこには温くなった濡れタオルが乗っている。広夢が看病したのだとすぐ分かった。
さすがに翠の体調の悪さにマズいと思った母親が看病をしたが、治った途端、また無視されるようになってしまった。
それでも、翠は母親が看病をしてくれた事に心から歓喜していた。
そして……中学の入学式で翠は広夢に頭を下げた。
「ごめん、介抱させて。風邪は移らなかった?」
「バカは風邪引かないからね! だーいじょうぶー!」
「お前の方が成績いい癖に」
「ははっ、そんな事ないだろ~。入試はまぐれだよ。柳川の方が頭いいんだから自信持てよ」
やけに謙遜している広夢に違和感を覚えた。最初はバカにされているような気がして、いい気分ではなかった。
中学生活は広夢とはクラスも違い、関わる事はなかった。翠は小学生の頃のように周りを見下す事はなかったが、クラス中に嫌われてしまっていた。
同じ塾に通っていた生徒数人が翠を嫌っており、知らない者達に翠は見下して嫌味を言う人間だと吹聴していたのだ。
それを知らない翠は、クラスで見覚えのある男子達四人に話し掛けようと近寄った。
少し近寄ると、四人の内、翠を知らない一人が「どうしたの?」と友好的に翠に話しかけた。
だが、他三人が嫌そうな顔をした。
「やめとけよ。アイツ、塾でトップだからってスゲー見下すんだぜ」
「俺の方が成績良いです~ってか? うぜぇ」
「俺ら、お前の自尊心満たす為の道具じゃないんで」
翠は愕然とした。そこまで嫌われている事に今まで気付いていなかったのだ。
友達の作り方も知らない翠が、この場を打開出来る筈もなく、黙り込んでしまった。
「……あっち行こうぜ」
四人とも翠を避けるように遠ざかった。
翠は友達を作る事を諦めた。同じレベルの人達となら仲良くなれるだろうと思っていたのに、これまでの悪い評価が足を引っ張る。
それから翠は今まで以上に本気で勉強に力を入れた。誰にも負けたくなかった。一番でさえいれば、友達が出来ない情けなさも、紛らわせられる。
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