57 / 139
二章
二十三話 二年半ぶりの帰宅
しおりを挟む
瑞希の実家は二階建ての一軒家だ。ダークブルーの壁に、黒い屋根。見る人が皆シックな印象を持つようなデザインだ。
門扉の前に立ち、二人は並んだ。
「ど、どどど、どうしよう」
瑞希は緊張で震えている。
「チャイム押せよ」
「うん。押してみる。もしかしたらいないかもだし」
「連絡してから来てるんじゃねぇのかよ」
「思い立ったが吉日って思って。二年半ぶりなんだよ、緊張する……」
「なら、早く吉日にしろ。押しな」
瑞希は右手の人差し指をインターフォンのボタンに向けるが、ブルブルと震えてボタンが押せない。
「ったく!」
代わりに伊吹が押した。ピンポーンと響くチャイムの音に、瑞希は身体を大きく揺らした。
「はい?」
インターフォンからは、女性の声。瑞希の母親だという事は、伊吹でも分かった。
「あ、あああ、あの……」
「瑞希?」
母親はすぐに瑞希と分かった。カメラで見れば誰が訪ねてきたか一目瞭然だ。
「……あ、ああ、あのっ、母さん」
「どういうつもりで帰ってきたの?」
「ヒック……あ、えっと……ヒック」
瑞希は急にしゃっくりが始まった。慌てて伊吹が返事をした。
「待って。おばさん、俺……伊吹なんだけど」
「あら、伊吹も一緒なの?」
「うん。まずは瑞希の話を聞いて欲しいんだ。あ、おじさんとか航にも聞いてもらいたいから、また夜になったら来てもいい?」
「……分かった。七時頃来て。瑞希、全部話してもらうからね。逃げないでちゃんと話しなさいよ!」
「……ヒック」
その後、夜まで時間を潰す間に、伊吹と瑞希は今までの経緯を説明する準備をした。
時間が経って瑞希のしゃっくりも止まり、午後七時に再度瑞希の実家を訪れた。
チャイムを鳴らすと、すぐに母親と父親が外に出てきた。
「瑞希……さっきは、顔も見せずにごめんなさい」
両親は随分と老けていた。白髪も増え、身体も小さく見える。母親は涙目だ。父親も泣きそうな顔をしている。その後からやってきた航が門扉を開いて瑞希に抱きついた。
伊吹が最後に見た時、小学生だった航は、もう高校を出ている年齢だ。瑞希より少し身長が高く、真面目そうな好青年に育っていた。
「兄ちゃん、待ってたよ。ずっと、ずっと待ってた」
「うん、皆……ごめんね」
瑞希の緊張は解けていた。伊吹も快く招かれ、家の中に入った。
ダイニングテーブルには、ご馳走が並んでいた。全部伊吹と瑞希の好物ばかりだ。
「おばさん……俺にまで気を遣わなくていいのに」
「あなたも息子みたいなものよ。急に連絡取れなくなって、瑞希とはもう仲良くしてないんだなって思ってた。
瑞希がおかしくなったのも、あなたが絡んでいる気はしていたの。一緒に帰ってきてくれて、嬉しいわ」
母親の言葉に、伊吹の胸はツキンと痛む。SMで快楽を得る痛みとは種類の違う、罪悪感という名の嫌な痛みだ。
「食べながら話しましょ」
「……嫌な気分にさせるかもしれないよ?」
瑞希は一瞬複雑そうな顔を見せたが、家族を思いやる目を向けた。
「いいの。帰ってきてくれた事が嬉しいんだから」
ご馳走が並ぶテーブルに、瑞希と伊吹が二人並んで座り、その向かいに両親が、誕生日席に航が座った。
母親がご飯と味噌汁を用意し、おかずを食べながら事の経緯を説明し始めた。
小学六年生の時の伊吹の父親が豹変した事件から、最近翠と三人でSMショーをやっている事まで。今まで起こった出来事をなるべく包み隠さず全て話した。
伊吹も瑞希も、思い出話と言わんばかりに笑いながら話しているので悲壮感はないが、聞いている瑞希の家族はハラハラした様子だ。
「どうして話してくれなかったんだ? 一人で……いや、二人で抱えて、辛かっただろう」
父親が悲しそうな目を瑞希と伊吹、両方に向けた。その答えは瑞希が笑顔で語った。
「辛かったし、苦しかったよ。自分の中で感情の整理がつかなくてどう話していいか分からなかったんだ。
軽蔑されたら嫌だな、とか。咎められるんじゃないかな、とか。伊吹が皆に嫌われるんじゃないかな、とか。嫌な想像ばかりしてしまって。
皆には心配かけて、挙句に家まで出てさ。父さんと母さんが本気で勘当するつもりはなかったの、分かってたのに。本当にごめんなさい」
次いで、伊吹も自分の胸の内を明かした。心が穏やかで、瑞希同様優しい笑顔を浮かべている。
「俺も、瑞希からずっと目を背けてた。ラブホテル作って、自分の居場所にして、瑞希に何もされないようにって自分を守ってた。
そんな事したって、瑞希を傷付けるだけだったのに」
「でも、僕達仲直りしたんだよ。これからはもっと良い関係にしたい」
伊吹と瑞希は顔を見合わせて笑った。
空気が緩んだ時、母親は心配そうに瑞希に問いかけた。
「瑞希。帰ってきたら、今からでも大学受験する? 今まで何もしてあげられなかった分、あなたの希望は出来るだけ叶えてあげたい」
伊吹から見ても、母親が瑞希の仕事に対して賛成していないのが分かる。
「ごめん。今の仕事、好きなんだよね。辞めたくないし、この世界でプロとして生きていきたい。
いずれは自分で店持ってもいいかな」
「そこまで言うなら反対はしないが。瑞希は今どこに住んでいるんだ? 伊吹は?」
父親が反対しようとする母親を制止して、話題を変えた。だが、その質問は伊吹も瑞希も答えにくい。
「じ、実は……僕、定住してる家とかないんだよね。店の待機所にいたり、お客さんとか友達の家転々としてる」
「俺は、ラブホの最上階を自分の部屋って事にしてるけど。定住してる場所っていうと違うかな。
予約客入ったらビジホに移動するし」
その言葉を聞いて騒ぎ出したのは母親だ。
「それなら私達が住むところを用意するわ! 生活に困ってるんじゃないの? お母さんが部屋借りてあげる」
「借りてもそこに帰る想像出来ないからいいよ。それにお金に困ってないしね」
「じゃあ伊吹。あなた用に部屋借りてあげる」
「俺も瑞希と同意見。心配要らないよ、瑞希も困ったらホテルに来れば良いんだから。寝る場所には困らない」
だが、さすがに父親も容認は出来ず、住居の話は後日しっかり話し合う事になったのだった。
門扉の前に立ち、二人は並んだ。
「ど、どどど、どうしよう」
瑞希は緊張で震えている。
「チャイム押せよ」
「うん。押してみる。もしかしたらいないかもだし」
「連絡してから来てるんじゃねぇのかよ」
「思い立ったが吉日って思って。二年半ぶりなんだよ、緊張する……」
「なら、早く吉日にしろ。押しな」
瑞希は右手の人差し指をインターフォンのボタンに向けるが、ブルブルと震えてボタンが押せない。
「ったく!」
代わりに伊吹が押した。ピンポーンと響くチャイムの音に、瑞希は身体を大きく揺らした。
「はい?」
インターフォンからは、女性の声。瑞希の母親だという事は、伊吹でも分かった。
「あ、あああ、あの……」
「瑞希?」
母親はすぐに瑞希と分かった。カメラで見れば誰が訪ねてきたか一目瞭然だ。
「……あ、ああ、あのっ、母さん」
「どういうつもりで帰ってきたの?」
「ヒック……あ、えっと……ヒック」
瑞希は急にしゃっくりが始まった。慌てて伊吹が返事をした。
「待って。おばさん、俺……伊吹なんだけど」
「あら、伊吹も一緒なの?」
「うん。まずは瑞希の話を聞いて欲しいんだ。あ、おじさんとか航にも聞いてもらいたいから、また夜になったら来てもいい?」
「……分かった。七時頃来て。瑞希、全部話してもらうからね。逃げないでちゃんと話しなさいよ!」
「……ヒック」
その後、夜まで時間を潰す間に、伊吹と瑞希は今までの経緯を説明する準備をした。
時間が経って瑞希のしゃっくりも止まり、午後七時に再度瑞希の実家を訪れた。
チャイムを鳴らすと、すぐに母親と父親が外に出てきた。
「瑞希……さっきは、顔も見せずにごめんなさい」
両親は随分と老けていた。白髪も増え、身体も小さく見える。母親は涙目だ。父親も泣きそうな顔をしている。その後からやってきた航が門扉を開いて瑞希に抱きついた。
伊吹が最後に見た時、小学生だった航は、もう高校を出ている年齢だ。瑞希より少し身長が高く、真面目そうな好青年に育っていた。
「兄ちゃん、待ってたよ。ずっと、ずっと待ってた」
「うん、皆……ごめんね」
瑞希の緊張は解けていた。伊吹も快く招かれ、家の中に入った。
ダイニングテーブルには、ご馳走が並んでいた。全部伊吹と瑞希の好物ばかりだ。
「おばさん……俺にまで気を遣わなくていいのに」
「あなたも息子みたいなものよ。急に連絡取れなくなって、瑞希とはもう仲良くしてないんだなって思ってた。
瑞希がおかしくなったのも、あなたが絡んでいる気はしていたの。一緒に帰ってきてくれて、嬉しいわ」
母親の言葉に、伊吹の胸はツキンと痛む。SMで快楽を得る痛みとは種類の違う、罪悪感という名の嫌な痛みだ。
「食べながら話しましょ」
「……嫌な気分にさせるかもしれないよ?」
瑞希は一瞬複雑そうな顔を見せたが、家族を思いやる目を向けた。
「いいの。帰ってきてくれた事が嬉しいんだから」
ご馳走が並ぶテーブルに、瑞希と伊吹が二人並んで座り、その向かいに両親が、誕生日席に航が座った。
母親がご飯と味噌汁を用意し、おかずを食べながら事の経緯を説明し始めた。
小学六年生の時の伊吹の父親が豹変した事件から、最近翠と三人でSMショーをやっている事まで。今まで起こった出来事をなるべく包み隠さず全て話した。
伊吹も瑞希も、思い出話と言わんばかりに笑いながら話しているので悲壮感はないが、聞いている瑞希の家族はハラハラした様子だ。
「どうして話してくれなかったんだ? 一人で……いや、二人で抱えて、辛かっただろう」
父親が悲しそうな目を瑞希と伊吹、両方に向けた。その答えは瑞希が笑顔で語った。
「辛かったし、苦しかったよ。自分の中で感情の整理がつかなくてどう話していいか分からなかったんだ。
軽蔑されたら嫌だな、とか。咎められるんじゃないかな、とか。伊吹が皆に嫌われるんじゃないかな、とか。嫌な想像ばかりしてしまって。
皆には心配かけて、挙句に家まで出てさ。父さんと母さんが本気で勘当するつもりはなかったの、分かってたのに。本当にごめんなさい」
次いで、伊吹も自分の胸の内を明かした。心が穏やかで、瑞希同様優しい笑顔を浮かべている。
「俺も、瑞希からずっと目を背けてた。ラブホテル作って、自分の居場所にして、瑞希に何もされないようにって自分を守ってた。
そんな事したって、瑞希を傷付けるだけだったのに」
「でも、僕達仲直りしたんだよ。これからはもっと良い関係にしたい」
伊吹と瑞希は顔を見合わせて笑った。
空気が緩んだ時、母親は心配そうに瑞希に問いかけた。
「瑞希。帰ってきたら、今からでも大学受験する? 今まで何もしてあげられなかった分、あなたの希望は出来るだけ叶えてあげたい」
伊吹から見ても、母親が瑞希の仕事に対して賛成していないのが分かる。
「ごめん。今の仕事、好きなんだよね。辞めたくないし、この世界でプロとして生きていきたい。
いずれは自分で店持ってもいいかな」
「そこまで言うなら反対はしないが。瑞希は今どこに住んでいるんだ? 伊吹は?」
父親が反対しようとする母親を制止して、話題を変えた。だが、その質問は伊吹も瑞希も答えにくい。
「じ、実は……僕、定住してる家とかないんだよね。店の待機所にいたり、お客さんとか友達の家転々としてる」
「俺は、ラブホの最上階を自分の部屋って事にしてるけど。定住してる場所っていうと違うかな。
予約客入ったらビジホに移動するし」
その言葉を聞いて騒ぎ出したのは母親だ。
「それなら私達が住むところを用意するわ! 生活に困ってるんじゃないの? お母さんが部屋借りてあげる」
「借りてもそこに帰る想像出来ないからいいよ。それにお金に困ってないしね」
「じゃあ伊吹。あなた用に部屋借りてあげる」
「俺も瑞希と同意見。心配要らないよ、瑞希も困ったらホテルに来れば良いんだから。寝る場所には困らない」
だが、さすがに父親も容認は出来ず、住居の話は後日しっかり話し合う事になったのだった。
0
お気に入りに追加
309
あなたにおすすめの小説



体育座りでスカートを汚してしまったあの日々
yoshieeesan
現代文学
学生時代にやたらとさせられた体育座りですが、女性からすると服が汚れた嫌な思い出が多いです。そういった短編小説を書いていきます。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。



ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる